第2話 はじめての敗北
「お兄ちゃん、ご飯できたってば。何回呼ばせるの」
ヘッドギアを外した瞬間、妹の葵の声が耳に飛び込んできた。大和はベッドの上で体を起こし、まだぼんやりしている頭を軽く振った。時計を見ると、ログインしてから三時間近く経っている。
「悪い。ちょっとだけのつもりだったんだけど」
「ちょっとで済んだことないって言ったでしょ。唐揚げ、冷めるよ」
リビングに降りると、食卓には山盛りの唐揚げと、白米、わかめと豆腐の味噌汁、千切りキャベツが並んでいた。父はすでに缶ビールを開けていて、母は大和の分の茶碗にご飯を山のように盛っている。
「大和、あんた最近ずっと筋トレばっかりだと思ったら、今度はゲームか」
「久しぶりに戻っただけだよ。運営が変わったんだって」
「ふうん。で、どうだったの。クソゲーのままだった?」
向かいの席で、葵がにやにやしながら唐揚げを頬張っている。大和は少し迷ってから、正直に答えた。
「……めちゃくちゃ面白かった。街がすごく綺麗になってて、肉を焼いたら本当に美味くてさ」
「やっぱり。顔がにやけてるもん」
「にやけてない」
「にやけてるって」
父と母が顔を見合わせて笑う。大和は誤魔化すように唐揚げを口に放り込んだ。揚げたての衣がざくっと音を立てて、熱い肉汁が口の中に広がる。さっきのアプトノスの香草焼きも美味かったが、母の唐揚げには敵わなかった。
「明日も早起きして、また入るんでしょ」
「午前の講義が休講だから、朝から入る」
「ほどほどにしなよ、筋肉ゲーマー」
葵の軽口を聞き流しながら、大和は二杯目のご飯をお代わりした。
翌朝。
目を開けると、アルドは宿屋の二階の小さな部屋にいた。木の窓から、朝の光が差し込んでいる。昨夜、ログアウトする前に宿を取っておいたのだ。
ベッドから起き上がって背伸びをすると、体が軽かった。ゲームの中だというのに、睡眠をとった後のようなすっきり感がある。ステータス画面を開くと、昨日までのレベルがそのまま残っていた。
【アルド・ヴォルドレン Lv.4】
「よし。今日は、もう少し奥まで行ってみるか」
階下の食堂は、焼きたてのパンと卵の匂いで満ちていた。カウンターの奥にいる女将が、アルドを見るなり笑顔で手招きする。
「おはよう、お兄さん。朝ごはんはどうする?」
「おすすめをください」
「じゃあ、朝の定食だね。ちょっと待ってて」
しばらくして運ばれてきたのは、ふわふわのオムレツと、湯気の立つ白パンのバスケット、それにキャベツと玉ねぎのコンソメスープだった。オムレツの中には、細かく刻んだアプトノスのベーコンが入っている。
【朝の定食】
効果:HP回復(小)、スタミナ最大値+10(半日)
「いただきます」
スプーンでオムレツを割ると、半熟の卵がとろりと流れ出した。一口食べれば、ベーコンの塩気と卵の甘みが絶妙に混ざり合う。白パンは外がさくっとして、中はもちもち。スープはさっぱりとしていて、朝の胃に優しく染みた。
「うまい……。ゲームの飯、レベル高すぎだろ」
アルドは夢中で平らげた。皿を下げに来た女将が、嬉しそうに目を細める。
「いい食べっぷりだね。そんなに食べてくれる人は久しぶりだよ。体が大きいから、頑張ってね」
「ごちそうさまでした」
宿を出ると、街はすでに賑わっていた。広場では露店が開き、荷車を引いたアプトノスが石畳をのそのそと歩いている。アルドはギルドに向かい、掲示板の前に立った。
昨日より少し上の列に、気になる依頼が貼ってあった。
【ランポス討伐】
依頼内容:森丘に出没するランポスを五匹討伐
推奨Lv:5
報酬:2,500z
「ランポスか……」
名前を見ただけで、背筋が少し伸びた。ランポスは、青い体の小型の鳥竜で、群れで獲物を狙う肉食モンスターだ。一匹ずつは大したことがなくても、数で囲まれると新人には厄介な相手になる。
「推奨レベル5か。一つ足りないけど、いけるか」
迷ったのは一瞬だった。補償でもらった上級回復薬は三十個もある。大剣の扱いにも、昨日でだいぶ慣れた。
アルドは依頼書を受付に持っていった。
「ランポスですね。群れで動いていますので、囲まれないように注意してくださいね」
受付嬢の声を背中に聞きながら、街を出る。
森丘は、ルーデンの北東に広がる、深い森と起伏のある丘が混ざった地形だった。背の高い木々の間から木漏れ日が降り注ぎ、苔むした岩があちこちに転がっている。草原とは違って空気がひんやりとしていて、足元には湿った土の匂いが漂っていた。
ベースキャンプに到着すると、設営されたテントの前に、ギルドの係員らしい男が立っていた。
「ここが拠点です。体力が尽きた場合は、ここで復活できますよ。ただし、クエスト中に三回倒れると失敗となりますので、ご注意を」
「三回、ですか」
「はい。死んでも罰則はありませんが、クエストの報酬と経験値は取り消されます。慎重に」
アルドはうなずいて、森丘の奥へ足を踏み入れた。
十分ほど歩いたところで、前方の茂みがガサガサと揺れた。
細身の体が、茂みの隙間から姿を現す。鮮やかな青と黒の縞模様の体、足の先に光る鋭い鉤爪、縁にぎざぎざの牙が並んだ黄色い嘴。二本足で立つその姿は、森の中に溶け込むような保護色だった。
【ランポス Lv.5】
「出たな」
アルドが大剣を構えた瞬間、ランポスは甲高い声で一声鳴いた。その声に呼応するように、周りの茂みから、さらに二匹が飛び出してくる。合計三匹。
「やっぱり群れか」
三匹はアルドを囲むように、ゆっくりと左右に散った。その動きは、驚くほど統率が取れている。一匹が正面で気を引き、残りの二匹が左右から回り込む。
「連携してくるのか。面倒だな」
正面のランポスが飛びかかってくる。アルドは大剣を盾にして受けた。ガキン、という鈍い音が響き、衝撃が腕に伝わる。大剣は幅が広いぶん、ガードにも使えるのだ。
その隙に、左右の二匹が脇から回り込んでくる。気づいたときには、右の脇腹に鋭い痛みが走った。
【ランポスから18ダメージ】
「ぐっ」
HPが少し削られる。囲まれると不利だ。アルドは一歩下がって、背後の大木を背にした。
「後ろを取られなきゃ、まだ戦える」
正面のランポスが再び飛びかかる。アルドは半歩踏み込み、大剣を横に払った。刃が青い体に食い込み、鮮やかな血が飛んだ。
【ランポスに64ダメージ】
ランポスが悲鳴を上げて転がる。そこへ追撃を入れようとした瞬間、残りの二匹が同時に襲いかかってきた。
アルドは大剣の柄を握り直した。昨夜、ヘルプで読んだ操作を思い出す。大剣には、構えたまま力を溜めて放つ、特別な斬撃があるのだ。
「ここだ」
一歩下がって、大剣を後ろに引く。柄を握る手に力を込めると、刃が低く唸るように震えた。二匹のランポスが跳びかかってくる直前、溜めた力を一気に解き放った。
「うおおっ!」
渾身の一撃が、空気ごと二匹を薙ぎ払った。
【溜め斬り:ランポスに182ダメージ】
【溜め斬り:ランポスに165ダメージ】
二匹のランポスが同時に吹き飛んで、動かなくなった。
【ランポスを討伐しました】
【ランポスを討伐しました】
【大剣熟練度がLv.2になりました】
【溜め斬りの精度が上がりました】
「いける。この感覚、いいな」
残った一匹も、怯んだ隙に斬り伏せる。三匹まとめて討伐し終えたところで、アルドはようやく息をついた。
倒れたランポスに手を翳すと、青い体が光に包まれて、ポーチに吸い込まれていく。
【ランポス×3を収納しました】
「よし、あと二匹か」
そう呟いたときだった。
森の奥から、これまでとはまるで違う、腹の底に響くような鳴き声が轟いた。
「グオオオオオッ!」
木々が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。思わず足がすくんだ。次の瞬間、茂みを割って巨大な影が飛び出してきた。
ランポスの二倍以上はある体躯。青と黒の鮮やかな体は、さっきのランポスよりも力強く、堂々としていた。鋭い目がアルドを射抜く。
【ドスランポス Lv.9】
「ドス……!」
ドスランポスは群れを率いるボス格の大型個体だ。推奨レベルは、少なくとも8以上。レベル4のアルドには、荷が重い。
けれど、逃げる暇はなかった。ドスランポスは大きく口を開けると、耳をつんざくような咆哮を上げた。
「ぐっ……!」
耳を押さえる暇もなく、全身が硬直する。咆哮の衝撃で、体が動かなくなった。ドスランポスが、その隙を逃すはずがない。
鋭い爪を振りかざして、一直線に飛びかかってくる。
ドスッ、という重い衝撃。続けざまに、二撃目、三撃目。HPバーが目に見える速さで削れていく。
【ドスランポスから78ダメージ】
【ドスランポスから85ダメージ】
【ドスランポスから92ダメージ】
「くそ、動け……!」
視界が赤く染まる。HPが残りわずかになったとき、四撃目が胸を貫いた。
【アルドのHPが0になりました】
【残り復活回数:2】
意識が途切れた。
次に目を開けたとき、アルドはベースキャンプのベッドの上に横たわっていた。
「……負けたのか」
体は無傷だった。HPも全回復している。ただ、胸の奥にだけ、さっきの衝撃の感覚が残っていた。
「咆哮で動けなくなるなんて、聞いてないぞ」
ふと、ヘルプの記述を思い出す。ドスランポスの咆哮は、耳を塞ぐ動作を取れば防げる。確か、大剣でも咆哮ガードをする方法があったはずだ。
「気づくのが遅れたな。次はやってやる」
ポーチから上級回復薬を取り出して、体の調子を確かめる。レベル差は埋まらなくても、立ち回りで補えるかもしれない。
アルドは大剣を背負い直して、もう一度森丘の奥へ向かった。
ドスランポスは、さっきと同じ場所にいた。周りには、新しく集まったらしいランポスが二匹いる。
アルドは茂みの陰に身を潜めて、息を殺した。
「先に取り巻きを片付けよう。ボスは後だ」
足音を消して近づき、まず一匹目のランポスの背後に回る。気づかれる前に、溜め斬りを叩き込んだ。
【溜め斬り:ランポスに171ダメージ】
【ランポスを討伐しました】
仲間の悲鳴に気づいたもう一匹が振り向く。そこへ追撃の横薙ぎを放つ。
【ランポスに69ダメージ】
【ランポスを討伐しました】
静かになった森に、重い足音が響いた。ドスランポスが、こちらを睨んでいる。
「来い」
アルドは大剣を地面に突き立て、両手で柄を握った。ドスランポスが大きく息を吸い込む。咆哮の予備動作だ。
その瞬間、アルドは大剣の刃を体の前に構え、刃の陰に顔を隠すようにして頭を沈めた。
「グオオオオオッ!」
轟音が鳴り響いた。けれど、今度は体が動かなくなることはなかった。耳の奥が痺れる程度で済んでいる。
【咆哮を防ぎました】
「今度は、こっちの番だ」
アルドは地面を蹴って飛び込んだ。ドスランポスは慌てて爪を振りかぶる。その爪を、大剣の腹で受け止めた。
ガキン、と重い火花が散る。腕が痺れるほどの衝撃だったが、体は持ちこたえた。
「ぐおおおっ!」
力を込めて押し返し、体勢が崩れた瞬間、踏み込んで下段から斬り上げた。
【ドスランポスに112ダメージ】
ドスランポスが悲鳴を上げて後ずさる。アルドは追撃を重ねた。二撃、三撃、四撃。大剣が風を切るたびに、ドスランポスの体に深い傷が刻まれていく。
だが、ボスも黙ってはいない。怒り狂ったように目が赤く光り、動きが一段と速くなった。
【ドスランポスが怒り状態になりました】
「速いな……!」
爪が頬をかすめ、HPが削られる。それでも、アルドは冷静だった。一歩下がって、大剣を引く。溜め斬りの構えだ。
ドスランポスが飛びかかる瞬間に合わせて、アルドは全力で振り抜いた。
「うおおおおっ!」
渾身の一撃が、ドスランポスの首元に炸裂する。
【溜め斬り:ドスランポスに341ダメージ】
大きな体がぐらりと傾き、そのまま地面に崩れ落ちた。地響きが足元に伝わる。
【ドスランポスを討伐しました】
【経験値を418獲得しました】
【レベルが上がりました】
【Lv.5】
【レベルが上がりました】
【Lv.6】
【レベルが上がりました】
【Lv.7】
一気に三つもレベルが上がった。アルドは膝に手をついて、荒い息を吐いた。
「はあ、はあ……。勝てた……」
全身から力が抜ける。それでも、胸の奥にじんわりと熱いものが込み上げてきた。一度負けて、立ち回りを変えて、勝つ。この達成感は、昨日の狩りとはまるで違っていた。
ドスランポスの巨体に手を翳すと、青い体が光に包まれ、ポーチへと吸い込まれていった。
【ドスランポス×1を収納しました】
「依頼の分は、これで完了だな」
ランポス五匹の討伐どころか、ボスまで倒してしまった。アルドは小さく笑って、倒れた木の幹に腰を下ろした。ポーチから携帯食料を取り出し、水筒の水と一緒に流し込む。
そのとき、丘の向こうから、低く響く爆発音が聞こえた。
「……なんだ?」
顔を上げる。空に、一筋の白い煙が立ちのぼっている。続けて、重い砲撃のような音がもう一度。それに混じって、大型モンスターの咆哮が、遠くから響いてきた。
「誰かが、大型と戦ってるのか」
アルドは立ち上がって、音のするほうを見つめた。木々の隙間から、遠くの丘の斜面に、動く小さな影が見える。四つの人影が、巨大な影を相手に動き回っていた。
その中の一人が構えた長い槍の先から、紅い光が閃いて、轟音とともに炎が噴き上がる。
「すごいな……」
思わず口からこぼれた。あれが、パーティーで挑む大型モンスター戦だ。一人では届かない場所に、仲間と一緒に踏み込んでいく。
アルドはしばらくその光景を眺めてから、大剣を背負い直した。
「俺も、いつかあそこまで行ってやる」
そう呟いて、アルドは森丘の出口へと歩き出した。




