第1話 一年ぶりのハンオン
「レベル1って、どういうことだ」
白い光が収まると、アルドの目の前には半透明のウィンドウが浮かんでいた。何度見ても、数字は変わらない。一年前に積み上げたはずのレベルは、きれいに消えていた。
『システム再構築に伴い、全アカウントのレベルを初期化いたしました。大変申し訳ございません』
先ほどと同じ女性の声が、耳元で丁寧に頭を下げる。姿は見えないが、案内役のAIらしい。
『お詫びとして、全プレイヤー様に補償をご用意しております。ご確認ください』
ウィンドウが切り替わった。そこに並んだ文字を読んで、アルドは思わず二度見した。
【お詫び補償】
・100万z
・上級回復薬×30
・携帯テント×1
・万能砥石×20
・拡張アイテムボックス(容量2倍)
・初心者支援パック(一式)
「……待て。クソゲーだった頃の補償にしては、桁が違わないか」
『新運営は、このゲームを本気でやる方針ですので』
声が少しだけ得意げに聞こえた。アルドは笑ってしまった。レベルが戻ったのは痛いが、これだけあれば、むしろ快適にやり直せる。
『それでは、ハンターズ・オンラインへおかえりなさいませ。アルド・ヴォルドレン様』
視界が反転して、足の裏に石畳の感触が戻った。
目を開けた瞬間、アルドは言葉を失った。
そこは、確かに一年前と同じ始まりの街、ルーデンの広場のはずだった。けれど、記憶の中の街とはまるで別物になっている。ポリゴンが粗く、遠くの建物がぼやけていたあの街が、今は石畳の目地まで見えるほど精細に描き込まれていた。噴水の水は光を反射し、パン屋の屋根からは本物のような湯気が立ち上っている。風が頬を撫でると、焼きたてのパンの匂いまで運んできた。
「すげえ……」
思わず漏れた声が、想像以上に低く響いた。自分の手を見下ろすと、見慣れた太い指と分厚い掌があった。拳を握れば、腕の筋肉が盛り上がる。身長は、現実と同じ百八十六センチ。肩幅も胸板も、毎日のトレーニングで作り上げた体そのままだ。
このゲームのアバターは、現実の姿を反映する。それが気に入らなくて、ログインしなくなった人もいたらしい。アルド自身は、鏡を見なくてもいいぶん楽だと思っていた。
けれど、広場を行き交う人の視線が、妙に自分に集まっている気がする。
「なあ、あの人、でかくない?」
「マッチョすぎでしょ。あれ、リアル体型だよね」
「初心者装備なのに、あの体は反則だろ」
ひそひそ声が聞こえて、アルドは少し居心地が悪くなった。とりあえず自分のステータスを確認しておこうと、メニューを開く。
【アルド・ヴォルドレン Lv.1】
HP:180
スタミナ:140
筋力:38
敏捷:22
防御:30
器用:18
「筋力が……38?」
初期値としては、明らかに高い。ヘルプを開くと、「現実の身体能力に応じて、初期ステータスに補正がかかります」と書いてあった。
「へえ。じゃあ、トレーニングしてて良かったのか」
少し嬉しくなって、にやけそうになったときだった。
「おい、兄ちゃん。その顔、筋力を見てニヤついてるだろ」
声をかけてきたのは、全身を銀色の鎧で固めた長身の男だった。頭上に浮かぶ名前の横には、Lv.62と表示されている。
「悪いこと言わねえから教えてやる。初期ステの補正は、せいぜいスタートダッシュ止まりだ。レベルが上がれば、筋力なんてすぐに頭打ちになる。ゲームが上手い奴には、ひと月で追い抜かれるぜ」
「……そうなんですか」
「現実の筋肉がそのまま通用すると思って、痛い目を見た奴を何人も見てきたからな。あんまり調子に乗るなよ」
男は笑いながら、ひらひらと手を振って去っていった。
悪気はないのだと分かった。それどころか、親切心で言ってくれたのだろう。アルドは肩をすくめて、ふっと息を吐いた。
「まあ、そうだよな」
筋肉があるからといって、巨大なモンスターに勝てるわけではない。現実の筋力がゲームの中でどこまで通用するのかは、正直、半信半疑だった。だからこそ、レベルを上げる意味がある。
アルドは気を取り直して、広場の奥にある商店街へ向かった。
装備屋の店主は、恰幅のいい中年のNPCだった。店に入ってきたアルドを見るなり、目を丸くする。
「おお、立派な体格のお客さんだな。何をお探しだ?」
「大剣を探してる。あと、防具を一式」
「大剣か。腕力がなきゃ振れねえ武器だが、あんたなら問題なさそうだ」
カウンターの上に、何本かの大剣が並べられた。どれも初心者向けの価格だが、補償でもらった百万zからすれば誤差の範囲だ。アルドは一本ずつ手に取って、重さを確かめていく。
三本目で、手が止まった。
「これ、いいな」
刃渡りは一メートル二十。重さは決して軽くないのに、持ち上げた瞬間、掌にしっくり馴染んだ。刃の厚みも、重心の位置も、一年前に使っていた愛用の大剣とよく似ている。
「そいつは『鉄の大剣』だ。初心者用だが、芯がしっかりしてて長持ちする。三千zだ」
「買う」
即決だった。続けて、革の胸当てと籠手、ブーツを一式揃える。さらに回復薬と携帯食料、剥ぎ取りナイフ、携帯調理セットを買い足しても、所持金はほとんど減らなかった。
「補償金、最高だな」
店を出たアルドは、背中に大剣を背負い直して、ギルドの掲示板へ向かった。
ギルドの掲示板には、種類ごとに並んだクエストの依頼書が貼られていた。レベル1のアルドが受けられるのは、「初級」と書かれた一番左の列だけだ。
「ツノウサギの討伐、か。懐かしいな」
一年前にも、最初に受けたクエストだった。畑を荒らすツノウサギを五匹倒す。それだけの簡単な依頼だ。
受付嬢のNPCに依頼書を渡すと、明るい声で見送られた。
「いってらっしゃいませ。お気をつけて。討伐したモンスターは、手を翳せばアイテムポーチに丸ごと収納できますよ。腐らないので、そのまま解体所へお持ちくださいね」
「丸ごと? 前はそんな機能なかったよな」
「新運営の自慢のシステムです」
受付嬢は、にっこり笑って手を振った。
街の北門を抜けると、緑の草原が広がっていた。風に揺れる草の波が、遠くの丘まで続いている。空は高く、雲は流れ、鳥の鳴き声がどこか遠くから聞こえてくる。門のすぐ脇では、灰色の巨体が荷車を引いてのっそりと歩いていた。行商人らしい男が、その横で手綱を握っている。
「綺麗すぎるだろ、これ」
あまりの変わりようにしばらく立ち尽くしていると、足元の草がガサリと動いた。
飛び出してきたのは、額に短い角を生やしたウサギだった。丸い体がアルドの膝ほどの高さで跳ねて、頭の角を突き出してくる。
「来い」
鉄の大剣を背中から抜いた。想像していたよりも軽く感じた。刃を横に払うと、空気が低く唸る。ツノウサギは慌てて身を翻したが、刃先が毛皮をかすめた。
【ツノウサギに12ダメージ】
「浅かったか」
もう一度構え直す。ウサギが跳ねた。今度は軌道を読んで、半歩だけ右に踏み出し、真横から大剣を振り下ろした。
ズバッ、という手応えとともに、ウサギが吹き飛ぶ。
【ツノウサギに58ダメージ】
【ツノウサギを討伐しました】
【経験値を12獲得しました】
「よし。感覚は残ってるな」
倒れたウサギに、恐る恐る手を翳してみる。すると、小さな体が淡い光に包まれて、すっと吸い込まれるように消えた。視界の隅にアイコンが点滅する。
【ツノウサギ×1を収納しました】
「おお。便利だな、これ」
二匹目、三匹目と続けて倒していくうちに、動きが少しずつ滑らかになった。ツノウサギの跳ね方、攻撃の予備動作、どこで刃を合わせればいいのか。頭より先に、体が先読みしていく。
五匹目を収納したところで、視界に通知が走った。
【レベルが上がりました】
【Lv.2】
「お、早いな」
一年前は、このあたりでずいぶん時間をかけた記憶がある。新運営になって、序盤の経験値テーブルが優しくなったのかもしれない。
依頼の分は終わったが、せっかくだからと、アルドはもう一匹だけ狩ることにした。今度は、収納せずにその場で剥ぎ取ってみる。買ったばかりの剥ぎ取りナイフを抜いて、倒したウサギの前にしゃがみ込んだ。
刃を入れる角度を間違えると素材が傷んで品質が下がる。慎重にナイフを滑らせて、皮と肉を分け、頭の角を外していく。
【ツノウサギの肉(品質:良)×1】
【ウサギの毛皮(品質:並)×1】
【ツノウサギの角(品質:並)×1】
【剥ぎ取り技能がLv.1になりました】
「毛皮が少しガタついたな。まあ、初めてなら上等か」
自分の手で素材を取り出す感覚は、やはり楽しい。アルドは肉の包みを持って、草原の小さな岩陰に腰を下ろした。時間はちょうど昼だった。携帯調理セットを広げ、集めた枯れ枝に火打ち石で火をつける。パチパチと音を立てて、小さな焚き火が灯った。
【ツノウサギの串焼き】
必要素材:ツノウサギの肉×1、香草塩×1
効果:HP回復(小)、スタミナ回復(中)
串に刺した肉に香草塩を振って、火の上でじっくり炙る。脂が滴って、じゅう、と音を立てた。香ばしい匂いが風に乗って広がる。
「……いい匂いだな」
焼き上がった串にかぶりつくと、外はカリッと香ばしくて、中は驚くほど柔らかかった。淡泊な味の肉に、香草の爽やかな香りが重なって、後味がすっきりしている。
「ゲームで焚き火して、肉焼いて、うまいって……いい時代になったな」
スタミナがじんわり回復していくのを感じながら、アルドは串を食べきった。立ち上がって焚き火を踏み消し、丘のほうへ足を伸ばす。丘を一つ越えると、視界が一気に開けた。
「うわ……」
緩やかな斜面の向こうに、灰色の巨体がいくつも見えた。柱のような太い四本の脚でゆっくりと歩き、長い首を持ち上げて草を食んでいる。頭は縦に細長く、後ろに向かって緩やかに反っていた。背中から尻尾にかけて、ずっしりとした体が続き、尾の先には大きな棘がいくつも並んでいる。群れは十頭近く。斜面にばらけて、のんびりと草を食べていた。
「アプトノスか」
名前を思い出すより先に、頭上のマーカーが浮かんだ。
【アプトノス Lv.3】
【草食竜。非常に臆病で、危険を感じると群れで逃げ出す】
「でかいな……」
遠くから見る分には、牧場の牛のようにのどかだ。けれど、近づいてみると、その大きさが違った。荷馬車を何台も並べたような巨体が、のっそりと足を動かしている。
「……狩っていいやつ、だよな」
自分に言い聞かせるように呟いて、アルドは群れの端にいた一頭に近づいた。気配に気づいたアプトノスが、ゆっくりと首をこちらへ向ける。小さな目が、不思議そうにアルドを見下ろした。
大剣を構える。
気づいたときには、体が先に動いていた。踏み込んで、首の付け根に大剣を叩き込む。
ズシン、という重い手応えが、腕から肩まで駆け抜けた。
【アプトノスに124ダメージ】
アプトノスが苦しげに鳴いた。周りの群れが一斉に顔を上げて、散り散りに駆け出していく。残った一頭は、逃げようと体を反転させかけて、尻尾を大きく振り回した。棘のついた尾が風を切って迫る。
アルドは反射的に後ろへ跳んだ。尻尾は目の前を通り過ぎて、草を吹き飛ばした。
「危ねえ。当たったら、結構痛そうだ」
二撃目は、振り終わりの隙を狙った。下段から斜めに斬り上げると、アプトノスの巨体が大きく傾く。そこへ三撃目を叩き込んだ。
【アプトノスを討伐しました】
【経験値を52獲得しました】
【Lv.3】
重い音を立てて、巨体が地面に倒れた。周囲の群れは、遠くの丘で足を止めて、こちらを振り返っている。
「悪いな。ありがたくいただくよ」
倒れたアプトノスに手を翳すと、巨大な体が光に包まれた。見る間に縮んでいくように薄れて、そのままポーチの中へ吸い込まれる。
【アプトノス×1を収納しました】
「これ、本当に丸ごと入るのか。便利すぎるだろ」
驚きと感心をないまぜにして、アルドは街へ戻る道を歩き出した。夕暮れの草原は、金色に染まっていた。
ルーデンの街に戻った頃には、空が茜色に染まっていた。ギルドの隣にある石造りの建物には、「解体所」という大きな看板がかかっている。
扉を開けると、血と鉄と木の匂いが混じった空気が流れてきた。広い作業場には、長い台がいくつも並び、解体用の道具が壁にずらりと掛けられている。奥の台で巨大な刃物を研いでいた、白髪交じりの大柄な男が顔を上げた。
「いらっしゃい。新人か?」
「アルドです。ツノウサギ五匹と、アプトノス一頭を持ってきました」
「ほう。アプトノスを初日にか。腕っぷしは立派だな」
男は台を叩いて、ガルドと名乗った。この解体所の親方らしい。
「ここに出しな。手を翳せば、台の上に出てくる」
言われた通りにすると、作業台の上に、ツノウサギとアプトノスが並んだ。さすがにアプトノスの巨体は、台からはみ出してしまう。
「依頼料は、ウサギが一匹百z、アプトノスが八百zだ。全部で千三百z。ただし、解体の腕は俺が直接見てやる。ほかの職人だと、品質が落ちるぞ」
「お願いします」
ガルドは分厚い腕をまくって、刃物を手に取った。そこからの手際は、見事のひと言だった。
アプトノスの大きな体に刃が入ると、骨と肉と皮と脂の層が、まるで教科書のように綺麗に分かれていく。ツノウサギも同様で、数分もしないうちに、台の上には整然と並んだ素材が積み上がった。
「ほらよ。受け取りな」
【アプトノスの生肉(品質:上)×4】
【アプトノスの皮(品質:上)×2】
【アプトノスの脂(品質:上)×1】
【竜骨【小】(品質:上)×1】
【ツノウサギの肉(品質:上)×5】
【ウサギの毛皮(品質:上)×5】
【ツノウサギの角(品質:上)×5】
「品質が全部、上だ……」
「当然だ。伊達に二十年やってねえよ」
ガルドは得意げに鼻を鳴らした。さっきの自分の剥ぎ取りとは、比べ物にならない綺麗さだ。アルドは素直に頭を下げた。
「勉強になります」
「自分で剥ぐのも悪くねえが、慣れないうちは、数が多いときは持ち帰ったほうがいい。素材が傷むと、あとの生産にも響くからな。暇なときは、ここで見ていけ」
「ぜひ」
親方は、ふっと口の端を上げた。
解体所を出ると、街の灯りがぽつぽつと灯り始めていた。アルドは商店街の一角にある共同工房へ向かった。プレイヤーが自由に使える生産施設で、炉や作業台が並んでいる。一年前は、いつも誰かが占領していて使えなかったはずだ。今日は、ほとんどの台が空いていた。
「利用料は、補償でタダになってるのか」
案内板に「新運営記念期間につき、利用料無料」と書いてある。アルドは一番奥の作業台に座って、受け取った素材を並べた。
「何が作れるんだ?」
作業台の上に半透明のウィンドウが開く。素材を置くと、作れる装備が一覧で表示された。
【ウサギの革グローブ】
必要素材:ウサギの毛皮×3、ツノウサギの角×1
効果:防御+4、器用+3
【アプトノスの革ブーツ】
必要素材:アプトノスの皮×2、ウサギの毛皮×1
効果:防御+6、スタミナ+10
「皮が二枚で足りるのか。両方いけるな」
素材を選んで、実行ボタンを押す。作業台が淡い光を放ち、中央に素材が吸い込まれていった。しばらくすると、光の中から一組の革のグローブが現れる。続けてもう一度操作すると、今度は革のブーツが出てきた。
【ウサギの革グローブを入手しました】
【アプトノスの革ブーツを入手しました】
【生産経験値を獲得しました】
【生産レベルが上がりました】
「生産にもレベルがあるのか」
アルドは完成した二つを装着してみた。グローブは掌にぴたりとフィットして、大剣の柄を握ったとき、滑りにくさをはっきり感じる。ブーツは足首をしっかり固定してくれて、一歩ごとの踏み込みが重く、安定した。
「これは、いいな」
試しにもう一度、大剣を軽く振ってみた。柄の食いつきも、足元の安定感も、さっきと全然違う。ほんの少しの違いが、斬撃の精度に直結するのが分かった。
工房の隅には、簡易の調理台があった。「料理」と書かれた札が下がっている。
「そうか、アプトノスの肉があるんだよな」
アイテムボックスから生肉を取り出すと、調理のウィンドウが開く。選べる料理の中に、材料が足りるものがいくつか並んでいた。
【アプトノスの香草焼き】
必要素材:アプトノスの生肉×1、香草塩×1
効果:HP回復(中)、スタミナ最大値+20(30分)
「香草焼きか。いいな」
肉と香草塩を台に置いて、実行を押す。じゅう、と肉の焼ける音が響いて、香ばしい匂いが立ちのぼった。
完成した皿を受け取って、一口かじる。
「……うまい」
思わず声が出た。肉は霜降りのように脂がのっていて、噛むほどに甘い旨味が広がる。香草塩の爽やかな香りが脂の重さを軽くしていて、いくらでも食べられそうだった。ゲームの中の食事なのに、満腹感まで感じられる。
「酒場で出る名物肉っていうのも、納得だな」
食べ終わる頃には、ステータスの隅に小さなアイコンが灯っていた。スタミナの最大値が上がっている。
作業台の窓から、茜色の光が差し込んでいる。工房の外には、まだ新しく生まれ変わった街の灯りが並んでいた。
【レベルが上がりました】
【Lv.4】
通知の音が、軽やかに響いた。
一年前は、判定のバグや運営の放置にうんざりしてばかりで、このゲームの本当の面白さに目を向ける余裕がなかった。素材を集めて、装備を作って、また強い相手に挑む。そういうゲームだったことを、アルドは久しぶりに思い出していた。
「よし。明日は、もう少し奥まで行ってみるか」
アルドは新しいグローブを握り直して、立ち上がった。




