05
心安らぐ匂い。かつてクローバーからプレゼントだと押し付けられた部屋用の香水。最初に貰った物がなくなった後は、何となく店を探して同じ商品を買い続けている。つまりここは自分の部屋だ。何故自分の部屋に居るのか、記憶が少し混濁している。自分は舞踏会に嫌々ながら出席していたはずだ。クローバーとユナに支度をしてもらって、ラウが迎えに来て、それからダイヤに会って。クローバーに引きずられてサテルの前まで行って、それからウレ何とかとかいう名前のどこかの村長を名乗る男が現れて。そこまで思い出してスペードは目を開け、ガバリと勢いよく起き上がった。やはり自室のベッドの上に横たわっていたようだ。
「おはようっス、スペード様」
「ラウ、今何時だ、どうなった、何があって」
「スペード様が倒れてから三時間ぐらいっス。それからあの男はサテル様があのあとすぐに始末したっス」
「そう、か……」
ベッドの側、椅子を持ってきて座っていたラウが目を覚ましたスペードに安心したような笑みを見せる。スペードはそっと自身の腹の辺りを撫でた。破れた血塗れのドレスの隙間から見えるはずの傷口はもう完全に塞がっている。自身が横たわっていた下にはベッドが汚れないようにする為か大きな布が敷かれている。ラウの気遣いだろう。彼はお調子者ではあるが、こういった気遣いをしてくれる良い人だ。それに誰にでも隔てなく接してくれる。スペードは彼のそんなところが気に入っていたし、彼が自分の補佐官でいてくれて本当に感謝していた。
「サテルから、何か命令とかは出てる?」
「いや、しばらく休ませろとしか言われてないっス」
「じゃあ少し身体流してくる。ある程度はお前が拭いてくれたみたいだけど……まだ毛先とか結構血がついてるから」
「そしたら俺は戻るっス」
「待って、髪解くの手伝ってくれ。あとドレスも一人じゃ脱げない」
「えぇ~~! しょ~~がないっスね~~!」
スペードが立ち上がろうとしたラウの袖口を掴むと彼は困ったように笑った。それから彼女のすぐ隣に座り、髪を結う為に使われていた多くのピンを慎重に一つずつ抜いていく。それから髪をくくっていた紐を解くと、彼女の暗い焦げ茶色の髪がその背に広がった。
「はい解けたっスよ~~」
「全然痛くなかった。お前私より髪解くの上手だな」
「スペード様は大雑把すぎるんス。はい、ドレスの紐解くんで立ち上がってくださいス」
大雑把、と言われてもそれについてはスペード自身も自覚があるので否定はしなかった。彼女は言われるがまま立ち上がる。ドレスの紐が一本ずつ解かれる度に呼吸が楽になるのを感じた。
「あのねぇ~~、確かに俺はスペード様の補佐官っスけど~~、男に頼むものじゃないと思うんスよね~~」
「別に良いだろ。大したことじゃない……まぁ、お前にとったら見苦しい物見せられるわけか。ごめん」
「あぁ~~! そういうネガティブなところ! 自己肯定感低いと悪い男に付け込まれるっスよ。俺も付け込んじゃうかも?」
「悪い奴にこんなこと頼むわけないだろ。大体お前はそういうことばかり言うからユナに本気にされないんだ、馬鹿」
スペードはそう言ってふふん、と意地悪そうに笑った。ラウがクローバーの補佐官であるユナのことが好きであることを彼女は知っている。また、彼が軽口しか叩かない為ユナに本気にされていないことも見てきていた。ラウはできた男だ、とスペードは評価している。しかしながらライバルが悪すぎた。
「俺はレオさんに勝てる男じゃなっスからね……」
「あぁ~~⁉ 落ち込んだ⁉ ごめんて!」
「冗談っス。落ち込んでないっス。チョロ過ぎっス」
ユナがハートの補佐官だったレオのことを慕っていることも見ていれば分かることだった。ラウが少し気を落としたフリをするとスペードは慌てて振り返り謝る。そんな彼女にラウが冗談だと笑えば彼女は居心地悪そうに目を逸らしてもう一度前を向いた。そうして黙り込んでしまった彼女のドレスの紐を全て外すと、彼は更にその下のコルセットの紐も解いていく。彼はふと自分が初めてスペードに出会った日のことを思い出していた。他の人形と同じ様に生きていた頃の記憶を全て失い困惑している彼女は誰に対しても睨みつけ、声をかけられてもほとんど答えなかった。彼女の補佐をしろとサテルに命令された時は流石のラウも少し困った。彼女の全てを見透かしてしまいそうな金の瞳に見つめられると、心の内まで見られているような気がしたのだ。後になって分かったことだが、実際彼女は人の感情がぼんやりと分かるという。そんな彼女がラウに心を開いてくれたのは、ラウの性格に表裏が全く無かったからだと言っていた。
AITHとその補佐官は、どこに行くにしても一緒だ。どんな任務も共に遂行する。だからこそその間には特別な絆が存在した。ラウがスペードとの任務から帰って来た時、はじめに聞かされたのはハートが城を抜け出したことだった。そして、その時に一番心配だったのはその補佐官だったレオのことだった。スペードの支度を待っている間にレオと会ったが、やはり意気消沈していた。ハートから何も聞かされていなかったらしい。確かに自分もスペードから何も告げられず去られたら流石に寂しくは思うな、と思いながら彼はコルセットの最後の紐を解いた。
「できたっスよ」
「あぁ楽になった。ありがと……じゃ、身体流してくる」
そう言ってスペードは自室の風呂場へ駆け込んでいった。風呂場の扉の隙間から彼女が着ていたドレスが投げ出されていく。扉が閉まった音を確認するとラウはそれを拾って持ってきておいたドレス用のハンガーにかけていった。そういえば先ほど風呂場へ駆けていった彼女はタオルすら持っていっているようには見えなかった。やれやれ、手のかかる上司だ。部屋に帰ろうかと思ったが、ラウは仕方なく彼女の為にタオルと着替えを用意した。人形になる前にどんな生活を送っていたのか分からないが、彼女はあまり生活力が無い。最初の頃こそ流石に異性である自分がどこまで彼女の世話をして良いのだろうかと悩みこそしたが、初めて二人で遠方の任務へ行き同じ部屋に泊まった時にこれは自分が彼女の世話をしなければマズい、と察した。それからは気にすることなく彼女の世話を焼いている。
「ごめん、タオル忘れた」
ほらね。スペードの焦る声にラウは用意しておいたタオルを持って風呂場へ続く扉の前に立った。扉をノックすると彼女が少しだけ扉を開け、髪の毛から水を滴らせながらラウを見上げてくる。そんな彼女にタオルを手渡すと彼女はそれを嬉しそうに受け取った。
「まさかと思うけど着替えも用意してくれてる……?」
「もちろんっス。抜かりないっス」
「あぁ~~私はラウがいないと駄目かもなぁ~~」
あはは、と笑いながらスペードは再び扉の隙間から手を伸ばしラウから着替えを受け取る。着替えを済ませた彼女はタオルで髪を拭きながら出てきた。壁のフックにドレスがかけられているのを確認した彼女は改めてラウに感謝を述べる。それから彼女はラウが布を片付けておいたベッドの上に座った。
「drg:mjn:har」
スペードが古代ミチリガ魔法を唱えると、彼女の頭周りに強い熱風が吹き彼女の髪は一瞬で乾かされた。ラウは魔女である彼女以外に古代ミチリガ魔法を使える人物をサテル以外に知らない。それぐらい難しい魔法を彼女は難なく使う。だからこそ、誰もが魔法の使えるこの国で彼女は魔女だと呼ばれるのだ。誰もが使える古代メリメラ魔法よりも遥かに難しく、その分だけ自由に構築できる。古代メリメラ魔法ではこんな風に髪を乾かすことなどできない。用無しになったタオルをラウは受け取り、タオル掛けにかけた。
「紅茶飲むか?」
「いただきたいっス」
生活力は低いスペードだが、彼女の淹れる紅茶は美味しい。これまた古代ミチリガ魔法を駆使して淹れているからだ。長年の付き合いで分かるが、これはラウに対して迷惑をかけたことのお詫びとして淹れている。二人でソファに並んで座り紅茶を味わっていると、部屋の扉が叩かれた。こんな夜更けに何事か、とラウは立ち上がり扉を開ける。そこにはレオが立っていた。
「陛下からAITHとその補佐官たちは集まるようにと命令です」
「承知しましたっス、スペード様」
「聞いた。行こう」
こんな夜中にわざわざ呼び出しがあるとは妙だな、と思いながらスペードはカップの紅茶を飲み干し立ち上がった。




