02
夏の暑さがまだ残る秋の初めだが、夜はさすがに肌寒い。サテルの用意したドレスは上質な生地で作られていて肌触りが良かった。クローバーの自室、スペードはクローバーとその補佐官のユナに囲まれて座っていた。
補佐官とは憲兵の中でAITHの次に高い位置の人形である。主にAITHそれぞれの補佐をする為補佐官と呼ばれている。ダイヤの補佐官の名はリオ。飄々とした話し方の槍使いの彼はAITHを除けば憲兵隊で一番強い。そんな彼の双子の弟であるレオは先日城を抜けたハートの補佐官をしていた。主を失ったレオは現在は補佐官たちの更に補佐をしている。スペードの補佐官はラウ。少しお調子者だが誰にでも分け隔てなく接する彼は、少し気難しいスペードの補佐に向いている。そしてクローバーの補佐官がユナ。透き通る氷のような淡い水色の長くて真っ直ぐな髪が特徴的な彼女は補佐官で唯一の女性だ。同性なだけあって、主であるクローバーとの仲はかなり良好である。
「あ、そうだスペード。クッキー作ったんですけど髪の毛結ってる間に食べませんか?」
「クッキー……良いのか?」
甘い物が苦手なスペードだが、クローバーの作るクッキーは気に入っている。スペードがクローバー好みの甘い紅茶を淹れるように、クローバーもスペードの為に甘さ控えめのクッキーを作るからだ。クローバーが包みを取り出すと、彼女は光の入らない目でそれを見つめた。きっと彼女が生ける屍の人形ではなく生きている人間ならば、きっとその瞳は輝いていたのだろう。
「もちろん。だってスペードってクッキー大好きじゃないですか」
「なっ……お前の作ったクッキーは好きだけど……っ、お前は好きじゃないから! お前も、ダイヤも、好きじゃない……!」
「またまた~、知ってますよ? スペードが皆のこと大好きなことぐらい!」
スペードが誰よりも仲間が大好きで寂しがり屋だなんてことAITHもその補佐官も皆知っている。スペードもまた、周りからそれを理解されていることも分かっていた。時が止まった憲兵隊の中、スペードは自分だけが酷く子どもじみている気がしてそれが嫌だった。優しい人たちに囲まれている自分は恵まれている、でもその環境がいつまで続くかなんて、誰にも分からない。だからこそ、この優しい人たちを好きになるわけにはいかなかった。薄情な自分には、そんな権利は無い。
「……本当に好きじゃないから」
「どうしてそんなこと言うんです? バレバレなのに」
「ぐ……」
スペードは自身があまり表情豊かではないと思っている。怖い、と彼女をよく知らない人々から言われているからだ。それは彼女の瞳が原因であって、決して表情ではない。しかし本人はそのことを理解しておらず、自分の顔が怖いからだと思っていた。それなのに何故周りには自分の感情が筒抜けなのか。バレバレだと明け透けに言われると流石にきまりが悪い。
鏡越しに見るクローバーはスペードをジッと見つめている。きょとんとした深緑の瞳は彼女の名前を冠する植物と同じ色だ。目を逸らしてクッキーを一口かじる、甘さが控えめで相変わらず美味しい。しかし髪を結っているユナにぐいと顔を上げられ、再び鏡越しにクローバーと目が合う。これはもう理由を話すまで許してくれない目だ。
「…………私は、薄情な人間だ。だから人を好きになるなんてできない」
「スペードが、薄情……?」
クローバーは思わず聞き返した。スペードの髪を結っているユナも手を止め彼女の顔をジッと見ている。AITHの中で一番仲間思いが強いのはスペードだ。他人の魔力を見ることができる彼女は、相手の感情がぼんやりと見えるらしい。だからだろう、彼女は他人に肩入れしすぎるところがある。割り切れば良いものを、とサテルも彼女について言っていたことをクローバーは覚えていた。
「私は自分にとって大切なものすら覚えていない薄情な奴だから」
「それは、人形みんな同じじゃないですか」
人形は皆、真名を失っている。真名は、その人をその人たらしめる大事な名前だ。この国では魂は転生を繰り返すと考えられている。どの魂も、前の生があった。けれどその魂に真名をつけることで、個としての存在が確実になるのだ。子どもは三歳までは神のものであり、四歳を迎えた時にその真名を親から受け取る。そんな真名を、人形は皆失っていた。人形はサテルの魔法で中途半端に生き返った者たちだ。闇に染まったその目には、光が映らない。そして生き返る代償として、一番大切な『何か』を失う。そしてこの国の民にとって一番大切なもの、それが真名だった。そして大切な『何か』に関することは記憶さえも消えてしまう。だから、人形たちは自分が生きていた頃の記憶が無いのだ。
「それでも私は自分が許せないから……そりゃ、好きになれたら、良いだろうけど……でも、薄情な自分も許せないし、もしもいつかお前や、ユナや、ダイヤが、私のことを忘れてしまったら、悲しい……もしも、人間に戻れた時、人形としての記憶がなくなったら……そう思ったら、好きになることは怖い」
「……スペード、私たち友だちじゃないですか」
クローバーはスペードに優しく声をかける。彼女は黙ってクッキーを齧った。
「私はね、スペードが大好きです。ここにいるユナも大好き。ダイヤもハートさんも、陛下も、皆大好きなんです……そんな大好きな人に囲まれて私は幸せです。いつ来るか分からない別れに怯えるぐらいなら、私はその分だけ相手に好きだって伝えたいです。だってそっちのほうが楽しいじゃないですか」
「でも、もし……記憶をなくしたら? お前はもう私に好きだなんて言ってくれない。だって私なんて、捻くれてるし……多分、こんな立場じゃなきゃ仲良くしてくれないだろ」
「あははっ! 私はきっと、変わらずスペードのことが好きになると思いますよ……ユナも、ね?」
クローバーの問いかけにユナもニコリと笑って頷いた。それでもまだ信じられない、という顔をしているスペードにクローバーはドレッサーから自身のアクセサリーケースを取り、それを開けた。何やらごそごそとしてから、彼女は取り出した何かをスペードに握らせる。それは、透明の輝く石が嵌まった銀色の指輪だった。
「信じられないなら、約束の形としてこれをあげます……私がまだ生きていた頃から持っていた物です」
「……指に何かを着けるのは好きじゃない。それにお前の大切な物なんて」
「スペードは誕生日覚えてないって言ってましたけど、今日にしちゃいましょう! これは誕生日プレゼントってことで! 秋の初めの逆三日月の日、今日です、今日がスペードの誕生日、大切なスペードにだから私の大切な物をあげるんです」
笑顔でクローバーがそう言うとスペードはこれまでに無いぐらい不機嫌な顔になった。髪を結っているユナに頭を固定されているので顔は背けてないが。
「…………ありがと」
スペードは小さくそう言ってから、黙り込んだ。不機嫌な顔が少し歪み、光の映らない瞳が潤んでいる。彼女は唇を噛み締めた。
「泣かないでくださいね。お化粧崩れちゃうから」
「なっ、誰が泣くもんかっ!」
「スペード様、じっとしてください」
「あ、あぁ、すまない……」
「もう少しで終わりますから……はい、できました。どうでしょうクローバー様?」
ユナはスペードの髪をいつも彼女がしているようなサイドテールではなく、複雑な形のサイドテールにした。その出来栄えにクローバーは満足気に頷く。ユナはその顔にホッと息をついた。ユナの髪結いの技術はクローバーに鍛えられたものだ。それはもう、かなり厳しく鍛えられていた。女神と称される彼女には似つかわしくない、鬼の様な形相でユナに教えていたのだ。
最後の仕上げに濃い紅色の髪飾りを着ける。落ち着いた色味のそれは、スペードの色の濃い髪によく映えている。金髪碧眼のエルライード人には珍しい暗い色の髪を、クローバーは一束手に取った。
「スペードの髪って黒っぽく見えるのに実は茶色いんですね、知らなかった」
「……変だろ? 私もお前たちみたいな綺麗な色が良かった」
「まさか! きっと皆見とれるよ!」
「お世辞はいいっ!」
スペードはムッとしてから自身の毛先をチラリと見る。本当に変な色だ。どう見ても生粋のエルライード人とは違う。ダイヤやクローバーのように輝く金髪が羨ましい。それか珍しい色にしてもユナのような美しい色が良かったと思う。こんな暗い色は自分の根暗な性格を表しているようでスペードは好きではなかった。それから鏡に視線を戻す。綺麗に着飾った自分の見た目に彼女は少しだけ心が浮つくのを感じた。自分が綺麗に見えるのは、決して自分の顔が良いからではなく、クローバーの化粧の力だ。彼女は自分にそう思い聞かせるように自分の目をジッと見つめた。髪よりももっと珍しい色の瞳が自分自身を射貫く。砂糖を煮詰めて作った飴のような色の瞳の中、瞳孔を囲う模様は花が咲いているようだった。この瞳だけはスペード自身も気に入っている。ただ、彼女をよく知らない人からは恐ろしいと称されていることを彼女は知らない。
「ちょうど良い時間ですね。行きましょうか」
クローバーの言葉にスペードはハッと我に返った。クローバーは彼女の瞳と同じ深緑色のドレスを着ている。淡い金の髪は普段の高い位置でのツインテールではなく、低い位置で一つに纏めてあった。
スペードは立ち上がろうとして、自分が何かを握っていることに気がつく。それは先ほどクローバーから渡された指輪だった。指に嵌めようかと一瞬思ったが、残念なことにクローバーのほうが華奢だった。見れば分かることに気がつかなかった自分が恨めしい。身長こそスペードのほうが高いが、二人で並ばず単体で見た時は恐ろしいほどに顔の小さいクローバーのほうが高く見える。良いなぁ華奢な女の子、可愛くて。思わず漏れ出そうになった溜め息をスペードは飲み込んだ。それからクローバーに振り返る。
「クローバー」
「何ですか?」
「その、鎖とか持ってないか……? ネックレスの」
「ありますけど……」
「コレ、指に着けるのは好きじゃない、から……首からさげようかなって」
恥ずかしいのか、言葉尻が消えかかっている。更には耳まで真っ赤に染まっていた。クローバーはそんな彼女に吹き出しそうになるのを堪えてアクセサリーケースから余っているネックレスチェーンを取り出しスペードに手渡した。彼女は嬉しそうにそれを受け取り、指輪を通してから首にかけた。それから彼女は左手で首から下がる指輪を握り締める。
「……その…これ、大事に、する、から」
そう言ってスペードはやっと素直に笑った。彼女の心からの笑顔にクローバーも笑みを溢す。
「さあ、早く行かないとダイヤに怒られちゃいます」
「それは嫌だな……アイツ怖いから」
スペードはべぇ、と舌を出した。こうやってダイヤが怖いだなんて言っているが、ダイヤのことが気になって仕方がないということも周りの人間は知っている。ちょうどその時、クローバーの部屋の扉がノックされた。クローバーが返事をすると、扉の外からスペードの補佐官であるラウの声がする。
「スペード様~~! 迎えに来たっス!」
「ラウさん、今開けますね」
ユナがそう言って部屋の扉を開けると正装に身を包んだラウが立っている。彼は着飾ったユナの姿にニッコリと笑った。
「うわ~~ユナ可愛いっスね~~! さっすが!」
「ラウ、すまないな。迎えに来てもらって」
「いやいや、可愛い女の子を三人も見れるんスから、役得っス!」
「お調子者。二人の間違いだろ」
スペードは苦笑いをしてラウを小突いた。ラウはおどけたように笑って彼女に手を差し出す。その手にスペードは自身の手を重ねた。それを見ていたユナもクローバーに手を差し出し、クローバーもスペードと同じ様にその手に自身の手を重ねる。会場である大広間はホールから見て城の真反対にある。窓の外の美しい中庭を、淡い逆三日月の光が照らしていた。




