04
それからは度々夜の湖へ呼ばれることになった。ハティレキアの講義が終わり彼が退出する時に〝今夜会おう〟と耳打ちされるのだ。それもあの低く色気たっぷりな声で。これもまた心臓に悪い。夜の美しい湖で若く見目麗しい国王と密会、だなんて言えば聞こえは良いがその実彼の愚痴を聞いているだけだ。会えば会うほど彼もただの人なのだということはよく分かった。それにハティレキアにとっても心地の良い時間だった。相手の思考が頭に流れ込んでこないというのはこんなにも楽なものだとは知らなかったのだ。願わくば彼にとっても自分が心安らげる相手ならば良いな、と思った頃にはとっくに彼のことが気になって仕方がなくなっていた。
「なぁ、ハティレキア」
今日もこうして湖に呼ばれている。昼間に言っていた畏まった言葉遣いをやめる、というのはまだ続いているらしい。
「陛下、ですからその話し方は」
「その陛下っていうのもやめろ」
草の上に寝転んで月を眺めている彼は不満気にハティレキアをチラリと見た。
「ですからそれは」
「ここではただの人間で良いと言ったのは其方だろ」
「そうですけど……」
ここで話しているうちに分かったことだが、彼はワガママを言う時はわりと子どもじみているところがある。ハティレキアに甘えているのだろう。それが可愛く思えてしまうあたりかなり重症だ。彼の態度にふと忘れそうになるが、彼はこの国の王であり決してハティレキアが気軽に声をかけて良い相手ではない。そもそも誰にも見られないからと言って、この状況も本当は良くないはずだ。深夜の男女の密会だなんて、在らぬ噂を流されかねない。ただでさえ一向に進まないユチュシュラの姫との縁談に城の誰もがやきもきしているというのに。まあ、彼はユチュシュラの王族を嫌っているので縁談が決まるわけがないのだが。
そこまで考えた時、ハティレキアは胸が苦しくなり手で押さえた。湖面に揺れる満月を彼女は恨めしそうな目で見つめる。エレメンテリアを守る四神のその更に上の存在、この世界の想像神は月に居ると信じられている。月に居る神がその力を分け与えた存在が四神であり、人間は更にその四神の力を借りて生活をしている。国民のほとんどが簡単な古代メリメラ魔法が使えるのもそのおかげだ。四神の加護によってこの国の生活は成り立っている。
「ハティレキア、どうした」
「申し訳ございません。どうかお気になさらないでください」
「顔色が悪い、どうした、風邪か? すまない、夜の湖畔は冷えるというのに」
王が臣下に謝るべきではない、とここに来るようになってすぐの頃にハティレキアは彼に伝えたが、ここではただの人間だからと彼は度々こうやって謝ってくる。ハティレキアは彼の謝罪を首を振って否定する。具合が悪いのは決して彼のせいではない。
「ハティレキア」
このまま黙っておこう、と思ったハティレキアにレネアは呼びかける。深く威厳のあるその声は間違いなく王の声で、誰をも従わせてしまう。仕方なく彼女は口を開いた。
「……限界なのです、もう……力が大きすぎて」
レネアは信じられない、という顔をした。大きすぎる力が術者の身体を蝕むことぐらい彼だって知っている。ただ、それは例えば強力な魔法を唱えた時の反動のようなものであり、個人の持つ魔力の強さが身体を蝕むほど大きいなどあり得ない。彼は今この瞬間までそうだ信じて疑っていなかった。
「月は私たちに力を与えてくれます、陛下も満月の日はきっと自分の力が特に強くなるのを感じるでしょう? それが今の私には苦痛なのです」
「……其方の魔力が弱まることはないのか」
「むしろ年を重ねるほど増える一方です、ありがたいことに」
「けどそれでは其方の身体が」
「良いじゃないですか。私は魔法の研究が好きです。この魔力量のおかげで何だってできる……光魔法は、無理ですけど……確かにこの身体はきっと長くは生きられないでしょうけれど、今回の生は心ゆくまで魔法の為に使おうと思っています。長生きするのは次の生で良い」
ハティレキアの言葉にレネアはまだ納得していない様子だった。そもそも何故彼がそこまで自分の身体のことを気にするのか、ハティレキアには分からない。彼はもう十分に魔法の知識を得た。ハティレキアもそろそろ城から下げられる時期だと予感はしていたのだ。もう彼に教えられることはほとんどない、だからこそ国民が懸命に働き納めた税金で生活をさせてもらうのは心苦しいところがある。だからもうそろそろ村に帰って余生を過ごそうと決めていた。もしくは旅に出ても良い、世界を見ればきっともっと凄い魔法を創れる。
「でも我は其方でなければ嫌なのだ。今の、其方でなければ嫌だ」
「何をおっしゃられているのです……?」
「ハティレキア、其方は我に死なれたら困ると言った。その言葉をそっくりそのまま其方へ返す」
何故彼がそんなことを言うのか、ハティレキアにはまだ分かっていない。彼の熱を帯びた瞳がハティレキアを捉えた。伸びてくる彼の手がハティレキアの手首を掴む。
「レネア・クロウ・サテル・バレル・ヴェルティモント・エレメンテリア」
彼の口から紡がれた言葉にハティレキアは息を呑んだ。それは間違いなく彼の真名だった。いけない、こんなことは許されない。平民の自分が聞いて良いものではない。月が決めた世界の理において、後戻りができなくなる。
真名は、その人をその人たらしめる大事な名前だ。魂が転生を繰り返すと考えられているこの国では子どもは三歳までは神のものであり、四歳を迎えた時にその真名を親から受け取る。
魂に真名をつけることで、個としての存在が確実になるのだ。そして、本人と名付けた親以外は真名を知ることは無い。稀にまだ小さい子の親が亡くなる際に信頼のおける人物に子どもを真名とともに託し後見を頼むことはあるが、それも滅多に無いことだ。それ以外の人物にその名前を明かす時、それは結婚を受け入れる時しかない。真名の交換を提案することはプロポーズを意味し、真名を渡すということは結婚を受け入れるということになる。それを今、彼はハティレキアに明かした。
「其方の真名を」
答えてはいけない、答えさえしなければまだ取り返しはつく。ハティレキアはつい開きそうになる口を掴まれていない方の手で押さえた。もしもここでハティレキアが自分の真名を伝えてしまえば彼は絶対にハティレキアと結婚しなければならなくなる。真名の交換をした相手以外と添い遂げることはできない。真名の交換、それはお互いの存在を縛る契約であり、それこそが世界の理だ。
「我は其方を愛している。其方以外と添い遂げる気は無い」
「ご、強引すぎます、陛下」
「レネア」
頬に伸びてくる彼の指にハティレキアの心臓が破裂してしまいそうな程に脈打つ。先ほどまでとは違う胸の苦しさだ。彼女は自分の真名を漏らさない為に口を押さえていた手で再び胸を押さえた。レネアの指は彼女の頬を滑り、そのまま顎の下へ落ちてくる。彼はその顎を優しく掴むとハティレキアの顔を上げさせた。こうして吐息がかかる距離に彼がいても嫌悪感は無いし、本当はもっと近づきたいと思う時点で自分が彼のことを好きなのだということを改めて思い知らされる。彼と視線がぶつかり、ハティレキアは無意識にそっとその目を閉じた。子どもの頃はずっと周りの子どもたちから気味悪がられて生きてきた、年を重ねて賢者と呼ばれるようになってからは周りからの評価もガラリと変わった。子どもの頃にハティレキアを虐めていた男性から言い寄られた時には、正直信じられなかった。それと同時に、人からの好意だなんて信じられないものだとも思ったのだ。けれどこの繰り返される口付けを、疑いたくはなかった。
「れね、あ、さま……」
「様もいらない。其方とは対等でいたい」
上手く呼吸ができず、ハティレキアの頭にもやがかかるようだった。平民出身の自分は彼の結婚相手として絶対に相応しくない。それに自分はこの魔力によって長く生きることも叶わない。これを受け入れてしまえばきっと茨の道を歩くことになる。頭では分かっているはずだというのに、つい腕を彼の首に回してしまう。
「……レネア」
「それで良い」
「……私の名前は、ハティレキア・イシェク・フルスです」
彼と共にならば、きっと茨の道でも歩いていける。ハティレキアは、そう信じていた。
魔女の幸福では真名強奪男がいましたが、今回は真名押し付け男です
どっちも嫌ですねぇ~~~~
自分に自信のある男はす~~ぐこんな暴挙に出るんだから!




