↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
臆病な少女は生贄として溺愛される  作者: やらぎはら響


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/12

8

 目を覚ますと、もう水華はいなかった。

 昨日のことは夢だったのか。

 ぼんやり起き上がって考えていると、襖の向こうから壺が声をかけてきた。


「凜様、起きてらっしゃいますか?」

「は、はい、大丈夫です」


 慌てて凜は布団から出る。

 すぐに襖が開いて壺が入ってきた。


「お布団はそのままで。まずはお着替えをいたしましょう」


 壺の言葉にとまどった。

 凜は夜着だと渡された上等なものを身につけている。

正直これで充分だ。

 今までの着物と雲泥の差なのだから。


「わ、わたしこれで、いい、です」

「まあ、いけませんよ、それは夜着ですから。ちゃんと普段用の着物は準備してあります」


 壺の言葉に凜はとまどった。

 何故生贄にそんなに綺麗な着物を着せるのか。


(清潔にしておこうということかしら)


 それくらいしか理由が思いつかない。

 辞退しても壺は着物を着せる気満々だ。

 断ったら怒られるだろうかと口をつぐんでしまう。


「ああそうだ、これを凜様へ」


 壺は思い出したというように一度廊下へ出ると、荷物を抱えて部屋に入ってきた。

 その手にあるのは行灯だった。

 小さな青い蝶がいくつか描かれている。


「それって」

「水華様から凛様へ、眠るときに使うようにだそうです」


 凛はその言葉に目を瞠った。

 たしかに昨日、暗くて怖いとは言ったけれど、翌日にこんなものを用意されると誰が思っただろうか。

 床に置かれた行灯は、暗闇で明かりを灯すと蝶が美しいだろう。

 こんな高価そうなものをと慄いているあいだにも、凛は壺によってあれよあれよと着替えさせられてしまった。

 薄花色の涼やかな着物だ。

 こんな上等な着物ははじめてで、動きがぎこちなくなる。


(汚したらどうしよう)


 おもわずへっぴり越しになってしまう。

 凜は知らない。

 明日から毎日違う着物を渡されることを。

 朝食と言われて昨日の部屋へ行くと、水華が壁に背を預けて座っていた。

 おもわず背筋が伸びる。

 水華の手には盃があり、盆の上には酒のつまみらしきものがある。

(お酒、好きなのだわ。食事も嗜好品と言っていたけれど、召し上がるのね)

 何となくじっと見てしまっていたら、水華と目があってしまった。

 内心びくりと心臓が跳ねる。


「座れ」

「は、はい」


慌てて座ると、峰が食事を運んできた。

昨日に続き、温かくて美味しそうな食事だ。

連日こんな食事を食べていいのだろうかと不安になっていると、くうと凜の腹が鳴った。

水華が片眉を上げて凛をじっと見やる。

凛はカッと頬に血がのぼるのを感じた。

 恥ずかしいとお腹を押さえて俯く。

 昨日立派な食事を食べたせいで胃が活発になったのだろう。

 飢えた感覚もないのにと動揺した。


「しっかりと食え。お前は軽すぎだ」

「……は、はい」


 声は消え入りそうなものだった。

 凛は恥ずかしさを何とか振り払いながら食事を食べ始めた。

 食べ始めたけれど、居心地が悪い。

 水華が酒を片手にずっと見てくるのだ。

 箸を動かすのがぎこちなくなってしまう。

 どうしてそんなにじっと見るのかと、怖くなってくる。

 そっと水華を見ると、やはり凛を見ていて目があった。


「どうした」

「い、いえ」


 紫電の瞳は綺麗だ。

 けれど硬質でもある。

 見つめられると落ち着かなかった。


(どうして、こんなご飯を食べさせてくれるのかしら)


 凜にはわからない。

 どうしてだろうという気持ちが頭のなかでぐるぐる周り、そして昨日と同じ結論に辿りつく。


(しっかり肉をつけて食べるのね)


 だったらちゃんと食べなければ。

 祠を守るためにも立派な生贄にならなくてはいけない。

 そう思い、箸を動かす。

 立派な生贄とならなければという気持ちはあるけれど、それはそれとして食事がおいしいのだ。

 贅沢になりそうと凛はちょっぴり不安だった。


「あ、あの、行灯、ありがとうございます」

「ああ、あれか。暗くなければ眠れるだろう」


水華の言葉に、逡巡してから凛は小さく頷いた。

言われた言葉はそのとおりだし何より昨夜、直接水華に言ってしまっている。


「好きに使え」

「はい……」


 それしか言えず、凛は眉を下げたあとで困ったように料理を見下ろすと、ふたたび箸をつけだした。

 じんわりとしたものが、何となく胸の内に広がった気がした。

 食事も終えてどうしたらと思っていると、水華も酒を飲み終えたのか盃を盆に置く。

 凛が食事中ゆったりとではあるけれど、ずっと酒を飲んでいたのだ。

 酒はそんなに飲んでいいものなのかと少し気になる。


「あ、あの、わたし、何かお手伝いすること、ありますか?」


 おそるおそる水華の顔色を窺う。

 村では汚れ仕事は凜の仕事だった。

 水華はふむと考えるように一度、睫毛を伏せた。


「書物は読むか?」

「し、書物?」

「ここには書物が大量にある。物語もあるし、読むなら取り寄せよう」

「あ、あの!」


 水華の言葉を怒られるかもしれないけれどと思いながらも、さえぎった。

 凜には言わなければいけないことがある。


「わ、わたし、読み書きが、できなくて……」


 恥ずかしくて俯いてしまった。

 村では読み書きが出来ないのは凛だけだった。

 誰も教えてくれなかったのだ。

 それもいつも馬鹿にされていた。

 みんなが当たり前に出来ることが出来ない。

 それはとても屈辱的だった。


「あの村ではそうなのか?」

「いえ、そ、その、わたしだけです……」


 こんなことを言うのは恥ずかしかった。

 耳が熱くなって、うっすらと瞳に水分の膜が広がる。

 こんなところで、水華の前で泣きそうになってはいけない。

 必死でそう思い、目に力を込めた。

 ふいに影が差し、顔を上げるといつのまにか水華が目の前に来ていた。

 顎を指先で持ち上げられ、目元を覗き込まれる。

 たぐいまれな美貌が間近に迫って、凛は息を飲んだ。

 おもわず涙も引っ込んでしまう。

 それを見て、水華は顎から手を離した。

 そのままくしゃりと頭を撫でられる。

 ぽかんとそのことに口を開くけれど、すでに水華はこちらを見ていなかった。


「読み書きを教えてやる。来い」

「い、いいんですか?」

「良くなければ言わぬ」

「ありがとう、ございます」


 思っても見ない申し出だった。

 凛が目を丸くするけれど、水華は何てことない顔で部屋を出て行く。

 動けずにいたけれど「来い」と言われて、慌てて凜はその背中を追った。


(この方は、とても優しい方だわ。私なんかにこんなに良くしていただいて。この方のためにも立派な生贄になるのよ、凛)


 凛は心中でしっかりと気合を入れた。

 水華に連れられて行った部屋は文机があり、その周りには書物や巻物や紙の束が大量にあった。


「ここ、は?」

「私の仕事部屋だ」

「わ、わたしなんかが、入って、いいのですか?」

「かまわぬ」


 文机の前に座るように言われたのでちょんと座ると、水華が後ろに座り抱きしめるような体勢になった。


(ひゃああ)


 悲鳴を上げるのをなんとか堪え、凛は荒れ狂う心のなかで荒ぶった。

 水華が紙を一枚手に取り、凛に筆を差し出す。

 こんな白い紙を汚していいのだろうかと怯えながらも、水華がわざわざ申し出てくれたのだからと、こくりと喉を鳴らして筆を手にした。

 その凛の手に、完璧な造形美の指が添えられる。

 少し低い体温と長い指に大きな手。

 それが筆を持つ凜の手をすっぽりと包んでいる。

 昨夜も手を握ってもらったけれど、明るい場所でされるのはとても恥ずかしく顔が赤くなってやしないかと不安に思った。

 水華の動きに合わせて筆が滑っていく。

 字とはこんなふうに書くのかと、凜は興味津々で手元を見た。


「これが『りん』お前の名だ」

「これ、が、わたしの名前」


 しげしげと見て、何だか胸が高揚した。

 みんなが出来て当たり前のことが、凛でも出来た。

 それがひどく嬉しかった。

 同時に水華が「りん」と言った瞬間に胸が跳ねた。

 こんなに穏やかで柔らかな声で、名前を呼ばれたことなんてない。

 いつも蔑むように見下すように、怒鳴るように呼ばれてきた。

 名前なんて、何の思い入れもない。

 口のなかで自分の名前をころりと口にして、凛はそっと水華を見やった。

 凜の眼差しに、かすかに不思議そうにしている。

 水華は知らないだろう。

 名前を穏やかに呼ばれたことも、字を書けたことも、泣くほど嬉しいだなんて。


「す、水華様、ありがとう、ございます。字が書けるの、凄く嬉しいです」

「そうか」


 小さく笑って振り返ると、存外近い場所に水華の顔があって凛は慌てて前を向いた。

 近くで見る水華の顔は心臓に悪い。


「お前用の文机を置くから、字の練習をするがいい」

「え、そんな! お、お仕事の邪魔をするわけには、いきません」

「ここでやれば、わからないときにすぐ聞けるだろう」


 それはそうだ。

 けれどいいのだろうかと凛が逡巡しているあいだに、水華は立ち上がってしまった。


「今日は花や動物の絵が描かれた巻物なんかを見るがいい。字の練習は明日からだ」


 そう言って部屋を出て行ってしまう。

 もしかしなくても文机の手配に行ってしまったのかもしれない。

 一体どうしたらと凛は立ちつくした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。