第68話 チビだと
雨が、街の音を潰していた。
環象社のランクはCからBへ切り替わる。
規制線の外で人が流れ、拡声器だけが乾いて響く。
その内側は、すでに雨の領域だった。
イグニスは、水煙の奥で足を止めた。
小柄な影が、大鎌を担いで立っている。
歪みを刈っている最中らしく、周囲の雨だけが刃の軌道を残している。
向き合う前から、肌の感覚が違う。
強い。
報告の「別格」が、言葉ではなく空気で先に来る。
【03(レイン)】が、ゆっくりと顔を上げる。
『……誰』
短かった。
興味より、邪魔かそうでないかの選別だった。
イグニスは武装を構える。
すぐには踏み込まない。
間合いを測り、雨の密度を見る。
セレスティーヌの部屋で聞いた評価が、ここで実体になる。
「三傑の、03だな」
『知ってるなら、退け』
「退かねえよ。測りに来た」
最初の衝突は、まだ探りだった。
鎌と武装が火花を散らし、互いに半歩だけ下がる。
イグニスの口端が、わずかに上がる。
通じる。
暴れ足りなかった夜が、ここで足りるかもしれない。
数合、また数合。
雨脚が上がるたびに、速度が乗る。
互角に近い往復が、路地を削る。
イグニスは正面から受け、横へ滑り、打ち返す。
【03(レイン)】も、それを刈り、かわし、押し返す。
『……意外と、やる』
認める声だった。
イグニスも、息の中で返す。
「悪くねえ。三傑、本物だ」
そこまでは、まだ戦いだった。
互いの強さを認める、熱のある衝突だった。
なのに、次の呼吸で舌が滑る。
「でもよ。
こんなチビ女が、三傑かよ」
言葉が落ちた瞬間、雨の音が遠のいた。
【03(レイン)】の動きが、止まる。
怒号はない。
顔も、大きくは歪まない。
なのに、空気の圧が変わった。
『チビ……だと?』
それだけだった。
次の瞬間、雨が世界を塗り替える。
探りの間合いは消える。
互角の往復も消える。
あるのは、上から被さる密度だけだ。
イグニスが防ぐ。
防いだ先に、次の鎌がある。
退く。
退いた場所が、すでに雨の刃で塞がれている。
打ち返す余地がない。
攻めの形に入ろうとしても、手足が半拍ずつ遅い。
「ち……待て——」
待たない。
”チビ”と言う最大の侮辱を、【03(レイン)】は許さない。
小柄な体が、不合理なほどに戦場を支配する。
大鎌の軌道が、防御の全部を刈り取る。
イグニスの武装が弾かれ、装甲が裂け、膝が落ちる。
一方的だった。
さっきまでの互角が、嘘のように崩れる。
『チビ、だと……』
声は低く、繰り返しに近い。
感情が暴れるというより、感情が刃そのものになっている。
イグニスはもう、攻められない。
防戦だけが、短い命を延ばす。
延ばしても、雨は止まない。
最後の一撃が、息の根を止める。
派手な宣言はない。
あるのは、水たまりに沈む体と、止まない雨脚だけだ。
【03(レイン)】の鎌は、まだ下りない。
雨だけが、死体の上で細く弾け続けていた。




