第101話 平常の定義
避難所の朝は、いつも通り早かった。
リンは名簿を開き、返却された毛布の数を数える。
昨夜の広域異常は、環象社の文面では「収束」になっている。
人々は安堵し、荷物をまとめ、普通の声で話している。
「また収まりましたね」
「指示通りでよかった」
リンは頷く。
頷きの意味は、周囲のそれとは少し違う。
七嵐の名を、今は出さない。
証拠もない。
なのに、空が落ちなかった理由の一端は知っている。
昼、カツヤが短い休暇を取って顔を出した。
黒鋼の上位が三傑に届かなかった話も、回収が縮小された話も、詳細は言わない。
言わなくても、リンには温度が分かる。
「仕事、続くのね」
「続く。拾え、は残ってる。
ただ……前より、意味を考えちまう」
「考えてもいい」
「お前は」
「避難所の鍵は、回し続ける。
知ったままでも、回し続ける」
二人の間に、大きな決意はない。
暴くでも、辞めるでもない。
知ってしまった側の、静かな肯定だけがある。
夕方、同じ濁った空の下で、リンは鍵を閉じる。
カツヤが隣で待つ。
遠方で、環象社の定型が流れる。
「平常通りお過ごしください」
平常の定義は、もう以前と同じではない。
それでも二人は、その文面の下で生活を再開する。
英雄には、ならない影がいる。
影は、感謝の向け先にも立たない。
なのに、結果として誰かの死を減らしている。
リンは空を一度だけ見て、カツヤと並んで歩き出す。
青は、まだ戻っていない。
戻っていなくても、今日を歩く。




