第二十五話 同じ顔
休養期間開始から五日目。
NULL PROJECT研究棟。
食堂。
昼食時。
普段は静かな空間だった。
だが最近は違う。
休養期間が始まってから、生存個体達が自然と顔を合わせるようになっていた。
もちろん仲が良いわけではない。
友人でもない。
戦えば殺し合う相手だ。
それでも。
同じ施設で二十年生きてきた者同士。
妙な距離感が生まれ始めていた。
その日も。
レイはいつものように山盛りの食事を前にしていた。
カレー。
唐揚げ。
味噌汁。
白米。
山だった。
向かいにはリン。
少し離れて柔術個体。
さらに奥には剛。
バートルは既に四杯目に突入している。
そして。
窓際。
ライ。
相変わらず一人だった。
レイはスプーンを口へ運びながら全員を眺めた。
そして。
ふと思った。
「なぁ」
全員の視線が集まる。
レイは少し笑った。
「俺ら同じ顔なんだよな」
静寂。
誰も否定しない。
事実だからだ。
同じ遺伝子。
同じ肉体。
同じ始まり。
二十年前。
全員が同じ培養槽から生まれた。
柔術個体が本を閉じる。
「そうだな」
剛も頷く。
「事実だ」
レイはリンを見る。
リンを見ると自分がいる。
バートルを見ると自分がいる。
剛を見ると自分がいる。
ライを見ると自分がいる。
だが。
全然違う。
「なのに全然違う」
静寂。
今度はリンが答えた。
「当然だ」
「なんで?」
「違う人生を生きた」
即答だった。
レイは少し考える。
確かにそうだった。
同じ十年。
同じ施設。
同じ環境。
それでも。
教わったものは違う。
見た景色も違う。
隣にいた人間も違う。
だから。
違う。
リンはそう言いたいのだろう。
「違う人間だからだ」
窓際から声が飛んできた。
ライだった。
全員が振り返る。
レイが目を丸くする。
「お前そういうこと言うんだな」
ライが首を傾げる。
「?」
「いや」
レイは笑う。
「もっとこう」
「肉」
「蹴る」
「終わり」
みたいな奴かと思ってた」
剛が吹き出す。
柔術個体も少しだけ笑った。
ライだけが意味を理解できていない。
「違うのか?」
「違わねぇよ」
レイは即答した。
食堂に笑いが広がる。
本当に少しだけ。
だが確かに。
笑いだった。
⸻
しばらくして。
リンがふと口を開く。
「俺の老師は――」
ピッ。
電子音。
全員の腕輪が赤く光る。
食堂の空気が凍り付いた。
AI音声が響く。
『警告』
『育成内容共有を検知』
『警告回数』
『一』
静寂。
リンの額に青筋が浮かぶ。
「チッ」
レイが慌てて身を引く。
「おいおいおい」
「マジかよ」
柔術個体が腕輪を見る。
本当に数字が増えている。
リンの表示。
0。
だったはずの数字が。
1。
になっていた。
剛が腕を組む。
「厳しいな」
「厳しいどころじゃねぇだろ」
レイが言う。
「話しただけだぞ」
「それが目的なんだろう」
柔術個体が呟く。
「神代一光は格闘技同士の交流を嫌っている」
静寂。
誰も否定しない。
誰もが知っていた。
この施設の神が。
何を恐れているのか。
⸻
「じゃあよ」
レイが話題を変える。
「格闘技以外ならいいんだろ?」
「だろうな」
柔術個体が頷く。
「好きな食い物とか」
「問題ないはずだ」
レイが笑う。
「よし」
そして空手を見る。
「好きな食い物は?」
剛は真顔だった。
「白米」
「子供か」
即座にツッコむ。
空手は首を傾げた。
「美味いだろう」
「美味いけど」
「それだけかよ」
剛は真剣だった。
レイは笑いを堪えられない。
⸻
柔術個体。
「魚」
⸻
レイ。
「普通」
⸻
バートル。
「肉」
⸻
レイ。
「知ってる」
⸻
バートル。
「あと肉」
⸻
レイ。
「知ってる」
⸻
ライ。
「肉」
⸻
レイ。
「お前もか」
⸻
ライ。
「肉は強い」
⸻
レイ。
「意味分かんねぇ」
⸻
そして。
最後。
レイはリンを見る。
「お前は?」
リンは少し黙った。
そして。
小さく答えた。
「甘味」
静寂。
食堂が止まる。
「え?」
レイが聞き返す。
「甘味だ」
「ケーキとか?」
「好きだ」
「まんじゅうとか?」
「好きだ」
「団子とか?」
「好きだ」
レイが腹を抱えて笑い始めた。
剛も吹き出す。
柔術個体まで肩を震わせている。
リンの顔がどんどん険しくなる。
「何が可笑しい」
「いや」
レイは涙を拭く。
「お前」
「仙人みたいな顔して」
「団子好きなのかよ」
「問題あるか」
「ある」
「ない」
「ある」
「ない」
子供みたいな言い争いだった。
その様子を見て。
バートルまで笑い始める。
ライはよく分かっていない。
柔術個体は静かに本を閉じる。
不思議だった。
誰も戦っていない。
誰も殺そうとしていない。
それなのに。
今の方がずっと人間らしかった。
⸻
研究棟最上階。
神代一光は無言でモニターを見つめていた。
食堂の様子が映っている。
笑い声。
雑談。
くだらない会話。
格闘技とは無関係な時間。
一光は眉をひそめた。
理解できない。
なぜ笑う。
なぜ楽しそうにしている。
なぜ。
同じ顔なのに違う。
その時。
不意に。
ある言葉が脳裏をよぎる。
⸻
「人間になる」
⸻
康二の声だった。
一光の拳が止まる。
画面の中。
レイが笑っている。
リンが怒っている。
バートルが食べている。
剛が真面目な顔をしている。
柔術が本を読んでいる。
ライが肉を食っている。
全員。
違う。
同じ遺伝子なのに。
同じ始まりなのに。
全員違う。
一光はモニターから目を逸らした。
見たくなかった。
認めたくなかった。
⸻
その夜。
施設全域へ放送が流れる。
『休養期間終了まで』
静寂。
『残り七十二時間』
食堂の六人が顔を上げる。
三日。
あと三日。
その先に何が待っているのか。
まだ誰も知らない。
⸻
同じ頃。
研究棟地下。
神代一光は研究員達を前に立っていた。
「第三回戦の準備を開始しろ」
研究員が尋ねる。
「試合場はどちらを?」
静寂。
一光は答えた。
「不要だ」
研究員達が顔を見合わせる。
一光は続ける。
「施設全域を使う」
その言葉に。
全員の背筋が凍った。
「狩りを始める」




