第十五話 二の打ち
『戦闘開始』
電子音が消える。
同時に、サンボが動いた。
速い。
リンの目が細くなる。
重い組技系だと思っていた。
違う。
軽い。
そして低い。
まるで獣だった。
サンボはリンの前足へ手を伸ばす。
リンが反応する。
肩が動く。
重心が沈む。
その瞬間、サンボの目が光った。
乗った。
前足など最初から狙っていない。
サンボは一気に距離を潰す。
頭を胸へ。
右腕を脇へ。
左腕を腰へ。
クリンチ。
完全接触。
リンの身体が硬直する。
近い。
近すぎる。
八極拳の距離。
だが違う。
これは自分の距離ではない。
相手の距離だ。
リンは肘を振る。
短い。
鋭い。
サンボの側頭部へ。
しかし、サンボは額で受けた。
ゴッ。
鈍い音。
額が切れる。
血が流れる。
だが止まらない。
サンボは笑った。
「当たったな」
そして一気に崩す。
脇差し。
外掛け。
重心破壊。
リンの身体が浮く。
次の瞬間、視界が回転した。
ドォン!!
背中が床へ叩き付けられる。
肺から空気が抜けた。
「がっ……!」
初めてだった。
こんな風に投げられたのは。
モニタールーム。
イヴァンの目が細くなる。
一光は笑った。
「正しい」
「極めて正しい」
スクリーンにはサンボ。
無駄がない。
打撃を警戒しながら、最短で組む。
「八極拳最大の敵だ」
一光が呟く。
「近付く前に殺す拳法と」
「近付いてから殺す格闘技」
地下駐車場。
サンボは止まらない。
即座に上を取る。
膝を腹へ。
肩を押さえる。
右腕を引く。
腕十字。
リンの顔が歪む。
肩が伸びる。
筋肉が悲鳴を上げる。
『関節負荷上昇』
AI音声。
サンボは冷静だった。
感情がない。
ただ勝つ。
それだけ。
リンは理解する。
強い。
今までの相手と違う。
キックボクシングは一撃で終わった。
だが、こいつは違う。
一撃を警戒している。
理解している。
だから強い。
サンボは腕十字を捨てる。
リンが暴れる。
ならば次。
キムラロック。
肩関節。
逃げれば壊れる。
リンの顔が歪む。
「ッ!」
痛い。
肩が抜けそうだ。
サンボが言う。
「終わりだ」
低い声。
自信ではない。
確信だった。
その時。
老人の顔が浮かぶ。
人工降雪エリア。
煙管。
細い身体。
鋭い目。
近いほど強い。
リンは目を見開く。
近い。
今。
近い。
これ以上ないほど。
サンボが違和感を覚える。
リンが逃げない。
普通なら関節から逃れる。
だが違う。
前へ来る。
壊れる方向へ。
身体を押し込んでくる。
「なに……?」
サンボの眉が動く。
リンは肩を犠牲にした。
痛い。
だが、それでいい。
老人は言っていた。
届けば勝ちだ。
リンは身体を起こす。
サンボの胸へ額を叩き付ける。
ゴッ!!
サンボの視界が揺れる。
一瞬。
ほんの一瞬。
拘束が緩む。
リンは立ち上がる。
サンボも立つ。
距離。
わずか半歩。
八極拳の距離。
サンボの背筋が凍る。
本能が叫ぶ。
離れろ。
だが間に合わない。
リンが踏み込む。
小さい。
本当に小さい一歩。
拳じゃない。
肩でもない。
肘でもない。
全身。
骨。
筋肉。
体重。
呼吸。
十年間。
全て。
靠。
ドォッ!!
衝撃。
サンボの身体が吹き飛ぶ。
柱へ叩き付けられる。
コンクリートが震える。
だが。
倒れない。
サンボは立っている。
血を吐きながら。
そして笑った。
「……そういうことか」
リンの目が揺れる。
立つのか。
今ので。
サンボが前へ出る。
肋骨は折れている。
肺も傷付いている。
それでも前へ出る。
「もう一回だ」
リンは黙る。
老人の言葉が響く。
二の打ち要らず。
だが現実は目の前にある。
立っている。
終わっていない。
サンボが構える。
重心を落とす。
目線が脚へ走る。
腰へ走る。
リンは理解する。
来る。
もう一度。
今度こそ全力で。
『戦闘開始より三分二十六秒経過』
サンボが飛び込む。
低い。
速い。
獣のようなタックル。
リンは逃げない。
下がらない。
前へ出る。
恐怖はあった。
肩は壊れかけている。
肋骨も痛い。
呼吸も苦しい。
だが、老人の言葉が蘇る。
近いほど強い。
リンも踏み込む。
サンボも踏み込む。
両者、一直線。
距離が消える。
そして、ぶつかる直前。
リンが半歩だけ身体を捻った。
ほんの数センチ。
それだけ。
だが、サンボの頭の位置がズレる。
タックルの芯が外れる。
サンボの目が見開かれる。
外した。
その瞬間だった。
リンが踏み込む。
拳ではない。
肩でもない。
全身。
十年間。
木杭。
雪。
呼吸。
鍛錬。
全て。
二度目の靠。
ドォッ!!
サンボの身体が止まる。
肺から空気が抜ける。
肋骨が軋む。
視界が白く染まる。
だが倒れない。
サンボは前へ出る。
本能だけで。
まだ組める。
まだ勝てる。
そう信じて。
リンの目が開く。
老人の声が聞こえた。
二発目が必要なら負けだ。
違う。
リンは初めて思った。
違う。
サンボは弱くない。
一撃で終わる相手じゃない。
だから。
必要だ。
サンボの重心が落ちる。
呼吸が止まる。
頭が沈む。
顎が浮く。
その一瞬。
リンの右肘が振り下ろされた。
最短。
最速。
最小。
頂心肘。
ゴッ!!
鈍い音。
サンボの身体が硬直する。
瞳から光が消える。
膝が崩れる。
そして、ゆっくりと倒れた。
ドサリ。
地下駐車場に音が消える。
リンは動かない。
サンボも動かない。
数秒後。
AI音声が響く。
『LCS判定』
『戦闘継続不可能』
『勝者』
『八極拳』
『試合時間』
『四分十六秒』
『決まり手』
『靠による重心破壊後』
『頂心肘による脳震盪』
静寂。
リンは立っていた。
肩は壊れかけている。
肋骨も痛い。
呼吸も苦しい。
初めてだった。
こんなに傷付いたのは。
医療区画。
リンが目を開く。
白い天井。
機械音。
モニターが点灯する。
『戦闘思想分析開始』
『サンボ技術取得』
『関節技情報取得』
『制圧技術情報取得』
静寂。
『適応可能性』
『98.7%』
『導入推奨』
さらに沈黙。
『戦闘思想変化率』
『0.00%』
『導入拒否』
『八極拳純度』
『100%』
リンは画面を見る。
しばらく。
本当にしばらく。
見つめた後。
静かに目を閉じた。
サンボは強かった。
学ぶべきこともあった。
取り入れれば、もっと勝ちやすくなるのかもしれない。
だが。
それでも。
「俺は八極拳だ」
小さな呟き。
その声には迷いがなかった。
老人の言葉が蘇る。
届けば勝ちだ。
リンは目を閉じたまま、ゆっくり息を吐く。
「まだ遠いな」
一人は変わることで強くなる。
一人は変わらないことで強くなる。
同じ顔。
同じ肉体。
同じ環境。
それでも、二人は全く違う場所へ向かっていた。




