第十二話 メッセージ
静かだった。
気味が悪いくらい。
レイは薄暗い部屋の中で、
一人座っていた。
ベッド。
洗面台。
シャワー。
それだけ。
窓はない。
時計もない。
音もない。
「……」
隔離。
その意味を、
身体が理解し始めていた。
誰とも会えない。
話せない。
他の試合も見れない。
知らされるのは、
結果だけ。
まるで。
格闘技そのものを、
密閉して育ててるみたいだった。
⸻
レイは頬を触る。
まだ痛い。
ジャブ。
思い出すだけで、
首の奥がゾワつく。
「……速すぎんだろ」
拳。
たった拳。
なのに。
レスリングじゃ届かない場所から、
頭を壊してくる。
怖かった。
認めたくねぇけど。
本気で。
⸻
ガコン。
突然。
壁の一部が開く。
レイが反射的に立ち上がる。
低く構える。
だが。
現れたのは黒服ではなかった。
台車。
食事。
それだけ。
「……チッ」
レイは舌打ちする。
近づく。
肉。
スープ。
パン。
そして。
小さな紙。
レイの眉が動く。
手に取る。
そこには。
『第六試合終了』
『試合時間――四分二十三秒』
『決まり手――後頭部打撃による脳震盪』
『勝者――システマ』
「……システマ?」
知らない。
また知らない。
レイは紙を睨む。
後頭部。
脳震盪。
そんなので終わるのか?
いや。
終わった。
現に。
ここでは。
⸻
『第七試合終了』
『試合時間――五十六秒』
『決まり手――頸椎損傷』
『勝者――柔道』
レイの眉が動く。
柔道。
投げか?
レスリングに近いのか?
でも。
頸椎損傷。
その単語が妙に生々しい。
レスリングでも、
頭から落ちれば危ない。
だが。
ここではそれで終わる。
死ぬ。
⸻
レイは肉を口へ放り込む。
味がしない。
頭の中が、
ずっと戦いのことだった。
ボクシング。
ジャブ。
距離。
八極拳。
胸部破壊。
システマ。
後頭部。
柔道。
頸椎。
知らない。
知らない。
知らない。
「クソッ……」
初めてだった。
レスリング以外を、
考えている自分。
イヴァンは、
こんなこと教えなかった。
いや。
教えられなかったのか。
⸻
『育成個体No.14』
機械音声。
レイが顔を上げる。
『戦闘後医療処置を開始します』
「……は?」
壁の一部が開く。
細いアーム。
白い機械。
冷たい光。
レイが眉をひそめる。
「なんだよそれ」
『対象をスキャンします』
赤い光が、
レイの身体をなぞる。
首。
鼻。
頬。
肋骨。
視界に数字が流れる。
『軽度脳震盪』
『鼻骨損傷軽微』
『左頬部裂傷』
『頸部筋損傷』
『生命活動――正常』
機械音声。
感情ゼロ。
気味が悪い。
『処置を開始します』
「ちょっ――」
次の瞬間。
首筋に鋭い痛み。
「ッッッ!?」
細い針。
薬剤。
熱が身体に広がる。
『炎症抑制剤投与』
『神経修復ナノマシン補充』
『脳圧安定化開始』
レイが歯を食いしばる。
熱い。
身体の内側が、
勝手に動いてるみたいだった。
『安静を推奨します』
「……誰が寝れるかよ」
レイは吐き捨てる。
すると。
機械音声が、
一瞬だけ止まった。
『育成個体No.14』
『精神状態――高ストレス』
『恐怖反応継続』
レイの眉が動く。
恐怖。
その単語が妙にムカついた。
だが。
否定できなかった。
拳が怖い。
あの距離が怖い。
⸻
その時だった。
壁のモニターが点灯する。
ノイズ。
そして。
映ったのは、
イヴァンだった。
レイの目が開く。
「オッサン……!」
録画映像。
だが。
イヴァンは真っ直ぐこちらを見ていた。
『レイ』
低い声。
聞き慣れた声。
それだけで、
少しだけ呼吸が落ち着く。
『お前は今、
混乱しているだろう』
レイは黙る。
イヴァンは続ける。
『拳を怖いと思ったはずだ』
『距離を怖いと思ったはずだ』
『それでいい』
レイの目が揺れる。
『知らないものは怖い』
『私もそうだった』
静寂。
レイが眉をひそめる。
イヴァンが、
少しだけ目を細める。
『昔、
私は“投げられない人間”を見た』
『どれだけ組んでも、
逃げる男だった』
『理解できなかった』
『だから何度も研究した』
『何度も戦った』
レイは少しだけ息を呑む。
イヴァンが、
レスリング以外を語っている。
初めてだった。
『レイ』
イヴァンの目が鋭くなる。
『恐怖から逃げるな』
『理解しろ』
『観察しろ』
『考えろ』
『そして』
ほんの少しだけ。
イヴァンが笑う。
『最後は組め』
レイの口元が、
少しだけ緩む。
「あぁ……」
その瞬間。
モニターが切り替わる。
サングラスの男。
一光。
レイの顔が険しくなる。
「やぁレイ!」
軽い声。
だが。
目が笑っていない。
「初戦、
素晴らしかったよ」
「特に最後」
「打撃を理解し始めた瞬間」
一光の声が少し低くなる。
「君は、
レスリングではなくなり始めた」
静寂。
レイは黙る。
一光も、
少し黙った。
やがて。
小さく息を吐く。
「……最悪だ」
レイの眉が動く。
「本来なら、
そんなことは起こらないはずだった」
「レスリングは、
レスリングだけで完成している」
「ボクシングも、
八極拳も、
柔道も」
「純粋なまま比較されるべきなんだ」
一光はモニター越しに、
レイを見つめる。
「なのに君達は、
他を知った瞬間に変化し始める」
その声には。
苛立ちと。
ほんの少しの恐怖が混ざっていた。
「理解できない」
「人間は何故、
混ざろうとする?」
レイは黙ったまま、
映像を見る。
一光は最後に小さく呟く。
「……NULLなど、
存在してはいけないんだ」
映像が切れる。
静寂。
レイはしばらく動かなかった。
そして。
ふと気づく。
無意識だった。
拳を。
顔の前に置いていた。
ボクシングみたいに。
レイは、
ゆっくり自分の拳を見る。
「……なんだよこれ」
その構えはもう、
純粋なレスリングではなかった。




