あべこべ少女と祝祭の町
色取取の住宅が並ぶ石畳を曲がった亜麻色のポニーテールを追う。
区画によって高さが違うらしく、曲がった先の手すりの下の方から人々の気配や活気ある声が聞こえてきた。
「それにしても大人しいね。この子」
「そうですね」
フォーサイスさんの鞄の中で大人しくしている猫は、辺りを見渡しながら鼻を鳴らしているものの、脱走する気は無いらしい。
猫って、こんなに大人しかったかしら?
学院の先生のお宅の子はもう少しやんちゃだったような……。
あっ、いけないいけない!
そうよ。猫も人みたいに色んな子がいるに決まっているわ。
印象や思い込みだけで全てを見てはいけないと、ウォーレン先生からいつも注意を受けていたのに危うく同じ事をしてしまうところだった。
先生が目の前に居られたのならきっと、呆れていらしゃった事だろう。
って、違うわ。違うでしょう? レイ。
今は此処に居られないウォーレン先生よりも、猫が気になっておざなりに返事をしてしまった事でフォーサイスさんが気を悪くされていらっしゃらないかの方が余程大事よ。
ちらりと窺うと、大して気分を害していらっしゃらないのか首に手を当てていらした。
エルフという人々は、全員がフォーサイスさんのように大らかなのかしら?
カーティフではエルフの方をお見かけした事が無かったから、エルフの方が大らかなのか、彼が単に大らかなのか分からないわ……。
優しい方だというのは、なんとなく分かる。
元恋人の娘だなんて、わざわざ相手をしたくは無いでしょうに。
なのに、彼は島に着いてからずっと気にかけてくれている。
表向きにはテューニさんたちに上手くやっているとそう伝えて、実際には放っておいても良いのに。
この人はそうはしなかった。
私があの人の子で無かったとしても、こうなのかしら?
……ナンセンスだわ。やめましょう。
「レイちゃんは、知っていて損はない近道だよ。ああ、でも帰りが遅いときはおすすめしないかな」
階段を先に降りて手を差し伸べるフォーサイスさんの手は取らず、手すりに手を伸ばす。
この人は私を小さい子のように思っているのかしら。
この位の自分で降りられるのに。
「盗人とか?」
彼の言葉や日陰から漂う酒の臭いに思い当たるのは、法に反した人々だった。
「それもあるね。治安が良い方とは言っても、全く居ないとも言えないのが悲しいところだね。ただ、そう言ったのには別の理由があるよ」
それだけでは無いと口にする彼は再び先を歩く。
「暗いのさ。この辺りは日暮れになると真っ暗になってね。町に要望は出してるけど、優先度は低いかなぁ。昔は星がよく見えていた分明るかったけど、今は日暮れでも町が明るいから。身の安全の為にも、守ってね?」
階段を降り切ると、町からいい香りがしてきた。
ふと、暗くなって上から鳥の声がした気がして上を見る。
……空って、こんなに高かったのね。
遠くに悠々と舞う鳥を見つめながら、私は彼の話よりそちらが気になってしまった。
「さあ、この先の建物だよ」
鮮やかな水色の壁の家。
この島の家は本当に色取取ね。
オープンと書かれたプレートがかかっている白い木目の扉を開いたフォーサイスさんが屈んで中へ入る。
「先生〜」
部屋の中だというのに森の中にいるかのような草木の匂いが広がった。
美しい光沢がある木目調のアンティークなのだろうテーブルや椅子が際立つ以外は、ありきたりなカウンターがあるだけの室内。
フォーサイスさんの言葉や室内の雰囲気からして、此処は医院なのかしら?
「五月蝿いね。そんな大声で呼ばないでも耳は遠くないよ。エルフの小僧」
カウンターの向こうの扉が思い切り開いたかと思うと、透き通った美しい水色の髪をまとめながら、自身の腰より上に上げていた足を下ろしたエルフの女の人が現れた。
先生と呼ばれたそのエルフの人は、私と目を合わせるとパチクリとその三白眼を大きく見開いて瞬くと、ゆっくりとその夜明けのような目を彼の鞄に入った猫へ向ける。
「おいこら、エルフの小僧」
「小僧小僧って先生は変わらないな。先生もエルフなのに」
苛立たしげにフォーサイスさんを小僧呼ばわりするエルフの人は、彼とは気安い仲らしい。
此処って、犬や猫を診て貰うところではないのかしら?
思い返すと建物に入ってから一度も犬や猫の獣臭さというか、そういう臭いがしない。
「五月蝿いよ。お前みたいな青二才に呼ぶ名なんぞ無いわ」
「今日はこの子を診て貰うのと、彼女の顔合わせに」
もし本当に違うとしたら、此処に猫を連れてくるのは大丈夫なのかしら……。
家猫だったかも分からないのに、暢気に気にせずフォーサイスさんはカウンターに鞄を置いて、入口に立つ私に振り返った。
……この人、頓着とかしないの?
呆気に取られていると、私をじっと見ていた彼女がスッと椅子の方を指を差した。
「私は器用さにかけては町のワーストを競うくらいに悪くてね。悪いが、話はこの毛玉の後にしよう。そこに座ってな」
物言いこそ素っ気ないものの、私を気遣って下さったのだろう事は直ぐに察せた。
正直、急勾配な坂道もあったり長旅も初めてだった所為で足を痛めていたから有り難い。
手近の椅子に腰かけさせて貰うと、痺れていた足からスゥッと痛みが消えていく。
え?
思わず足を見ると、エルフの人の瞳のような温かい色の円や四角が重なった光る花のようなものに覆われていた。
それは暫くして消え、端から無かったかのようにただの床が其処にあった。
これって、マナを使ったという事なのかしら?
凄い……。
御伽話しに出てくる登場人物のようだわ……。
初めてみた本物のマナ使いに、胸が躍ってフォーサイスさんたちの話がちっとも入ってこない。
私もパ……父に止められさえしなかったのなら、こういう事が出来たかもしれないのね。
ふと思い出してしまった嫌な過去を振り払うように頭を振る。
「私はこの医院を営むヨハンナ・アルーンだ。町の奴らはいつも先生と言ってくるがな。何かあったら来なさい。そこの小僧よりは力になれる」
そうして気が付くと、白衣に片手を突っ込んだまま私に歩み寄ったアルーンさんが、フォーサイスさんをぞんざいに指差してそう仰った。
彼を小僧と呼ぶという事は、彼女は思っているよりもずっと年上なのだろう。
エルフの方って、生来見た目が若々しいのかしら。
フォーサイスさんも、今年で41になると仰っていたような気がする。
「オーレリア・アシュリーです。レイとお呼び下さると幸いです。一昨日から、フォーサイスさんのフラットに入居しました。よろしくお願いします」
椅子から立ち上がって名乗った私を見たアルーンさんが、僅かに眉をひそめた気がした。
何か粗相をしてしまったかしら……。
不安になって彼女を見上げると、徐に白衣のポケットから飴と思しき包装をしたものを取り出したかと思うと、一つ手渡して下さった。
「よろしく、レイ。私のことは好きに呼びなさい。もし、体に少しでも気になることがあったら、何時でも来ると良い。多少の割引をして診てやる。ほら、お近付きの飴だ」
「あ、ありがとうございます。アルーンさん」
赤と白のストライプの包装をした飴から、仄かに苺のような香りがした。
お礼を言って、じっとその包装を見る。
……小さい頃、露店の飴細工の鳥が可愛くて如何しても欲しいと強請った事があったっけ。
「先生ー! 母ちゃんが倒れた!」
勢いよく扉が開いたかと思うと、叫ぶようにアルーンさんを呼ぶ黒い毛のケット・シーと思われる小さな男の子が涙目で現れた。
「あー、今日は次から次へと来るな。お前の母は身重だったな。準備するから、待ってろ」
彼を見て即座に誰なのか分かったらしいアルーンさんは、長い脚を遺憾なく発揮して大股で歩くと、入用の物を取りに中へ戻った。
ケット・シーの子はそわそわと歩き回り、不安そうに涙を目尻に溜めている。
そんな姿を見てしまったからか、気付いた頃には勝手に体が動いていた。
「これ、良かったら食べて。先生から貰った飴」
彼の前に立ち、貰ったばかりの飴を彼の小さな手に握らせる。
「先生の苺の飴だ。いいの? お姉ちゃんのでしょう?」
パッと明るい顔をした彼は、けれど直ぐに不安そうに私を見上げた。
気遣いの出来るいい子なのね。
「いいの。それを食べて元気を出して」
彼を安心させるように微笑みかけると、彼は元気に頷いて早速その飴を食べてくれた。
子供騙しのようなものだけれど、甘いお菓子は存外に力になるから、彼の力にもなってくれる筈だわ。
「ほら、お前たちも出ろ。私は今から出張だ」
「あ、先生。早く!」
戻ってきたアルーンさんの手をぐいぐい引いた彼が先導するように扉を開け、倣って私も外へ出た。
その直後に猫も自分から外に出て、アルーンさんはクローズにひっくり返すと、早々に急患の下へ向かわれた。
「行っちゃったねぇ」
「無事だといいですね」
本心からそう思っているのに、自然と口から発せられた声には険があった。
……えっ?
私、本当に心から無事に産まれると良いなと思ったのに……。
まるでこれじゃあ、望んでいないかのようだわ。
自分の心とあべこべの体に戸惑うも、現実は待ってくれずに猫が一匹で何処かへ向かおうとしていた。
その首には先程まで無かったリボンがされている。
彼が付けたのかしら?
「あっ、パンが無いの忘れてた。買いに行くついでにおすすめの商店の場所も教えておくね。あっ、猫くーん、夕食には戻ってね」
「猫がそんな事言われて守ると思ってます? ああ、あんなに遠くに……」
いつの間にか、遠くに行ってしまった猫を見て不安に思うのは私だけのようで、彼は然して心配していないようだった。
「大丈夫だよ。守らないときはリボンの式が発動するからさ」
気楽に返す彼の言葉に、眉をひそめて小さな足で真っ直ぐ何処かへ向かう猫を見守るしか無かった。
昼が過ぎた町中は、誕生祭を大々的に祝っているようで人混みで溢れていた。
建物の間にフラッグガーランドが並び、以前友人から聞いた太陽の日だけ行われるというマルシェのように店が並んでいる。
「おや、フランシス。歩きとは珍しいね」
顔見知りらしいお店の人が、軒先から出てきて彼に声をかけた。
「やあ。たまにはね。これからパンを買いに向かうところさ。ところで、今日って何かあったっけ?」
……え?
生誕祭って毎年どの国も盛大に祝うものよね?
もしかして、エルフの方は宗派が違うのかしら。
私が困惑していると、お店からクィンさんが出てきた。
「フランク。君、七曜表に印をつけるだけになっていませんか? 今日は誕生祭でしょう」
ああ、とやっと理解したらしい彼は如何やら別の宗派という訳では無いらしい。
確かに、今や御伽話しのような存在だけれども。
……お祭りはお好きで無かったりするのかしら?
「やれやれ。フランシスは変わらんね」
呆れたように首を振るお店の方、クィンさんは彼を見ながら鼻で笑う始末。
これは、お祭りが好き嫌いの以前のようね。
賑わう声やスパイスの香りが漂い、故郷では見たことの無い食べ物が売られているのを見て、何故かワクワクしない自分に心の中で首を捻った。
楽しい事は大好きな筈なのに、変だわ……。
「これでも以前より気にするようになっただけ成長しましたよ。まあ、まだまだですがね。おや、レイさんと居られたのですね」
ふと、名前を呼ばれた気がしてクィンさんの方を振り返る。
「はい。猫を診て貰いにアルーンさんの医院に」
「猫?」
ああ、彼は初日にお会いしてから会っていなかったら知らないのね。
本土の娘さんたちがいらしていると仰っていたかしら?
「私の荷物に入っていた子です。今は、その、散歩中ですが」
にこりと微笑まれ、何と返せば良いのか分からず、一先ずありのままをお伝えする事にした。
「ああ、フランシスのとこの新しい住人さんか。そしたら、ちょいと待ってな」
お店の方が何か思いついたのか、急に中に戻られてつい三人で目を見合わせる。
「ところで、小龍君を最近見ないけど知ってる? あとは双葉ちゃんと彼だけ顔合わせして貰ってなくてさ」
「はぁ。フランク、物忘れは流石に早くないか? まだ40そこらでしょう、君」
あり得ないものを見るかのように、クィンさんは呆れた声で仰る。
お会いした事がない方がまだ二人いらっしゃるのね。
何方の方も、この付近の国の方では無さそうな名前の音だった。
「彼は本土でサーカスの手伝いをしてくると言っていたでしょう。今日か明日には戻りますよ。フェリーが出ないアクシデントが無いならいつものようにね」
サーカス?
大道芸人さんなのかしら?
でもお手伝いという事は本職ではないのかも。
サーカスは小さい頃に見た切りだから、気になるわ。
チケットを安く譲って下さったりしないかしら。
ああ、でも今は入り用なものが多いし無駄遣いになってしまうわね。
ピンと来ないらしい彼に呆れたクィンさんは何も言わずに私に向き直る。
「入り用な物もお有りでしょう。今日はいつもより良い品もある、見て行かれると宜しい。では、お先に失礼」
にこりと笑み、私に助言を下さったクィンさんは帽子を一度外すとウィンクをしてフラットの方へ向かわれた。
「待たせたな。良かったらこれを貰ってくれ。ああ、お代は要らないよ」
入れ違いに中から戻ってきたお店の方が、私に包みを手渡した。
硬い感触が包みの中からする。
「えっと、これは?」
「うちの取引先の工場の若いもんが作った皿さ。ブラックキャット社もフェリーも、最近は制限があるからな。日用品が少ないかと思ってな。若いが将来有望な奴でね。気に入ったら、また買いに来てくれ。フランシスもまたな」
お店の方の気遣いなのか、今後利用して貰おうという目論見なのかはさておき、今朝はシェロンさんのお皿を借りていたから丁度良かった。
彼女の物をずっとお借りする訳にもいかなかったし、有り難いわ。
「……かわいい」
そっと割らないように包みを開くと、青空に丸々と育ったレモンのようなハンドペイントがされた皿だった。
切ったバゲットが二つ入りそうな程よい大きさのそれをそっとまた仕舞う。
「良かったね」
「は、い」
また、だわ。
嬉しくて笑ってしまいたいのに、言葉が詰まって上手く笑えない。
別に彼に笑った姿を見られたくない訳では無いのに……。
私、少し疲れているのかも。
祭りの高揚がより伝わる、町の中心に近いパン屋さんの扉を開けたフォーサイスさんは、振り返って笑む。
「レイちゃん、お先にどうぞ」
そう言って恭しく先を譲る彼の親切を受け取り、中へ入ると焼き立てのパンの香りや甘い匂いが鼻いっぱいに広がった。
美味しそうな匂いに、クゥと小さくお腹が鳴いた。
外観に反して広い店内は二階で食事が出来るらしく、上から若い方々の燥ぐ声やご婦人たちの穏やかな会話が聞こえる。
「レイちゃんも欲しいのがあったら言ってね。今日は僕が払うからさ」
「いえ、自分の分は自分で出しますから」
胸を張ってそう言って下さった彼の申し出を迷わずにお断わりした。
フォーサイスさんは不服そうだけれど、お金が関わる事は何が何でも嫌だった。
分かっている。
過剰反応なのは分かっているけれど、如何してもその親切は受け取れない。
父がしでかした事が如何しても過ぎってしまう……。
「誰かと思ったら、フランシスか。あんた、ついにいい人が出来たのかい?」
不意に彼に声をかけた女の人はパン屋さんの看板にあった顔とそっくりで、彼女がこの店の主人なのだと直ぐに分かった。
ニヤニヤとからかうように私たちを見るその目に思わず目を背ける。
「うちに新しく入居した子だよ。双葉ちゃんや小龍君と来た日も言ってきたよね? もう、僕にゴシップを求めないでよ〜」
「あんたに浮いた話の一つでもありゃ、アタシが良い酒飲めるからね、そりゃしつこく言うってもんさ」
お酒……。違う。違う!
この人とあの人は違うでしょう? レイ、しっかりして。
心では分かっているのに、つい体が硬直してしまう。
「ねえ、今日のおすすめのパンはない? このあとのお八つに良さそうなの」
彼女の声を遮るようにフォーサイスさんが前に出て声をかけると、彼女もそれ以上は言わずにカウンターから出てきた。
「そうさね。なら、今朝いいさくらんぼが手に入ってね。そいつで作ったデニッシュなんてどうだい? 嬢ちゃんは甘いの平気かい?」
艶やかなさくらんぼが贅沢に三つも乗ったデニッシュがガラスの保冷庫に入っているのを彼の背から顔を出して覗き込む。
「あ、甘いのは好きです」
「そしたら、こいつがおすすめさね。嬢ちゃんのは負けといてやるよ」
きっと笑ってお礼を言えた方が余程良いのだろうけれど、それは出来なくて頭を振った。
「いや、ちゃんと払いますから」
あれよあれよと会計に連れて行かれ、デニッシュの分を受け取って下さらない主人に困っていると、またフォーサイスさんが声をかけてくれた。
「なら、テラスで頂こうか。店内の席のメニューにおやつセットってあったよね? その分受け取るって事で如何かな?」
彼の言葉に、店主はやれやれと言って、やっとお金を受け取って下さった。
「二階のテラス席に座ってな。あ、嬢ちゃんはストレートティーとコーヒーならどちらがお好みだい? 悪いけど、他は切らしててね。今、息子に急いでおつかいを任せた所なんだよ」
「ストレートティーで」
コーヒーは苦くて苦手だから、その二択なら前者しか無かった。
パンを預かって貰い、彼の後ろからキシキシと家鳴りがする階段を登る。
お祭りだからかなのか、いつもこうなのかは分からないものの混み合う二階のテラスへの扉を開けて進むと、丁度二人分のテーブル席が目に入った。
彼の向かいに座し、目を彷徨わせる。
お礼を言わないと、助けて頂いたのだから。
焦れば焦る程に急に言葉が詰まる。
「悪い人じゃあないけど、少しああいう所がある人でね。悪気はないから、気を悪くしないでくれると助かるな」
そうしていると彼の方から話しかけて主人のフォローをして、また首に手を当てる。
それにただ頷くしか出来なくて、つい階下の人々を見下ろした。
近くの噴水広場で大道芸を見物する人集りや木陰のベンチで休むご婦人と犬が居たりと思い思いに過ごしている人々の姿を見て、ふと故郷の広場を思い出す。
「あ」
何とは無しに見ていた先に三つくらいの子が父親に肩車され傍らには母親らしい人が並んで仲睦まじく大道芸を見物姿が目に映った。
「……父はいつも家に居ませんでした。母も家の事や付き合いで居なくて、でもそんな二人が誇らしかった。でも、大きくなるに連れて見える世界が変わると違って見えました。あの二人を誇らしくなんて思ってはいけなかった。……如何して、母を引き留めなかったの? 如何して、母は貴方では無い人を選んだの?」
本能がそれ以上口を開くなと警鐘を鳴らす。
だけれど、口はスルスルとまるで自分の物では無いかのように吐き出した。
腹の底から出した事の無い、底無し沼のような自分の声が他人事みたいに聞こえる。
彼の瞳に映る私の目は、色が混ざって汚れた水みたいに澱んでいるような気がした。
やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ!
止めて。止めて。止めて。止めて。止めて!
「っ」
一刻も早く此処から居なくなってしまいたくて、当てなんて何処にも無いのに席を立ち小走りに扉へ向かう。
入れ違いに店主と目が合ってしまって思わず立ち止まってしまったけれど、留まりたくなくてまた外へ小走りに向かった。
「はぁ……」
完全にやってしまった……。
フォーサイスさんにどんな顔をして会えば良いのだろう。
「あら、もし? 貴女」
何処かで聞いた事があるような上品な声がして顔を上げると、フェリーでお会いした方の侍女の方がいらした。
木陰のベンチに座っていた私は急いで立ち上がろうとしたのを制止される。
「創造神がお産まれになられたこのような晴れの日に迷子の子猫ような顔をなされるとは、さてはお連れの方と逸れてしまわれたのですか?」
「いいえ。違いますわ。何方かと申しますと自分から一人になりたくて此処に……」
余計な事は話されずその方は、そそくさと立ち去られた。
気にかけて下さったのに、失礼な態度だったわよね。
塞ぎ込むようにどんどんと腿に顔が近づく。
「あら、そうされていると本当に子猫のようね」
ふと、また侍女の方の声がして顔を上げると彼女はカップを二つ手にしていた。
中にはピンクと白の二つのジェラートと創造神伝説によく現れる猫を模したらしいクッキーが添えられている。
呆気に取られていると、彼女は隣に腰かけて無言で一つを私に手渡した。
「私は主人がお戻りなられるまで一人ですの。貴女、カーティフのお生まれでしょう? お上手なロサ語ですが、少し訛っていらっしゃるわね。私もカーティフですのよ」
彼女がカーティフの生まれ?
まるで信じられない。
ロサ語は今や共通言語の一つではあるものの、貴族のイントネーションの習得となると話は丸っ切り変わってしまう。
尋常ならざる努力とセンスが要るから、学院でも貴族の子女はさて置き、庶民の生徒は先ず受講しようとはしない。
私も先生に推薦されていなかったら、受けようとも思わなかったくらいだ。
私は単位を貰えなかったけれど、彼女のイントネーションが、学院の先生方よりも美しい事は分かる。
きっと、私には想像もつかないような血の滲むような努力を為されたのか、はたまたロサの血筋のご家族が居られるのかしら。
「このジェラートは、ロサの象徴であるロサの白い花とウイミイのピンクの花を模しているのですわ。ロサとウイミイが元は別々の国である事はご存知ですか?」
「百年前にウイミイがロサの傘下に申し出たと、習いました」
私の話に頷かれた侍女の方は、手元の白いジェラートをスプーンで示す。
「例の事件で齧られたチーズのように今は何処も人口が減っていますが、それとは別の事です。百年前のウイミイの姫君がロサの第一王子に恋なされたのがきっかけだったとか。今や御伽話しのようなもので、真実を知るものも王宮には居りませんがね。その仲睦まじいお二人に肖ってロサでは祭りには欠かせないものになっているのですよ」
学院の先生方も仰らなかった事だわ。
初めて知る事に心が少し浮足立つ気配がした。
「ふふっ。少しは明るい顔になられましたわね」
「あっ、えっと、お気遣いありがとう存じますわ」
私の礼に彼女は頷き、ふと空を見上げられた。
「貴女くらいの方だと、ロサの寒波はご存知ないかしら。十年以上前にロサ一帯の空を異常な寒波が覆いましたの。その際に人々の為に尽くされた方々を女王陛下が叙勲する事をお決めになられました。その中の一人にこの島のエルフの殿方が居られだのだけれど、我が主人はその方の叙勲式のパーティーで一目ご覧になった際に電流が走ったそうでしてね」
エルフの殿方と仰られて脳裏に過ったのは彼だけだった。
思わずスプーンを手にしていた手が止まる。
この島にエルフの殿方が他に居らっしゃるか分からないから決めつける訳にはいかないわよね……。
「少し前の観光誌には、宙を散歩する男なんて名物扱いされていらした方なのですが、その記事は主人が出版社に消すように命じたからもう無いかしらね。……貴女は分かるかと思いますが、身分差がありますでしょう? それに、エルフと人では寿命も違いますわ。それでも、若くして未亡人になられた主人は仰るのです。別にどうこうなりたい訳では無いのだと。ただ一目見たら幸せなのだそうです。私には理解し難いですが、その方に恋されてからというもの。この日の祝祭の日だけは、主人は一目また見えるないかと使用人も付き添わせないで歩かれるのが毎年のお決まりなのです。年頃の貴族の子女の間では、切ない恋物語だなんて言われているようですがね、その所為でご子息が未だにフィアンセの一人も居られ無い事をそろそろ危惧して頂きたいものですわ」
万に一、もう一人似たようなことを為される方がいらっしゃらない限りはフォーサイスさんで決まってしまいそうだわ……。
困ったように、だけれど何処か羨ましそうにそう仰る彼女は、ゆっくりと私を見る。
「見知らぬ女の独り言と聞き流して下さいましね。それにしても、貴女マナに好かれておいでですけれど、マナ使いではいらっしゃらないの?」
彼女の長い独り言については、素直に頷きつつ、マナに好かれるという聞いた事が無い言葉に目を瞬かせた。
……マナに好かれる?
半分程になったカップの中身や自分の服を見渡すと、彼女はクスッと笑った。
少なくとも、簡単には目に見えるものでは無いらしい。
「私はマナ使いの端くれですが、そのようにマナに好かれる方を見たのは人生で二回目ですわ。もし、ご興味がお有りなら今からでも遅く無いですから、マナ使いになってみるのも宜しいですわよ。ロサのマナ使いも人手不足ですからね。王宮だろうと何処だろうと直ぐに雇われましょう。さ、私はそろそろお暇しますわ。貴女も、暗くなる前にはそのお連れの方の下へお戻りなさいね。ごきげんよう」
フェリーでお会いしたご婦人がにこやかに此方に向かってくるのを目にした彼女は、自分の空のカップに白く光る翅をつける。
そうして主人であらせられるご婦人のように、見事なカーテシーをして見せると、背を向かれた。
カップがひとりでにゴミ箱へ向かうのを目でついつい追ってしまっている内に、彼女たちは人の波の中に混じってしまい見つからなかった。
また、お礼を言いそびれたわ……。
「……そうよね。私がマナ使いになろうとなかろうと、もう怒られないのだったわ」
当たり前の事に今更気がついた。
「遅くなっちゃった……」
もう日が暮れてしまった暗い道を早足に進む。
えっと、確かこの先が近道だったわよね。
上手く話せなくともせめて帰宅した事は伝えないと、きっと心配させてしまっているわ。
背の高い殿方とすれ違い、危うくぶつかりそうになるのを免れて曲がり角の階段を急ぐ。
気が急く所為で今度は目の前の方が見えていなかった。
石畳の硬さが手のひらに伝い、じりじりと痛む。
チラリと自分の手を見ると、手のひらを擦りむいたらしい。
「すみません。急いでいたもので」
ゆっくりぶつかってしまった方を見て、体が硬直する。
見るからに危険な方々たちだわ。
近くの民家の明かりで照らされたナイフが光り、目元をスカーフで隠した男たちが、私を値踏みするように見下ろしていた。
「おい」
リーダーらしい男が私に近い男に顎で指示すると、私の手首を有無言わせぬ力で引き寄せる。
「だ——」
叫びそうになった私をもう一人の男に口元を押さえられてしまった。
カタカタと震える体を下卑た笑いで見下ろす彼らに、もうダメなのだと思った刹那、それは走った。
札のようなものが、彼らの額に真っ直ぐに当たるとまるで正気を失ったかのように私を拘束する手が解かれる。
その反動でまたよろけた体が今度は石畳では無く、柔らかく少し埃っぽい誰かの胸板に支えられた。
「間一髪でしたね。もう大丈夫ですよ」
月明かりに照らされた真っ黒な髪が戦ぎ、僅かに黒みがかった深く鮮やかな赤い目と目が合うと優しく微笑まれた。




