エピローグという名の、Fの日常の話
急に日差しが部屋に広がり、微睡みから無理やり現実に引き戻される。
「眩しい……」
「もう昼だぞ」
ノックも無しに、いやノックはしたのかも知れないクラウス君が僕の毛布を奪い取り、叩き起こした。
古い家だからコツさえ知っていたらこうしていとも容易く侵入されてしまう。
まあ、そのコツを知っていて且つするのはクラウス君くらいだけど……。
「僕は今日寝て過ごすの。寝かせておくれよぉ〜」
奪われた毛布を取り返そうと手を伸ばすと、そのままベッドから下ろされてしまった。
生温い床の温度が肌に伝い、仕方なく体を起こす。
「人狼の嫁さんからマジカルフォンだ。フランシスに用だとよ」
呆れ混じりに息を吐いた彼は毛布を畳みベッドに置くと、それだけ伝えると何処かへ向かった。
人狼の嫁さん、ということはテューニさんの事かな。
クラウス君は頑なにラウルの事を人狼と呼ぶ。
仲が悪いというのとも違う気がするけど、理由は聞いていない。
一度聞こうとしたら暫く口を聞いてくれない事があり、それからは聞かないようにしている。
それにしても、テューニさんから僕になんて珍しいなぁ。
寝巻きのまま降りると、マジカルフォンを落とそうとしているローマーと目が合った。
「あ」
僕が話しかけるよりも先に彼は小さな四本の足をいっぺんに宙に浮かせ、目をまん丸にしながら走り去っていった。
日に日に猫らしくなってるなぁ。
フラットにやってきた頃は大人しい子かと思っていたけど、今や猫らしい猫だ。
「お待たせしました。テューニさん」
受話器を耳に当て話しかけると、向こうから硝子が割れる音とラウルの叱る声が聞こえて思わず受話器を遠ざける。
「少し待っていてね」
テューニさんの声がしたかと思うと、彼女の声音だけなら優しい声が遠くでして、暫くすると静かになった。
今頃、ラウルたちは顔面蒼白の事だろう。
「もう大丈夫よ。久しぶりね。フランク」
凛としたテューニさんの声が近くに聞こえ、受話器を近付けた。
「久しぶり、テューニさん。貴女から僕に用事なんて珍しいねぇ」
ラウルが暇さえあるとマジカルフォンをかけていたから、彼女から僕に用向きがあるなんて言われた事があるのは今日を含めて二回目くらいだった気がする。
僕がそう話しかけると、彼女は少し言葉に迷うように息を吐いたのが聞こえた。
「ラウルが貴方のお家に泊まってからね、少しもレイさんの事を話さなくなったのよ。それまではフランクの所なんて心配で仕方がないって、ずっと宥めても聞く耳すらなかったのによ?」
そう言われてみると、あの日先生に無理やり連れられて医院に行ったと思ったら、耳が垂れて帰ってきたなぁ。
それに帰りにレイちゃんに話しかけただけで、それ以外は話しかけすらしなかったような、そうでもないような……。
「先生に叱られたのかもね」
「ああ、ハンナが叱ってくれたのね。それなら、やっと少しは理解したのかも知れないわね、うちの夫も」
先生に叱られたかは分からないものの、あれだけ元気なく戻ったのだから何かしらあったのだろう事は間違いない。
先生の話をするとテューニさんは合点がいったらしく、明るい声音でクスクス笑った。
「何を?」
「年頃の女の子はむつかしいって事よ。プライマリースクールの生徒たちとは違うって何度言っても聞かないから、この間はずっと心配だったの。うちは息子三人で、娘を子育てした事はないし。うちの人、気遣いをしているつもりで逆の事をする人だから」
辛辣に自分の旦那さんの事を話すテューニさんに乾いた笑いが出る。
「レイさんに申し訳なかったわ。ラウルって、冷静になるまで止まらない所があるでしょう? あのままうちにいるくらいなら、いっそのこと貴方のフラットに住まわせた方が良いと思って送ったというのに。保障委員の申請書を自分が届けるなんて言い出したのだもの。思わず耳を引き千切ってやろうかと思ったわ」
思わず自分の左耳を隠した。
テューニさんならやりかねないなと思いつつ、ふと遠くから男の子の声がして彼女の優しい声音が聞こえる。
「一つだけよ?」
お菓子を食べたいとでも言ったのだろうか。
暫くして、テューニさんがまた話しかけた。
「ごめんなさいね。末の子がクッキーの缶を開けて欲しいって聞かなくて」
「気にしてないよ」
カンッと冷たい音が向こうからして、ギギッと何かを引きずる音もしたかと思うと軋む音がする。
近くでラウルの声がしたから椅子に座らせたのかも知れない。
「ところで、レイさんは元気にしてるの? そろそろウイミイ島も夏になるでしょう? また、レイさんの好きそうなお洋服を送るわね」
「この間も沢山送ってきたのにまだ送るの?」
レイちゃんの部屋がまた服まみれになりそうだなぁ。
この間も服を送られてクローゼットに入らないと困っていた彼女の服を、背丈が近い双葉ちゃんがちゃっかり分けて貰っていた。
「うふふ。女の子の服って見ていて気分が上がるから、ついつい買っちゃうのよね〜。それに、入り用なものがまだ沢山ある頃でしょう? 足りないより良いくらいよ。年頃の女の子だし、急に男の子とデートだってあるかも知れないでしょう? そういう訳だからまた送るって伝えてね。それじゃあ」
言いたい事を全て話ししたらしいテューニさんはさっさと切った。
この夫婦は本当に……いや、やめておこう。
二度寝の気分でも無くなったなぁ。
気を取り直して、顔を洗おうと洗面所に向かうことにした。
「ふぅ」
遅いお昼を済ませ、暇になった僕は日課の散歩をしに足に力を込めて宙を舞う。
今日は一段と蒸し暑いなぁ。
何となく港に向かいながら歩いていると、向こうから悲鳴を上げる聞き覚えのある声と猛スピードの人影が二つ見えた。
「きゃあああああっ!」
あれは……。
「はい。止まってねぇ〜」
目の前に降り、静止するとやはり小龍君がレイちゃんを負ぶっていた。
涙目で固まるレイちゃんが助けを乞うように僕を見上げる。
普段の強がりは其処には無く、素直に僕を頼るところを見るに、自分では如何にもならないらしい。
「こんにちは! フランクさん!」
「こんにちはぁ〜。小龍君にレイちゃん。二人は何をしていたの?」
ハキハキと元気に声をかけてくれた小龍君に微笑みながら、申し訳ないと思いつつもレイちゃんをマナで宙に浮かせて引き寄せた。
「足を痛めたレイさんを先生の医院にお連れするところで……フランクさん?」
急に彼女を奪われたと思ったらしい小龍君がずぶ濡れになった犬のように見る見るうちに元気を無くす。
「早く医院に向かおうとしたのは偉いけど、レイちゃんが悲鳴を上げる速さはちょっと見過ごせないかなぁ〜」
レイちゃんを横抱きして、小龍君に注意すると蒼ざめて更に萎れたように項垂れた。
「次から気をつけようね」
「はい」
蚊の鳴くような声で頷いた彼は、故郷の礼をすると力無くフラットへ向かっていく。
「余計な事をしたかな?」
「余計じゃない。ありがとう。速過ぎてぺしゃんこになるかと思ったもの」
覇気の無い彼女の声に何と返したら良いのやら分からず、一先ず医院へ足を向けた。
「ウヅキさんにお休みを貰ったの。今度の休みに一度戻ろうと思う。ちゃんと、お別れしてくるわ」
レイちゃんは、何処を見るでも無く町の人々が行き交うのを見ながら呟くようにそう言った。
此処に着てもう二月過ぎた。
彼女なりに心構えが出来たのだろう。
「そっかぁ。分かった。気をつけて行っておいで」
僕の言葉に彼女はミアによく似た、けれど彼女より大人びた笑みを僕に向けた。




