エルフは手を伸ばし、彼女はその手を取る
昼過ぎのフェリーは思いの外、乗客が多かった。
春のウイミイ島は、その島の名にもなっているウイミイという花が見頃だ。
きっとこの乗客の殆どが、そのウイミイを見る為なのだろう。
「たまには自分の貰ったものをフルに使うのも悪くないなぁ」
島の港が見えてきた海を見ながら、僕は手にしている鞄の中を見やった。
大丈夫、ちゃんとあるね。
多少の苦労の対価に、本土にいる知人の役人に手を回して貰ったもの。
本当なら一ヶ月か、長くても三ヶ月は必要な手間を省いて貰い、二つの片方の申請書をあとは役所に見せるだけで済むようにして貰った。
それにしても、この間の双葉ちゃんのお土産のお酒であんなにやる気になってくれるとは思わなかったぁ。
あのお酒をくれたクラウス君には、また改めてお礼をしないとかな。
あとは昔女王陛下から賜った爵位のお陰だろうなぁ。
昔、本土の民も島の民も販売されている火のマジックストーンでは火力が足らず、生きとし生ける全てが凍死しかねない寒波に遭った事がある。
その頃の僕はただただ寒いのが嫌という理由だけで、本来なら御法度の火力量の火のマジックストーンを勝手に作る事を決めた。
協会から追放されても良いから、一刻も早く温まりたい一心だった。
……人は適温で無いと、ああも簡単に正気を失えるのかと学んだのもその頃だっけ。
温まって正気に戻った僕は、のうのうと自分一人が凍えないのは如何なものかと、良心の呵責に苛まれた。
かと言って、また寒いのに逆戻りはしたくなかった僕は、パンや日用品を対価にご法度の火のマジックストーンを配る事を思いつき、堂々とさもルール違反はしていない体を貫く事にした。
本音としてはもう協会から追放されても良いと正直思っていたけど……。
それが功を奏したのか、見て見ぬふりをして貰ったのか、今も分からない。
ただ気づいた頃には、お咎めを貰う事も無いまま、女王陛下から騎士爵、なんて大層なものを賜っていた。
人の為に尽力したとされる僕や他の人たちが、王宮で叙爵された。
僕はただ自分が温まりたかっただけなのに、随分と立派なものを渡されてしまったことを未だに申し訳なく思ったりするけど、その度に知り合いになった貴族から貰えるものは貰えと背中を叩かれた事も思い出す。
一代限りのものではあるけど、今も王宮で知り合った役人の知人や貴族の人の家族とはたまに話しをする事がある。
彼ら彼女らとしても、マナ使いは貴重らしく、未だに僕を引き込みたいのか、たまにパーティに誘われたりする。
だけど、僕は興味が無いからたまにしか顔を見せない。
ただ、こういうちょっとした無茶に目を瞑って貰うには丁度良い人脈だったりするから、程々に付き合いが必要なのは困るところだ。
まあ、今回は貴族の彼の所に行く必要が無くて良かった。
彼の所に行くと、最悪一ヶ月は泊まらせられるし、事ある毎に貴族のご令嬢を嫁にしないかとか言うし……。
一介の庶民の家に貴族の娘さんを嫁がせようとしない限りは、ただの気が良い人なのになぁ。
「ウイミイ島にまもなく到着します。お客さまはご着席の上、今暫くお待ち下さい」
やっとか。フェリーよりやっぱり僕はテレポートの方が好きだなぁ。
チケットを買わなくても良いし、目を閉じていたらあっという間に着くし。
制限さえ無かったら、今頃もうフラットなのに、此処からまたマナを使うにしても直ぐに着かないのがもどかしい。
……さて、レイちゃんは如何したいって言うかな。
帰ったら、今度こそ腹を割っての話し合いだ。
事前にクィンさんかクラウス君が手を回したのだろう。
戻った頃にはラウルとレイちゃん、それからレイちゃんのケアの為に先生がリビングに居り、その他の住人は留守らしかった。
其処までせずとも、もう防音はきちんとされているから余程の大声で無いなら聞こえないのになぁ。
「おい、小僧。二日も本土に居たらしいな。お前の事だ。大層なあの肩書を使ってきたのは分かる。だが、借りは作ってなかろうな?」
何から話そうか迷っていると、先生が僕の鞄を見ながら口を開いた。
その大層な肩書、先生も貰ったでしょ?
なんて言える訳も無く、僕は素直に頷いた。
「勿論。貸し借りなしでちょっと申請書を作って貰ったよ。僕だって、本土の彼らに借りは作りたく無いからね」
鞄から二つの申請書をテーブルに置く。
片方にはラウルの、片方には僕の名前がある後見人の申請書。
これを役所に届けたら、晴れて彼女は宙ぶらりんだったウヅキさんの店で雇って貰えるだろう。
サインは勿論、僕らの片方が書いてしまったら良いのだから。
「さて、レイちゃん。もう知ってしまった君は、もう一度僕らの口からミアのことを聞きたいかい?」
ラウルはずっと言葉を選ぶように唸るばかりで話にならないので、僕から眼前の彼女に問いかける。
その問いにラウルは怒ったように牙を見せたものの、直ぐに先生に殴られてキャインッと鳴いた。
音よりも痛かったらしく、悶えるラウルから先生に目を向ける。
「先生……」
「駄犬を躾けただけだ」
駄犬だなんて、昨今の人狼に言ってはいけない言葉の上位に食い込むワードをさらっと言い放った先生は踏ん反って、顎で先を促した。
先生の発言にあっけに取られていたレイちゃんは、彼女に促されおずおずと口を開く。
「要らない。二度も聞きたくない」
蚊の鳴くような声の彼女の返事に頷き、僕は次の質問をする。
「君はあと二年。つまり、18になる迄大人に後見されないとならない。これはロサの法にも、君の故郷のカムリの法にもある。まあ、真面に守らない人の方が今は多いらしいから、それこそこの申請書も出さないでも良いのだけど。レイちゃんはウヅキさんの店での雇われるには要る申請書だ。ここ迄は大丈夫かな?」
僕の呼びかけにレイちゃんは小さく頷く。
弱々しくも、自分の意思で選ぶ意思がある目をしている彼女に微笑み、指を二つ彼女の前に示した。
「君には二つ選べる道があると僕は思っている。一つ、このまま二年やり過ごす。但し、保障委員会からの毎月貰うお金で生活出来るようになるまでラウルの仕送りで生活することが条件だ。ウイミイ島にも一見真面に見えてその実、治安の悪い店はあるから、事件に巻き込まれない為にも守って貰うよ。二つ目、僕かラウルの何方かを後見人にして、自立する為にウヅキさんの店で雇って貰う。何方にせよ、保障委員会からは毎月それなりの額が貰えることは確定しているから、レイちゃんのしたい方を選べば良いと思うよ」
僕の示した二つに先生も頷いた。
「妥当だな。小僧にしては随分と真面なものを用意したものだ」
僕が置いた申請書を流し見しながら先生は頷いて、ちらりとレイちゃんを見やる。
やっと痛みが引いたらしいラウルも、気が気でないらしく彼女を見て声をかけまいか迷っていた。
そんな二人から見守られながら、僕を見てから彼女は少し考え込むように俯く。
少し急ぎ過ぎたかなぁ。
でも、ラウルもずっとは居られないし此処は頑張って貰わないとだよね。
「後見人の方、選びたい……です」
彼女の返答に、少しホッとしたようにラウルは息を吐いた。
対して、先生は急に居住まいを正してレイちゃんに集中し始めた。
「レイ。お前くらいなら後見人無しでも雇ってやる、と言ってもその返事は変わらないか?」
「おい、ハンナ」
話しを遮るようにラウルが身を乗り出して、それも先生が無理やり座らせる形でその先を話させまいと塞いだ。
「小僧の案は真面だが、もう少し選ぶ道があっても良かろう。丁度人手が足らんから、お前が手伝うというなら雇ってやる」
先生の示した三つ目の生き方を耳にした彼女は、ゆっくりとしかしはっきり首を振る。
「私はそれを選ぶと、多分……同じになる気がするから。そのお誘いも嬉しいですけど、私は自分で選んで生きたいです」
「分かった。だがな、お前はお前だ。……亡霊になぞ自分をくれてやるなよ、レイ」
彼女の返事に先生はそれだけ話すと居住まいを崩し、また踏ん反った。
同じになる、はミアを思い出したのか、もしかすると僕が知らないレイちゃんのお父さんのことか。
何方にせよ、先生の言うように彼女たちと彼女は別人だ。
気にし過ぎても良くないものだろう。
「はい」
一言返事をした彼女はぎこちなさはあるもののやっと見せてくれた笑みに、僕もようやく少し安心出来た気がした。
二つ目の曲がり角を右に、その先の小道に入って五つ目の建物、っと。
見やすく美しい字のメモを手に、すっかり日暮れの町中を歩いていると、ブラックボードにオープンと書かれた建物を見つけた。
「此処かぁ」
若葉色の外壁に真っ白な扉の中央のガラスから差し込む店内の温かな光が足元を照らす。
下戸には気後れしてしまうお店の雰囲気に、たじろいだ。
いや、モクテルもあるって聞いたし、一度くらいは入らないと……。
いや、でもなぁ……。
そんなこんなで店前で唸っていると、急に扉が開いた。
「フランク?」
白いシャツに黒のベストのお店の制服を着たレイちゃんが目を丸くした。
彼女に見つかり、しどろもどろになりつつ何とか呼吸を整える。
「やっ、やあ。今入れそうかな?」
「うん。丁度、一席あるよ」
ぎこちない笑みを向けると、彼女は可笑しそうに笑い扉をより入り易くしてくれた。
引くに引けなくなった僕は意を決して入店すると、涼やかなドアベルが鳴る。
ウヅキさんの言っていた印象より広く、店内のカウンターに店主のウヅキさんがシェイカーを片手にお客さんと会話に花を咲かせている所だった。
レイちゃんにカウンターに近いテーブル席に案内され、座るとメニュー表とお冷を置いてくれた。
「モクテルとソフトドリンクだけのお客さんもいるから、好きなの注文して。一品分はサービスするよ」
あっ、パスタもある。
思ったより豊富なメニューに呆然としていると、彼女の口から出た言葉に咄嗟にメニューから彼女へ目を向けた。
「いやいやいやっ! 僕、こう見えてもちゃんとあるよ?」
僕の返事が気に入らなかったのか、途端にレイちゃんは半眼になり見るからに怒っているような、拗ねたような顔をして見せた。
そんなやり取りが面白かったのか、向かいのカウンターのお客さんたちが急に大笑いした。
「兄ちゃん。そりゃあ無いだろうよ」
一番年長らしい日焼けした男の人が僕に話しかけてきた。
「えぇ? 僕が悪い話でしたか?」
何も分からず彼に問いかけると、彼はカウンターに肘をつきケラケラ笑う。
「兄ちゃんにサービスしたいって言った、レイちゃんの心意気を台無しにしちゃあなぁ? なぁ?」
お仲間らしいカウンターの他のお客さんに同意を求めた彼に、賛同するように彼らもうんうん、と頷いた。
「たまには若いモンのしたいようにさせてやるのも、大人ってモンだぜ? 兄ちゃん。今回はこの俺、イーサンに免じてサービスして貰いな」
ふと、見覚えのある顔だなと思っていた彼が名乗ったことで思い出した。
あ、この人ハンス君のお嫁さんのお父さんだ。
「ああ、ええと。それじゃあ、サービスされます」
僕がちらっと彼女を見上げると、満足そうに笑みを見せ、注文を取らずにカウンターの向こうへ行ってしまった。
「あ、注文は?」
蚊の鳴くような声で、消えてしまった彼女へ問いかけるも返ってくる事はなく、代わりにウヅキさんがカウンターから声をかけてくれた。
「レイさんもまだまだですわねぇ。フォーサイスさん、宜しかったらおすすめを作らせて下さいな」
「あ、えっと、詳しくないのでお任せします」
彼女にお任せすると、ウヅキさんはオレンジやパイナップル、レモンを取り出しカットしていくと、爽やかな香りが店内に漂った。
暫くすると、オレンジの香りがする見た目はオレンジジュースのようなものが出された。
「アッシェンプッテルでございます。アルコールは一切使っておりませんのでご安心を」
どうぞ、と出されたグラスを傾けて、そっと口に含む。
甘くて酸っぱい爽やかな味が口内に広がった。
「美味しい」
ぽつりと口を吐いて出た僕を見た彼女はにっこりと笑む。
「どうぞこれからもご贔屓に。さぁさ、レイさんのパスタも召し上がって」
レイちゃんが戻って来るなり、厚切りベーコンがたっぷりのカルボナーラパスタを置いた。
「わぁ! 美味しそうだね」
ふーふーと息を吹きかけ、フォークで一巻きしたパスタを口にする。
ベーコンの脂がジュワッと広がり、そこに濃いチーズを始めとしたソースが合わさって口の中が幸せで満たされていった。
「美味しい」
ついつい口元が上がってしまう。
パスタも程よく硬くて好みの具合だ。
「レイさん、ずっと賄いで頑張ってらしたものね。私も自分の事のように嬉しいですわ」
「店長! その事はっ!」
話しを遮るように声を裏返したレイちゃんの焦る素振りに、ハッとしたウヅキさんは口元に手を当てた。
この味は如何やら一朝一夕の出来では無いらしい。
そうだよね。この味はそう簡単に出来るものでは無いもの。
きっと、このパスタを食べたお客さんは全員そう思うだろうなぁ。
自立の為に頑張ってるんだねぇ。
「良いじゃあねぇか。頑張りをひた隠すよりか堂々と言っちまいな!」
「ひた隠すとかそういう訳じゃなくて、その……」
イーサンさんが陽気に笑いながらそう言うと、レイちゃんは上手く言えないのか口籠もる。
彼女の前に立ち、ウヅキさんはカウンターに戻る途中でイーサンさんの近くに寄り腰に手を当てた。
「乙女には乙女の思いやペースがありますのよ? ミスター」
「おっと、そいつァ悪いことをしたな。ははっ。ウヅキの姐さんに叱られちまったし、これ以上余計な事を言っちまう前にお暇するかねぇ」
イーサンさんがお仲間分のお代を渡すと、陽気に彼らは帰って行った。
「ありがとうございました」
にこやかに見送ったウヅキさんは入れ違いに入店したお客さんの応対に戻り、レイちゃんも僕に小さく手を振ると戻った。
ひっきりなしにお客さんが入るのを見ながら、ゆっくりと食事をする。
レイちゃんもちゃんと働いているし、ウヅキさんたちとも上手くやっているみたいだ。
「大丈夫そうだね」
無邪気な笑みを見せるレイちゃんの姿に今度こそホッとした。
「眠い……」
満腹になった眠気に少しふらつきながら屋根を歩いていると、向かいからもの凄い速さの人がやって来て、今までの眠気が何処かへ消えた。
「おっとっと! あっ、フランクさん。お帰りですか?」
ぶつかる寸前に止まったらしい聞き覚えのある声に、閉じていた目を開く。
小龍君が何のマナも使わずに目の前に居た。
……吃驚したぁ。不審者か、潜りのマナ使いかと思った。
「やっ、やあ。小龍君はこれから用事?」
「はい! レイさんを迎えに向かう所でした!」
満面の笑みで頷く彼はそれだけ言うと彼の故郷の礼をして、直ぐにまた猛スピードでレイちゃんの店へ向かって行った。
……この間、迎えは要らないって怒られて無かったっけ?
まあ、良いか。まだ島の道には詳しく無い彼女には丁度いいだろう。
ふと、フラットへ向かう道に猫が歩いているのが見えてそこまで宙を舞う。
暗がりでよく見えなかったけども、近づくと彼である事が分かり声をかける。
「やあ、ローマー。君も帰りかい?」
クィンさんが命名した猫の名前。
彼は気に入っているのか如何かは分からないものの、そう呼ぶと此方を見上げた。
「今日は良いことはあったかい? 僕はね、あったよ」
にこりと彼女に宛てたメッセージカードの裏に書かれたお店の道順を一撫でして、彼に微笑む。




