エルフと少女と猫は町を歩く
彼女が入居した昨日から、七曜表に印を付けるようにした。
彼女、オーレリアちゃんは未成年らしく、少し前に16になったという。
僕と元彼女の事を知る友、正直友と言いたくはないな。
知人、うんいいね。
知人のラウルから聞いていたように、とても大人しい子というのが第一印象。
ああ、でも彼女が嫌がる事があったな。
彼女は自分の名を嫌っているらしい。
オーレリアちゃんと呼ぶと嫌がり、自分をレイと呼ぶように言った時は少しヒステリックになりかけていたように思う。
一年前に書いたきりの日記に久しぶりに今日の事を軽く書き留め、筆をおいた。
如何してかな?
「きゃあっ!」
丁度日記に書いていた彼女の悲鳴が階下からした。
古い家だから多少何かが入り込もうと可笑しくは無いけど、変だな。
あの子の部屋はわりとしっかり虫除けとか、ハーブを置いたのに。
扉を開けると向かいの部屋のクラウス君も出て来ていた。
「おい、フランシス。虫除けしなかったのか?」
同じ事を思っていたらしい彼の烏のような髪は少し湿っていて、湯上がりらしい。
雲一つない空のような目を此方に向けた彼の瞳には、ありありと呆れの色が映っていた。
「いやいや。ちゃんとしたさ。クィンさんに再三見て貰ったし、クロエさんにも見て貰ったの知っていて、それを言うのかい? クラウス君」
「クラインと呼べ。レイには素直に呼べて、俺にはしないのは嫌がらせか? ったく」
食い気味に呼び方を訂正させたいクラウス君の言葉は聞き流して、階下へ急ぐ。
ああ、今日はクィンさんが居なくて良かった。
お小言が二人分になる所だったよ。
「何かあったのか」
クラウス君の声に扉の近くから中を見ていたクロエさんが困ったように僕たちを見た。
「ああ、クライン。それがね」
言葉を選ぶように頬に手を当てたクロエさんが中にまた目をやる。
それに倣って、僕たちも中を見ると、レイちゃんの夕暮れの空のような髪が床に広がり、床に寝そべった彼女の上に一匹の猫がいた。
彼女の上に座ったまま鼻をひくつかせ、僕たちのこともさして気に留めていないらしいその子の下からレイちゃんが苦しそうに此方を見た。
「すみません。この子、降りなくて助けて下さいませんか?」
「入るぞ」
茶や黒が入り交じった毛の長毛の猫の脇に手を入れて、クラウス君が抱っこをしようとしたらチーズみたいに伸びた。
おや、見た目よりも大きいな。あ、お腹は白いのか。
もしかすると、クロエさんの身長よりもあるかも。
脱力してなされるままの猫を床に置いたクラウス君が、今度はレイちゃんの手を取る。
「レイ、お前の猫か?」
立ち上がったレイちゃんにクラウス君は足元を歩く猫を見やりながら訊ねた。
「いいえ。その……荷物を開けようとしたら中から出てきて」
あまり変化のないレイちゃんの声音が明らかに戸惑っていて、本当に知らないようだった。
「かわいい子ね。よしよし」
いつの間にかクロエさんの若芽色の長い髪に鼻をひくつかせ、猫は大人しくその小麦色の肌の彼女の腕に抱っこされていた。
クロエさんが抱っこすると、小さな子が猫を抱っこしているみたいに見えるなぁ。
とても本人には言えないけど。
「フランシス。この子、どうしましょう?」
ふと猫のヘーゼルの目と目が合う。
値踏みするような、問いかけるような目。
町の中なら多分家は広い方に入る。
庭もあって、クィンさんが始めた畑もある。
一応お金も毎月入るし、自分でもやろうと思ったら大きめの仕事を貰ってまとまったお金も入る。
責任はあるものの、まあ、迎えられなくはないよね。
アレルギーのある住人も今は居ないし。
「どうしようね。猫の入居者かぁ」
僕の言葉に猫はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「お前なぁ」
クラウス君は僕の暢気な発言に呆れ、溜め息を吐く。
「この荷物はレイさんのご家族が?」
「いえ、お世話になったお家のご夫人がご厚意で服を送って下さいまして」
クロエさんの言葉にほんの少し硬直したレイちゃんは、落ち着いているものの少しけんのある声で答えた。
昔と違って、少しは人の雰囲気の違いが分かるようになってきたなぁ。
自分の成長にしみじみ思っていると、一階からマジカルフォンがけたたましく鳴った。
「クライン君」
「俺は都合の良い男にはならんからな」
原因が分かって一旦お開きの気配になったからか、クラウス君は僕にあかんべえをしてからさっさと部屋に戻った。
「フランシス? そろそろマジカルフォンくらいは使えるようになりなさいな」
クロエさんの呆れた声を耳を塞いで聞こえないふりをする。
「……マジカルフォンを使えない?」
「彼ね、新しいものが苦手なのよ。毎日の空の散歩と原理は同じなのによ? 信じられないわよね」
信じられないものを見るかのように僕を見て唖然とするレイちゃんに、クロエさんが説明した。
「いやいや、マジカルフォンにはマジックストーンが付いていてそれが動力だから。僕はあれ要らないから」
「つべこべ言う前に行ってらっしゃい! 猫ちゃんは預かっておくから」
グイグイとドワーフらしい力に負け仕方なく、本当に仕方なく今も五月蝿いマジカルフォンに向かうことにした。
三つしか違わないのに、こう何か逆らえないのは如何してなのかなぁ。
年下の彼女たちが猫に夢中になっているのをちらりと見てから仕方なしに階下へ下る。
「はい。フォーサイスです」
光沢のある木目の円形の台にダイヤルがあり、その中央の木目とゴールドの調和がとれた受話器を手に取って溜め息交じりに話しかけた。
「おっ、フランク」
向こうの声に僕はさっさと受話器を置く。
直ぐにまたけたたましく鳴り、仕方なしに手に取る。
「いきなり切るったあ、うっかりさんめ」
「あー、うん。ラウル、もう21時過ぎだけど、何の用事?」
ガハハと笑う友人、いや知人に問うと彼は唸り声を上げて急に真面目な声音になった。
「あー、オーレリアは着いたよな? あの子からもマジカルフォンは貰ったが」
「え? うん。ああ、そうだ。テューニさんの送った荷物に猫も入ってだけど、君の家の子?」
言いにくいことなのか、嫌にいつもの明け透けな物言いをしないラウルに、先程の猫について話すことにした。
「猫? すまない。野良が誤って入ったのかもな。やれやれ、最近のブラックキャット社はサーモも真面に見れないとは嘆かわしいな。運送テレポートでミンチになったら如何するつもりだ」
「まあ、元気みたいだし。明日、先生に診て貰うよ。それで? 君がそんな言い辛くて且つ僕の嫌いなマジカルフォンを使った急ぎの知らせって何さ」
猫が元気だと分かると、少しホッとしたように息を吐いた。
「大分分かるようになったなぁ、お前も」
まるで久しぶりに会った子供のような言い方にイラッとして、受話器を置こうとしたら、向こうにも伝わったのか焦ったように話しかけてきた。
「待て待て! 話すから!」
「はいはい」
仕方なしに受話器を耳元に戻す。
心底安心したのか、ハァーと大きな溜め息を吐いたのが聞こえた。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ。……ミアが今朝、亡くなった」
音が消えた。
外の虫の声が止む。
「それは、伝えて」
「いるわけなかろう。俺とてその位の分別はある」
自然と声を潜め、しなしなと座り込む。
いつもはずけずけと話すのに、そこは流石に僕よりも長生きの生きる流れが違うことを分かっている人狼だ。
「何がきっかけかは分かっているの?」
「……酒浸りだったのは知っているな? つまり、その、ミアは喉を詰まらせたらしい」
酒浸り。レイちゃんも言っていたな。
夫を亡くしたからなのかなぁ。
別れてからの彼女を知らないし、もしかするときっかけは他にあるかも知れない。
「如何する?」
「フラぁンク、なぁにをそんなに暢気な……。明日は何をしようかなぁ? と同じ温度で話しとる場合か、全く」
呆れたと呟いたラウルは、真面目な声音であたかも目の前の子供に言い聞かせるように言う。
「真面目にな、フランク。その人の心が分からん能天気よろしくなまま、あの子を見守れるのか?」
彼の仕事場の、プライマリースクールの子供みたいに言うじゃあないか。
そんなに信用ないのかなぁ。
「多少の休みなら貰えるし、俺が迎えに行っても」
本当に心配なのだろうな。
今から来るとなると、テレポートなしで6日は要るのに。
しかも、フェリーは海次第だ。
それを分かっていて、言ってきている。
「そうは言っても、あの子って16でしょ? 大人みたいなものじゃないの? 君は以前そう言って僕を叱ったじゃあないか」
「……はぁ。まあ、ミアとは友でも、その娘からしたら身内でもないしなぁ」
何か言いかけて止めたラウルは、話しながら何かを考えているらしい。
今頃、ブラッシングした毛並みをグシャグシャにしているのだろうか。
「如何あれ、一度そっちには向かうからな。保障委員会に出す書類がようやく届いてな。オーレリアの分は出さないとならん。ったく、仕事が遅いのなんの」
「レーモ君の所は一枚岩じゃあ無いからねぇ」
たまに仕事で同行する知人は今日もまた胃を痛めているのかな。
「オーレリアの場合は、未成年だから向こう十年は何もしなくとも安定した金が入るだろう。まあ、申請してまた何ヶ月か待たにゃならんがな」
近々来るとなると、また部屋の準備をしないとならないな。
ラウルはよくくしゃみするから念入りにしないと。
はぁ。クリーンナップの式も覚えておいたら良かったな。
生活系の式の本って、図書館にあったっけ。
「まあ、一旦このことは伏せよう。今はオーレリアの心が大事だ。フランク、良いな?」
「うん、そうしよう」
フゥとまた呆れたように息を吐いたラウルの近くから誰かの声がした。
「ん、ああ。分かった、分かった。フランク、詳しくはまた。あっ、こら!」
彼の子供らしい声がして、そのまま何かが割れる音がした。
間もなくして、ガチャンと切れた。
胸に手を当てる。
何も痛まない。
悲しいと思う何かが少しはある気がしたのになぁ。
「それが空しいってことは分かるのにね」
カツンと音がして、顔を上げるとレイちゃんが炊事場に向かう所だった。
「お腹空いたの?」
流石に聞こえなかったと思うものの、ラウルの声は大きいから、心配になる。
「あの猫に水とササミをあげようかと思いまして」
出会った昨日から変わらない淡々と答える彼女は、眉一つ動かさない。
ああ、猫のことがあったっけ。
「保冷庫にある僕の買ったササミを茹でよう。クロエさんの分やレイちゃんのは使わなくて良いよ」
「ちゃんはやめて下さい。子供っぽいし」
少ししかめ面になった彼女に笑う。
「ええ? 僕はそうは思わないのに」
炊事場に向かいながらそう言うと、彼女はそれ以上は何も言わなかった。
色取取の住宅が並ぶ石畳を曲がると、やっと活気のある人々の声がし始めた。
「それにしても大人しいね。この子」
僕の鞄に入って貰った猫は、大人しく脱走する気配もない。
「そうですね」
おやおや? 会話ってこんなにむつかしかったかな?
坂が多いこの島は区画毎に高さが違うように作られている。
この曲がり角の階段を下りると、もう目と鼻の先だ。
近道は他にもあるけど、家からならこの道しかない。
「レイちゃんは、知っていて損はない近道だよ。ああ、でも帰りが遅いときはおすすめしないかな」
「盗人とか?」
先を降る彼女の言葉に頷く。
「それもあるね。治安が良い方とは言っても、全く居ないとも言えないのが悲しいところだね。ただ、そう言ったのには別の理由があるよ」
階段を降り切って、再び石畳を歩く。
「暗いのさ。この辺りは日暮れになると真っ暗になってね。町に要望は出してるけど、優先度は低いかなぁ。昔は星がよく見えていた分明るかったけど、今は日暮れでも町が明るいから。身の安全の為にも、守ってね?」
聞いているのかいないのか彼女は空を見上げた。
「さあ、この先の建物だよ」
鮮やかな水色の壁の家の扉に、オープンと書かれたプレートがかかっていた。
「先生〜」
草木の匂いが広がる室内は、木目の美しいアンティークのテーブルと椅子が二脚あり、眼前にはカウンターがある変わらない間取りだった。
「五月蝿いね。そんな大声で呼ばないでも耳は遠くないよ。エルフの小僧」
カウンターの向こうの扉から、美しい透き通った水色の髪をまとめながら、足で扉を開けた先生が出てきた。
僕が知らない女の子といることから、パチクリと瞬くと先生は次に猫に目をやる。
「おいこら、エルフの小僧」
「小僧小僧って先生は変わらないな。先生もエルフなのに」
何が用事か察したのか、先生は苛立たしげに猫を見ながら僕を呼ぶ。
「五月蝿いよ。お前みたいな青二才に呼ぶ名なんぞ無いわ」
「今日はこの子を診て貰うのと、彼女の顔合わせに」
手厳しい先生の前のカウンターに鞄を置いて、入口に立つレイちゃんを見る。
先生の気迫にあっとうされたのか目を瞬かせる彼女に、先生はじっと見てから、スッと椅子の方を指を差した。
「私は器用さにかけては町のワーストを競うくらいに悪くてね。悪いが、話はこの毛玉の後にしよう。そこに座ってな」
素っ気ないいつもの先生の話し方に、彼女は目を丸くして大人しく席に着いた。
「小僧。うちは四足歩行は診てないからな。責任は負わんからその積もりで居ろよ」
そう言うと先生は、一呼吸置いてから式を展開した。
円や四角が重なり広がって、猫を覆う淡く光るそれは暫くして消える。
いつ見ても素晴らしいな、先生の式は。
「こいつ、お前のか?」
「一応、その予定だよ」
先生は、何か気になるのか考えるように口を噤む。
「小僧、お前リボン作れるか?」
「式で?」
「それ以外に何がある」
念の為に聞いたのに何を言ってるんだと言わんばかりの顔をされてしまった。
仕方ない。
目でさっさとしろと促されては次は足が来そうだ。
ふと、目が合った猫の目を見る。
ヘーゼルの目の色に合うリボンか。
フォレストグリーン色の周囲をより暗い色でアクセントにしたリボンを猫の首に巻くように指をくるくる回した。
猫の危害にならないように式は書いたし大丈夫だろう。
「地味だな」
「先生、開口一番酷いよ」
僕の式を見守っていた先生は、リボンを見て早々気に入らないと言いたそうな目をしていた。
「体に病らしいものは無いし、至って普通の猫だ。少し気になる点がなくはないが、別に気にする程かと言われるとそうとは言えん位のだ。何かあったら、あとは小僧が対応しろ。さっ、次だ。待たせたな」
カウンターを歩き回っていた猫は飽きたのか、その場で前足を舐めている。
リボンを気にする気配もない。
やっぱり、猫らしくないような気がするなぁ。
もしかして元は飼い猫なのかな?
それなら、リボンを嫌がらないことも分かる気がするけど。
それでも、やっぱりちょっと猫らしくない気がする……。
港の猫たちならもっとこう、猫らしいような、荒々しいというか。
まあ、老猫なのかもなぁ。
「私はこの医院を営むヨハンナ・アルーンだ。町の奴らはいつも先生と言ってくるがな。何かあったら来なさい。そこの小僧よりは力になれる」
僕を指差した先生は、白衣に片手を突っ込んだままレイちゃんの方へ歩み寄った。
「オーレリア・アシュリーです。レイとお呼び下さると幸いです。一昨日から、フォーサイスさんのフラットに入居しました。よろしくお願いします」
椅子から立ち上がって名乗ったレイちゃんを見た先生が、僅かに眉をひそめる。
彼女の目を見て先生はふと思案顔になったと思ったら、直ぐに白衣のポケットから飴を一つ取り出して手渡した。
「よろしく、レイ。私のことは好きに呼びなさい。もし、体に少しでも気になることがあったら、何時でも来ると良い。多少の割引をして診てやる。ほら、お近付きの飴だ」
「あ、ありがとうございます。アルーンさん」
赤と白のストライプの包装をした飴を受け取った彼女は、戸惑ったように小さくお礼を言った。
「先生ー! 母ちゃんが倒れた!」
バンッと扉を開けて叫ぶように先生を呼ぶケット・シーの男の子が涙目で現れた。
「あー、今日は次から次へと来るな。お前の母は身重だったな。準備するから、待ってろ」
落ち着かないらしいケット・シーの子はそわそわと歩き回り、中へ戻って行った先生を待つ。
「これ、良かったら食べて。先生から貰った飴」
さっと、男の子の前に立ったレイちゃんが今さっき貰った飴を、彼に握らせた。
「先生の苺の飴だ。いいの? お姉ちゃんのでしょう?」
パッと明るい顔をした彼は直ぐにまた不安そうに彼女を見上げた。
「いいの。それを食べて元気を出して」
あ、笑った。
レイちゃんが微笑むと彼は元気に頷いて早速その飴を食べる。
「ほら、お前たちも出ろ。私は今から出張だ」
「あ、先生。早く!」
戻ってきた先生の手を引いた彼が先導するように扉を開け、急いで僕たちも出る。
猫も鞄に入らないものの、後から出てきて先生がクローズにひっくり返すと、二人は僕らを置いて向かってしまった。
「行っちゃったねぇ」
「無事だといいですね」
また大人しい彼女に戻ったレイちゃんが発した声に少し首を傾げる。
何か険のある言い方だったような。
まあ、勘違いかなぁ。
「あっ、パンが無いの忘れてた。買いに行くついでにおすすめの商店の場所も教えておくね。あっ、猫くーん、夕食には戻ってね」
「猫がそんな事言われて守ると思ってます? ああ、あんなに遠くに……」
いつの間にか、一匹好きに歩いていく猫に声をかけると、心底呆れたような目をした彼女が咎めるように言う。
まあ、それはそうだけど、あの子は守りそうな気がするんだよなぁ。
「大丈夫だよ。守らないときはリボンの式が発動するからさ」
気楽に返すと彼女は眉をひそめて遠い猫を見た。
昼が過ぎた町中はいつもと違い、少し人が多い印象だ。
建物の間にフラッグガーランドが並び、太陽の日の週一のマルシェのように店が並ぶ。
「おや、フランシス。歩きとは珍しいね」
顔見知りの日用品店の主人が、軒先から出てきて声をかけてきた。
「やあ。たまにはね。これからパンを買いに向かうところさ。ところで、今日って何かあったっけ?」
にこやかに話しかけると扉を開けて中からクィンさんが出てきた。
「フランク。君、七曜表に印をつけるだけになっていませんか? 今日は誕生祭でしょう」
誕生祭。
ああ、この世界を作ったとされる神の誕生を祝う日だっけ。
「やれやれ。フランシスは変わらんね」
呆れたように首を振る店主に、クィンさんは僕を見ながら鼻で笑った。
「これでも以前より気にするようになっただけ成長しましたよ。まあ、まだまだですがね。おや、レイさんと居られたのですね」
僕の近くで物珍しそうに見ていたレイちゃんがクィンさんの声に振り返る。
「はい。猫を診て貰いにアルーンさんの医院に」
「猫?」
昨日はクィンさんは娘さんの泊まるホテルに部屋を取っていたから知らないのか。
僕をじろりと見てから、レイちゃんに微笑む。
「私の荷物に入っていた子です。今は、その、散歩中ですが」
言葉を選びながら話す彼女に、店主が間に入った。
「ああ、フランシスのとこの新しい住人さんか。そしたら、ちょいと待ってな」
店主が何か思いついたのか、中に戻り三人で目を見合わせる。
「ところで、小龍君を最近見ないけど知ってる? あとは双葉ちゃんと彼だけ顔合わせして貰ってなくてさ」
「はぁ。フランク、物忘れは流石に早くないか? まだ40そこらでしょう、君」
あり得ないものを見るかのように、クィンさんは呆れた声で言う。
エルフからすると、先生の言うように小僧だろうから、若いけどもそれって関係あるかなぁ。
あれ? 何か言われたっけ。
「彼は本土でサーカスの手伝いをしてくると言っていたでしょう。今日か明日には戻りますよ。フェリーが出ないアクシデントが無いならいつものようにね」
ああ。言っていたような?
ピンと来ない僕に呆れたクィンさんは何も言わずにレイちゃんに向き直った。
「入り用な物もお有りでしょう。今日はいつもより良い品もある、見て行かれると宜しい。では、お先に失礼」
にこりと笑み、クィンさんは家の方へ向かって行った。
「待たせたな。良かったらこれを貰ってくれ。ああ、お代は要らないよ」
中から戻った店主が何かの包みを彼女に手渡した。
「えっと、これは?」
「うちの取引先の工場の若いもんが作った皿さ。ブラックキャット社もフェリーも、最近は制限があるからな。日用品が少ないかと思ってな。若いが将来有望な奴でね。気に入ったら、また買いに来てくれ。フランシスもまたな」
言いたいだけ言ってさっさと店に戻った店主に返事を言う暇も無く、僕は閉じた店の扉をただ見つめた。
いつにも増して言いたいだけ言って戻って行ったなぁ。
「……かわいい」
包みを開いて見た彼女の近くに寄って覗くと、水色と黄色が目を引くまるですくすくと育つレモンのようなハンドペイントがされた皿だった。
切ったバゲットが二つは置けそうな位かな。
「良かったね」
「は、い」
微笑み話しかけると、彼女は少し言葉に詰まったように頷いた。
まただ。
何か気になる事があるのかな。
そうは思うものの、何と問うたら良いのやら分からない僕は、パン屋への足を向ける。
「さあ、パン屋さんへ行こうか」
「あ、はい」
ぎこちない僕に彼女は後からついて来てくれた。
祭りの高揚が肌に伝わるなか、僕は真っ直ぐにいつものパン屋の扉を開けた。
「レイちゃん、お先にどうぞ」
先に彼女に入って貰い中に入ると、焼き立てのパンの香りが鼻いっぱいに広がった。
ふあぁ、いい匂い〜。
トレイとトングを手に店内の商品を見る。
バゲットはマストとして、何かつまむ物が欲しいなぁ。
「レイちゃんも欲しいのがあったら言ってね。今日は僕が払うからさ」
胸を張ってそう言うも、彼女はふるふると首を振る。
「いえ、自分の分は自分で出しますから」
ん~、双葉ちゃんならこういう時は全力で乗ってくれるのになぁ。
難しいなぁ。
「誰かと思ったら、フランシスか。あんた、ついにいい人が出来たのかい?」
明らかに面白がっているパン屋の女主人の方を見やる。
全くこの人は、いつもゴシップが好きなんだから、もう。
「うちに新しく入居した子だよ。双葉ちゃんや小龍君と来た日も言ってきたよね? もう、僕にゴシップを求めないでよ〜」
「あんたに浮いた話の一つでもありゃ、アタシが良い酒飲めるからね、そりゃしつこく言うってもんさ」
ケラケラ笑う彼女の声に、急に彼女は体を強張らせた。
……あ、お酒の話か。
それは察せた僕は、別の話にする。
「ねえ、今日のおすすめのパンはない? このあとのお八つに良さそうなの」
まだ話そうとする彼女の声を遮るように声をかけると、気付いてくれたのか彼女もそれ以上は言わずにカウンターから出てきた。
「そうさね。なら、今朝いいさくらんぼが手に入ってね。そいつで作ったデニッシュなんてどうだい? 嬢ちゃんは甘いの平気かい?」
艶やかなさくらんぼが贅沢に三つも乗ったデニッシュがガラスの保冷庫に入っていて、あと三つしか無かった。
「あ、甘いのは好きです」
「そしたら、こいつがおすすめさね。嬢ちゃんのは負けといてやるよ」
「いや、ちゃんと払いますから」
あれよあれよと会計に連れて行かれたレイちゃんの後ろに並び、困ったようにデニッシュの分も出そうとする彼女からそれ以上受け取らずに、僕の分の会計をしようとした彼女に声をかける。
「なら、テラスで頂こうか。店内の席のメニューにおやつセットってあったよね? その分受け取るって事で如何かな?」
僕の発言に、店主の彼女はやれやれと言って、レイちゃんから素直にお金を受け取った。
「二階のテラス席に座ってな。あ、嬢ちゃんはストレートティーとコーヒーならどちらがお好みだい? 悪いけど、他は切らしててね。今、息子に急いでおつかいを任せた所なんだよ」
「ストレートティーで」
彼女の返答に頷き、店主にパンを預けて二階へ向かう。
キシキシと家鳴りがする階段を登ると、祭りだからかいつもよりも混み合っていた。
テラスの一角の席に座り、向かいに座った彼女は目を彷徨わせる。
「悪い人じゃあないけど、少しああいう所がある人でね。悪気はないから、気を悪くしないでくれると助かるな」
僕の言葉に彼女は頷き、階下の人々を見下ろした。
近くの噴水広場に大道芸を見る人集りがあったり、ベンチで休む婦人と犬が居たりと思い思いに過ごしている。
「あ」
彼女が見やる先には、三つくらいの子が父親に肩車され傍らには母親らしい人が並んで大道芸を見ていた。
「……父はいつも家に居ませんでした。母も家の事や付き合いで居なくて、でもそんな二人が誇らしかった。でも、大きくなるに連れて見える世界が変わると違って見えました。あの二人を誇らしくなんて思ってはいけなかった。……如何して、母を引き留めなかったの? 如何して、母は貴方では無い人を選んだの?」
腹の底から出たような暗い声音で彼女は真っ直ぐに僕を見つめる。
その目は、色が混ざった水みたいに暗い色をしている気がした。
如何して。
小さい子みたいな言い方なのに中身は全く幼くない問いに僕は言葉を詰まらせる。
彼女の問いに、渡せる答えが無かった。
だって、分からない。
子供がお腹にいるミアを引き留めたら変わる話とは思えなかったし、彼女が僕の勘違いを直ぐに正さなかった訳も分からない。
この子に満足させられる答えが今の僕に無いことしか、分からないや。
ふと、ラウルの言葉が過ぎる。
ああ、『見守る』ってこうも難しいことなのか。
「っ」
僕が何も言わなかった所為か、彼女は荷物をそのままに階段の方へ向かい出した。
店主とすれ違った彼女は、一瞬だけ足を止めかけてそのままやはり走り去ってしまった。
「おいおいおい。フランシス。こりゃあ如何いう事さね」
トレーを片手に腰に手を当てた彼女を見上げ、僕は何と言ったら良いのか分からなくて力なく笑った。
ああ、如何しようかなぁ。
ラウルなら、如何するのかなぁ。
「痴話喧嘩はクー・シーも食わないよ」
「痴話喧嘩って」
彼女は僕の分と彼女の分だった物を置いて、向かいに座った。
ドカッと品は無いけれど、彼女らしい座り方で外を見やる店主はあくまで深くは聞いてくる気はないらしい。
「お客さんが来たら困らないかい?」
「なぁに、旦那がやるさ。ああ、あと一つ、余ってるの引っ込めてあるから。まとめて帰りに受け取りな」
いつも頼むコーヒーが並々と入ったカップを手にして、カップの表面に映る自分の見本にしても良い位の困り顔に思わず溜め息が出た。




