青年は菫と別れ、Qは幸を祈る
ベルが鳴り、フランクが迎え入れた声を聞きながら準備した茶葉や菓子を確認する。
小龍君とレイさんは早々に町へ共用の生活用品の買い物に向かわせたから暫くは戻らない。
クラインもシェロン夫人も、今日は用があるからと居ないから心配ないだろう。
いつもならば気がかりなフェスタ嬢だが、あの奔放なお嬢さんにしては珍しく書き置きをして外泊しているから気にかける必要がそもそも無い。
これはあの伯爵の間の悪さなのか。
はたまた天の采配なのかは分からないが、余計な事に気を遣う必要が無いと言うのは正直助かる。
「は〜い」
ノックをし、暢気なフランクの返事を聞いてから扉をそっと開いた。
フランクはお忍びだと言っていたが、やはり案の定というべきか全く忍ぶ気がない見るからに素晴らしい質の華やかな服を着た伯爵が爽やかな笑みを僕に向ける。
「おおっ! クィンではないか! 息災であったか! おっと。分かっておると思うが、今の私はただのハントだからな?」
「お久しゅうございます。ハント様もご健勝のこと、お慶び申し上げます」
僕の頑なな返事にハント伯爵は大仰に、大衆劇場の役者のような素振りでやれやれと首を振った。
やれやれ、と言いたいのは此方の方なのだが……。
この伯爵は相変わらずだな。
カップに茶を淹れ、二人の前に先程作ったばかりのレモンポセットを置く。
「それで? ただのハントさんは何のご用でうちに?」
よくもまあ、この方に気安くそんな口の聞き方をできるものだ。
僕なら例え許されたとて、きっと一生そんな口の聞き方はしないだろうな。
「クィン、自分のカップを用意して戻ってきたまえ。君とも話をしたい」
一礼して僕も席を外そうと背を向けると、ハント伯爵が透かさず声をかけてきた。
はぁ……。実に、貴族らしい口の聞き方だ。
逆らったところで得るものは無かろう。
「承りましてございます」
仕方なく一度退室してから直ぐに戻る事にした。
「だからさぁ、その貴族の人も困るって。僕、ただの庶民だよ?」
「いやいや! 毎回申しておろう? 私の養子にするから心配ないと」
またその話か。
フランクをさる高貴な方の夫にさせたがるハント公と、表向きは庶民を盾にしているフランクの攻防。
たまに自分に好い人が居たのならと呟く事があるフランクを知っている身としては、きっと高貴な方で無いのなら一考した上で返事をしたのではなかろうかと思ってしまう。
まあ、その上でも伯爵に借りを作りたがらないフランクは頷かないのだろうが。
「ところで、クィンよ。君、ここ最近ウェルティの嫡男の世話を焼いているらしいな?」
ああ、成る程。
今回のお忍びは、端から僕目当てだったのか。
チラッとフランクを見やると即座に顔を背けた。
音程の外れた口笛を吹き、素知らぬふりをする彼に呆れて溜め息を吐く。
やれやれ。それでは自白したようなものだろう……。
「前口上にしては些か長かったですな?」
「はっはっはっ! そう言ってくれるな。フランクに会いたくて訪れたのも本当なのだからな。……さて、それはそれとしてその返答、認めたと受け取って良いのかな?」
先程までの気軽さは消え、其処に居られるのは伯爵としての彼の顔だった。
僕を見つめるその目が笑っていない以外は、先程と変わらない笑みを此方に向ける伯爵。
マジックストーンのお陰で一定の温度を保っている筈のこの部屋だが、何故か肌寒さを感じる気さえする。
下手な事を言えば、手足がこれ以上冷え冷えとしそうだ。
「その積もりで申しました」
僕の返事にふっ、と息を吐かれた伯爵の気配から張り詰めていたものが消えた。
急に無言になったかと思ったら、伯爵は腹を抱えて声を殺して笑っていた。
「っ……ふっ、ふふ……。ああ、失敬。実はな、ウェルティは私が贔屓している店の一つでね。あすこの嫡男はああだろう? 貴族と渡り合うには弱過ぎる嫌いがある。気に入っている店をその程度の事で失うのは詰まらないからな。そろそろ身を固めるように手を回していた所だったのだ。しかし、当の本人は自分の家の使用人の娘に夢中でな……。傍から見れば、高々祖父の代から男爵家の嫡男に馬鹿にされたと思われても仕方がない事だろう? そして、ご令嬢の矛先は……まあ、一目くらい見たかもしれんな」
大方の予想は合っていたという事か。
ご婦人のあの足の原因も、あり得なくは無いと思っていたが……。
やはりか。
貴族のご令嬢はお父君の威光に笠を着たのだろう。
行いこそ品位のひの字も無い、汚らしいものだ。
とはいえ、エリク君にも過失がある。
高位の伯爵からの計らいに対して、聞く耳すら無いのはあってはならない事だ。
貴族の子息ならば規定の学舎に通っただろうに、何を学んできたのやら……。
「庭師の娘らしくてな。幼少の頃から親交があったらしい。今でこそああだが、あれの幼少期は人見知りが酷くてな。その世話役としてその娘も加えてられていたそうだ。……私の目からすると、あれの盲目さは恋慕とは言い難いのだがね。クィンよ、君の目から見てあれは何かな?」
幼い頃からエリク君にとって、あのご婦人は支えだったのだろう。
人見知りをする彼を励まし、人前に臆さないようにする為に心を砕く。
それが仕事としてだったと、果たしてエリク君は分かっていたのだろうか?
幼い頃からの仲だろうから、きっとそれだけでは無いだろうが。
それでも、仕事して命じられた一面はある筈だ。
それを分かった上で、エリク君はご婦人を見ているのか。
はたまた、見ていないのか。
そして、己の自己中心的な行いで、あのご婦人の足がああなったと分かっているのか。
……ああ、そうなると見え方が丸切り変わってしまう。
嫌な見え方だ。これは、僕の妄想であってくれたなら良いのだが……。
「私めの印象から申し上げましても、恋慕というには余りにも盲目的かと」
僕の返答に伯爵は唸り声と共に溜め息を吐いた。
この伯爵にして、エリク君は手に余る部類という事らしい。
ある意味大物だな、彼は。
「あの娘には悪いことをしたと、実に申し訳なく思っていてね。足の原因を作った家にはそれなりの処罰をしたが、だからと言って戻るものでもなし。仲介した責任として、望むものを与えたのだが、まさかウェルティの息子が追ってくるとは思わなんだ。あれは、責任の一端が己にあるとすら自覚していないらしい……」
この方は貴族だが、それでもだからと言って無闇に民を傷つけることもしない。
無関係の無辜の民が傷つけば、己の責を重く受け止める度量があるお方だ。
此度の一件も、きっとお知りになられた日は酷く嘆かれた事だろう。
やれお忍びだ、やれ婚姻しろとフランクに茶々を入れていようと、それでも上に立つ者で、それがあの青年には無いもの。
「……では、私は手を引けばよろしいので?」
「いや、そこは好きにしてくれ。実はあれにも期限を設けていてな。スカイラインの前日までによき返答を得られなかったのなら、大人しく帰るように言いつけてある。……もし万が一、あれが手込めにしようとするなら、私の息がかかった者が力尽くで止めるように手は回した。その心配も無い。……まあ、私個人としては双方がより良い先に目を向けられるようになって欲しいとは思うがね」
「……私もそう思います」
若者の未来を憂う思いに、貴族も庶民もありはしないのだろう。
雨が降る音を聞きながら、一人コーヒーを飲む。
今日を除いて、あと三日でスカイランタンの日だ。
「……ふぅ」
さて、そろそろ決めねばなるまい。
家族が集うのは久しぶりという程では無いが、スカイランタンの前日はマリアが帰ってきて、当日は帰る大事な日。
勿論、子爵夫妻にとっても今年はとても大事な日になるのは分かっている。
しかし、目に見えずともマリアと過ごせる貴重な日を少しでも失うのは……。
でも、お受けしたい思いも本当なのだ。
「珍しいな。クィンさんが即答しないなんて」
「クライン」
音も無くダイニングに入ってきていたクラインが自分のクロックムッシューとサラダ、水が入ったグラスをテーブルに置いて、向かいに腰かけた。
今日はいつもよりも遅い昼らしい。
「スカイランタンの日で無いのなら、こうも迷いはしなかったのだけれどね」
「スカイランタンの日はそんなに大事か?」
僕の返事にクラインは心底分からない、と言いたそうな声音で首を傾げた。
まあ、彼にとっては書入れ時でしか無いのだろうな。
クスッと、つい笑ってしまうとクラインは不服そうに半眼で僕を見つめた。
「今失礼な事を考えてなかったか? 俺が言いたいのは違うぞ」
「おや、違いましたか?」
笑みを向けて首を傾げると、あからさまに拗ねた表情のクラインが無作法にフォークを刺しながら、外方を向く。
おっと、不貞腐れたな。
「ほら、昔読み聞かせてくれた事があっただろう。……スカイランタンの童話」
唇を窄めて外方を向いたクラインが、ぼそぼそとそれでも話しを切り上げる気はないらしく口を開いた。
昔、ああ……クラインがまだ読み書きを覚え始めた頃の話か。
確かに一度だけ、僕が読み聞かせをした事がある。
あれは……、そうだ。
眠りが浅くて中々眠れていないと言っていたクラインが、目の下に隈をこさえてまで字を覚えようとしていたものだから、昼寝をさせる為に読んだのものだった。
「大好きなお姉さんがもう目覚めぬ眠りにつきました。お姉さんは、一人で天の世界に向かうのだそうです。『ねえ、沢山のスカイランタンを作ろうよ。きっと寂しく無いように。温かい明かりで迷子にならないように』マイクの言葉に私たちは口々に『いいね』と言いました。そうと決まれば急いで作らないと間に合いません。そうして神父さんにも手伝って貰った沢山のスカイランタンを放ちました。疾っくに星が見え始めていたというのに、忽ち昼のように明るくなります。『これならきっと迷わないで天の世界へ向かえるね』フラーが涙声で言いました。……って内容の話」
よく覚えているものだ。
一度しか読み聞かせた覚えがないというのに。
もしかしたら、あの後自分で読んでみたのかも知れないな。
本を読むのが好きな子だから。
つらつらと語るクラインをじっと見つめると、彼は少し間をおいてから僕を真っ直ぐに見つめた。
「あれとは違う童話だが、実は夫人から頂いた本があってな。……雨が止みました。ライラックは急いで外へ向かいます。先程まで覆っていた雲はもう何処にもありません。その代わりに、七色の橋がかかっていました。そう、虹です。ライラックは喜びました。虹がかかったら、天の世界とこの世が通じる事を知っていたからです。ああ、ほら。ライラックの待ちに待った人が降りてきましたよ。ライラックは尻尾を振って彼のもとへ走ります。……というような内容だ。……夫人はこの本が大好きなのだと仰っていたよ。虹がかかったら、寂しがりな誰かさんのもとへスカイランタンの日で無くとも向かえるからってな」
マリアがよく彼に本を買い与えていたのは知っていたが……。
その童話の話は知らなかった。
目を見張る僕に、クラインはしてやったりという顔でにやりと口角を上げた。
ああ、なんと嬉しい誤算だろう。
マリアにまた驚かされる日が訪れようとは思わなかった……。
「だから言っただろう? スカイランタンの日はそんなに大事かって」
「ははっ。今となっては、雨の日の方が大事だね。……うん、クライン。オーナーにはお受けすると伝えてくれるかい?」
僕の問いに彼はゆっくり一口大に切ったクロックムッシューを咀嚼してから、頷いた。
後は、エミリーのお小言くらいかな。
「アイリーン。この方はクィンさん。今日、この場を設けてくれたお方だよ」
「……アイリーン・ニースンと申します」
見るからにエリク君を警戒しながら、此方を見るニースン嬢に僕は微笑む。
それに対し、エリク君は彼女が目の前に居る事に舞い上がっているようだ。
事前に伯爵の息がかかった方から僕の事は伝わっているからか、僕の事を警戒する積もりは無いらしい。
吊り目の一見すると怒っているかのように見えてしまうニースン嬢だが、今は警戒こそすれど落ち着いているように見受けられる。
ゆっくり座り直した彼女は、カウンターにいるウェイターをチラッと確かめるように見てから、彼の足に引っかからないように気を遣って杖を壁に近い椅子に立てかけ直した。
素朴な風体の木の杖だが、よく見るとグリップ部分にマジックストーンが嵌め込められおり、微かに見える意匠は本土の一流店のものだ。
察するに、伯爵からの見舞いの品の一つなのだろう。
道理で足を悪くした人の動きに見えなかったわけだ。
これだけ素晴らしい杖を使えば、この島でも普通に歩けるというもの。
「ご用の際はこのベルをお鳴らし下さい」
ウイミイを模した柄の青いリボンが配われたハンドベルに手を向けたウェイターがそう説明をすると、恭しく一礼をした。
立ち去るウェイターが階下へ下がるのを見送ってから、改めて二人を順に見やる。
さて、始めるとしようか。
「まずはニースン嬢。本日はいらして下さりありがとうございます」
「いえ、今日で最後だと聞いたので……」
隣で居住いを正したエリク君がぎゅっと拳を握ったのを見なかった事にして、僕はそっと息を吐いた。
この話し合いが、エリク君にとって少しでも実のあるものになってくれるならと思う。
そして、それと同じくらいニースン嬢の心が少しでも軽くなってくれるのならとも思う。
僕たち以外に人のいない店内。
いつもの部屋を使おうと思っていたが、先んじてさる高貴なお方が僕たちの為に動いて下さったのだそう。
……やれやれ。高くつきそうな貸しを頂いたものだ。
「さて、エリクさん。改めてお聞きさせて下さい。このニースン嬢を娶り、添い遂げたい。その思いに偽りはありませんか?」
「——ありません!」
ああ、君は……。
ニースン嬢の目に宿った仄暗い色が見えないのだね。
食い気味にそう答えたエリク君は立ち上がり、真っ直ぐに彼女を見下ろしているというのに……。
君の目には今、何を映しているのだろうね。
これは、想像以上に衝撃を受けそうだな。
改めてニースン嬢と目を合わせ、居住まいを正すと僕は兼ねてより決めていた事を口にした。
「ニースン嬢。本日私たちは会ってなどいない、という体になっております。つまり、今日に限り、貴女が何と仰ろうともそれは無かった事と同じになるのです。……それを踏まえ、貴女はこの青年に伝えたい事はございますか?」
僕たちは今日、各々に日常を過ごしており、会ってなどいない。
これが、僕が出来得る最大限の彼女への手助けだ。
今日これから、ニースン嬢が今日まで耐え忍び、積もり積もった黒く汚泥のような思いをこの哀れな青年に吐くか吐かないか。
それは彼女次第。
「……あります。ありますとも」
エリク君から目を逸らさないニースン嬢の声音は酷く冷たく、それでいて穏やかだった。
「……エリク。私は貴方を許さない」
「え」
真っ直ぐ向けられた重く冷たい呪詛のような声音を浴びた彼は、目を見開き言葉を詰まらせる。
「許せないのよ。そりゃあ、頑張ってみたわよ? それなりに幼なじみとしての親愛はあったから……。でも、ダメだった」
「ゆるさ、ないって……。アイリーン? 僕には話が見えないのだけれど……」
狼狽えるエリク君にニースン嬢は真っ直ぐに彼を見つめ、皮肉めいた笑みを向けた。
「……私の足は、貴方の所為なのよ。貴方があのご令嬢に泥を塗ったから。逆上なさったあの方が、私の足に一生治らない傷を負わせたの。勿論、自分の手を汚さずにね。……いいご身分よね? お貴族さまって」
「……えっ。だって、それは馬車の荷台の下敷きになったって……」
震える声の彼に彼女はにっこりと笑み、ゆっくり首を振った。
それが事実なのだとようやく受け止めたらしいエリク君は、段々と顔を青ざめさせる。
馬車の荷台、か。
確かに、未だにブラックキャット社以外の運送会社は馬車を使っている。
馬という生き物を頼っている分、そういう事故もよく耳にする。
だからこそ、言い訳としてはこれ以上無い隠れ蓑でもあった。
昨今はマジックストーンを埋め込み、馬が要らない馬車を作る研究もされているとは聞くが……。
そう簡単な道のりでは無いらしい。
……早く完成して貰いたいものだ。
「私は悪漢に襲われ、足に一生治らない傷を負った。貴方が少しでも真面目にあの方と向き合っていたのなら、少なくともこうはならなかったかも知れない。……多分ね」
「アイリーン——」
堰を切ったように話をし始めた彼女の言葉を遮ろうと声をかけるも、彼の言葉は届かなかった。
「ただの幼なじみの積もりでしか無かったのに。違うって言ったのに。あの女が気に入らないなら庶民はただ受け入れるしかないって。……そんなのおかしい。おかしいよ。私の所為じゃないのに……!」
菫のような髪をふり乱し、しゃくりを上げる彼女に、彼はたじろいだ。
伸ばしかけた手を止め、彼は下ろした。
「これからは君を守る? 共に生きたい? 冗談言わないでよ。貴方の所為なのに。貴方の所為でこんな足になったのに! 馬鹿にしないで! どれだけ私をコケにしたら気が済むわけ? 私のことを大事だって言うのなら、二度と現れないでよ。……これ以上、貴方を嫌いにさせないで。……あの日、|お祖父ちゃんについて行かなきゃよかった《貴方と会わなきゃよかった》」
「……っ」
涙が止めどなく溢れ、しゃくりを上げるニースン嬢に僕はハンカチーフを手渡す。
これ以上は話せそうにないな。
隣を見やるとエリク君は目を彷徨わせ、冷や汗をかいていた。
「さて、エリクさん。それでも君は望みますか?」
「……」
僕を見つめ、助けを求めるように口を開いたが、そのまま俯いた。
貴方を嫌いにさせないで、か。
随分と生温い言葉を使うものだ。
傍から見たら、あれだけ重たく暗い目をエリク君に向けていたというのに。
……ああ。それも本心なのか。
いや、僕はニースン嬢では無いのだから分かる筈も無いな。
もうやめておこう。
夕陽に煌めく海の向こうからフェリーがやってくる。
あと三十分もしない内に辿り着くことだろう。
「少し外してくれ」
従者の方はその一言でそそくさと席を外した。
「大変お世話になりました」
此方に向けられた彼の手に僕の手を重ねて、握手をする。
「大したことはしておりませんよ」
「いえ。あれが無ければ、今もまだ彼女を苦しめていた事でしょうから」
憑き物が落ちたような顔の彼からはもう、執着じみたものはすっかり無くなっていた。
少なくとも彼女については、もう心配ないだろう。
これから先の事はハント伯爵の領分だ。
「いつか店においで下さい。サービスさせて頂きますよ」
「おや、それは有り難い。ウェルティには一度赴きたいと思っていましたから」
それなら今度のエミリーの家へ向かう際にでも、ウェルティに行くとしようかな。
汽笛の音がして其方を向くと、もう間も無く港へ入る合図のようだ。
「それにしても、無理に今日中に本土に帰られなくてもよろしかったのでは?」
「……いえ。一刻も早くこの島から去らねばなりません。それが彼女の願いですから」
無理に笑みを作った彼の声が震えているのには気づかないふりをして微笑みを向けた。
「貴方のこれからが、幸多からんことを」
「……ありがとうございます。クィンさんもどうかお元気で」
タラップを上り、フェリーの中へ消えていくのを見届けてから背を向ける。
ふと、人混みの中にあの菫のような髪がチラッと見えたが、直ぐに人混みに消えてしまった。
「貴女のこれからがどうか、幸多からんことを」
聞こえる筈は無いが、それでも言わずにはいられない彼女への祈り。
ゆっくり肺に息を溜め、全て吐き出す。
よし、切り替えは済んだ。
あとは、明後日のスカイランタンの日を待つのみだ。




