花も実もという青年と花をという青年を見守るQ
スパイスの香りのする、レモンポセットのような壁の家にノックをリズムよくする。
暫くすると、店員の男が扉を僅かに開き、僕と連れの青年を見てからゆっくりと扉を開いて迎え入れた。
「鷹の傷を癒せますか?」
「此方へ」
僕の言葉にウエイターは静々と先を歩み、その背を追う形で僕たちは店内に入る。
彼は店内の観葉植物で隠された階下へと向かう階段に手を向けた。
「有り難う」
礼を言い、青年を連れて下りる。
下りた先には黒のカマーベストを着た婦人が一礼して、更にその先の扉の中央に植物が彫られた一室に案内した。
あれこそが鷹の傷を癒すという植物なのだそうで、この部屋を指定したい際はああやって問うと案内されるようになっている。
若かりし頃、オーナーに連れられてこの店に来た際にそう彼女は仰っていた。
曰く、花言葉に準えられているのだとか。
「この店は口の固さが売りですから、ご安心下さい」
「えっと……」
席を勧め、メニューを差し出すと青年は室内の雰囲気に気圧されているらしく、そわそわと落ち着かない。
「私はクェンティン・クィンと申します。元はミスティのウエイターをしておりました。身元について気になるのなら、オーナーにお聞き下さい。保証して下さると思われます」
「ミスティの……」
やはり、ミスティを知っていたか。
青年の住まう家の区画にしては、妙に質のよい衣服を見かける度に着ている気がしていた。
あのバケツの婦人の方は、住む区画に合ったものを着ていた事も決め手ではあった。
「おやおや。ミスティを正しく知る庶民は少ないかと思いますよ。……それから貴方の身の安全の為に申し上げますが、あの区画の家にお住まいならもっと安い衣服の方が好ましい。あの辺りは色々な方が居られますからね」
「っ……ご助言痛み入ります」
暫く言いくるめようと思考を巡らせている雰囲気だったが、諦めたのか彼は力無く項垂れる。
ミスティに引っかかっていては、腹芸のはの字も無い。
ミスティを知っていて且つ、ウイミイの区画もよく分かっていない事から本土かロサ近郊の貴族かそれに準ずる人であるのは間違いないかと思われる。
「僕はウェルティというレストランのシェフをしているエリク・ウェルティと申します。気軽にエリクとお呼び下さい」
ウェルティ……ここ最近ロサ内に店を着実に増やしているというあのレストランか。
確か祖父の代に男爵になり、その頃から庶民から貴族へターゲット層を増やしたと、ギルド長をしている友人から聞いた覚えがある。
レイさんや小龍君と近い年頃のエリク君の手には、古い傷が沢山ある。
それが彼の人となりを如実に表していた。
「エリクさんはあのご婦人と添い遂げるお積りで?」
「……はい。僕はそうしたいと思っていて、父に無理を言って休みを貰っています。ですが、アイリーン……彼女は事故で悪くした自分の足や、自分が貴族でない事を理由に別れたいと言われていまして」
ノックをして入ってきたウエイターが注文の品を置いた。
この店のおすすめの季節のカレーとレモンティー。
このスパイスの配合、僕は頑張っても分からなかったが、彼は分かるだろうか。
「……エリクさん、貴方のお店は今や王族の目にも留まっていると、耳にしましたよ。そのレストランの若きシェフともなると、彼女の気にされる点もお分かりかと思いますが……」
僕の問いに彼は顔を背けた。
……自覚はしているらしい。
「……些か夢見がちかと思われますな」
「夢を見ていると言われようとも……! 僕はアイリーンを……!」
二人の事は大方理解した。
僕なら伝手はある、一筆書いたら彼の望みは叶う……。
しかし、彼女の意思が、心が、彼と共にあろうとしないのなら、意味は無い。
「ときに、ご婦人と冷静に話されたことは?」
「……いいえ。ウイミイ島に着いてからは一度も」
きっと、エリク君は今とても気が早っていると思われる。
想像するに、ご令嬢を当てがわされそうになっているのでは無かろうか。
その上で、あのご婦人の思いを察するのは実に身勝手な事ではあるが、仮にご令嬢を当てがわされそうになっているとして、それを知っていたのなら……。
自らが引き下がり、身分差が無いその方と添い遂げる事を望むのは自然と言える。
其処に本心があるかは分からないが……。
「一度、冷静に話したいと仰ってみては? それから老婆心ですが、南区に本当にお住まいでないのなら、ホテルに泊まられた方がよろしいかと。もう、目をつけられている頃合いかと思われますので」
一先ずは其処から切り詰めるか。
目をつけられていると言うと、彼の顔が青ざめた。
僕も、あの区画で無いのなら口にしなかったのだが……。
よりによって南区とは、余程質の悪い業者に勧められたのだろう。
「一先ず、お互い冷静に話し合いからしましょうか。もし、望まれるのでしたら、知人の医師に診て貰えるように取り計らいますよ」
「……あのミスティに勤めて居らしたのなら、ウェルティ家より素晴らしい家とのコネクションなど知っていらっしゃるでしょう。……ならば、僕を気にかけて下さるのは親切心なのでしょうか?」
あれやこれやと聞いた老人に親切心と言うこの青年に、僕はつい苦笑してしまった。
素直さは美徳だ。
が、貴族たちと渡り合うにはそれは弱点でしかない。
今の彼ではあのご婦人を守りながら家や店にも気をかけるなど、まず無理だろう。
「……昔の自分を見ているかのようでしてね。ついつい、世話を焼きたくなっただけですよ」
昔の僕はあのご婦人で、昔のマリアはエリク君だった。
ただ、マリアとエリク君の違いはたった一つ。
マリアは生まれてからずっと与えられていたレールを自分から降りた。
彼女は僕と生きる為に、自ら家を、家族を、手放したのだ。
僕だけが失うことなく共に生きられるだなんて、許せなかった。
だから誓ったのだ。
全てはむつかしくとも手放したものを可能な限りマリアのもとに返す、と。
それからは死ぬ気で働いた。働いて、働いて許されるのに十年かかった……。
ミスティの個室で、内密にエミリーをマリアの父君に抱っこして頂いたあの日、ようやく肩の荷が降りたのを僕は一生忘れることは無いだろう。
曇天のお陰か、真夏にしては涼しい早朝の庭先。
生温くなった水を土にやりながら、外へ向かうローマーが目に入った。
タッタッタッと、尻尾をピンと伸ばしながら降りていく彼を見送り、青く大きくなりつつあるトマトに目をやる。
「サラダ、スープ、ソース……」
あのトマトで何を作ろうか。
フラットに戻ると、廊下にしゃがみ込む小龍君がキノコを生やしていそうな雰囲気で背を丸めていた。
おやおや。ここ最近はよくこういう背を見かけるな。
「小龍君。おはようございます」
「あ、クィンさん。おはようございます」
彼らしからぬ、豪雨に降られたかのような小龍君にいつものように声をかける。
「少しお待ち頂きますが、今なら先着一名に500イェンでオムレツを作りますよ」
「……はぁい」
そっと手を上げた小龍君に、微笑みながら頷いた。
ふふっ、喉が通るなら大丈夫だ。
「はい。500イェン、丁度頂きました」
サラダやオムレツ、トースト二枚を完食した小龍君は、先程よりも血色がよくなり心も落ち着いたように見受けられる。
「スカイランタンの日、レイさんはフランクさんと運営の手伝いをするらしくて、見られないと言われてしまいました……」
「ああ、マナ使いがいると万が一の火事も迅速に済みますからね。それなら、小龍君もお手伝いに回られては?」
火のマジックストーンを大量に同じ所で使う事を許されていない。
だから、昔からスカイランタンは本当の火を点す事になっている。
それに加えて、昔はスカイランタンによる火災事故や海に落ちるごみなどの諍いがあった。
それらを考慮した改正案が制定されてからは、凧の要領で放つようになっている。
とは言え、火災事故を防げるようになったのは毎年フランクを始めとした、マナ使いが運営の手伝いをしてくれるようになったお陰だ。
僕の言葉に小龍君は俯き、力無く笑う。
「……僕はフランクさんたちとは違う方法でマナを使いますからね。だから、レイさんと共通のお手伝いは出来そうになくて……」
「おや? しかし、君は水の札なるものを使えますよね? レイさんは今のところ消火のお手伝いに回るそうですし、無理ではないのでは?」
彼のマナの使い方はフランクたちとは全く違うが、札から水を生じさせたのを見た事がある。
違いがあるとは言え、それだけで諦める理由が分からない。
小龍君なら、そんな事で立ち止まるだろうか?
「ああ……。その、協会の決まり事です。ええっと、ざっくり言うとマナによる二次災害を防ぐ為に禁じられているのです」
協会の決まり事、か。
身を守る為の規律ならば、諦めざるを得ないな。
「居た! あっ、クィンさん、おはようございます。小龍、今日って暇? ちょっとマナのトレーニングに付き合って欲しいのだけれど」
「レイさん、おはようございます」
レイさんが小走りにやってくると、小龍君はパッと表情を明るくさせて立ち上がった。
「はい! お供します!」
「今からフランクにまた水のマナの使い方を聞くつもりだから、その後でも良い?」
この二人は大丈夫そうだな。
そっと席を立ち、皿をまとめて洗いに向かう。
さて、僕は僕で子爵夫妻の事を考えねばならないな。
小龍君から頂いた500イェンを茶葉が入っていた缶に入れる。
今年の春先、レイさんをホテルに泊まって頂く為に使った分が大分戻ってきたな。
これならまた直近で有事があってもちょっとした手助けになるだろう。
父が事ある毎に500イェンを貯めては家族の為に使っていた。
家族が嬉しそうにすると、父も嬉しそうにしたのを覚えている。
その真似事のようなもので、マリアとエミリーと暮らしていた頃は家族の為に貯めては使い、フラットで過ごすようになってからは住民の為にも使うようになった。
フラットの住人については、恩を作っておけば僕の有事の際に僅かでも返して貰えるかも知れないという打算もあるが……。
まあ、フランクの人を見る目は信頼しているから、というのもある。
「クィンさん居るかい?」
ノックがしたかと思うと、フランクの声がした。
いつものように暢気な声だ。
外からは小龍君とレイさんの声がし始めた。
「フランク、おはようございます」
扉を開くと、まだ眠そうなフランクが半眼でボーッとしていた。
僕が扉を開いたことすら気が付いていないらしい。
「……あ、おはよう。クィンさんも早いねぇ」
「フランクが遅いのですよ。それで? 私の部屋にまでやってくるなんて珍しい。何用ですか?」
大欠伸を溢すフランクは、まだ半眼のまま眠そうだ。
彼が僕の部屋に用がある際は二パターンあるが、さて今回は何方だろうか。
「今日の午後に伯爵がお忍びでフラットに寄るらしくてぇ。僕の淹れたお茶より、クィンさんが淹れてくれるものの方が良いかなぁって思うからさぁ。頼めないかな?」
……ああ。
この男は……本当に。
昨日、やたら長くマジカルフォンで話をしていたかと思えば……。
如何してこう、大事な事を直ぐに言わないのだろう。
いや、午前に伝えるようになっただけ成長か。
「……フランク。せめて、次からは前日に伝える努力をしてくれ。……はぁ。分かりました。準備しておきましょう」
気を取り直そうと、そっと息を吐く。
全く、考え事をする暇もままならないな。
レイさんたちにはそれとなく、町に向かうように言わねばならないか。
あの伯爵ならば心配は無かろうが、万が一にでもレイさんを気に入ってしまったら面倒だ。
さて、それとなく小龍君を唆すとしよう。




