あべこべ少女と真っ直ぐな青年と大人たち
朝からゆっくりしようと思っていたら、上からドドドッという重たい音がした。
微かにフォーサイスさんの口遊む声もする。
え?
家具でも作っているのかしら……。
ゆっくりしようと思っていたのに、これでは落ち着かないわね。
暫くは止まないだろうと察して、仕方なく手にしていた借りた本を閉じた。
ふと、雲間から陽が差して外を見ると庭のクィンさんが目に映る。
行ってみようかしら。
肌寒い外気が全身の服の隙間から入り込み、身震いする。
少し大きめのカーディガンに手を隠してから、そっと畑へ向かった。
然程広いとは言えない庭の一角にある畑。
そこで水やりや駆除をする普段のスーツ姿では無い作業着で全身を包むクィンさんに近づくと、彼は手にしているジョウロを手に振り向いた。
「おや、如何なさいました?」
「上からフォーサイスさんの家具作り? の音がしてきまして……。外を見たらクィンさんが見えたのでお手伝いに」
上から音がする部屋を見上げながら話すと彼は察したらしく、「やれやれ」と溜め息を吐いた。
「お心遣いありがとうございます。しかし、今日の分の作業は済みましたから、また今度頼みますよ。ああ、音の件ですが。防音のマジックストーンが寿命のようでしてね。きっとその所為でしょう。……そうだ。レイさん、お嫌いなものはございますか?」
防音のマジックストーンって、高価なものじゃあ無いの?
ロサでは買い易いお値段なのかしら……。
カーティフなら、その値段で家を買えてしまうから富豪の象徴のようになっているのに。
それとも、知らない内に安価になっていたのかしら。
彼の問いよりも、其方に気を取られてしまいそうになったのに気づいて焦って返事をする。
「嫌いなものは、その……お魚が苦手です。昔頂いた魚のフライがとても生臭くて、美味しく頂けなかった事がありまして」
「カーティフは内陸ですからね。鮮度が悪いものに当たったのでしょう。島の魚は鮮度が高いので、一度食べて見られるのも宜しいかと思いますよ。それでもダメなら、小龍君に任せてしまいなさい」
言われてみると、カーティフのお魚はいつも冷凍品しか無かったわね。
ロサで過ごすようになってから新鮮な生の魚を見るようになった気がする。
でも、如何して魚の内容から小龍さんの名前が出てくるのかしら?
きょとんとクィンさんを見ると、彼は急に大笑いをし始めてしまった。
「あっはっはっ!」
クィンさんの笑い声に近くの小鳥が何処かへ羽ばたく。
「それはそれは……ふふっ! ……彼も大変だ」
一頻り笑うと彼は笑い皺を深めて私を見下ろした。
「すみません。何の事やら……」
訳が分からない私が声をかけると、彼は優しい声で口を開く。
「ふふっ。それ以上は貴女がこれから知る事ですからね。さて、お茶でも淹れて差し上げましょう。面白い事を聞かせて頂いたお礼に500イェンは要りませんよ」
ジョウロを水道の近くに置いた彼は玄関へ向かう。
彼について行こうとした途端、ふと坂の方を見ないといけない気がした。
「え」
急かされるように其方を向くと、坂の向こうから何故か此処に居る筈の無いラウルさんとウヅキさんが見えた。
二人が目に映ると、嫌な汗が流れ始めたのが肌で分かる。
まさか、家族のサインの事?
そうだとしても、ラウルさんは説明がつかないわ。
まだ見つかってはいないみたいだけれど、此処に居ては直ぐに見つかってしまう。
早く隠れなきゃ……!
隠れる必要なんて無いのに、見つかりたくないと心が訴えて言うことを聞かない。
何処か、何処か無いの?
辺りを見渡していると、カタンと小さな音がして其方を見やる。
いつもは閉まっている反対側の門扉が開いていた。
咄嗟に其方に向かって走り、林の中へ踏み入る。
乱れた呼吸を落ち着かせようと、近くの木に寄りかかった。
「おおう! クィンさんじゃあないか! お元気そうでなにより!」
「……カノさんと貴方は?」
ラウルさんの大きな声が聞こえて、きっと見渡して私が居ないことに気づいたのだろうクィンさんが遅れて返事をしたのが聞こえる。
声が小さくなり、パタンと扉が閉まった音がしてやっとホッとした。
「あら、レイさん?」
ドキッとしたのも束の間、林に同化するような若芽色の長い髪に葉っぱをつけて、泥まみれの服のシェロンさんが目を丸くして林から向かっていらっしゃるのが見えて安心する。
「まあまあ! 入ってきてしまったの? ダメよ? 此処は毒があるヘビも生息しているの。さあ、帰りましょ?」
「ヘビ」
毒があるヘビと言われて、体が硬直して血の気が引いていく。
もし、シェロンさんに見つかっていなかったのなら、と脳裏に過ぎるもしもに背筋が凍った。
「此処には居ないし大丈夫よ。それよりも、根っこに躓くと危ないわね」
私よりも少し低い背丈の彼女が軍手を外して、そっと手を差し伸べて下さった。
それに手を重ねると、先導して彼女は林からフラットの庭へ引っ張っていき、気がついたら玄関の中に居た。
「シェロンさんは林に何をしに向かわれたのですか?」
「マナを扱う為よ。私のマナの使い方は、少しばかり気を遣うからああして林の向こうで扱い方を忘れないようにしているの。マナが扱えないと、いざ店を再開したときに困ってしまうからね」
はたと、そんな危険なところに居た彼女に尋ねると、葉っぱを手にしながらそう仰った。
彼女もマナ使いだっただなんて、吃驚だわ。
マナ使いは世界の人口のうち、希少な存在だと本には記されていたけれど、このフラットだけで知る限りは三人もいらっしゃるのよね。
でもきっと、たまたま居合わせただけで本当ならこうも集まらないのでしょうね。
「さて、私は泥と汗を流してくるわね」
「あ、はい」
彼女を見送り、クィンさんに声をかけようと私は一階を回る事にした。
「今やオーレリアには家族が居ません——」
コーヒーの香りがしていらっしゃるのかと思って、リビングに近づいた刹那、その声は聞こえた。
ドクンと心音が聞こえる。
それが次第に早くなり、呼吸が乱れていくのを何処か他人事のように聞きながらラウルさんの仰っていた意味をゆっくりと咀嚼した。
家族が居ない?
居ない。居ないというのは、泡沫事件のみを示していないのよね。
だって、あの人が、酒浸りだったママは生きていたのだもの。
なのに、家族が居ないと仰るという事は……。
あの人は、死んでしまった……?
「オーレリア」
私をそう呼ぶ声にハッとする。
扉の向こうの全員が私を見ていた。
「っ」
咄嗟に踵を返してしまった。
何処かであの人は生きているだろう、と。
今は、分かり合えなくとも生きているなら、と。
ラウルさんに対して偉そうに思っていたものが自分に返ってきた気がした。
私だってそうだったのだ。
あの人が生きていると信じ切っていた。
あんなにも酒浸りで自堕落だったのに、大丈夫だなんて思ってしまっていた……。
外へ向かおうと手をかけた玄関の扉が開いて、つんのめった体を支えられる。
「わっ! レイさん? って、えぇっ!」
支えて下さったのは小龍さんだった。
彼が急に驚いたような、心配するような声をしたものだから、如何したのだろうと思っているとポタリと床に落ちた音がする。
次々にポタポタと落ちる音に、ようやく自分が泣いているのだと自覚した。
「……そうだ。先生! 先生のところに向かいましょう!」
彼が咄嗟にそう言ったかと思うと、返事も待たずに手を引っ張って走り始めた。
「小龍。お前はダチョウか? お前の速さで走らせたら追いつけるどころか具合が悪くなって当たり前だろうが、阿呆め」
アルーンさんの叱責する声に、目を覚ます。
「ああ、レイ。お前はもう少し寝てなさい」
起き上がろうとしたところを止められ大人しく横になると、ラベンダーの香りがふわりとした。
ふっ、と張り詰めていた心が柔らぎ落ち着いていく。
「レイさん! 良かった!」
「近寄るな原因めが。お前は店番をしていろ」
ホッとしたように涙声の小龍さんの声が近くからするのに見えない。
先生が彼の背をピンヒールで押したのが辛うじて見えたと思ったら、直ぐに扉の閉まる音がした。
「さて、レイ。少しじっとしていなさい」
ベッドに腰かけたアルーンさんは、足を治して下さったあのマナの光を私の体全体に覆わせた。
その光を見ながら、言われたようにじっとしているとやはりそれは端から無かったかのように消え失せる。
「なんとも無いな。もう少し落ち着いたら、帰っていいぞ。今回は小龍の過失だからな。あやつから治療費は貰うさ」
「……あの、如何してベッドで眠っていたのでしょうか?」
扉の向こうの小龍さんの方を見たアルーンさんに、気になっていた事をお聞きする。
彼女は私の問いに目を丸くしてから、眉間に皺を寄せた。
「推測だが、小龍の走る速さに追いつけなかったお前は吸うよりも吐く息の方が多くなった事によって気を失ったのだろうな。あの阿呆め、体力差を考えろとあれ程言い聞かせたというのに……」
溜め息を吐いたアルーンさんは、ふと私の顔を見やると真剣な眼差しを向ける。
「レイ。心は門外漢だが、言えることはあるぞ。そう張り詰めた顔をするな。無理をする必要は無い。音は向こうには聞こえないぞ。必要なら背中くらいは撫でてやろう。泣けるなら泣いてしまえ」
プツリと糸が切れたような音がして、それからはあっという間だった。
落ち着いたと思っていた心はそんな事は無くて、涙が次々に流れていき、しゃくりを上げて泣く。
その声を何処か冷めた私が聞いていて、自分の事ながら羨ましいだなんて思ってしまった。
まるでちぐはぐだわ……。
アルーンさんのお宅の洗面所で顔を水で流してから戻ると、ソファに腰かけた彼女が湯気の立つカップを差し出して下さった。
「マシュマロ入りのココアだ。美味いぞ」
そっと受け取り、アルーンさんの横に座る。
彼女は甘いものが好きなのかしら?
「ありがとう存じます。いただきます」
「ん。お前のはたっぷり甘くしてあるぞ」
彼女の仰るように、甘さとほんの少しのほろ苦さが口内に広がった。
「詳しくは聞かんよ。レイくらいの子らは急に泣きたくなるし、怒りもするものさ。寧ろ私は安心したよ。能面で無い方が余程別嬪だよ、お前は」
美しい人にそう言われてしまうと、女の方だろうとときめいてしまうものなのね。
耳まで赤くなっただろう自分の顔が今は見えなくて心底良かったと思う。
「お昼まだですよね? 良かったら、おすすめのお店があるんですけど如何ですか?」
アルーンさんの医院から出て、真っ先に小龍さんが優しい声音でそう問いかけた。
「ええ、と。お財布を部屋に置いてきてしまったから、お誘いは有り難いのですけれど……」
ココアで少しは満たされてはいるものの、お昼を食べていない体は先程からクゥクゥと鳴っている。
とは言え、お財布が無いのではお昼なんて夢のまた先。
「その位は俺が払いますから! さっ、行きましょう!」
「えっ、でも!」
私が何か言うよりも先にまた手を引っ張り、ただ今度はゆっくり歩いてその彼のおすすめのお店へ向かい始めた。
でも、その有無を言わさせない即決力に今は助けられている。
余計な事を考えるよりも、彼の歩幅に追いつかないとならない事に気をつけないとならないから、気がそぞろになれない。
でも、お昼代は後で返さないと。
暫く手を引かれていると、スパイスの香りがしてそのお店かと思いきや違うお店らしくその先の道で彼は立ち止まった。
着いたのかと思ったら、急に今は気まずい人の名を口にする。
「あれ? フランクさん?」
「やあ、小龍君」
彼の背に隠れて見えないものの、声が聞こえた途端に気づいたら体が走っていた。
「あっ! ちょっ、レイさん!」
「付いて来ないで!」
彼の引き止める声に、私は声を張り上げる。
家族以外にこんな言い方をしたのは随分と久し振りだと何処か冷めた私は思いつつ、足は止まらない。
追われていないと分かった頃にようやっと足が止まれた。
「はっ……はっ……。私ったら、何をしているのかしら」
誰も居ない道で私は壁に手をつき、息を吸う。
「レイ」
急に曇ったと思ったら、上から声がして見上げてみるとクラインさんが私を覗き込むようにして見下ろしていらした。
「美味いか?」
噴水の前で燥ぐ声や香しい煙が漂う広場の木陰。
彼が買って下さったカルツォーネを一口齧ると、口の中にトマトソースの甘さとチーズの濃厚さが一気に広がっていく。
チーズが千切れずに困りながらもクラインさんに頷いて見せると、彼は満足そうに笑み、自分のカルツォーネを口にした。
「レイ。大抵の事はその内自分が関わらなくとも動いていく。だが、その枠に入らねぇモンもある。……テメェのそれは、入らんモンだ。それに直面したとなりゃあ、ちっとばかし気張るしかねぇのよ」
片方の手で私の髪をぐしゃぐしゃにして彼は此方も見ずにそう仰った。
「あー! クラインがまた女口説いてる〜!」
「この間は、ボインの姉ちゃんだった〜」
急に六つくらいの男の子たちが駆け寄ってきたかと思うと、クラインさんを指差して大きな声でニヤニヤと話しかけた。
それに彼は半分くらいあったカルツォーネを口に頬張ると、両手で彼らにゴツンと痛そうな拳骨を落とす。
「ぎゃあああ!」
「女じゃあねぇよなぁ? あ? ガキどもがよ。お姉さんとかお嬢さんだって言ったよな? 何度も言わせるなよ。おい、テリー。テメェ、今日はお手伝いの日だってな? 少し前に夫人が仰っていたぞ? なぁに、遊んのんのじゃ、ゴラァ!」
低い声音で叱りつける彼の言葉に、彼らは真っ青になって「ごめんなさーい!」と叫ぶと何処かへ走り去った。
「ったく」
彼は走り去る彼らを見送ると、振り返った。
「まあ、俺がしてやれる事はこうして屋台のモン買ってやるくらいさ。あとはテメェが気張るしかねぇのよ。まっ、頑張ったらいいレストランにエスコートくらいはしてやるよ」
ニヤッと笑む彼に、成る程と思う。
これはご婦人方に人気があるのも分かるわ。
ご褒美があるなら、ちょっとだけ頑張ろうかしら……。
ご褒美があると頑張れそうな気がするのは現金なのかしらね?




