第十三作目①「救えない僕の救いの話」
18歳を迎えると魔力が消える。そんな平和な世界に住む僕は、身近に潜む脅威に怯えていた。
「青年期変質症候群」
体内の魔力量が突然変異により増殖し、耐えきれなくなった身体が変容してしまう病気だ。
原因は不明だが、思春期における精神の急激な変化に伴って発生していると考えられている。
僕たちは魔力があっても魔法が使えるわけじゃなく、どこにでもいる"普通"の人たちと同じ。
誰しもが生まれた瞬間から無意味に、無慈悲に植え付けられている魔力が暴走しないことを祈っている。
──もし神様って奴がいるなら、どうしてこんな世界を作ったのだろう。
チャイムの音とともに授業が始まり、青年高校1年1組の教室に、黒板を走るチョークの音が静かな教室に響き渡る。
「ここの式は~……」
大人たちが「大事」だという勉強をするのが"当たり前"だから、何の疑問もなく真面目に聞いていた。
頬杖を突きながら退屈そうに窓を眺めている広瀬拓海は、耳を隠している黒髪を黒板に向け、左側の窓から外へ向けて視線を送っていた。
青空の下に整備されたグラウンドが広がっており、青と茶色のコントラストが美しい世界に意識を向けていると、聞きなれた教員の声に、広瀬の意識は退屈な現実へと送り返される。
「広瀬、ここの問題解いてくれるか?」
「……はい」
椅子を引く音と机が軋む音、気怠さで重力に負けそうになりながら立ち上がる。
先生に当てられた自分への同情が混じった視線に紛れて、クラスメイトの女子がひそひそと喋っている声が聞こえてくる。
「今日も広瀬くん可愛いね」
「だねぇ……」
可愛いと遠くから言われる自分が好きではないから、普段から体を鍛えてカッコよくなろうとしているが、168㎝という身長がそれを阻害する。
答えを待っている黒板まで辿り着くと、教えられたことを、教えられた通りにチョークで書いていく。
「……出来ました」
「正解だ」
「はい」
風で微かに揺れるカーテンを視界の端に捉えながら、席へと戻る。
自分の手で引かれる椅子の音に混じって、後ろから小さく声をかけられた。
「広瀬くん、すごいね」
首元まで伸びた黒髪を片手で押さえ、小さな顔に大きな瞳を持つ少女が、こちらを興味深そうに見つめる。
隣の席の深町香だった。
「ちゃんと授業を聞いてれば、誰でも分かることだよ」
「私は全然分かんなかった……」
返事をして、机と椅子に視線を落とす。
彼女からの純粋な称賛は、つまらない自分にも少しは価値があるのだと錯覚させてくれる。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、学食へと急ぐ学生たちの椅子が一斉に引かれ、教室に喧騒が広がる。
「広瀬くんも学食行くの?」
喧騒に混じって隣の席から聞こえてくる声に、鼓動の音が耳から突き抜ける。
先ほどみたいに動揺が表に見えない様に冷静を装う。
「うん、深町さんは?」
「私も行くよ~。よかったら一緒にどう?」
真っすぐな視線を送られ、戸惑った僕は間抜けな声で返事をしてしまう。
「え、僕と?」
「うん」
"僕なんかと一緒に学食を食べたいの?"という疑問自体が疑問であるかのように、キョトンとした表情を一瞬浮かべた後、首を縦に振った彼女にまた少しだけ戸惑った。
喧騒に混じって二人で立ち上がり、退屈な空間から抜け出した廊下には、多くの生徒たちがひしめき合っていた。
学食へ向かう道中、彼女と何を話せばいいか分からないまま、外を見つめながら歩く自分に情けなさを感じていた。
「広瀬くん」
「うん?」
「なに食べるの?」
「う~ん、カレーかな? 深町さんは?」
「じゃあ私も」
「うん」
意味のある会話、話題、回答をしようと頭で考えているうちに、時間に置いていかれていく。
話しかけてくれても、頭にはたくさんの言葉が溢れているのに、口からはつまらない言葉が零れるだけだった。
「カレーをお願いします」
「はいよ!」
食堂のおばちゃんに小さく声をかけると、後に続いて彼女の元気な声が聞こえる。
「私もカレーでお願いします!」
「はーい!」
トレイに乗せられたカレーの香りを堪能しながら、座る場所を探して頭を左右に振ると、奥のテーブルが空いていることに気付いた。
いつも通りに歩き出した時、「しまった」と思い、慌てて振り向くとトレイ同士がぶつかりそうになる。
「わっ」
「ご、ごめん。あそこ空いてるよ」
「置いていかれるかと思った~」
明るい表情でケラケラと笑う彼女を見て、安心した。
今は一人じゃないのだから、声をかけてから行くべきだったなと、心の中で短い反省会をしながら席へと着く。
「いただきます」
「いただきま~す!」
お皿の上に盛られた白米をカレーのルーまで進軍させるように、スプーンですくう。
食べ終わった後のお皿が綺麗になるのが好きで、このような食べ方をしている。
などと考えている場合ではない。目の前には食事を誘ってくれた女の子がいるのだから、会話をしなければ。
「美味しいね」
片手で髪が垂れ下がらないように抑え、一口目を口に運んでいる最中の彼女が口を開けながらこちらを見つめていた。
最も相応しくない話題を最も悪いタイミングで振ってしまった。
「まだ食べてないからちょっと待って!」
「ごめん」
「ううん……うんうん、美味しいね!」
食堂では食器のカチャカチャという音と、学生たちの楽しそうな声で空間が満たされていた。
そんな中、僕は「家族以外の女性との食事はこんなにも緊張するものなのか」と、場違いな考えをしていた。
カレーを口に運んで周りを見渡した時、みんなは普通に、楽しそうに会話しながら食事を進めている。
「深町さんは、いつもカレーを注文するの?」
「ううん、今日が初めてだよ」
「そうなんだ」
「うん! 美味しいからお気に入りに追加しちゃお」
彼女の頭の中には、僕と違って楽しいことが溢れているのだろう。
もし僕がカレーだったら、僕より深町さんに食べられた方が嬉しいだろうな。なんて意味のない思考が巡る。
「ど、どうしたの?」
彼女が不思議そうな表情で質問をしてきた。
「何が?」
「いや、なんか視線を感じて……」
考え事をしている間、ずっと彼女の顔を見ていた事実に気付き、慌てて視線を食事に移す。
「ご、ごめん」
「そんな謝らなくても大丈夫だって!」
「あ、ごめん」
「あはは! 広瀬くん、謝ってばっかりだよ~」
「そうかな?」
「そうだよ~」
家族と食事をしている時は、テレビを流しながら他愛もない会話をたまにする程度。
気まずさを感じることはなかったが、それは「家族だから」なのだと改めて認識した。
いつも感じていた食事の味は遠く、頭の中では「上手に会話出来ているか」「何を話せばいいか」が支配していた。
「深町さん、数学は苦手?」
「うん……得意じゃないかな~」
「そうなんだ。今日の授業で出た問題が分からないって言ってたから」
「あれ、よく解けたよね! 私が先生に当てられなくて助かった~って思ったもん」
「コツさえ掴めば、深町さんも解けると思うよ」
彼女はスプーンの動きを止め、少しだけ頬を緩ませてから、クスリと笑った。
「そうかなぁ……そういえば、私の名前知ってくれてたんだ」
普通、隣の席にいる人の名前くらいは知っているのではないだろうか?
背中が広く、短髪で爽やかな高田くんが前の席で、隣にいるのが深町さん。
後は……あまり覚えていない。
「隣の席にいる人くらいなら覚えてるよ」
彼女はニヤリと口角を上げ、スプーンを皿の上でゆらゆらとさせながら、口を開いた。
「じゃあ、私の前の席に座ってるのは?」
斜め前は隣の席に含まれるのだろうか。
「……佐藤さん」
「残念! 日本人に多い苗字1位の佐藤さんじゃなくて、2位の鈴木さんでした~」
「鈴木さん、ごめん……」
「今日から覚えてあげてね」
「うん」
食事を終え、カレーが盛られていた皿に視線を落とした。
カレールーが残っていない白一色の皿を眺めて小さな満足感を覚える。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした~。広瀬くん、綺麗に食べるね」
自分の皿と僕の皿を見比べながら、感心してくれていることが一目で分かる。
「ご飯をカレーの方に食べ進めていくと、こうなるんだよ」
「へぇ~! 今度真似してみよ~」
食べ終わった食器を片付け、まだ楽しそうに会話している人たちを残し、教室へと向かうことにした。
教室に入ると、隣にいる彼女からの声でいつも通りが始まる事を思い出す。
「残りの授業も頑張ろうね」
「うん」
ただクラスメイトと一緒に食事をしただけ。
だけど、帰ってからもこの事を思い出すんだろうな、と思いながら席に着き、いつも通り外を眺めていた。
クラスメイトたちが昼食を終えて談笑しながらチャイムを待っていると、教員の真剣な声色が空気を変える。
「静かにしてください、皆さんに大事なお知らせがあります。」
「太田さんが病院に運ばれ、今日から入院することになりました」
──18歳を迎えると魔力が消える、そんな平和な世界に住む僕たちは、身近に潜む脅威に怯えていた。
「青年期変質症候群」




