第2話 待っていたのは……
討伐エリアでの今日のミッションを終え、家路についていた。
街まであと5分程度というところで街道を右に外れ、畑の間の小径に入る。2~3百メートル進んだところの林を抜けると、古びてはいるが、農家の家らしく十分に広い、しっかりした造りの家が見えてくる。この家が、自分と村尾さんが二人で暮らしている借家だ。
家が視界に入ると村尾さんの溶けてしまいそうに優しい笑顔が脳裏に浮かび、家へと向かう足が自然と早まる。
家の敷地に入ると、大げさ過ぎて全く使わない正面入り口をスルーして、右手の勝手口の前まで進む。脇に置いてある桶の水で手を洗ったあと、桶の縁にかけてある布で手を拭いた。
早く中に入って彼女の顔が見たいが、ひとつ深呼吸する。
軽くノックして、
「ただいま」
と中に向かって声をかけた。
少し間があって、
「あ。おかえりなさい!」
と村尾さんの嫋やかな声が、中から聞こえた。
嬉しそうな声に感じるのはおそらく自分の勝手な脳内補正だろう。勘違いしてはいけない。
中からトタトタと足音が近づき、ガタンとドアが開かれた。
今朝がた以来に見る、村尾さんだ。
「―――!」
肩まである髪を後ろでラフに二つに束ねた、普段あまり見ない髪型。
彼女が部屋着用にと珍しく欲しがったので買った、ワインレッド色の膝下丈のワンピースに、腰から下の白いカフェエプロン。
床が全体的に濡れているのでおそらく床掃除をしていたのだろう、素足に、そして裸足のままという、なんとも言えず無防備ないでたち。
突然、意味も分からず涙がこぼれそうになった。
単独での魔獣討伐で、思ったより感情が高ぶっていたのだろうか。あるいは眼前の村尾さんの姿が、それほどまでの不意打ちだったということだろうか。
変に怪しまれないように全力で涙腺を固めると、
「……ただいま」
ともう一度、照れ笑いしながら言った。
スッと身を寄せてきた村尾さんは、自分の腕を掴んで軽く持ち上げる仕草で全身を素早く眺めてから
「大丈夫でしたか? 怪我とか、してませんか?」
と、心配そうな表情で、やや見上げるような角度で自分の顔を見て、尋ねた。
本当に心配してくれていたようだ。
「うん。大丈夫。全然」
そう答えた自分に
「そうですか……」
ホッとしたような表情でそう言ってから、視線を上げて
「よかった……」
そして
「――おかえりなさい」
溶けてしまいそうな笑顔で、そう言った。
自分はもう、
「……うん」
そう返すのがやっとだ。
「あ……え~と、床を磨いてるんだね。手伝うよ」
何とかそう言って、食卓の椅子に背負っていたリュックを置く。
「いえ。もうすぐ終わるので。相良くんはお部屋で休んでください」
何か言おうとした自分に
「たくさん疲れたでしょ?」
そう続ける。
「でも……村尾さんもこんな大掃除、疲れてるでしょ。手伝うよ」
「平気ですよ。掃除は好きなんです」
答えになっていないような気はするが、村尾さんが掃除好きらしいのはよく知っている。
この世界に突然転移させられてからというもの、二人とも時間的にも心理的にも余裕がなくて、ゆっくり掃除する機会はあまり持てていない。だから今日のような、掃除に専念できる時間は本当に楽しいのかもしれない。
「本当にいいの?」
「はい。大丈夫です。休んでください」
確認する自分に、村尾さんは両手を後ろに組み、少し胸を反らせて笑顔で言った。両の素足は小さく交差させている。
「……」
この4ヵ月ほど、村尾さんを毎日見ているわけだが、いつもと違う今日の格別にアットホームな姿は、スマホの電池がまだ残っていたなら絶対残しておきたかった。
しかし今は、心のスクリーンショットとして保存しておくしか手立てはない。
「うん。じゃあ、邪魔にならないように、部屋に行ってるね」
「はい。そうしてください。ちゃんと休んでくださいね」
あまり掃除の邪魔をしても悪いだろう。
椅子に置いた荷物を取って、2階奥の自分の部屋に向かう。
「……あ。今日はそう言えば、ブルーベアを狩れたよ」
すぐに立ち去るのが惜しくて、今日の戦果の話をしてみる。
「そうなんですか! よかった……というか、でも一人の時は……無理しないでくださいね」
今は普通に倒せるようになったが、ブルーベアは過去に二人が命を落としかけた魔獣である。しかし倒して得られるものも大きく、村尾さんの反応も微妙だ。
「うん。無理はしてないから」
そう答えたが、こういう人間が一番危ない気もする。
「え~と、今日はこのあとお出かけ、でいいんだよね」
話題を変えてみる。
「はい! 相良くんが大丈夫なら」
今度は間違いなく嬉しそうな声だ。
「じゃあ、お掃除が終わって少し休んだら、出掛けようか」
「はい!」
村尾さんが嬉しそうに頷く。
今日はもともと、魔獣討伐は早めに切り上げて、貯まった素材をギルドに買い取ってもらいに行くついでに、街でいくつか店を見て回ろうと話していた。
元の世界とは品ぞろえも品質も比べられるものではないが、それでも買い物は楽しみらしい。
「え~と、相良くん、お腹はすいてませんか? お掃除の後になるけど、休んでる間に何か作りましょうか?」
そう、彼女はいつもこうなのだ。
ミッションを終えてきた自分がお腹を空かせていないか、そういうことに自然に思い至る人なのだ。
「ありがとう。でも大丈夫だよ。戻るときに、作ってもらったお弁当食べてから帰ってきたから」
「そうなんですね」
「うん。あ、ごめん。お弁当もすごく美味しかった」
今朝は彼女が、自分は行けないからと、カンパーニュにハムと野菜をサンドしたお弁当を作って、持たせてくれたのだ。
そして当然だが、そのお弁当は最高の味わいだった。
彼女らしい丁寧な作りの上に、村尾さん手製というバフがかかっているのだ。
「それはよかったです」
村尾さんは満足そうに言う。
「最高だったよ」
つい口をついてしまった。
ちょっとしつこいか。
彼女はフフ、と笑って、
「それは言い過ぎです」
ちょっと照れくさそうに言った。
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