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僕の話

「あ、こっちです!」


 雑踏の中に彼女を見つけて、僕は少し大げさに彼女を呼びつけた。先輩はそんな僕の姿を認めると、急に辺りをキョロキョロと見回し、やや早足で近づいてきた。


「恥ずかしいからそんなふうに私を呼ぶな」

「いいじゃないですかちょっとテンション上がっちゃうくらい」


 少し顔を赤くした先輩を見て、少し早くなる鼓動を隠すためにわざとらしく拗ねてみせる。彼女はそんな事情に気づかず、やれやれと呆れたような表情を見せた。


「それはそうとして、なんだその格好。暑くないの?」

「あれ、そういえばあの辺に行くのは初めてでしたっけ? あっちはこの時期そんなに暑くないんですよ」


 僕がそう答えると、彼女は一瞬ムッとした表情を見せたが、直ぐにそれをわざとらしい真顔に変えて生返事をした。


「上着まだ持ってるので、寒かったら言ってくださいね」


 僕は背中のリュックを見せつけて言った。予備の上着の他にも救急箱にタオル、折りたたみ傘なども予備を持ってきたので、リュックは大きく膨れ上がっている。


「ほいほい、ありがとね」


 張り切る僕をよそに、先輩はつれない返事をしてそっぽを向いてしまった。




「にしても、先輩も変わってますよね……植物ってそんなに良いんですか?」


 僕は少し振り返って先輩に言ってみた。分かってないなぁ、と言わんばかりに先輩はオーバーに呆れてみせる。


「当たり前だろう! あの瑞々しい力強さが分からないなんて……」

「いやだって、動物園行ったって檻の中の植物を見てるじゃないですか……」

「動物も好きだけどね。やっぱり植物だよ」


 正直釈然としなかったが、彼女が筋金入りの植物好きだというのは勿論知っていた。それこそ動物園でも道端や檻の中の植物を見ているし、植物園など行こうものなら一日が潰れる。


 大体、こうして歩いているだけでも先輩の視線は路傍の草や街路樹に向けられているのだ。おかげでただの移動にも時間がかかってしまうのだが、その辺りは計算に入れてプランを組んでおいた。


 やはり読み通り。 気を遣わせないようにさりげなくペースを合わせて歩きながら、僕は顎を引いた。


 空き地のような場所を通り過ぎようとした時、彼女の歩みが一段と遅くなった。先輩の見つめる先にはフサフサの穂をつけたひょろっとした植物が生えていた。僕はこんな時のために用意しておいた重厚な植物図鑑をカバンから引っ張り出した。


「それは、ススキという植物らしいです」

「ススキ、か……」


 彼女はそう言うなりその植物を見つめたまま動かなくなった。植物の美しさに思いを馳せている時の表情だ。こういう時は、今のように僕が植物の説明をしていても、あまり聞こえていないんじゃないかと思える。


「この辺りも、あと数ヶ月したらまた別の植物が生えているんじゃないかと思いますよ」

「え、そうなのか?」


 しかし、こうして彼女は案外話を聞いているのだ。やけに嬉しそうな無邪気な声が返ってきて、再び胸の鼓動が少しだけ早まる。


「先輩の住んでる辺りでは考えられませんもんね。こっちは数ヶ月ごとに気候が変わるんです。半年もして春になれば、色鮮やかな花たちが咲くんじゃないですかね」


 僕は予め調べておいた内容をつらつらと喋った。春の訪れを告げるに相応しい香気を纏う梅の小さな花を皮切りに、1ヶ月半くらいの期間を様々な花が競うように咲き誇る。凛と美しい白い花、穏やかな気候によく合う薄桃色の花、ダイナミックでたくましい大きな花、夜空に煌めく星のような小さな花……。


 話しているうちに、先輩が目を瞑っていることに気がついた。僕は少しだけ心が締めつけられた気がして口をつぐんだ。

 考え事をしている時の顔だ。彼女のこの表情は、とても美しく思う。いつまでだって眺めていたいと思う。

 でも、こうして彼女の横顔を眺めている時は、決まって妙な気持ちになる。


 先輩は今何を考えているのだろう。どこにいるのだろう。――誰と、いるのだろう。


 その事に思い当たった途端に、ぐっと苦しくなった。


 それによって、僕の心の奥底を渦巻くこの気持ちに名前がついた。いや、もう随分前から知ってたのかもしれない。それくらい、その名前は僕にとってすごく自然なものだった。


「春になったら」

 彼女は目を閉じたまま、ぽつりと言った。


「え?」

「……何でもない」


 つい聞き直すと、目を開いた彼女は拗ねたように顔を背けた。


 春になったら、なんですか?

 春になったら、また僕とここに来てくれますか?


 脳裏に浮かんだ問いは、口にすることはできなかった。複雑な感情を表現してしまいそうな口元にわざと単純な笑みを宿して、僕は軽口を叩く。


「ひょっとして先輩、ここ気に入っちゃいました?」

「さあね」


 彼女は冷たくあしらって背を向け、道も知らないくせに先を歩き出した。


「待ってくださいよう」


 なんだよ。僕だけやきもきして、なんか馬鹿みたいだ。


 今しがた名前のついた感情が、僕たちを見送るススキには見透かされているような気がした。

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