公爵令息ヴィルヘルム②
「ロレッタの話はわかりました」
そう言うと、ヴィルヘルムとロレッタの顔がぱあっと明るくなり、対照的にアデラインの顔色は悪くなる。この話はここで結審だと思ったに違いない。
「では次に、アデラインの話を聞きましょう」
わたくしの言葉に、部屋が静まり返った。
侍女たちまで目を見開いている。この家でアデラインの話が聞かれたことなど、一度もなかったのだろう。
(ずいぶんなことをするのね、イレーヌ)
ひとつため息をつく。見て見ぬふりを続けてきたのだ、わたくしは。
もう頭だけじゃなくて胃も痛くなってきてしまった。
「アデライン。あのとき何があったのか、あなたの口から説明してごらんなさい」
「母様。もうロレッタの話で十分ではありませんか。これ以上アデラインに喋らせても」
「ヴィルヘルム」
言葉を遮るヴィルヘルムを、わたくしはキッと睨みつける。イレーヌが口出しすることがよっぽど想定外なのだろう。
「わたくしはロレッタの話はわかったとは言ったけれど、それが正しいと認めた覚えはないわ。片方の話だけで決めるのなら、話を聞く意味などないでしょう」
「ですが」
「わたくしにはアデラインから話を聞く義務があり、この子には話す権利があります。それとも、この家では違うのかしら」
「そ、そんなことは…………ありませんが」
ヴィルヘルムが口を開いて、そのまま閉じた。
その様子を一瞥して、わたくしはアデラインに向き直る。
「アデライン、どうぞ仰って。あなたの身に起きたことをひとつずつ。焦らなくていいわ」
「は、はい。……書庫におりましたら、侍女の方が参りまして。『イレーヌさまがお呼びです、サロンへお越しください』と言いました」
「そうね。あなたは呼び出されたと言っていたわ。どの侍女かしら」
アデラインがそっと視線を動かした。その先に、壁際で控えている娘がいる。ロレッタが屋敷に来るときにいつも連れてくる侍女だ。
「あなたね。わたくし、アデラインを呼んだ覚えはないのだけれど、どういうことかしら」
尋ねると、侍女の顔から色がなくなる。まさか追及されるとは思っていなかったのだろう。この気弱だった公爵夫人に。
「も、申し訳ございません。聞き間違えたのでございます。私の不注意でございました」
「聞き間違い。ずいぶんと都合のよい耳をお持ちなのね」
呼ばれたと言われて、アデラインは書庫を出たのだ。お茶会に招かれたと思ったのだろう。だから急いで階段を上がってきた。
そこでイレーヌに、なぜあなたがここにいるのと叱られた。
わたくしは胸元を押さえた。息が詰まる。わたくしがやったことだ。苦しい。
「イレーヌさま! やはりお加減が悪いのでは。ゆっくりお休みになってくださいませ」
真っ先に立ち上がってイレーヌを心配してくれたのは、今まさに突き落としたと疑われているアデラインだった。
ここで話を終えれば、自らの嫌疑は晴れないというのに。
(なんていい子かしら……)
「平気よ。座ってちょうだい、アデライン」
わたくしは息を整えて、顔を上げる。
この子のためにも、一度ここで皆に釘を刺すべきだと思えた。
「アデラインが押すところを見たということは、ロレッタ、あなたも階段のそばにいたのよね。どうして? サロンでお茶をいただいていたはずでしょう」
「えっ? それは、その、外の空気を吸いに……」
「わざわざ同じ時に?」
「わたし、その、気分が悪くて」
「母様!」
しどろもどろになるロレッタを庇って、ヴィルヘルムが声を上げる。本当にこの息子はもう!
「まさかロレッタを疑っているのですか。この子は何もしておりません」
「ではあなたに伺います、ヴィルヘルム。わたくしが落ちたとき、ロレッタはどこにいたの。正確に答えなさい」
「それは」
「正確に、と申しました」
息子の視線がさまよった。ロレッタを見て、わたくしを見て、それから床に落ちる。
「階段の、上です」
ロレッタがヴィルヘルムの袖を掴んだ。爪が食い込むほど強く掴んだのが、こちらからも見えた。
話しているうちに、わたくしの記憶も少しずつ戻ってきた。
確かにあのとき、階段の上にはアデラインとロレッタの二人がいたように思う。
「つまり、わたくしが落ちたとき階段の上にいたのは、アデラインとロレッタの二人。そういうことになるわね」
「で、でもわたし、見たんです。アデラインさまが確かに手を伸ばすのを」
「そう。ではもうひとつ伺うわ。あなたのほかに、それを見た者はいるのかしら」
「わ、私が見ておりました」
声を上げたのは、先ほどの侍女だった。
「間違いなく、アデラインさまがお手を伸ばしておられました」
「あなたはどこにいたの?」
「階下でございます。アデライン様をお呼びしたあとでしたので。なので、はっきり見えました」
「階下から、ねえ……」
わたくしは屋敷の構造を思い出す。それから階段から落ちる直前の配置を。
「我が家の階段は途中で折れているでしょう。踊り場から上は、下からは見えないはずよね」
侍女の唇が動いて、音にならずに止まった。
「見えない場所のことを、間違いなく見たと言うのね。先ほどは聞き間違い、今度は見間違いかしら」
「それは、あの」
「あなたのお話は信用ならないわ」
ピシャリと言い切ると、部屋に沈黙が落ちた。
誰も口をきかない。ロレッタの肩が小刻みに動いている。




