26. 踊り場で
昼食は、サボテンの芽が出てからは温室で食べるようになっていたが、俺はあの日以来、教室で食べることにしていた。
お一人様、再び、だ。
「いやもう、ホントに暑くて。俺、暑さに弱いんよ。ホント、ごめん」
だのなんだの言い訳をして、なんとか逃れてきたのだが、ある日の昼休憩、温室に行く前に尾崎が俺の前に立った。
「ちぃと話があるんじゃけど、ええ?」
顔はニコニコと笑ってはいるが、目は笑っていない。これはご立腹だとすぐにわかった。
「先行っとこ。先」
「え、う、うん……」
木下は川内を連れて教室を出て行く。それを見送ったあと、尾崎も俺を教室から連れ出した。そして階段の踊り場に俺を引っ張っていく。
俺を壁際に置いてその前に立った尾崎は、いきなり足を振り上げて、ドン、と俺の横の壁に足の裏を押し付けた。
ご立腹なんてレベルではないようだ。というか、これも壁ドンというものに含まれるのかな、とそんなバカなことを考えた。
「ウチは怒っとる」
「うん」
見ればわかる。
「なにがあったんか知らんけど、謝っときんさいね」
その言葉に返事はしなかった。それが尾崎の怒りをさらに増幅させたらしい。
「なんなん? 謝る気はないん?」
低い声で問い詰めてくると、さらに目を吊り上げて俺を睨みつける。
「それは、川内からなにか聞いて、それで俺が悪いと判断して言うとるん?」
できるだけ冷静さを保った声でそう言い返すと尾崎は、はあ、とこれみよがしにため息をついたあと、足を下ろした。
「なにがあったんか知らん、言うたじゃろ。なんも聞いとらんよ」
「なのに俺が悪いと一方的に決めつけたん?」
「だって悪いに決まっとるもん」
苦笑が漏れた。ここまでくると、さすが、としか言いようがない。
「まあ……どう考えても、俺が悪いよ」
「やっぱり」
「でも、どうしたらええかわからん……いうか」
自分の中で、この感情をどう処理したらいいのかわからないのだ。そんな状態で謝ったって、それは意味のあることだとは思えない。
尾崎が今度は腕を組んで、見下すような視線を向けてきた。
「ウチ、言うたよね? ハルちゃんと一緒におってって」
言われた。確かに言われたが。
「あれは、尾崎が帰ってくるまでの話じゃないんか」
「そんなこと、一言も言うとらんのんじゃけど」
そう返事して、じっとこちらを見ている。どうやら、ご立腹なのはその約束を違えたからもあるらしい。
そう思いながら尾崎の顔を見ていると、口元がゆっくりと動き出した。
「まさかアレ聞いて、痛いとか思うとるんじゃないよね?」
「えっ」
アレ。川内が植物と会話しているということ。
俺の表情を見てわかったのか、尾崎は大きくため息をついた。
「やっぱり聞いとるんじゃね」
「……知っとるんか」
川内は、尾崎には内緒にしていたのではなかったのか。
尾崎は軽く肩をすくめながら、苛立ちを隠すことなく口を開く。
「園芸部入った言うたらさ、ご丁寧に教えてくれるバカがおったんよ。仁方から来よるの、一人じゃないけえね」
小学時代、中学時代から逃げるようにこの山ノ神高校に来たというのに、それでもまだその話が付きまとっているのか。それはなんだか腹立たしかった。
「それ、川内には」
「言うわけないじゃろ。ウチはチクるのは性に合わんし、それ聞いたってハルちゃんが傷つくだけじゃん。意味ないわ」
「そう」
尾崎の返答を聞いて、ほっと息を吐く。それに尾崎は川内が心配していたように、『おらんようになる』ことはないのだ。よかった。
俺の表情を見たのか、尾崎は少し首を傾げて問うてきた。
「それが原因じゃあないんじゃね?」
「ああ……、それ自体は……痛いとかは思うとらん」
「ふうん?」
それでも疑わしそうに、半目でこちらを眺める。どうやら白黒はっきりつけたいようだ。しかし誰にも踏み込んで欲しくはなかった。
「……説明する気はないんじゃけど」
「ウチにも?」
「うん。俺の問題じゃし」
俺がきっぱりとそう口にすると、尾崎は一歩下がって、そして肩を落とした。
「まあとにかく、昼は温室に来んさい。ヘラヘラ嘘つかれて気分悪いし、気まずいわ」
「……わかった」
確かに、逃げ回っていても仕方ないのは確かだ。自分で言ったように、俺自身の問題で、いつかは俺がその問題をクリアしなければならない。
それがいつになるのかは、わからない。けれど逃げ回るのだけはもう止めようか、という気にはなった。
尾崎は、くい、と指先を校舎の外に向けて動かした。
「ほいじゃあ温室行くよ」
「ああ……いや、明日からにする」
「ええ?」
俺のその返事にどうやらご不満らしく、眉をひそめる。
「明日の朝、川内に話をする。あっちにも言いたいことがあるじゃろうし」
それを聞いて尾崎はしばらく黙って俺を見つめていたが、少しして、はあ、と肩の力を抜いた。
「まあ……それでもええけど。じゃあ明日からね」
「うん」
それで話はついたと思うのに、尾崎は足を動かさず、考え込んだあとに顔を上げて問うてきた。
「なんかヒントないん?」
「ヒント?」
「うん、喧嘩の原因のヒント」
俺がだんまりのままなのが、気になって仕方ないらしい。
ヒントねえ、と考えたあと、ぽつりと教えてみた。
「まあ、簡単に言うたら、嫉妬しとる」
「はあ? 嫉妬? 誰に?」
わけがわからない、というふうに眉根を寄せる。
川内は大人しい気性だから、園芸部以外では積極的に誰かと話をすることはない。なのに嫉妬? と思うのは、無理はないのかもしれない。
「内緒」
「……まあ、ええけどさ。嫉妬とか、こまい男じゃねえ」
「『男じゃ女じゃ言うな。差別じゃ!』」
尾崎の口調を真似して反撃した。いつか彼女が木下に浴びせた言葉だった。
尾崎は口を尖らせる。
「はがええわ」
本当に腹立たしそうに告げた言葉に、笑いが零れた。くつくつと笑っていると、腰のあたりを肘で小突かれる。
「まああんたも、いつまでも、はぶてとりんさんなよ」
「はぶてとるように見えるん?」
「違うん?」
そう問われて、少し考えてみる。
確かに、『はぶてとる』以外のなにものでもないような気がした。
そのあと尾崎と一緒に、ひとまず教室に帰る。後ろの扉から二人で入ると、なぜか教室内の他の生徒からの注目を浴びた。なんだろう、と首を傾げて考えてみるが、思い当たる節はない。
尾崎はまったく気にならないようで、自分の机にさっさと足を進めると、弁当を取り出し、そしてそれを持ってまた出て行こうとする。
その前に、一度、こちらを振り返った。
「じゃあ、明日からね」
「ああ、うん」
「逃げんさんなよ」
低い声で、こちらを睨みつけながら、そう告げる。
「……うん」
もうそう返すしかないので、こくこくと首を縦に動かした。
尾崎はそれを見て満足そうにひとつ大きく頷くと、意気揚々と教室を出て行った。




