24. サボテンの芽
それからも毎日、朝は温室に向かった。でもあまり手伝えることはなくて、窓を開けたり、あるいは閉めたり、じょうろに水を汲んだり、その程度のことしかできなかった。
川内はいつも、「元気?」「かわいいね」なんて声を掛けながら水遣りをする。
慣れているはずなのに、ときどき、自分が話し掛けられたのかと思ってパッとそちらを振り向いてしまうこともある。
川内はそんな俺に気付かないまま、柔らかな声で、穏やかな表情で、植物たちと接している。
もしかしたら本当は、俺が朝、温室に来るのは迷惑なんだろうか、と不安になってくる。そもそも、最初から川内は、『一人でやりたい』と発言していた。気弱そうに見えて頑固なところもあるから、そこはもう揺らがないのではないだろうか。それなのに無理強いしたのは俺だ。
俺は実は、邪魔者なのではないだろうか。俺だけが、川内と二人で過ごしたいと思っているのではないのだろうか。俺だけが、この温室の中で異物なのではないだろうか。
そんな不安が、毎日、俺の中に降り積もっていく。
しかし今日も温室は、穏やかで暖かで居心地のいい空間なのだった。
◇
『そろそろ、芽が出るかも』
とコミュニケーションアプリで連絡が来たのは、朝、自転車を漕いでいるときだった。グループでメッセージが来たので、当然、尾崎と木下にも届いているだろう。
俺は自転車を漕ぐ足の動きを速くして、心臓破りの坂を上りきる。走って温室に向かうと、川内はしゃがんで植木鉢を覗き込んでいたが、こちらを振り向いてにっこりと笑った。
「よかった、授業中とかじゃったら、絶対無理じゃもん」
「どれ?」
「サボテンよ」
川内は植木鉢を指差す。俺も隣にしゃがみ込んで鉢を覗いてみるが、どこにも芽らしきものはない。
「え、芽はどれ?」
「これから出るんじゃもん、まだ芽は出てないよ」
川内は当然のようにそう答えた。
「これ、種。土は被せてないけえ」
川内が指差して教えてくれる。俺には周りの土との違いはいまひとつわからなかった。
「千夏ちゃんが来るの、待っとるんよねー」
そう植木鉢に向かって、笑って話し掛けている。
まさか本当に。芽が出るタイミングがわかるというのだろうか。
あの二人が学校に来るのは、あと一時間くらいか。いや、メッセージを受けて早めに来るのかもしれない。
「それまで、水遣りしよこ?」
「あっ、ああ、うん」
じょうろに水を汲んで、そしてまた植木鉢を覗き込む。やっぱり土の茶色しかない。そうしてソワソワと他の植木鉢への水遣りの合間に何度も見てみるが、芽は出ていない。
「まだよー」
くすくすと笑いながら、俺が鉢を覗き込むたび、川内が声を掛けてくる。
そうこうしているうちに、尾崎と木下が同時に温室に走り込んできた。
「出たんっ?」
「どれっ?」
ハアハアと息せき切って、川内のほうにやってくる。
「これ。サボテン」
川内が植木鉢を指差すと、二人はしゃがみ込んで土の表面を覗き込んでいる。
「まだ出てないんか? もしかして今から?」
「まさか、そんな都合よくは……」
「あっ、これ!」
尾崎が植木鉢の上を指差す。
俺も慌てて後ろから、膝に手を当てて屈み込んで見てみる。まさか、そんな。よくよく見ると、小さな小さな白い点があったのだ。
嘘だろう。さっきまで、絶対になかった。だってあんなに何度も見たのに。
「最初に見たときは、なんにもなかった気がしたのに」
愕然とする俺を他所に、尾崎と木下ははしゃいだ声を出している。二人は今来たばかりだから、なんとも思わないのだろうか。
「見落としとったんじゃろう」
「今出たとか!」
「ええー? さすがにそれはないじゃろ?」
いや、今、芽が出たのだ。尾崎が来るのを待っていたかのように、発芽したのだ。
「うわあ、なんか感動するう」
「ホンマに芽が出るんじゃのう」
尾崎と木下は、弾んだ声でそんなことをしゃべっている。川内はニコニコして、植木鉢を眺めていた。
そのとき初めて俺は、本当に川内は植物の声を聞いているのかもしれない、と思ったのだった。
◇
サボテンの芽が出てからというもの、昼休憩は温室で過ごすようになってしまった。
窓も全開で扉も開けて、それでも暑いが、サボテンのためだと思うと快適に思えるから不思議だ。
サボテンは豆粒のような大きさなのにトゲはちゃんとあるので、なんだか可愛い。
「水遣ってもええ?」
尾崎は事あるごとにそう訊いて、川内を困らせている。
「サボテン枯らしたことがあるいうの、納得するわ」
木下はそんな尾崎を見て、呆れかえっていた。
「全然水を遣らんのも、遣りすぎるのもいけんって、ワシでもわかるわ」
「だってー」
「水遣っても良うなったら教えるけえ」
川内はなんとか尾崎を止めることに成功している。おかげで順調にサボテンは育っている様子だ。
「あっ、そうそう」
尾崎は弁当の唐揚げをモグモグと食べながら話し始めた。
「今日、じいちゃんの引っ越しなんじゃ」
「へえ、じゃあ今日からなんじゃ。よかったな」
「じゃけえ、ワシも駆り出されとる」
「あ、そうなんか」
「家具とか運ぶけえ、男手がいるいうて」
木下は少し口を尖らせている。でも本気で迷惑だと思っている様子ではない。むしろ照れ隠しだろう。
「ほいじゃけ、今日は千夏もワシも部活は休みじゃ」
「うん、わかった」
「まあ、たまには二人きりで帰るんもええじゃろ?」
尾崎がニヤリと笑って、こちらに顔を向けた。川内は真っ赤になって、少し俯いている。
……うん。この様子だと、嫌だと思っているわけではなさそうだ、と心の中で自分を慰める。
「俺らにそうは言うけど、それはそっちもじゃろ?」
そう返すと、尾崎と木下は顔を見合わせて、それから同時に首を傾げた。
「なんかもう、小さい頃から一緒におりすぎて、ようわからんわ」
「まあのう」
そんな二人を見ていると、ドキドキするとかキュンとするとか、そういう恋愛ではなく、まるでもう本当の家族みたいな関係なんだろうな、と思える。
俺みたいに、ほんの少しのことで一喜一憂しているのはバカみたいだな、とちょっと情けなくなった。
◇
ということで、放課後は二人きりで帰ることになった。尾崎と木下には申し訳ないが、少し嬉しい。
川内はどう思っているんだろう、やっぱり尾崎がいないと寂しいのかな、二人きりは気まずいと思わないかな、と駐輪場から自転車を出しながら、ちらりと横目で川内を見る。
しかし彼女は、近くに生えているツツジの木をじっと見つめていた。こちらには目もくれない。もしかしたら今、会話しているのかもしれない、と少し肩が落ちる。
「神崎ー!」
しかし、どこかから大声で呼ばれて、顔を上げる。
校舎三階、二年生の教室が並ぶ階の窓から、何人かの男子がこちらを見ていた。
理系の教室。そしてそこにいるのは、一年生のときに同じクラスだったヤツらだ。この時間なら補習なのだろうか。
「お前、裏切りかー!」
「なんじゃそれ、自慢かー!」
「文系、滅びろー!」
ふざけたように笑いながら、こちらに大声を向けてきた。
それを聞いた川内が、驚いたようにオロオロとこちらに近付いてきた。
「えっ……ど、どうしよう」
どうしようもこうしようも。
「いいよ、放っておけば」
「で、でも。大丈夫なん……? 一年のときは仲良かったのに……」
それを聞いて、思わず噴き出した。ああ、なるほど、そういう解釈か。
「いや、違うし。あれ、ホンマに怒っとるわけじゃないけえ」
「そ、そうなん?」
不安げに首を傾げるので、俺は理系の教室に向かって親指を立ててみせた。
「うっわ、余裕かー!」
「ぶちはがええー!」
「これだから文系はー!」
それを見て、冷やかされているのだと気付いたらしい川内は、俺から少し距離を取った。
「帰ろう」
「う、うん」
声を掛けると、おずおずと足を踏み出す。
ふと上に視線を向けると、教室の中から「なにをしよるんじゃ、お前らはー! まだ補習がしたいんかー!」という怒号と、「うわっ、やべっ」とかいう声が聞こえた。
あの怒鳴り声は、浦辺先生の次に怖いと噂の、数学の佐藤先生だ。ご愁傷様、と心の中で祈る。
それから二人で並んで校門を出る。川内のほうに視線を向けると、彼女は頬を紅潮させていた。
やっぱり可愛いな、と思う。
「通学路、長いけど」
俺が話し始めると、川内はこちらを見上げてきた。
「川内が彼女で、それを自慢できるみたいで、ええなって思う」
そう続けて話すと、川内はさらに顔を真っ赤にして、そして俯いてしまう。
「仁方は……ちょっと遠いけえ、無理じゃけど」
「うん」
「でも私も、みんなに自慢したいなって思うときある……」
恥ずかしそうに、小さな小さな声で、そう答える。
ヤバい。嬉しい。ものすごく、嬉しい。
「じゃあ今度、仁方に行こうか」
「なんにもないよ?」
「そうなん? でも焼山もなんにもない」
「やっぱり呉?」
「でも呉もそんなに遊ぶとこないよな」
長い通学路をゆっくりと歩きながら、俺たちはこれからの未来について語り合う。
「艦船巡りって知っとる?」
「知らんよ。なに?」
「呉桟橋から船乗って、潜水艦とか護衛艦とかを近くで見れるんと。一回、乗ってみたかったんじゃ」
「面白そうじゃね」
「今度、一緒に乗ろう」
「うん」
「あと、どっか行きたいとこある?」
「あっ、今年はもう終わったけど、来年は、音戸大橋のツツジを見に行きたい」
「ええね」
「遠いけど、呉駅からバスで行けるよ」
「免許取ったら、姉ちゃんの車借りて、もっと遠くに行きたいな」
「危なくない?」
「たぶん、姉ちゃんの運転よりは危なくない」
「こないだ乗してもろうたときは、危ないって思わんかったよ?」
「そりゃあ短い距離じゃったけえじゃ。姉ちゃんの運転は怖い」
「そうなん?」
川内はクスクスと笑う。
こうしてずっと一緒にいられたらいいな、と思う。川内の隣は、とても安心する。
通学路の横の竹林が、さわさわ、さわさわ、と静かな音をたてていた。




