23. 強い子
翌朝、温室に向かうと、やっぱり川内はすでに登校していた。
「いったい、何時に来よるん?」
この前と同じくらいの時間に到着したのだが、今日も俺のほうが遅かったということは、常にこれより早く来ているということだろう。
「さっき来たばっかりよ」
微笑みながら川内は答える。そんなことはないと思うのだが、これ以上早く来る必要はない、という意味かもしれない。
俺はよこしまな気持ちでここに来ているが、川内は純粋に植物の世話をしているのだから、邪魔をするのも気が引ける。
「なにしようか?」
「あっ……あのね、じゃあ、天井の屋根開けて。今日、暑そうなけえ」
「うん、わかった」
制服はまだ夏服ではないが、ブレザーは脱いで長袖のシャツで過ごすようになっていた。
今は、温室はとても心地良いが、そのうち暑すぎて長い時間過ごすのはしんどくなってくるだろう。
立て掛けてあった長い棒を手に取り、天井の窓を開ける。下から上に動かすので、けっこう力が必要だった。ギイッ、と嫌な音がするので油を差したほうがいいのかもしれない。
「下からハンドルとかで操作できるのじゃったらええんじゃけど」
俺の作業を見ていた川内が、ため息交じりにそう零す。
もちろんそういう便利なもののほうがいいだろう。でも公立高校にある温室だし、できるだけ安価なものになっているのではないだろうか。
でもなんにしろ、こうして川内の役に立てるのなら少々不便なほうがいい、と思ったのは内緒だ。
「元気?」
「えっ」
ふいに川内の声がして、慌ててそちらに首を巡らせる。川内も驚いたようにこちらに顔を向けてきた。
違った。花に話し掛けていたのだ。
「あっ、ごめん、呼ばれたかと思うて」
「あっ、ううん」
「ごめん、気にせず続けて」
「う、うん」
川内は頷くと、またひとつひとつの植木鉢に声を掛けながら水遣りをしていく。
「今日も綺麗なね」
「もうそろそろ?」
「じゃあ、今度、広いところに移ろうね」
俺はその優しく穏やかな声を聞きながら、次の窓を開けるのに取り掛かった。
◇
「ショートは火曜日までなんじゃ。じゃけえ、今日は部活に出れるよ」
教室に戻ったあと、ニコニコしながら尾崎がそう報告してくる。川内は眉尻を下げて心配そうにしていた。
「大丈夫? 無理せんでええよ?」
「無理なんかしよらんよー。がんばるけえね!」
そう軽やかな声を出すと、腕を上げて力こぶを作ってみせる。
「ほいじゃが、もうそんなにがんばることはないで?」
手をひらひらと振りながら、木下が水を差してきた。
「花壇はチューリップ植えるの待ちじゃし、畑はもう耕して苗も植えとるし、温室の花の水遣りは朝、川内がやりよるし、プランターは芽が出るの待ちじゃし」
「そうなん?」
少しがっかりしたように、尾崎が肩を落とす。男子二人としては、力仕事がなくなって楽になってきた、という感じなのだが、張り切っていた尾崎としては肩透かしといったところだろう。
「まあ、畑とか温室とか様子を見に行くんでもええんじゃない? なんもなけりゃ帰りゃいいんじゃし」
そう話し掛けると、尾崎は少し口を尖らせた。
「なんじゃあ。張り切っとったのになあ」
「でも毎日様子を見るんは大事なよ? 一緒に行こ」
川内の言葉に、尾崎はうん、と頷いた。
あんなに気が強いのに、相変わらず尾崎は川内の言うことだけはよく聞く。
◇
結局、特にやることもなく、放課後は温室内でワイワイとしゃべるだけになってしまった。そこに浦辺先生がやってきて、尾崎の顔を見て嬉しそうに笑った。
「四人、揃ったのう」
「じいちゃんが施設に入居したら、また毎日部活に来れるよ。あと少し」
と尾崎がニコニコとして返した。敬語などどこにもないが、それに注意する気も失せたらしい。浦部先生はただ小さく笑っただけだった。
「ほうか、そりゃあ良かったのう。いうか、尾崎は案外、真面目じゃのう」
「案外って」
「最初は、名前だけの幽霊部員になるんか思いよったで」
腰に手を当ててそう話し始める。
「昔は園芸部員もいっぱいおったみたいなが、ほとんど幽霊部員じゃったらしいんじゃ」
「へえー」
「まあワシが赴任する前の話じゃけえ、正確なところはようわからんが。ワシが山ノ神に来てからは、部員が一人か二人のときしか知らんのう」
それは顧問が浦辺先生だからでは……と思ったが、口には出さなかった。
そのとき、あ、と思いつく。なるほど。それは先生自身もそう考えていて、だから顧問が誰か黙っておけという話になったのか。
「でもお前ら全員二年生じゃけえ、三年になって引退したら、園芸部がまたなくなるで」
またなくなる。それはちょっと寂しい。俺は川内目当てのようなものだが、それでも畑を耕したり花壇を整えたりして、それなりに愛着もある。あの畑がまた草ぼうぼうの状態に戻ってしまうのは、ちょっと嫌だな、と思った。
「一年生、勧誘せんと」
「とりあえず、ポスターとか書く?」
「野菜育ててバーベキューやるいうて書いたら、釣られるヤツもおるんじゃないか」
「……それは……止めとけ。非公式なけえ」
「あっ、今までのポスターあるよ。たぶん生徒会室にある」
川内が明るい声を上げて、パッと立ち上がった。
「参考にしようと思うて、一回、見してもろうたことある。取ってくる」
言うが早いか、川内は踵を返して温室を出て行った。どうやら張り切っている様子だ。
その背中を見送っていると、ちょいちょい、と尾崎が俺の肩を指で叩いた。そちらに顔を向けると、尾崎が神妙な顔をして口を開いた。
「あのあとさあ、あの三人に会わんかった?」
不安げな声音で、そう問う。どうやらずっと気になっていたのだろう。川内がいなくなるタイミングを計っていたのかもしれない。
「ああ、うん、会わんかった」
「ほうなん? ほいならええけど。なんか感じ悪かったじゃん? じゃけえ、心配じゃって。ハルちゃん、なんかあっても我慢しそうじゃし」
それを聞いた木下が、肩をすくめた。
「心配しすぎなんじゃないんか。ちぃと過保護で?」
「ほうかもしれんけどー。ハルちゃん、なんか言われても言い返しそうにないし、心配にもなるわ」
「まあ、わかるけどのう」
そう納得すると、三人で黙り込む。
確かに、少し心配ではある。俺は、小学校、中学校時代の話も聞いたし、それで泣いていたのも見た。俺の知らないところで、またからかわれたりしているのではないかと不安にはなる。
そして川内は、たぶん、それを誰にも相談してこない気がする。
すると、それを黙って聞いていた浦辺先生が、ふいに口を開いた。
「お前らって、全員中途半端なんよな」
いったいなんの話が始まったのかと、三人とも浦辺先生のほうを振り返る。
先生は腕を組むと、続けた。
「ワシはいろんな高校に行っとるけえ、そう思うんじゃが、学校自体が中途半端な立ち位置じゃけえかのう。ものすごい進学校でもないし、落ちこぼれとるわけでもないけえ、まあそういう生徒が集まっとると言われればそうなんじゃが」
……ひどい言われようの気がする。
というか、先生はどうして今、この話をし始めたのだろう。
「規則が厳しいだの、シャトルバスを出せだの、ブーブー言う割に、なんもせんのんよな。生徒会を通して、みんなでそういう要望を出せばええのに、そういうことはやらん。ブーブー文句たれるばっかりよ」
「だって……」
そうすると、心証が悪くなる気もするし、学校生活になんらかの影響があるかもしれない。
なにより面倒だ。皆の意見を取りまとめ、学校に対して意見する、その労力はいかばかりか。それなら三年間、我慢したほうが楽だ。
「気持ちはわからんでもないが、張り合いはないよのう」
ため息交じりに、そう零す。
「じゃあ、希望を主張したところで先生らに張り合われるん?」
「そりゃそうじゃろ。まあ、なんもせんほうが、ワシらは楽で?」
楽なら文句をつけないで欲しい。
しかし、浦辺先生は続けた。
「でも、川内はワシのところに来たで。園芸部はもうないんですか、って。昔はあったのに、どうしてないんですか、って」
その言葉に温室内は、しん、となる。
一年のときは園芸部の部員はたった一人だった。先輩もいなかった。川内は一年間、ただ一人の部員として活動していたのだ。
「部員がおらんだけで、別に復活させてもええで、言うたら、じゃあ入るから復活させてください、言うたで。あれは大人しそうじゃけど、けっこう強い子じゃわ」
そう語って、うんうん、と頷く。
確かに。もし俺だったら、たぶん、なにもしない。仮にやりたいことがあったとしても、もうないのなら、と諦める。
「芯が強い、いうのはああいう子のことよ。強そうに見えて弱いとか、弱そうに見えて強い、いうのはいくらでもあるんじゃけえ、決めつけるなよ」
尾崎はその発言に、少し目を伏せた。
気の強い尾崎。向かうところ敵なし、といった感じの彼女だが、お母さんが倒れたと聞いて、明らかに動揺して冷静さを失っていた。もちろんお母さんが倒れただなんて大変なことだが、いつもの尾崎からは考えられないような狼狽えようだった。そのことを思い出しているのかもしれない。
「ただ、助けを求められたら、絶対に手を貸せ。友だちて、そういうもんじゃろ」
その力強い言葉に、俺たちは顔を上げる。そして顔を見合わせて頷いた。
それは大丈夫。絶対に見捨てたりしない、と無言で確認し合う。
浦辺先生はその様子を見て、口の端を上げた。
「あと、お前らでどうにもならんようになったら、必ずワシに報告せえ。力にはなっちゃるけえの」
そう締めくくって胸を張る。浦辺先生は怖いが、頼もしい。確かに、なにかあったらなんとかしてくれそうな気がする。なんだか少し、見直した。
「去年と一昨年のしかなかったー」
そのとき川内が温室に帰ってきて、その話は終わりとなった。




