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彼女のテレパシー 俺のジェラシー  作者: 新道 梨果子


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18. 川内遥

 それから俺は、畳まれたパイプ椅子をひとつ広げて、ベンチに座る川内の前に位置取った。どんな悩みかは知らないけれど、とにかく聞こう、と自分に言い聞かせる。


『アドバイスが役に立つことって、三十回に一回くらいしかないわ』と以前姉ちゃんが愚痴っていたことがあるので、俺なんかのアドバイスだと百回に一回くらいになってしまうかもしれない。

 とにかく、聞くこと。と、何度も心の中で唱える。


 しかし川内はソワソワとして、なかなか口を開かない。急かすのは悪手だというのはなんとなくわかるので、とにかく待った。

 しばらくしてようやく落ち着いたのか、川内は覚悟を決めたように、ひとつ頷いた。


「あの……見とった……よね」


 そうぼそりと話し始める。


「え、なにを?」


 本気でわからなかったので聞き返すと、川内は驚いたように目を見開いた。


「えっ……見てなかったんじゃ……」

「えっと、なにを?」


 再度、そう訊いてみる。すると川内は、少しもごもごと口を動かしたあと、小さな声を出した。


「植物に……話し掛けとったの……」

「ああ、うん」


 それは見ていた。なので肯定する。

 川内はさらに驚いたように、少し身を乗り出してきた。


「え、見とったん……?」

「え? うん」


 頷いて返す。それがどうかしたのだろうか。やっぱり恥ずかしかったのだろうか。でも、植物に話し掛けるなんて、そんなに珍しいことでもない気がする。話し掛けると綺麗な花を咲かせる、なんてよく聞く話だし。別に恥ずかしがるようなことでもない。


「気持ち悪く……なかった……?」


 川内は上目遣いで、そんなことを訊いてくる。


「え? いや?」

「そうなんじゃ……」


 そうつぶやいて、考え込んでいる。

 なんだ、そんなこと。俺は心の中で胸を撫で下ろす。植物に話し掛けるのを見て、それを気持ち悪いと思うかって? いやそれはいくらなんでも考えすぎなのでは、と思った。


「だって、サボテンとかに話し掛けたらよく育つ、とか言うじゃん。だから、それかと思って」

「あ、ああ……そう……」


 そう戸惑った様子で返事をすると、また川内は黙り込んでしまった。

 なんだなんだ。それで終わりの話ではないのか。それは気にしすぎだよ、と慰めるべきなのだろうか。


 しかし、すんでのところでなんとか思いとどまる。

 だって、あんなに顔色を蒼白にしていた川内がそんな慰めの言葉で、そうだね、と納得するかと訊かれたら、しないだろう、としか返せない。


 とにかく、聞くこと。俺はまた最初に思ったことを、自分に言い聞かせる。『私がしゃべっているときに余計な口を挟むな』と、小さい頃から姉ちゃんにさんざん鍛えられてきたのだ。根気強く聞くのはお手の物のはずだ。


 俺は川内が再度口を開くのを、しばし待った。

 少しして、川内は膝の上で組んでいた手をぎゅっと握りしめた。そしてか細く、けれどはっきりした声を発する。


「あの、あのね、信じんでもええけえ、笑わんといてね?」


 さっきもそう言われた。先刻承知だ。


「うん」


 俺は深く頷く。それを見て川内は、表情を綻ばせた。そして口を開く。


「植物に話し掛けとるのはね。私、植物の言葉が、わかるんじゃ」


 それを聞いて、俺はしばらく黙り込んでしまった。

 川内は、少しの間俺を見て、そしてまた俯いてしまう。膝の上の手が震えていた。


「えーと」


 植物の言葉がわかる? つまり、一方的に話し掛けているのではなく、会話をしていた、ということか?

 そりゃあ、マンガやアニメではそういう設定はよくある。もしかしたら、どこかにそういう人がいるのかもしれない、と思うこともある。


 しかし目の前の川内がそうなのだ、と聞かされても、現実感は伴わない。自分が今どう受け止めているのか、よく、わからなかった。


「あの、正直、すぐに信じられるかと言われたらわからんのんじゃけど」


 その言葉に、川内の肩が揺れる。

 でもここで、「そうなんだ、信じるよ」と適当なことを返すのも違うだろう、という気がしたのだ。


「えっと、言葉がわかるって……日本語?」


 だからといってこの質問はどうなんだろう、と思わないでもなかったが、そう口から滑り落ちた。

 川内は、ぱっと顔を上げた。ちょっと驚いている様子だった。


「日本語のことも……ある」

「そうじゃないときは、何語?」

「あ、たいていは言葉じゃなくて、なんとなく」

「なんとなく……」

「動物でも、怒っとるとか、寂しいとか、しゃべらんでもわかる、みたいな、そんなの」

「ああ、なるほど」

「日本語なのは、大きな木とか」

「ああ!」


 俺は手を叩いた。ふいに入学式のときのことを思い出したのだ。


「じゃあ、もしかすると、体育館の横の桜は日本語とか!」


 俺の声に、川内は大きく目を見開いた。


「あっ、うん、そう」

「入学式のとき、散ってた!」

「うん」


 川内は嬉しそうに、こくこくと頷いた。


「ああ、それ、俺、見てた」

「そうなん……?」


 俺の言葉に、川内は不安そうに眉尻を下げる。


「うん、バーッと桜が散って、ほいでお辞儀してた」

「あ……」


 川内は、両手で口元を隠して頬を染めていた。気付かれていたのは恥ずかしいという感じか。


「おめでとう、言われたけえ……」


 完全に信じたわけじゃない。やっぱりどこか、そんな浮世離れした話が本当に現実にあるのだろうか、という気持ちもある。嘘をついているとは思わないが、思い込みなんじゃないのかな、とどこか疑ってもいる。


 でも、UFOだって存在しているのかもしれない。宇宙人だっているのかもしれない。だったら、植物と話ができる人間もいるのかもしれない、と思ってもいいのかもしれない。


 川内は口元に置いていた両手をまた膝の上に戻して、そして話し出す。


「前に、木下くんがUFO見たって言ったとき」


 今まさに考えていたことを言葉にされて、少し驚く。俺は植物じゃないんだけど、なんてアホなことを思った。


「神崎くんは宇宙人がいるかもしれないって言いよったけえ、そんなふうに信じてくれたらいいなって、ずっと思いよったんじゃ」


 川内は、どこか辛そうに、そう言葉を紡いだ。


「小さい頃は、皆わかるんかと思いよったけえ、私、普通に花に話し掛けたりしよって」


 川内は小さな小さな声で、しゃべり始める。


「お母さんは最初は、言葉がわかるんじゃね、いいね、って言いよったんじゃけど、大きくなってきたら、まだそんなこと言いよん(言ってるの)、ってなって……」


 幼い頃は微笑ましいと思われていたことが、成長するにつれ、そうではなくなっていった。

 川内の声が、震え始める。


「私……それで、小学校の頃から……痛い、とか……嘘つき、とか……言われて……」


 じわり、と涙が浮かんできていた。けれどそれを懸命に堪えようとしているように見えた。


「それで隠しとったんじゃけど……でも、中学校に上がっても知っとる人がそのまま一緒じゃし……ずっとそれで、からかわれとって……」


 ああ、そうか、と腑に落ちた。それで川内は、山ノ神高校を選んだのだ。なるべく、小学校や中学校で同じだった人間とは一緒にならないように。

 今度こそ、その秘密を漏らさないように。


「近所の子らとか、忘れかけたりしても、お母さんが『この子、まだ変なこと言いよらん?』って訊いたりして、また再燃して」


 苦し気に、絞り出すように、川内はしゃべり続ける。


「学校……行きとうのうて(たくなくて)……でも、お父さんもお母さんも、そんなん許してくれるわけなくて……夢みたいなこと言いよるけえよって……」


 ぱた、と川内の膝の上に置かれた手に、水滴が落ちる。一粒落ちたら、それがきっかけになったかのように、ぱたぱたといくつもの涙の粒が落ちてくる。

 どうしたらいいのだろうかと、制服のブレザーのポケットを探ってみるが、ハンカチは入っていなかった。そうこうしているうち、川内は自分のポケットからハンカチを取り出し、目元に当てている。


 笑われて。からかわれて。肉親でさえ味方になってくれなくて。そういう小学、中学時代を経て、彼女はいつも俯くようになったのだ。

 のほほんと生きてきた俺には、彼女に掛ける言葉は思いつかなかった。


 温室に、川内の泣き声が充満していく。そこにある花々は、彼女を見守るように存在している。もしかしたら彼女にとって、植物は友だちなのかもしれないな、と感じた。


「ご……ごめんね……泣いて」


 ハンカチで目元を何度も拭いながら、川内が謝ってくる。


「いや……」

「あの……内緒に、しとってね」


 上目遣いでこちらにそう確認してくる。彼女の目は真っ赤になっていた。


「ああ、うん。あっ、えっと、尾崎にも黙っとるん?」


 高校での一番の親友は、間違いなく尾崎だろう。なのに彼女も聞いていないのだろうか。

 俺の問いに、川内は小さく頷いた。


「千夏ちゃんには……言えん。もしも、千夏ちゃんまでおらん(いない)ようになったら……」


 そう話して、言葉を詰まらせる。親友だから。居心地がいいから。なおさら明かせないのだ。

 もちろん尾崎が笑うような人間だとは思えない。川内だってそう思っているだろう。けれど今まで受けてきた苦痛を思えば、臆病になるのは仕方ないことではないか。


 この高校で、唯一この話を聞いてしまったのが俺なのだ。ならば曖昧にせずに、ちゃんと応えなければならない、と強く思った。


「正直、俺、信じとるんか、信じてないんか、ちょっと自分でもようわからんのんじゃけど」

「うん」

「でもちゃんと、川内のこと好きだから。しっかり考える。笑ったりしない」


 そうきっぱりと伝えると、川内は再度、ハンカチで目元を拭い。

 そして涙で濡れた瞳をこちらに向け、いつものように穏やかに微笑んで答えた。


「ありがとう」


 それから川内はしばらく目元を押さえて、そして顔を上げた。もう涙は流れていない。


「聞いてくれて、ありがとね」

「ああ、うん。いや、こっちこそ、話してくれてありがと」


 そう返すと、川内ははにかむように笑った。

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