17. 告白
とにもかくにも、『誠心誠意謝る』ということだけは、しなければならない。
それなら二人きりのときを探さないと。放課後は木下がいる。授業の間の小休憩は、もちろん皆いる。呼び出す、というのも逆に訝しがられる。
となると、朝だ。川内が何時から温室に来ているのかは知らないけれど、朝ならきっと二人きりで会える。
そういうわけで、俺はいつもよりも一時間と少し、早く家を出た。自転車を漕いで通学路を進んでいると、一時間以上も早いというのに、けっこう生徒が歩いている。運動部の朝練グループだろう。
駐輪場に自転車を停めて、そのまま温室に向かう。もう来ているだろうか。まだでも温室の前で待っていよう。
どう謝ればいいのだろうか。不誠実なことを言ってごめん、とか? 急に変なことを言ってごめん、とか? とにかく、ついでじゃない、ということは伝えないと。
そんなことをグルグルと考えながら足を進める。
そして温室の前にたどり着いて見てみると、温室の扉には開けられた南京錠が掛けられていた。もう、来ているんだ。
俺は一度深呼吸して、そしてそっとノブに手を掛ける。悪いことをしようとしているわけでもないのに、なぜか開いたドアからこっそりと中を覗き込んだ。
いた。じょうろを手に、並べられた植木鉢に水を遣っている。ひとつひとつ確認するように、土に手を当てながら、丁寧に。
以前、集中したい、と言っていたことを思い出す。本当に集中しているのか、こちらには気付いていない様子だ。
「おはよー」
急に発せられた川内の声に、ビクッと身体が震える。気付いていないかと思ったのに、実は俺に気付いていたのか。
俺はひとつ息を吐くと、口を開く。
「おは……」
「今日も綺麗なねー。うん? ごめんね、もうちょっと待ってね」
しかし川内が話し掛けていたのは、俺ではなかった。
「はい、お水」
「暑うなってきたけど、大丈夫?」
「可愛いねー、うん、ホンマよ?」
これはあれか。サボテンに話し掛けると綺麗な花が咲くとかいう、あれか。あれを全部の植木鉢に向かってやっているのか。それで恥ずかしくて一人でやりたいと主張したのかな、と笑みが漏れた。
「え?」
ふと川内が植木鉢に向かって首を傾げ。そしてこちらに勢いよく振り返った。
驚いた。気付かれた。これでは覗き見していたみたいじゃないか。いや覗き見なんだけど。
「あ、おはよう。ごめん、あの……」
どう取り繕おうかとしどろもどろになっていると。
川内は、手に持っていたじょうろを手放した。温室の中に、じょうろが落ちる音が響く。
「え……」
見てわかるほど、川内の顔はみるみる青ざめていった。
「あ、ごめん、驚かすつもりはなかったんじゃけど」
俺は慌てて駆け寄り、そして落ちたじょうろを手に取る。もうほとんど中の水は零れてしまったようだった。
「大丈夫? 濡れんかった?」
しばらく呆然としていた川内は、はっとしたように顔を上げて、小さく頷いた。
「ごめん。ビックリさせてしもうて」
その謝罪に、ふるふると首を横に振ってくる。
しかし彼女は俯いて、両手を胸の前で握りしめて、少し震えている。なんだ?
「あの、昨日のこと、謝りたくて」
川内はまた、首を横に振る。
そんなに驚かせたのだろうか。それとも、近寄っても欲しくないという嫌悪感か。
「あの、本当に、ごめん」
これはとにかく謝ろうと、頭を下げる。しかし川内は首を横に振るばかりだ。
それから少しして、ぼそりと言葉を発した。
「……謝ってもらうことは……何もないけえ……」
「でも……」
「大丈夫……私こそ、ごめんね」
そう言って弾かれたように顔を上げる。そして口元を笑みの形にしている。
けれどどう見ても、微笑んでいる、という感じではなかった。無理に笑っているようにしか見えなかった。
「……どうかした?」
そう問う。これは勘でしかないが、俺の昨日の告白とは違う部分で問題が起きているような気がする。
「なんでもないよ」
そう否定して、また笑う。でも、やっぱり引きつっているように見える。いつもの穏やかな、柔らかい、心休まるような、そんな笑顔ではない。
俺は手に持ったじょうろを、近くの棚の空いているところに置いた。
「なんでもないようには見えん」
きっぱりと断言すると、川内は俯いた。
さっき、なにがあった? そう懸命に記憶を探る。俺が温室を覗き込んで。川内が植木鉢に向かって話し掛けていて。そして彼女が俺に気付いて振り返った。それだけだ。
なにか問題があったようには思えないのだが、俺にはわからないような不都合が潜んでいたのだろうか。姉ちゃんによく、『あんたは気が利かん』と怒られるので、俺が気付いていないだけの可能性も高い。
「ええと……なんか、悩みでもあるん?」
とにかく突破口を開こうと、そう尋ねてみる。すると彼女は、首を縦に振るでもなく横に振るでもなく、ただ、ますます俯いた。ということなら、やっぱりこれは昨日のことではなく、川内の悩みに関することで問題が起こっているのだろう。
「話聞くだけなら聞くけど……いいアドバイスはできんかもしれんけど、話をするだけで楽になるいうし」
そう提案してみると、川内は俯いたまましばらく考えたような素振りをして、そして小さく首を横に振った。でも、放っておくだなんてできないだろう。
いつも俯きがちな川内。極端に内気な川内。これはもしや、この彼女の悩みに端を発しているのではないのか。
今、川内を放っておいてはいけない、と心のどこかで警鐘が鳴り響いている。いや、なにかが俺の足を温室に縫い留めているような気がしている。立ち去っては、いけない。
「俺、川内のことが好きだし」
口をついて出た。川内の肩がピクリと揺れる。
「だから、俺にできることは、ちゃんとしたい」
そう語り掛けると、川内はゆっくりと顔を上げてこちらを見つめてきた。
「あ、いや、力になれるかはわからんけど、でもがんばるし。えっと、頼りないかもしれんけど」
しどろもどろになりつつ、そう伝える。今さら、顔が熱くなってきた。川内はしばらく黙って俺の顔を見つめていた。
そうしているうち、彼女の瞳にじわりと涙が浮かんでくる。
「えっ、ごめん、なんか悪いこと言った?」
あたふたとしていると、川内はブンブンと首を横に振った。
「ううん、ありがと」
そして、はっきりとそう口にして、俺の顔をまたじっと見つめる。
「話……聞いてもらっても……ええ?」
そう請われて、ほっと息を吐く。
「うん、俺でよければ」
川内は一度深呼吸をして、それから俺に視線を移し、そっとその言葉を舌に乗せた。
「信じんでもええよ。でも、笑わんでほしい」
さわさわと、川内が育てている、パンジーが揺れた。




