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彼女のテレパシー 俺のジェラシー  作者: 新道 梨果子


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12. お願い その1

 翌週の月曜日になって、尾崎は教室に姿を見せた。さすがに皆、心配していたのか、彼女は次々と声を掛けられている。

 川内と一緒に入ってきたのだが、その様子を見て川内だけが離れて自分の席に向かった。

 尾崎を取り囲んだクラスメートは、我先にと口を開く。


「お母さん、大丈夫じゃったん?」

「うん、大したことなかったんよ。でも倒れたんが会社じゃったけえ、慌てて他の人が救急車呼んだみたい。すぐに退院したし、もう大丈夫」

「よかったね」

「うん、ありがと」


 そんなふうに笑いながら、明るく会話していた。

 その様子を見るに、本当に大したことはなかったのだろう、とほっと胸を撫で下ろす。

 昼休みに四人でお昼ご飯を食べている間も、「もー、びっくりしたわー」などと声を上げながら、軽い調子で話をしていたから、特に心配することはなさそうだと思った。


 しかし、食べ終わったあと尾崎は立ち上がって、俺に声を掛けてくる。


「神崎。温室行こ、温室。早う」


 急かされて腰を浮かせた。けれど川内も木下も、座ったままだ。


「俺だけ?」

「そう、特別」


 ウインクしながら、おどけたようにそう返してくる。

 川内と木下を振り返るが、二人ともまるでそれが普通のことみたいに、特に驚いた様子もなく、腰掛けたままこちらを眺めている。


「ていうか、木下にはもういろいろ話したし、ハルちゃんにも話した。あとは神崎だけ」

「ああ、うん」


 木下は家が近所なのだから話す機会もあっただろうし、川内とは朝一緒に教室に入ってきたのだから、朝一番に報告したのだろう。

 尾崎と二人して教室を出る。階段を下りながら、尾崎は密やかに告げる。


「ちょっと込み入った話もあるけえ、教室はね」

「ああ、なるほど」

「コクられるか思うた?」


 こちらに首だけで振り向き、にやりと笑ってそうからかってくる。


「コクってくれるん?」


 首を傾げてそう返すと、あはは、と声を出して笑った。


「残念じゃったね、違うわ」


 それはそうだろう。尾崎もきっと、木下のことが好きなのだ。自覚しているのかしていないのかはわからないけれど、きっとそうなのだ。


 あのとき、尾崎は『ありがと、隼冬』と名前を呼んだ。たぶん二人は子どもの頃は、名前で呼び合っていたのだろう。それが思春期やらなにやらで、いつの間にか離れていって、目と鼻の先の二人の家から同じ高校に登校するのも、別々になってしまった。

 なかなか面倒そうな関係ではあるが、でも今また少しずつ動き始めているのだ。俺という存在は、そういう二人に割り込めるような人間ではない。


 それになにより、俺には好きな人がいる。なんとなくだが、尾崎はそれに気付いているのではないだろうか。

 先を行く尾崎が、ポツリと言葉を発する。


「ウチ、温室、好きなんよね。なんか、心穏やかになるっていうか」

「わかる。落ち着く」

「たぶん、ハルちゃんが世話しよるけえじゃわ」


 小さく笑いながら、そう続けた。

 そう言われるとそうかもしれない。暖かくなってきて、温室はポカポカと気持ちいいものから少し暑い場所になりつつあるが、それでもやっぱり居心地がいい。


 温室に到着して、尾崎は川内に借りたのであろう鍵を取り出し、南京錠をガチャガチャとやって、その扉を開けた。温室の中に入るとやっぱり少し暑くて、俺たちは専用の長い棒を使って天井の窓を開けたり、ファンを回したりする。

 それから、いつものように尾崎は木製のベンチに座り、俺は折り畳みのパイプ椅子を広げてその前に腰掛けた。


「ごめんね、来てもろうて」

「いや」


 それから少しの静寂があって。尾崎はおずおずと口を開いた。


「あのね、お母さんは、本当に大したことなかったんじゃ。なんていうか、ちゃんと病名がつかん(つかない)っていうか。貧血だったり寝不足だったり、自律神経? が乱れとるとか、そういうのがいっぱい重なっとって。一言で言えば、疲労、なんよね」

「それは……大したことは……あるじゃろ」


 俺の言葉を聞いて尾崎は、皮肉げに口の端を上げた。

 ひとつひとつは小さくても、重なれば大事だ。過労死、なんて言葉もよく聞く。仕事をして家事をして介護をして。その疲れが一気に出たということなのだろう。すぐに命に係わることではないとしても、のほほんと毎日を過ごす俺からしたら、やっぱり『大したこと』のように思える。


「ほうよね。じゃけえウチ、しばらく部活は休んで、お母さんを手伝おうと思うんじゃ」

「……うん」


 俺に心配させまいと『大したことない』と説明はしたが、当然、彼女だって『大したこと』だとわかっていたのだ。

 そういうことなら、仕方ない。仕方ないけれど、やっぱり寂しい。

 なんと声を掛ければいいのかわからなくて、俺は曖昧に返事をするしかできない。


「ウチんち、ちょっと複雑でさ」

「うん」


 素直に頷いた俺に、尾崎は顔を上げる。そして驚いたように確認してきた。


「聞いとった?」

「あ、いや、……あの……」


 しまった。木下と、聞いたことは内緒だと約束していたのに、知らないフリができなかった。

 しかし尾崎は苦笑しながら受け流した。


「いや別に、ええんじゃけど」

「ごめん……」

「じゃけえ、ええって」


 そう重ねて、ひらひらと手を振りながら笑う。


「まあ、部活を休むいうても、そう長うはないわ。じいちゃんが施設に行くまで。施設の部屋の空きが出るまでよ」

「ほうなんか」

「じいちゃんは寝たきりじゃし、施設に預けようって話はずっと出とったんよね。お母さんが倒れて、ほいで今回、それが具体的に進みだしたいうか。じいちゃんが施設に行くまで、それまでの辛抱」


 そういうことなら、とほっと息を吐く。終わりの見えない介護、というわけではなさそうだ。

 ただ、尾崎のじいちゃんは嫌かもしれない。だからここまで施設に預けなかったのかもしれない。でももう倒れるまでがんばったんだから、十分だろう。


「じいちゃんもそうしたがっとったけえ、なんか皆、安心しとる。むしろええほうに進んだ感じよ」


 介護施設に行くのを嫌がる老人は多いと聞くので、少し意外だった。


「だって、お母さんは女で、じいちゃんは男じゃろ? 下の世話とか、お互い、嫌じゃん。知っとる人間より、介護の専門家のほうが抵抗はないわ」

「……なるほど」


 たとえば自分が入院して、下の世話をしてもらうとしたら、母ちゃんや姉ちゃんにしてもらうのは、絶対に嫌だ。看護師さんなら女性でも、なんかそういうものだと思える気がする。


「それに、じいちゃんもお母さんに申し訳ないって言うし」

「ほうか」


 尾崎のじいちゃんは、尾崎のお母さんとは血の繋がりがない。さらに、お母さんの夫であるじいちゃんの息子は、浮気して出て行ったという体たらくだ。いろいろと申し訳ないと思うものではあるだろう。


「なのにお母さんが、家で見たほうがええんじゃないか、いうて躊躇しとって、それでここまで伸びたんよ」

「お母さんが?」

「お母さんはじいちゃんに、遠慮はせんで(しないで)くださいって言うんよ。家にいたいんなら、いいですから、って言いよったんじゃけど、さすがに倒れちゃあねえ」

「尾崎のお母さん、優しいな」


 そう感想を口にすると、尾崎はフッと笑った。


「どうかねえ。優しいんかねえ」

「まあ……改まってそう言われると……」


 結局、自分も倒れることになって。尾崎も部活を休まなければならなくなって。そして尾崎のじいちゃん自身にも、申し訳ないと縮こまらせてしまった。改めて問われると、優しさとは、少し違うのかもしれない、という気がした。


「意地になっとったんじゃないかね」

「意地?」


 そう聞き直すと、尾崎はベンチに座って投げ出していた足をプラプラと振りながら、ゆっくりと口を開いた。


「お母さん、じいちゃんには恩があるんと。ウチを産んだときにね、母方のじいちゃんもばあちゃんも、ほいで父方のばあちゃんも、皆ね、『ありがとう』って言ったんだって。それが引っ掛かっとったみたいで」

「うん?」


『ありがとう』のどこがおかしいのだろうか。孫を見せてくれてありがとう、と自然に出る言葉の気がするのだが、違うのだろうか。

 よくわからなくて首を傾げる。その様子を見て、尾崎は苦笑しながら続ける。


「でも、じいちゃんだけが、『おめでとう』って言ったんだって。それで、この人の世話は私が一生する、って決めたんだって」

「……ごめん、ようわからん……」


 俺は素直にそう言ってみる。


「ありがとう、いうのがいけんってわけじゃないとは思うけど、でも、おめでとう、のほうが嬉しかったんだって。それだけじゃないけど、それが一番心に残っとるんだって」


 でも返ってきたのは、やっぱりよくわからない説明だった。もしかしたら大人になったらわかることなのだろうか。

 首を捻る俺の肩をポンと叩き、尾崎は慰めるように明るい声を出す。


「まあまあ。神崎も、いつか孫が生まれるときのために、『おめでとう』って言ったほうがええって、覚えとったらええわ」

「忘れとる気がする……」


 眉根を寄せる俺の顔を見て、尾崎はまた、あははと笑った。

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