表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

オーバードライブ…4

  君の涙 最後にする理由は 虹の橋が もうすぐ架かるから

  煌めくRainbow 心の奥の 鍵を開ければ 輝くのさ


 高水敷の草むらに名前を知らない蝶がひらひらと舞っていた。ときどき刈らなければすぐに繁りすぎるのは植物の逞しさだろう。Aクラスの姐ちゃんたちが放射線を放ち、白いカイトが揺れ、サーファーたちがK奈川かC葉のどこかの波間で夏を歌っている間、僕たちは相変わらずS玉県Z市とM芳町の境のY瀬川沿いにいて、ヤベは相変わらず気持ちよさそうに土手の斜面に寝っ転がったまま、あやふやな歌詞で『STEP』を口ずさみ始めていた。ヤベの調子外れの歌声を聴きながら、僕はいつの間にか失くしてしまっていた金色の空神丸を思い出した。宝物のように思っていたはずが、失くしてしまえば失くしたことさえ忘れてしまう。ヤベにもそういう風に失くしたものはあるのだろうか。土手や芝生に寝転んで、雲の中のラピュタを夢見たことはあるのだろうか。今の僕にはフウイヌムの方がよっぽど恋しいが――。


 あ、とヤベが声を出して、歌は唐突に終わった。

「どうしたの?」

「トオル、祭り来んのかな」

 トオルは二組の生徒で、髪を真ん中で分けた、にきび顔のにやけた男だ。『スラムダンク』に憧れてバスケ部に入った類の生徒ではあり、一年次は四組でヤベも僕も同級生、二年次もヤベとは同じクラスだったはずだ。便所の前の洗面台で衆人環視の中でやたらと嬉しそうな体育教員の某に――O縄県N帰仁村出身でC京大を卒業して以前勤務していたS玉県内の某中学校の教え子と結婚した体育教員の某に――頭をぐいぐいと押さえつけられて整髪料を洗い流されていたのはトオルではなかったはずだし、学校に履いてきたエアMックスを性質(タチ)の悪い連中に刈られたのもトオルではなかったはずだ。どこかに連れていかれてどうこうというのも見かけたことはないし、特にいじめられたり万引きをさせられたりしている様子もない。逆に加害者になっているようにも思えず、僕も彼からは被害を受けたことがない。友人は少なからずいるはずだが、度を超した悪ふざけもしなければ、授業が成り立たなくなるほど騒ぎ回るタイプでもなく、一度ぐらいはシメられたこともあるのかもしれないが、自身も比較的平和に生活できており、基調となるべき妥当で自然で朗らかな平和を作っているタイプの生徒ではあるのだろう。平和に生活できないのが当然の前提なのが四中という名の強制収容所であることはさておき、僕は訊ねた。

「どうして?」

「あいつ、返さねえんだよ、『ピザ屋』」

 ヤベは不満そうに眉をひそめて言ったが、彼が発した単語に僕の心臓と、身体の末端部分がびくんと反応した。

 『ピザ屋』。それは僕たちの文脈では各種の具材およびチーズ等を載せてこんがりと焼いたイタリア由来の円形の小麦食品を提供する店舗を意味するわけではなかった。ある種の映像資料のようなものではあり、そこに記録されているのは、赤いサンバ以下省略する。

 それだけならごく普通に巷に流通する映像資料であり、さほど驚くには値しないが、『ピザ屋』の特異性はその編集方針にあり、通常であれば然るべき部分を省略すべきアンダーグラウンドでアナーキーでクリエイティヴィティに富んだ編集方針であり、僕もその噂は聞いていたが、実物は観たことがなかった。その所有者がヤベであり、それが今、トオルの手許にあるとは。

 僕は身体の末端部分にある亀の頭のような形をした部位に位置して独立的に機能する第二の脳の反射的で本能的な指令に従ってなにかを言おうとしたが、言い出せなかった。


 夏の言葉はどうして言葉にできないんだろう。僕たちは夏を捕まえようとがむしゃらに腕を伸ばし、狂おしい熱と光を追いかける。掴んだはずの輝きは、いつも指の間をすり抜ける。掌に残った(ひと)(しずく)のきらめきも、すぐに大気に褪せていく。



  何も言えなくて…夏。



 そんな僕の戸惑いのときをヤベは振り向きもせずに越えて、おそらくはトオルのにやけたにきび顔――ヤベなら《シコり顔》と形容しそうではある――を思い浮かべながら、うんざりしたような声で言った。

「あいつ、絶対(ぜってえ)シコりまくってんだろ。ちんこもテープも擦り切れてんじゃねぇのか」



 《シコり顔の》トオルと『ピザ屋』がどうなったかはエピローグ部分および後日譚ということになり、その辺りを巡るいくつかの感動的な場面もあるのだが、残念ながら詳細をお伝えする時間がない。僕と《シコり顔の》トオルはその後一緒に『Rズム』に行ったり『Cレアモール』に行ったりするような関係にはなり、『ピザ屋』に関しては『マルタの鷹』のようなハードボイルドな所有の移転の後、所在不明、というのがその末路ではある。映像を観た感想は、期待したほど鮮明な映像ではなかったことも――テープが擦り切れていたのかもしれないが――あるにせよ、『稲中』で描かれたほどの衝撃はなく、終わってみれば「なるほど、こういうものか」というぐらいであり、然るべき部分についてあまりに過大に吹聴するのもいかがなものかと思う。あるべきものが、あるがままにあるだけだ。



 後日譚ついでに語ってしまえば、ふれあい橋で僕がブルーハワイで殴らなかった同級生の某は、その後都内の優秀とは言い難い私立高校に進学し、朝鮮学校の生徒たちと「やり合っている」と耳にした。四中で僕を蹴っていた人間は、今度は別の場所で別の人々を蹴っているようだ。団地の人間ではない。地元の人間でもない。

 団地の人間は団地の人間でその後も僕を蹴ってきたが――性質(タチ)の悪い連中は教員にはへらへらぺこぺこして可愛がられ、教員も他の生徒たちの抑圧に性質(タチ)の悪い連中を利用するのが九〇年代型の手口だというS玉新聞の指摘はかなり正しい――バリバリな人々がバリバリに先公とやり合っていたのは前時代だ――別の地域の「不良」が間に入って助けてくれた。カラオケとラグビーと日焼けサロンと父親の違う弟を愛する、T沢生まれの平和な男だ。彼のおかげで僕を苦しめ続けてきたひとつの問題は終わった。

 ところが今度はその「不良」が「見た目が不良である」という理由で学校から弾かれ、よろしくないことを始めたと聞いている。彼にすれば、ひとつには「見た目を厳つくしておけば、変な奴らに絡まれなくなる」ということでそういう外観にしていたのだが、大人どもはなにも知らず、見ず、聞かず、感じず、考えず、不要で不幸な問題を無神経にこの世界に作り出し、そのことに気づこうともしないのだ。


 平行して「ギャル」の子たちの話もあれば、A霞の米軍基地の話もあるのだが、こうしたあれこれを真っ当に語り始めると、Pルーストや人間喜劇並のヴォリュームにならざるを得ない、ということだ。お手軽なハッピーエンドが、あるいは完全決着のカタルシスがほしければ、箱庭を造って世界を閉じるよりない。もちろんPルースト並のヴォリュームの箱庭もあり得るわけだが。



 ハッピーエンドはいわゆるフィクションだけの話ではなく、「自伝」にそれを求める人間もいることは知っている。これは存外面倒臭く倫理的な話でもあるが、長くなるから省略しつつ、「自分の人生は自分で完結する」というのが妄信に過ぎないことは指摘しておく。「自分の人生の主人公は自分!」とか言いたがる人間ほど他人にケツを拭かせるのが当たり前と思っているどころかクソを垂れ流していることに気がついてさえいない傾向は確認できている。「だったら他人の人生の脇役だし悪役だしエキストラだしその他大勢のゴミですよね」という簡単な理屈にも気がついていないようた。人生なりこの世界がドラマかなにかのようなごく狭く薄い作りものにしか見えないならば、PモールのU野眼科に行って適切な治療を受ける必要があるだろう。



 人生はドラマではない。人生は人生だ。



 S崎人生だ。



 M上H樹小説の人物は「いったい何処の誰が平和にこともなく生きて死んでいった川崎市立図書館員の伝記を読むだろう?」などと言うが、真っ当に書かれたものであるならば僕は読みたい。少なくともM上H樹小説よりはよっぽど面白く、学びがあり、人生に対する祈りと畏れが――たとえばS崎人生がロープを渡るときのようなそれが――あるはずだ。もしかしたら呪詛と罵倒があるかもしれないが、それはそれで面白いとは思う。いずれにせよ、(いや、誰も読まない)では残念ながらない。ここの僕は読む。



 そして、愚かな類の図書館利用者よ。図書館の本に線を引くのはやめろ。そもそも本に線を引くのが無意味だし、「図書館の本に線を引いてはいけない」という簡単なことさえわからない人間は、なにを読もうがなにもわかりはしまい。



 仮にこの世界のすべての事実を収めた図書館があるとして、人生の時間が限りなくあるならば、あれこれの人間の伝記を――日記や家計簿もあるならなお望ましい――延々と読み続けるというのは、確かにひとつやってみたいことではある。というか、そう思わない小説家がいることが驚きではある――「ひとりの人間が生まれて生きて死ぬとはどういうことか?」というのは文芸の主要な関心事ではないのか? 某千円札作家も、という話は省略するが、この国でそういう系統がウケやすい理由には、なかなかグロテスクなものはある。



 考えてみれば、いつなにゆえに誰のために「『文芸作品』は『一個人』による『新規』の『一作品』で『完結』しなければならない」という決まりらしきものができたのだろうか。『オイディプス王』も『アンティゴネー』と『コロノスのオイディプス』で一応の決着ではあるし、そもそもの広大な「ギリシア世界」がある。明治大正期の文人たちがなにを経由してどのぐらい「ギリシア世界」を知っていたのかは知らない。高津春繁氏によりアポロドーロスの『ビブリオテーケー』が訳されたのはようやく一九四八年のことではある。

 いわゆるギリシア古典の楽しみ方をご承知の偽善の讀者ならば、という話は、ご承知だろうから省略する。


 さて、それでは「現代社会」とはなんなのでしょうか、「作者」とはなんなのでしょうか、「作品」はどこにどう位置づけられるものなのでしょうか、「主人公」とやらとはなんなのでしょうか、どうしてそんなものが必要なのでしょうか、云々の話はあれこれの人々があれこれ語っているだろうから省略し、「国語教育」や「読書感想文」が児童生徒にデタラメを吹き込んで文芸を貧しすぎるものにしようとしていることも省略するが、いずれにせよ「文芸作品」とやらとの関わり方さえ、現代のそれは現代のそれであってそれに過ぎず、かつてのそれとは違いますよね、という話ではある。



 僕たちの話は、たとえばひとつにはT武T上線に乗ってI袋という交点に繋がるものではあるのだろう。世代は一九八〇年代初頭生まれ、時代は一九九〇年代半ばではある。そこでなにとどう重なり、繋がり、あるいは重ならず繋がらないかは僕にはわからないし、もちろん他の交点もあり得る。「現代社会」の因果や人のありようは「ギリシア世界」よりいくらか面倒臭く、愚かで醜く浅薄で退屈なものだろうが、それはそれでひとつのSa・Ga(サーガ)ではあるのだろう。



 一時的に正気を取り戻した小生の愚妻こと愚かな妻曰く、



  教育とは、海を見せることだ。



 ――だそうだ。S玉県民であるぼ――



 あと、女どもは宮本百合子ぐらい読め。何十年も同じことを繰り返すな。学習しろ。女が自由にならなければ他の性別も自由になれぬ。いつまでもおと――



 ――だそうだ。



 「ニュータウン」の次にあるものはと考えれば、それは「ポスト・ニュータウン」ということにはなるのだろうし、「アンチ・ニュータウン」「オルタナティヴ・ニュータウン」「ポスト・アンチ・ニュータウン・リヴァイヴァル」「ヴィーユ・ヌーヴェル調のネオ・クラシカル団地ミックス」等、頭の足りない文系大学院卒のなんとかかんとかライターならあれこれ愉快な名称を作ってくれるのだろうが、近隣ではおそらくはFじみ野あたりがそんな町を目指しているのではないかと勝手に思っておく。仮に「Fじみ野小学校」とでもいうようなものが新設され、児童数が順調に増えていくならば、子育て世帯がそちらに流れているということにはなる、と、一九九X年のどこにでもいるちょっとクールでほどよくキュートな普通の男子中学生である僕は思う。未来のことはわからない。未来があるかもわからない。僕に見えている未来があるならば、それは虚無だ(エス・ナーダ)。

 そんなニイリスモはさておき、一九九三年にT武T上線Fじみ野駅とS玉県初のアウトレット・モールとやら『Rズム』がほぼ同時に開業、ということで、「七〇年代型=Z団地」「八〇年代型=Sニュータウン」「九〇年代型=Fじみ野系ポスト・ニュータウン」という、「そんなに割り切れるものなの?」と思ってしまうようなできすぎた動き方だが、数字と年表を見るとかなり露骨にそう見える。仮に世界が滅びないのならば、「〇〇年代型=A霞」などもあり得るのかもしれない。そしておそらく、「昔は『Rズム』はもっと栄えていたんだけどね……」になるのだろう。逆に「昔はFじみ野にはなにもなかったんだよ」でもあり、「なにもなかった」の個々の状況の違いはさておき、グロテスクなぐらいに同じ流れが続きすぎている。町単位での計画的陳腐化が行われているのではないかと勘繰るような動き方ではあり、町とはなんなのか、人間の生活とはなんなのか、という話ではある。

 こうした「昔観」も世代ごとの差が激しいわけで、何年の生まれだとか「昔」は正確には何年のことだとか、あれこれ付加情報がないとわけがわからなくなるとは思う。この時代のある種のS玉県南部地域は割と『三国志』というか、覇権の移動が激しすぎる。土地を跨いでの人口や商業等の移動でもあるので、広めに視野を取らないとやはりわけがわからなくなるだろう。


 この地域のこうした動きを可能にしたのは、ひとつにはT武T上線が大人の事情で旧来の「道」を外れた変なところに敷かれたからではある。自然に考えれば、K越街道、S河岸川、そうしたあたりが本来の「道」だろう。もちろんM蔵野線も人を運ぶために造られた路線ではない。そんなこんなである種のS玉県南部の町々が不自然でぐちゃぐちゃなものになったわけだが、結果的には路線沿いに広い土地が残ったということでもあり、駅前やニュータウン、ポスト・ニュータウン、ヴィーユ・ヌーヴェル調の云々等の開発を可能にしたと言いたい人は言うのかもしれない。

 といって、さらなる結果的には町々はちぐはぐでぎくしゃくしてばらばらなものになり、強い中心を欠き、一体感がなく、交通の流れも繋がりも悪く、あるべきところにあるべきものがなく、あるべきでないところにあるべきでないものがあり、無駄に自然環境が破壊され、不合理で、非効率で、不自然で、不便で、それぞれの町が孤立していて活かし合うことがなく、発展のポテンシャルも充分に使えず、町は町で新地域と旧地域が分断され、まとまりも帰属意識も貢献意識も弱く、伝統も観光資源も活かし切れず、思いつきで一見新しげなものを造っては潰し、地元民も愛想を尽かし、長く住むべきよさもないから新住民も居つかず、流動的で不安定になり、それは新陳代謝と呼べるようなものではなく、ただただ居心地が悪く落ち着かず馴染まず愛着が持てず、自立性も低く、結局T京に寄生するしかなく、さらに住宅都市(ベッド・タウン)の性格を強め、一戸建てや大規模マンション等の単発の開発が続き、発展や統合の余地もなくなり、すべては悪循環し、という「悪い意味でS玉」を代表する地域になっている、というのが、僕がハードボイルドな眼差しで見つめたことではある。ひとつひとつの町に関しては「比較的よくやっている」がないとは言わないが、広いエリアとして眺め、縦横に移動してみてほしい。少なくとも、町とはなにか、開発とはなにかを考えるための、ひとつのいい素材にはなるはずだ。

 先述の「ポスト・ニュータウン」も、結局は単発の住居、単発の住宅街としての快適さや利便性を求めるものであるはずで、「ポスト」と言っても結局は「団地」の延長線上にある「ポスト・町型団地型ニュータウン」という性質のものだろう。「シティ型ニュータウン」とは視界が違う。


 ともあれ、僕としてはひとまず「町というのは、大人の事情に左右されてできたり廃れたり、いびつなものになったりするものなのだなあと思いました。大人って怖いなあと思いました」という小学生の感想文程度にとどめておく。ついでに言えば児童および生徒の思想が「善良」で「健全」で「子どもらしく」、体制的であるかどうかを監視し、大人どもが言わせたいことを言わせるためだけに書かせる作文の類は即刻廃止すべきだ。大人の顔色を見て嘘を吐くことを覚えるようになるだけだし、自慰行為ならひとりでやってくれという話だ。汚らわしい行為に子どもたちを巻き込み利用すべきではない。



 善良な小市民が善であるとは限らない。悪の維持に加担することはもちろん悪だ。



 新興住宅地の罠の話はつまらないから省略する。土地の歴史を知らないのはどういう人間か、というだけの話だ。「T京様効果」の話も面白くない。南A山だかR本木だかA坂だかのジャズの流れるバーだかでカシミヤのセーターとシルクのワンピースを着て混乱して決して美人ではない彼女と寝たら友人が自殺した、というような類の話を有り難がるような人間は頭が云々。


 もちろんS玉県も単純ではなく、私鉄系の新しく開発された町々と、旧来からのN山道沿いの町々などは、町の造りからして違う。そうかそうか、ということでS住の先にある巨大団地を有するS加やN本一暑くない方のK谷がどうしているかはさておき、先に触れたN本一暑い方のK谷やH庄などは旧来からの自然な流れで発展をしている町なのではないかと、愚かな妻と手に手を取り合いながら勝手に思っている。そうした町々の方が地元意識も強いようには思えるし、T上線でもやはりY居あたりならまた話が違ってこよう。K越はK越で新地域の新住民たちとどう折り合いをつけているのかは気になるところだ。繰り返すが、S玉県も単純ではないのだ。



 名古屋アベック殺人事件の犯人たちは一九六八年から一九七一年の生まれ、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちは一九七〇年から一九七二年の生まれであり、時期は宮崎勤と同じだが、違う世代の事件ではある。

 そもそも戦後の少年犯罪の増加があって昭和二十三年すなわち一九四八年に「少年法」が制定されたわけだが、その後昭和三〇年代がひどいことになっており、その時代の少年たちが「今どきの大人たち」ではあるし、「連合赤軍世代」でもある。このあたりのあれこれは『犯罪白書』等の方が詳しいし正確だから省略するが、今どきの大人たちはGHQの陰謀で完全に記憶を失っているか、あるいは数字が読めないのだろうか。

 どちらかというと、個々の事件を社会問題ではなく「若者・少年」や個人の心理や家庭環境のせいにしたがるのが八〇年代と九〇年代にはトレンディだった、という話なのかとは思うし、そういう見方を提唱し、広め、それを喜んでいたのはそれぞれどの世代のどういう層なのか、という話ではある。僕も「オタク」とは違う方向性なれど凶悪犯罪者予備軍扱いされているので、非常に不愉快だ。



 「戦犯世代」というのも厄介な話ではあるが、およそは一八七八年から一八九二年ぐらいの生まれかもしれない。明治生まれの人々だ。終戦時に五十三歳から六十七歳ぐらいではあり、指導的な立場にいる人々ではあろう。たとえばY本五十六やT條英機が一八八四年生まれで、この年代だと一〇歳でN清戦争、二〇歳でN露戦争、三〇歳で第一次世界大戦、四十七歳でM州事変、五十七歳でT平洋戦争開戦、六十一歳で終戦ということにはなる。同盟国に目を向ければ、Mッソリーニが一八八三年、Hトラーが一八八九年の生まれだ。二・二六事件はこの世代より若い人々が中心で、一九〇三年から一九〇八年ぐらいの生まれということにはなるはずだ。なんであれ上の世代に指導者や影響力の強い人物がいたりもするわけで、やはりこの辺りの時間差や世代の混ざり方もややこしい話ではある。



 そんなこんなもありながら、ものの見方――凝り固まった信仰でもある――にもトレンドがあるし、自分がトレンドの中にいるに過ぎないことに気づきづらいのが厄介ではある。僕が脳だ脳だというのもひとつのトレンドではありつ、他にも「トレンディ部分」があるはずで、家庭の匂いと同じく自分ではなかなか気づかないものなのかもしれない。なお、僕たちにとっては「トレンディ」は「そういう言い方や価値観は古くてダサくて勘違いしていて恥ずかしくてなめくじ五万匹の死骸に相当するほど気色悪いからトレンディ気取りの連中は一秒でも早く死んだ方がいい」という位置付けの言葉ではある。僕たちが流行事象を肯定的に言う場合には「ナウい」だ。


 といって、未来の「ナウいヤング」たちには僕たちの誰が誰かも見分けがつかず、「おっさん・おばさん・じいさん・ばあさん・Kんさん・Gんさん・死んだ連中」という不愉快な塊にはなるのだろう。「あいつらが三種の神器でスーダラな新人類戦争をして大学で暴れて一億の総白痴が陰茎で障子を突き破ってあさま山荘でのろまなニューアカの怪獣博士になってスポ根でアーパーな女子大生になってウーマンリブの職業婦人が団地系カミナリ族に集団就職してベ平連がバブルでブギウギしてガッツなアイパーで脱サラしてだっこちゃん人形で窓ガラスを割ってみゆき族のボディコンがヴェルファーレのお立ち台でチャールストンを踊ってよろめいてバイバイカンチしてポアしてチョベリバとか言ってたからこんな時代になっちまったんじゃねえかよ」と言われたら「だいたい合っているけど冤罪も多々含まれます。あと意外と『チョベリバ』って言っていないです。時代の流行語とされているらしいのでネタとして言っているだけです。そんな言いがかりをつけられたらMK5です」ではある。


 強ち冗談でもなく、「N目S石とかT崎J一郎とかD宰治とかが好きなんです!」というのもなかなか大した話であり、それぞれ一八六七年、一八八六年、一九〇九年の生まれだ。そのぐらいざっくりと「昔の人」にされてしまうものではあるし、「自分にとってなんであるか?」という自己中心的で主観的な読み方ばかりをしているとそうなるのかもしれないし、そういう読み方を推奨というか強制するのが学校教育でもある。



 そもそも問うべきは、「なぜ学校の比重がここまで高くなったのか?」ということではあるが、詳細はつまらないから省略する。


 結局、現行の体系で利潤を得ている人間たちがいる限りそう大きくは変わらないというか、より利潤を追求する方向に進んではいくのだろう。「学歴」が重視されればされるほど、公教育が機能しなければしないほど、その状況を好都合であると感じる人間も増えるはずだ。


 搾取されているのは青少年たちだ。



 しかしまあ、という話であり、明治以来のN本教育史を眺めると、ひたすらの右往左往ぶりにうんざりを通り越して無になってくる。N本国を最もよく言い表す四字熟語があるならば、「軽薄短小」でなければ「右往左往」はひとつの有力な候補ではあるだろう。少なくとも明治以降で右往左往していない時期があるならば狂気に憑かれた時期であり、だったら未来永劫右往左往し続ける方がいくらかマシではある。

 一貫しているのは「事実に基づき、それぞれの立場を考慮した上で理性的に話し合って合意に達する」という行為の欠如と言わずとも不足だし、それはリテラシーの欠如としか言いようがないものではある。そこから生じるべきことどもは言うまでもないから省略するが――まとまらないがゆえの強行からのさらなる混乱および対立の悪化は、無形文化財に指定すべきN本国の伝統芸能だろう――右往左往の混乱の中に明治二十三年の『教育勅語』もあった、ということは確認しておきたい。

 当時生じていた混乱状況をひとつの観点から簡にして要でまとめ、方針を伝えているのが一手前、明治十二年の『教学聖旨』ということにはなる。ここ百五十年ばかりに時代を絞ったとしてもなかなか多彩な文を読む必要があるのがN本人の大変さではあるが、慣れたければ慣れるよりない。もちろん「現代語訳」などは無意味かつ有害でしかない。「他者を無理矢理自分の枠組みに押し込むこと=理解!」という発想が根本的に間違っていることに気がつかないのはどういう類の愚かさなのかと問う。吾人耳を傾けずんば死者は黙して語らず。誰かと話がしたければ自分から歩み寄り、時として頭を下げるのが筋だし、そうした人間としての基本から間違っているのが学校教育だ。いかに教育のない連中が教育者ヅラをしているかではある。ともあれ本文はこうであり、読んでの通りだ。


教学ノ要仁義忠孝ヲ明カニシテ智識才藝ヲ究メ以テ人道ヲ盡スハ我祖訓國典ノ大旨上下一般ノ教トスル所ナリ然ルニ輓近専ラ智識才藝ノミヲ尚トヒ文明開化ノ末ニ馳セ品行ヲ破リ風俗ヲ傷フ者少ナカラス然ル所以ノ者ハ維新ノ始首トシテ陋習ヲ破り知識ヲ世界ニ廣ムルノ卓見ヲ以テ一時西洋ノ所長ヲ取リ日新ノ效ヲ奏スト難トモ其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ徒ニ洋風是競フニ於テハ將來ノ恐ルル所終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス是我邦教学ノ本意ニ非サル也故ニ自今以往祖宗ノ訓典ニ基ヅキ専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ人々誠實品行ヲ尚トヒ然ル上各科ノ学ハ其才器ニ隨テ益々畏長シ道徳才藝本末全備シテ大中至正ノ赦学天下ニ布満セシメハ我邦獨立ノ精紳ニ於テ宇内ニ恥ルコト無カル可シ


 これに関しても保守派の儒学者である起草者のM田永孚氏と、なに派だかはさておきI藤博文氏らが争ったとのことであり、「あんた達なにやってるの……」としか言いようがない。いかに調和というものと縁のない国民なのかという話だが――もちろん対立と調和は矛盾するものではない――ユニゾンは調和ではない――一八一八年生まれのM田永孚氏と一八四一年生まれのI藤博文氏ではあり、世代間の対立を読めなくもない構図ではある。

 ついでに言えばこのあとの明治十三年のT山道御巡幸のときのことが『夜明け前』に書かれており、そういう時代のお話ではある。ついでのついでに言えばその後の「R鳴館時代」における明治十九年の一局面を描いた作品のひとつが『舞踏會』であり、そうした時期に留学していた青年の明治二十一年の話が『舞姫』であり、云々と、『試案』にも書かれている通り「社会科」と「国語」は特に仲良しさんなのであり、「その作品が書かれた時代」ではなく「その作品に書かれた時代」の整理をしてみるのもひとつ面白いことなのかもしれない。当然場所もセットになる。時間と空間の中にしっかりと位置づけられて初めて、存在は存在することができるのだ。

 「R鳴館世代」というならば、I上馨(一八三五-一九一五)、M方正義(一八三五-一九二四)、E本武揚(一八三六-一九〇八)、Y縣有朋(一八三八-一九二二)、S澤榮一(一八四〇-一九三一)、I藤博文(一八四一-一九〇九)、O山巖(一八四二-一九一六)、Y田顕義(一八四四-一八九二)、W邉洪基(一八四八-一九〇一)あたりということになるだろうか。主として開館当時の一八八三年すなわち明治十六年における四十代の人々ではあり、今の感覚だとなかなかノリノリでイケイケな四十代ではある。

 そもそも明治五年の『学制』がマトモに機能するようなものであれば、という話は長くなるから省略するが、米国のダビッド・Mルレー氏の方がよっぽどN本を理解し、考え、妥当で穏健でバランスのよい意見をしてくださっていたというのがなんともではある。

 ともあれ、「『教育勅語』はどのように利用されたか?」あるいは「象徴としての『教育勅語』」云々と、「『教育勅語』にはなにが書かれていて、なにが書かれていないのか?」「本来はなにを目指していたものだったのか?」「『教育勅語』はなぜ時代の中で必要だったのか?」云々を一緒くたにしてぐちゃぐちゃ言うのも、やはりリテラシーの欠如という話ではある。ごく普通に文章として読み、あるいは歴史の中に位置づける、ということは狭義での「文学」や「歴史」の能力や技術ではあるし、それが目指したところがなんなのかを考えるのは「倫理」のお話でもあり、それがもつ法的効力云々は「法学」の話ではある。『教育勅語』と訊いた瞬間に反射的に頭に血がのぼってしまう類の人間に関しては「馬鹿学」の研究対象として馬鹿田大学馬鹿学部の馬鹿研究者たちがよろしく取り扱ってくれるだろう。この世界に最も必要な、大いに公益に資する学問としてその発展に期待している。



 「兵式体操」も一八八五年すなわち明治十八年から始まっているそうだ。主導したのはS摩國すなわちK児島県生まれのM有禮氏ではある。S防國すなわちY口県生まれのI田淸範氏が編者である『兵式体操教範』のデッサンの狂った図柄は滑稽でもありグロテスクでもあるし、これを基礎とした調教が一九九X年現在でも相変わらず行われているという事実もやはり滑稽でもありグロテスクでもあるし、体操ひとつ意見の一致を見ないN本国のあり方も、やはり滑稽でもありグロテスクでもある。

 N本国を知らない人に「これがN本だ!」とわかりやすく示せる図柄でもあるので、載せておこう。各学校は御――という不敬な発言は避けるが、教室の黒板の上にでも掲示しておいて、児童生徒の愛国心と向学心を鼓舞してみてはいかがだろうか。


【画像割愛】



 「立身出世主義」の広がりがいつからは正確にはわからないが、とりあえず『浮雲』ではすでにどうこう言われている。流行の言葉やそこに現れる主義、とまで言わずとも傾向を反映するのもまた文芸ではあり、そうした観点で眺めて見えてくる事柄もある。「あらすじが!」「心理が!」というのもひとつの主義に過ぎないのであり、あらすじとやらを書いて済むなら大抵の小説は〇・三秒で脱肛しつつ脱稿しつつ解脱できるだろう。ついでに言えば文芸作品等の「解説」も邪魔でしかないからポアした方がいい。『浮雲』の発行は明治二〇年からであり、出版社は『兵式体操教範』と同じK港堂だ。同社の創業者Y田禎三郎氏は明治三十五年の教科書疑獄事件が発覚するきっかけを作っている。教科書を作るや否や贈収賄。T蔵心の俳句である。


眞個(ほんと)本田(ほんだ)さんは感心(かんしん)なもんだナ()年齡(とし)(わか)いのに三十五圓(ゑん)月給(げつきふ)()るやうに()んなすつたそれから(おも)ふと(うち)文三(ぶんざう)なんざア盆暗(ぼんくら)意久地(いくぢ)なしだッちゃアない二十三にも()ッて親を(すご)(どこ)自分(じぶん)居所(いど)立所(たちど)にさえ迷惑(まごつ)いてるんだなんぼ(なん)だッて愛想(あいそ)()きらア

「だけれども本田(ほんだ)さんは(がく)(もん)出來(でき)ないやうだワ

「フム學問(がくもん)々々(〳〵)とお()ひだけれども立身出世(りっしんしゅっせ)すればこそ(がく)(もん)居所(いど)立所(たちど)(まご)()くやうぢやア(ちッ)とばかし書物(ほん)()めたッてねつから難有味(ありがたみ)がない

「それは不運(ふうん)だから仕樣(しやう)がないワ


 耳を痛がる文系大学院生諸氏はさておいて、「男兒立志出郷關」はもちろん「立身出世」という発想自体が田舎者のものであることもさておいて、僕たちより少し上の世代を中心に考古学に関するそれでこの手の議論を知った人間も多いとは思うが、いずれにせよN本国では少なくとも明治期から繰り返され続けている対立の型のひとつではある。下衆どもだけではなく「お上」からして合致していないというか、「お上」が合致していないままなんだから下衆どもも――「お上」の下衆っぷりは不問にするとして――合致しようがない。合致しなくてよいから、これもやはり古くからのどうこうを公平にまとめて『学問論集』なり『教育論集』を作ってほしくはある。「学問は必要だ、教育は重要だ」という答えありきではなく、あくまで公平なそれを眺めてみたいし、それぞれが主義に過ぎないことを知るのはいくらかは思考と議論の訓練にもなるだろう。ついでに言えば、いつの間にかしれっと定着しているかのごとき顔をしているが、「教育」も「教養」も「人格」も「文化」もあれもこれも、まだ訳語として落ち着いているとは僕は思わない。



 A川R之介は近頃の――一九九〇年代の――学校教育ではなぜか『羅生門』『蜘蛛の糸』といった時代感のない品を読まされがちなわけだが、『あの頃の自分の事』など生き生きとした時代が感じられてよい。

 こういうことではある。


■時期

語り手の現在……一九一八年(大正七年)

お話の現在………一九一五年(大正四年)十一月


■舞台

T京のあちこち

 T京帝國大學

 H郷らへん

 K田らへん

 G座らへん

うっすらK都


■人々


・T京帝國大學の先生たち


※フォン・Kーベル   六七歳(一八四八-一九二三)一八九三-一九一四 哲学

※Lフカディオ・ハーン 没後 (一八五〇-一九〇四)一八九六-一九〇三 英文学

※N目S石       四八歳(一八六七-一九一六)一九〇三-一九〇七 英文学

ジョン・Lーレンス   六五歳(一八五〇-一九一六)一九〇六-一九一六 英文学

※エミール・Eック   四九歳(一八六六-一九四三)一八九一-一九二一 仏文学

※U田萬年       四八歳(一八六七-一九三七)?         言語学

F岡勝二        四三歳(一八七二-一九三五)一九〇五-?    言語学

O塚保治        四六歳(一八六九-一九三一)一九〇〇-?    美学


・主にT京帝國大學の学生たち


T田實    三〇歳(一八八五年生)英文科

I河三喜   二九歳(一八八六年生)言語学科卒

※T野隆   二七歳(一八八八年生)仏文科

K池寛    二六歳(一八八八年生)K都 英文科

※T島与志雄 二五歳(一八九〇年生)仏文科卒

M岡譲    二四歳(一八九一年生)哲学科

※K衛文麿  二四歳(一八九一年生)哲学科→K都 法科大學

K米正雄   二四歳(一八九一年生)英文科

A川R之介  二三歳(一八九二年生)英文科

N瀬正一   二三歳(一八九二年生)英文科


・「文壇」の人たち


T山花袋   四三歳(一八七二年生)

 『妻』      一九〇九年

 『田舎教師』   一九〇九年

N井荷風   三五歳(一八七九年生)

M者小路実篤 三〇歳(一八八五年生)

 『或家庭』    一九一〇年

 『その妹』    一九一五年

 『或青年の夢』  一九一六年

T崎J一郎  二九歳(一八八六年生)

 『刺青』     一九一〇年

 『お艶殺し』   一九一五年

 『お才と巳之助』 一九一五年

 『神童』     一九一六年

H津和郎   二三歳(一八九一年生)


・その他


I田輝方   三二歳(一八八三年生)

Pツツオルド夫人

 ハンカ・Pッツォールド 五三歳(一八六二年生)T京音樂學校教師

Sヨルツ氏

 パウル・Sョルツ    二六歳(一八八九年生)T京音樂學校教師

Y田耕作   二九歳(一八八六年生)

Y田夫人

 N井郁子  二二歳(一八九三年生)


閑院宮殿下  五〇歳(一八六五年生)


・その他非リアルタイムの人々


Sエクスピイア   (一五六四-一六一六)

Mルトン      (一六〇八-一六七四)

Bエトオフエン   (一七七〇-一八二七)

Sユウベルト    (一七九七-一八二八)

Pオ        (一八〇九-一八四九)

Cオパン      (一八一〇-一八四九)

Lスト       (一八一一-一八八六)

Gオテイエ     (一八一一-一八七二)

Kエルケガアド   (一八一三-一八五五)

Bオドレエル    (一八二一-一八六七)

Dストエフスキー  (一八二一-一八八一)

マツクス・Mユラア (一八二三-一九〇〇)

Hイスマンス    (一八四八-一九〇七)

Rツケルト     (一八六三-一九三六)

ロマン・Rラン   (一八六六-一九四四)


・学校


T京帝國大學   一八七七年創立

T京高等師範學校 一八八六年創立

T京音樂學校   一八八七年創立

※T京美術學校  一八八七年創立

K都帝國大學   一八九七年創立


・建築など


砲兵工廠 一八七一年操業開始(一九三五年停止)→跡地はK楽園球場、K石川K楽園など

法文科 一八八四年竣工(一九二三年焼失)

 ※ジョサイア・Cンドル(一八五二-一九二〇)設計

歌舞伎座       一八八九年開場 一九一一年改修工事

帝國ホテル      一八九〇年竣工(一九一九年焼失)

カツフエ・ライオン  一九一一年開業

帝劇         一九一一年開場

T京フィルハーモニー 一九一一年創立


敷島 一九〇四年生産開始(一九四四年廃止)


 ※印は「『あの頃の自分の事』には出てこないが、筆者すなわち筆の者すなわち僕が気まぐれにいくらか補いました」ということだ。面々が面々なので、時間、空間、人間関係を少し広げるだけでも大した広がりになるはずではある。たとえば名誉教授にT野金吾氏(一八五四-一九一九)の名があり、子のT野隆氏も在学中という状況なので、そこに繋がる人々は、と考えるだけでもけっこうなことになる。

 他にも「『ぢやようござんす』と云つて、悠然と向うへ行つてしまつた」「T田君」はその後のA山学院大学の初代学長だったりもするし、「古本屋ばかり並んでゐる」K田通りにはやはり帝國大學卒のI波茂雄氏が一九一三年にI波書店を開いていたりするわけだし、一万六千字程度のちょっとした文章、ちょっとした一局面のようでいて、多くを含んでいる文章であると言えよう。「時代を超えた名なんとか!」などと言いながら、たとえば「青春だ!」という共通点だけしか見ないで――それはそれで美しくよき話ではあるのだが――非共通部分、無知部分の多くを無視し、あるいは「これは『小説』だ!」「これは『随筆』だ!」「『主人公』はA川R之介だ!」と決めつけてしまって「なんとなくそれらしき要素」だけを拾ってしまい軽重をつけてしまうと、立体感と躍動感と広がりと繋がりを欠いた貧しい読みになってしまいやすくもあり、まさに時代と場所とそのときの状況の中に置いて読もうと試みた方が、生き生きとした局面を感じやすい文章のひとつと思う。「昔」もかつては「今」や「未来」だったのだし、「古典!」も当時は新しかったどころかまだ書かれてさえいなかったのだし、あの偉い発明家も凶悪な犯罪者もみんな昔子どもだったのだし、ヤングマンだったのだし、時としてナイフを持って立っていたのだ。


 そして、KんさんGんさんのお二人がA川R之助と同い年だという衝撃の事実に僕は今さら気づく。冷静に公平に眺めた事実は、往々にして衝撃的だ。


 当たり前のように書かれていることであっても、たとえば「大学生」が「制服」を着ていたり、「ノオト」「曹達水」「珈琲」「ウイスキイ」「南京豆」「ステイイム」「アスフアルト」「N本アルプス」「置炬燵」「一閑張の机」「西洋机」「括り枕」「鳥打帽」「模様」「古本屋」「音楽会」「ピアノ」、そして「ちよいと歌舞伎座の立見へはい」るような習慣など、いつからあったのか、いつなくなったのか、その時代ではどういう位置付けだったのか、今ひとつ自信のないものがあれこれとあるし、その時代の「新聞や雑誌」とはなんだったのか――もちろん『Tスポ』や『週刊少年Jャンプ』や『Fライデー』ではない――というのも必ずしもわからないし、「なにがなかったのか?」という問いはなお難しい。たとえば町には「交通信号」はまだなかったはずだ。「蓄音機」はそれこそ「カツフエ・ライオン」にはあったが、一般的に普及しているようなものではなかっただろう。

 場所もそうだ。A川R之助たちは、I袋、K舞伎町、H宿、O参道、R本木、D官山、E比須、O窪、K祥寺、O台場などでは活動していない。Z司ヶ谷やA山には行くし、K越にも行かないでもないわけだが、賢明なる偽善の讀者諸氏ならばその理由はおわかりだろうから――たとえばO参道がどこへの参道なのかも、それが誰を祀るものであるかも、O参道にD潤会アパートメントができたのがなんのあとなのかもご存知だろうから――省略する。I袋が存在しなかったわけではなく――町の様子や機能はいくらか変われど、空間自体は変わらない――たとえばW山牧水はI袋停車場からM蔵野線に乗ってH能を訪れたりもしている。我々が知るM蔵野線とは違うM蔵野線なのが多少厄介だが、A川R之助たちと同じ時代の話ではある。ついでに言えばW山牧水らはW稲田大学でT内逍遥の講義を受けており、そこにはまた別の――K原白秋たちとの――『あの頃の自分の事』があるのだろう。


 当時の帝國大學の体制や物価の話もしようかと思ったが、なんの話だかわからなくなってくるのでやめておく。陸海軍學校や師範學校があった時代ではあるし、工科大學には造兵學科や火薬學科が、法科大學には植民政策講座があった時代ではある。ともあれ、こんな記述が好きではある。


或粉雪の烈しい夜、僕等はカツフエ・パウリスタの隅のテエブルに坐つてゐた。その頃のカツフエ・パウリスタは中央にグラノフオンが一臺あり、白銅を一つ入れさへすれば音樂の聞かれる設備になつてゐた。(『彼 第二』)


 おそらくは一九一六年の話であり、白銅は五銭硬貨だ。



 あなたの時代の――正確には何年だろう?――ジューク・ボックスはどこにあって、いくらで、人々はどんな曲をかけたがっていただろうか? どんな形と大きさのそれだろうか? 何社の何年製のどの型だろうか? 他にはなにがあるだろうか? どんなときに誰とそこに行くだろうか? どこからどんな経路でそこに向かうだろうか? 場所の見取図は描けるだろうか? どこの席で、どこに荷物を置き、なにを食べ、なにを飲むだろうか? 食器やグラスの手触りや重さはどんなだろうか? 他の行動はするだろうか? どこからどんな音と匂いがしているだろうか? どのぐらい滞在していくらぐらいになるだろうか? どこで注文をして、どこで会計をするだろうか? 服装は? 香水は? 持ち物は? どんな気分でそこにいるだろうか? そもそもジューク・ボックスはあるだろうか?

 僕は今のところ「そういえばZ駅のところのTナボウルにそんなものがあった気がする」というぐらいであり――ボウリングは早朝の割引制度がある――ジューク・ボックスはマンピー以外では馴染み深いアイテムではない。レコードが回るタイプではなく、どんな仕組みのそれかもわかっていない。ピンボールもインベーダーゲームも見たこともやったこともないが、喫茶店的なところにある占い的な小さいなにかは記憶にはある。自分の星座のところに百円玉を入れるヤツだ。なんとなくお絞りの匂いと喫茶店的な水の味と茶色っぽいグラスの色とセットになって覚えているが、そういう認識でよいアイテムなのだろうか。

 音楽周りはレコードも知ってはいるし、カセットテープも使っているし、ラジオでN村貴子の『ミュージックスクエア』も聴くが、「僕たちの時代」というなら『HEY! HEY! HEY!』であり、『COUNT DOWN TV』であり、CDだ。あなたの時代はどうだろう。



 地球上で徒に浪費され続けているティッシュの枚数はさておき、今までに食べたパンの枚数もPリントゴッコで擦った年賀状の枚数もシールだけ取られて棄てられたウエハースの枚数も青い台紙に湿らせたスポンジを使って貼りつけたブルーチップの枚数もRックマンのボスキャラデザインコンテストに応募されたハガキの枚数もオーブンで焼いたプラ板の枚数もO田急線のステーションウォーズで少年たちに配布されたバーコード戦士のカードの枚数もさておき、N本各地で割られた窓ガラスの枚数の地域別および年度ごとの統計と学校名称等の詳細がわかるデータベース、および慰霊碑なり供養塔なりが必要だというのは思う。割られた窓ガラスたちの尊い犠牲のもとに今日の平和があるのであって、というほどまだまだ平和でもないが、いずれにせよ忘れてはいけない。

 自宅――借り家だが――のそれに関しては僕も割ったことがあるし、それで右拳の中指の骨のところに傷跡が残っていたりもするのだが、仮に四中の窓ガラスを自由に壊して回っていいですよ、誰も悲しまず、誰も傷つかず、用務員のTザワさんもむしろ手間が省けると禿げ頭を光らせて喜びますよ、なんなら俺も一緒に割ってやるとウキウキしながらノック用のバットとボールと汗の滲み込んだバッティンググローブをソフトボール部の部室から持ってきますよ、窓ガラス職人さんも「今年の窓ガラスは特に出来がいいから、気持ちよく割れるはずですよ、どう割ってもいいんですが、そうですね、少しだけ角度をつけて、八割ぐらいの力加減で叩くと綺麗に割れると思います」と真摯な瞳で訥々と、静かな誇りを秘めて語っていますよ、窓ガラスたちも割られたらきっと尻尾を振って嬉しがりますよ、アリスのケーキのように「私を割って」とあなたに呼びかけていますよ、窓ガラスが割り尽くされることによって四中の美は完成されるのですよ、割られた窓ガラスの枚数に応じてAフリカの貧困地域に学校を建てるための寄付金額が増えていきますよ、というのならば、確かに嬉々として割るとは思う。Tザワさんがバットを貸してくれるなら破壊用品を調達する手間が省けるし、怪我も防げてなお有り難い。決してそうではないから――Tザワさんがバットを貸してくれないわけではなく、EリトリアやNジェールやBルキナファソの学校等の件だ――割らない、この世界に不毛な不幸を増やすことになるだけだから割らない、というだけではあり、割りたいのか割りたくないのかと問われれば、やや割りたい。

 逆転の発想としては、窓ガラスがなければ窓ガラスが割られることもないので、そもそも窓ガラスを入れなければいい。存在しない窓ガラスを割ることはできないのだ。寒冷地はまた状況が違うだろうし、窓ガラス職人さんの生活と廃工場を想像すると胸が痛むが、窓ガラスをなくせば少なくとも風通しはよくなるし、校舎を持たないやり方もあるだろうし、実態同様鉄格子に代えるなり、地下牢型の校舎にするなり、やりようは色々とあるはずだ。場合によってはステインドグラスに切り替え、神の御業に日々思いを馳せるのもよいだろう。それはそれで割りたくなるときはあるのかもしれないが。

 あるいは、「窓ガラスは割るべきもの」と考えるのもまたよかろう。年に一度夜の校舎の窓ガラスを壊して回る行事を生徒主体で開催し、「特色のある学校」としてその魅力と教育上の有効性を全世界に発信する。それならば窓ガラス職人さんの受注も安定するし、「あそこの窓ガラスは気持ちよく割れる、さすがJパンの職人技だ」と海外からの注文も入るようになるかもしれないし、割られた窓ガラスはリサイクルに回せばいい。あまりにスポンサー収入や広告収入に頼りすぎたり、有料の観覧席を優遇しすぎたり、他地域からのプロ窓ガラス割り団体を招いて地域性を失ったり、県知事を呼ぶなどして妙な権威づけをしたり政治利用されるようになったり長々とした無意味なセレモニーが加わったりしても行事本来のあり方を見失うので、そこは注意が必要だろう。あくまで生徒主体の生徒のための行事として行うべきだ。行事への参加不参加を強制したり、内申書に響くぞなどと脅しつけて支配および管理しようとするなどもってのほかだ。もってのほかなこと以外のなにも行われていないのが学校という頭のおかしい箱であることは知っている。

 剰余金は経済的に恵まれない家庭の奨学金として運用したり、不登校児童生徒の学習支援に充てたり、やはりAフリカの貧困地域等に寄付するなどが望ましかろう。時期としては古式にのっとって卒業式として行うのが美しいのかもしれない。ひとつの通過儀礼ということにもなるだろう。「卒業するときにはああいう風に壊して回っていいんだな」と思えば学校生活の不満等もいくらか納得しながらやっていけるかもしれないし、普段は男子生徒以上に攻撃性を抑圧されている女子生徒たちが大いに活躍するだろうし、それはその後の人生の自信と励みにもなってフェミニズム的にも良好な結果が得られるだろうし、生徒たちも高揚感の中で一体となって破壊活動に参加することで絆的なものが強化されるだろうし、友人知人の意外な一面を発見して関係が深まったりもするだろうし、関わったことのなかった生徒どうしの出会いの場にもなるだろうし、新入生たちも新しい窓ガラスが張られた、しがらみのない清々しい光と空気の中で新生活を始めることができるだろう。


 「暴れてはいけない」「ものを壊してはいけない」という考え方自体が無知に基づく思い込みに過ぎず、N本各地にも神輿を壊したり泥の中で転がしたり、美しく造形された大燈籠をぶつけ合って壊したり、海に流して燃やしたりといった、各種の祭りがある。暴れたり壊したり燃やしたりすること自体は人間の自然な活動であり、時として神意に適うことでもあり、そこに美しさや尊さがあることも間違いない。

 結局、事実も知らず、道理も知らず、想像力もなく、考えることもできない人間もどきどもが大人ヅラをし、能力も人望も器も技術もないのに取り仕切ろうとしていることが大問題ではある。その手の輩が教員に特に多い理由は省略する。


 「不良」と決めつけられ、あるいは「不良」という立場に追い込まれて潰されていった優秀でマトモで力と熱意のある人間たちがどれだけいたのか、どれだけいるのかと思うと、あまりの不毛な損失に僕は吐き気がしてくる。学校はなんのためにあるのか。ひとつには、優れた人間を排除し、安定して大量のポンコツを生産し続けるためであるのは間違いない。


 馬鹿馬鹿しさに耐えられること。それがN本国民であるための条件だ。馬鹿馬鹿しさに耐えられるのは、当然馬鹿だけだ。


 本当はS玉新聞の記事をスクラップして――全国区のニュースもあるが――四中事件簿を作ればよいのだと思う。もちろん新聞沙汰なんて氷山の一角に過ぎないわけだが、といって実際は印象よりは少ないのかもしれないし、かつて悪かったものが努力によって今はよくなったのならばそれは他校の参考にもなるのだからむしろ積極的に公開すべきだし、よくなっていないのなら悪いという事実を認めて改善すべきだし、いずれにせよ事実を隠すならば、こちらも勝手に記憶と印象と新聞記事だけでものを言いますよ、という話ではある。女子も元気に鉄パイプで窓ガラスを割っていました、「Z市でまた教師暴力」扱いでした、一九九二年に完成した四中の武道場は、体育教員の某が実技指導の名のもとに合法的に生徒を投げ、倒し、締め、抑え込み、心ゆくまで痛めつけて屈従させ、にやにやと支配-被支配関係を誇示するための汗臭く卑劣な施設です、云々と。

 前の時代が荒れていたがゆえに僕たちが「こいつらは必ず悪いことをするヤツらだ」という目で見られているのも理不尽としか言いようがなく、いたいけな小学生だった僕たちが不良や暴走族に怯え、時にはカツアゲ等もされていた被害者だということさえわからないんだから教員どもは歴史のレの字も地域のチの字も想像力のソの字も知らないド低能のビチグソとしか言いようがないんだが、あんなところになんの説明もなく千人も押し込まれたらたまったものではないのは間違いなく、僕だって暴れる。誰だって暴れる。暴れない人間はきっと立派な模範囚として無期懲役を終えることができるタイプだ。


 しかしまあ、校長だの教頭だの教員どもだのは、僕たちには頭も心も目も耳も口も人間性も人生もないとでも思っているのだろうか? 口外するなと言われたら素直に口外せず、忘れろと言われたら素直に忘れるとでも? 一九九一年五月十三日に日本刀を持った生徒が酒を飲んで校長室や職員室で暴れて窓ガラス二十四枚と(がく)二枚を割って逮捕された件は全国的にも有名な話だからさておき、僕たちの代でもリンチ殺人事件がありましたよね? 四中の生徒二人で二中の生徒一人を殺しましたよね? どうしてそれを隠蔽したんですか? わざわざ朝から全校生徒を体育館に集めて緊急集会を開きながらもなんの説明もせず、なにも起こっていない、なにも言うな、なにも訊くな、と? 加害者も友だちだし、一番動揺して一番不安なのは僕たち生徒なんですが、わかっていますか? 「自分の学校の生徒は、ちゃんと説明すれば理解ができ、良識的に行動するだろう」と思えないって、あんたのとこの学校ではどんな教育をしているんですか? 生徒たちはあんた方ほど馬鹿じゃないんでどのみち全部情報は回るし、「コイツら、隠蔽しやがった」という不信と軽蔑しか残らないのはおわかりでしょうか?



 ねえ、卑劣な第七代渡辺繁生校長?



 こういうのもナメた話であり、生徒の中から将来広くものを言えるようになる人間なんて、絶対に現れるわけがないと思っているわけだ。生徒たちの可能性なんて一ミリたりとも信じちゃいない。知っているのよそんなこと。あんた方が言っているマトモそうなことなんか、ひとつ残らず口先だけだ。

 お礼参りをするほどの価値もないどころかゴミとしか言いようがない学校(ゴミ)だが、といってその辺りは僕もバリバリであり、ナメられたらナメんなよと言い返すよりない。卒業生の暴走族たちが学校に乗り込んでくるのもわかる。弱いと思ってナメやがって、好き勝手やりやがってよ、そのときその場で力のあるヤツが好き勝手やっていいんだろ、弱い立場の人間のことはなにも考えず、無視したって黙らせたって虐げたっていいんだろ、じゃあオレもそうするぜ、あんたたちが教えてくれた通りだぜ、ありがたい教えの通りにやってんだから誉めてくれるよな、バリバリやろうぜバリバリ、愛死天流ぜ四中、と。

 加えて、いっぺんバキバキにシメてやらねぇと、どこまでもナメてきやがるコイツら、というのも間違いない。そういう腐った類の人間もどきがごろごろいる限りどうしようもない。ついでに言えばバリバリラーメンというラーメン屋がZ市にあり、割と有名だと思う。僕は行ったことがないが、やはりバリバリのバキバキなんだろうか。


 ともあれ、第七代渡辺繁生校長は大人であり、自分の言動は自分の名において責任を持って行っているはずだから特にどうということもないはずだし、むしろ自校の生徒によって行われたリンチ殺人事件を第七代渡辺繁生校長が責任を持って隠蔽したという事実に間違いがないことを承認する校印と校長印をいただきたいぐらいだ。Z市教育委員会体育課長を経て一九九三年にZ市立第四中学校に就任された第七代渡辺繁生校長はそれが正しいと心の底から信じて行ったんだろうし、翌年度である一九九七年度には何事もなかったかのようにT沢のN陵中学校に転任するであろう第七代渡辺繁生校長が正しいと信じて行ったことなんだから、僕はその決定とやり方にまったく賛成はできないものの尊重はするし、未来にはおそらくT島中学校、上O久保中学校と校長歴を重ねてどこかの陸上競技協会あたりに落ち着きそうな体育が大好きな第七代渡辺繁生校長の人生や信念や人柄や人間観や教育観がどのように具体的な言動となって表れ、生徒たちおよび教員たちの模範となるべく示されたのかを、世に遍く知らしめて悪いことはなかろう。録画でも録音でもできればよかった。その姿、その声のまま歴史に残せればそれに越したことはないし、正確な文言通りに引用するのが望ましくはある。


 悪いのは「評判」ではなく「事実」だ。少なくとも四中の「悪い評判」は「悪い事実」に即したものでしかない。どうにかしなければならないのは「悪い評判」ではなく「悪い事実」だ。「悪い事実」を真っ当に解決するのは簡単ではない。簡単ではないが、やらなければ仕方がない。ひとつには、あとの人間たちを不幸にすることになるからだ。逃げて隠れて蓋をして済むと思っているのは、いないいないばあも卒業できていない未熟すぎる大人どもだけだ。

 四中に限らず、この世界には「悪い事実」が溢れすぎている。じゃあ、「悪い事実」に対して、どう取り組めばいいのか。自分は特にどの件を担当すればいいのか。それが学びたいことであり、未来の道筋だ。然るに、あんた方がやっていることはなんなのか。


 僕たちはこの世界をいくらかマシなものにするために生まれてきている。あんた方とは立場が違う。邪魔をするなゴミどもが。


 学校はお前たちのものじゃない。僕たちのものだ。返せよ低能。


 もし自分が間違っていたと思うならば、恥というものを知っているのならば、教育の価値を少しでも信じているのならば、稼いだ私財をアフリカの貧困地域等の教育環境を改善するために遣ってほしい。税制上の優遇措置も受けられるはずだ。



 「ニュータウン」という言葉に囚われなければ、その目的は「よい町を造る」ということだ。「ゼロから町を造る」ことが目的なわけがなく、もともとあるものはそのまま活かせばいい。どうしてもゼロから造りたければ好きなだけ『シムシティ』をやってくれればいい。あるいは強いて「ゼロから町を造る」ことによって生じる誰かの利益が目的なのだろうか。その辺りは僕にはわからない。

 戦後の昭和期において、少なくとも都心部から五〇キロメートル圏内にある町で、「新しい町造り」を要求されなかったところはない。急激な人口増加と都市型の生活等に対応すべく、多かれ少なかれ旧来の生活が変わり、道が敷かれ、駅が造られ、田園地帯や雑木林を「開発」し、あるいは「開発」され、宅地化が進み、大規模な工場や研究所等ができ、各種の施設が必要になり、新住民が旧住民を上回って増加し、町の変容が生じたというか、必要になったというか、強いられた。「新しい町」というならば、どこだって多かれ少なかれ「新しい町」だ。


 「計画」という言葉に囚われなければ、ひとつは「主導権」の問題だろう。誰がどんなビジョンに向かって主導権を握るのか。大企業なのか、国なのか、都道府県なのか、市区町村なのか、もう少し広いエリアなのか、もう少し狭いエリアなのか、個々人なのか、云々。

 当然、「誰のどんな幸福のために」「誰のどんな利益のために」という問題も含む。「誰の」には人間だけではなく、いわゆる自然環境等も含まれるというか、どこまで含めるかを誰がどう決めるか、という話だ。

 「誰ならばどのぐらい不幸にしていいのか」「誰ならばどのぐらい害を与えていいのか」ということもこの件には当然に含まれている。高層ビルがひとつできれば日照や眺望が侵害される人はいるし、鳥たちはぶつかって死ぬ。鳥ならば不幸にしていい、というのはひとつの考え方ではある。

 「期間」の問題もある。一〇年使って使い捨てればいいのか、一〇〇年、二〇〇年と続くような「町」を目指すのか。

 「町の範囲」の問題もあり、「ニュータウン構想」と呼ぶならばこの件が主眼となる、というのが僕が町々を眺めて思うことだ。

 「近隣住区論」に基づく町づくりが「ニュータウン」の特徴のひとつである、という話には決してならない。これは「町型団地」で一九五〇年代にすでに実現されているからだ。この狭く閉鎖的な単位のみで「町」を捉えてしまうがゆえに生ずる問題が多々あるので、それを解消するためにより広域での「ニュータウン構想」が必要になる、というのが筋だろう。

 少なくともN本国内の「シティ型ニュータウン」は市町村規模の話なのだろうが、その規模で考えてしまうと単に「なにもなかったところに新しいひとつの人工的な市ができた」というだけにならないか。この辺りの考え方は僕には必ずしもわからず、たとえば箱庭というか庭園のようなひとつの理想郷を造ろうとしたのだろうか。「garden city」をどう理解し、誰がなぜ「田園都市」と訳したのかは知らないが、いずれにせよ、仮に自然な流れを無視し、外れ地に閉鎖的な都市を造れば、それは当然孤立し、周囲との調和を損ない、流れが滞り、充分に機能しなくなる。結局は規模が大きくいくらか高級そうで、中身が充実しているだけのZ団地だ。


 「自然」という言葉は狭義に捉えるべきではない。「自然」も明治語であり、「nature」の訳語だが、これは「森林」「河川」「生態系」という話だけではなく、「(ことわり)」が含まれる。よく考えられた訳語ではあり、「自ずから、然るべく」ということで、「理」の意まで汲んでいるのだろう。ともあれ、たとえばあるべきところにあるべき道があるべきように通っていれば、それが「自然」だ、という話だ。「自然破壊」というのは、単に森林等を破壊しているという狭義の話ではない。そうした「理」に背き、破壊しているということだ。

 生物の骨格は身近で代表的な「自然」だし、参考にすべき「型」だ。あるべきところにあるべきものがあるべきようにあり、無駄がなく、すべてが関係し合い、バランスがよく、調和していて、生き生きと機能しており、美しい。この話がわからない方は、好きな生物の骨格の――ヒトが好きなら止めはしないが、いくらかアンバランスではある――模写をしてみるとわかるはずだ。


 生活実感としてどのぐらいが「広域」のひとつの単位なのかと考えれば、たとえばW光市からK越市ぐらいまでの範囲ということになるだろう。より広げれば旧M蔵国ぐらいの範囲が「地元」ではあるのだろうが、そこまではひとまず考えない。一九七〇年代に急造された新設の公立高等学校群が「地元の学校」として機能していないこともひとまず考えないし、「低偏差値のヤンキー校」呼ばわりするつもりもない。おそらくはワタナベさんもZ高校あたりに進学するのだろうし、それはそれで楽しい環境ではあるのだろう。

 面積としては二二〇平方キロメートルほどであり、たとえばO阪市や、S玉県に予定されている新政令指定都市と同じぐらいの規模だ。隣接地域だと無責任な話にはなるが、T沢市とS山市とI間市で一六五平方キロメートルということにはなる。通っている私鉄というか実質的に町造りの少なくともひとつの担当者であるのは、僕たちがいる方がT武、いない方がS武であり、いる方の具合に関しては先述の通りだ。ああなってしまわないように、広域での長期的な構想が必要だった、という話だ。過去形の話であり、今さらどうにもなるまい。

 それでは一方のS武とT沢はどうしているのか、という話を語るのに、僕はふさわしい人間ではない。町の観察と報告はそのふたつの単語を並べても理性的でいられる方に――心に雄叫びが響き始めない方に――お任せしよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ