オーバードライブ…3
高水敷に落ちる影は少しずつ長くなり、風景はゆっくりと黄味を増しつつあった。対岸の桜並木には三種類の蝉が鳴き、川のせせらぎと国道のざわめきに挟まれながら、僕たちは相変わらず土手の斜面にいて、僕は体育座りをして、ヤベは寝っ転がって、なんの因果か自分たちが少年期を生きることになった町を眺めていた。僕は三月生まれ、ヤベは五月生まれではあったが、ともかくも同じ団地に生まれ育ち、僕は賃貸の2DK、ヤベは分譲の3DKの人間という違いはあれど、この町に感じていることはもしかしたらそう遠くないのかもしれない。僕はT小、ヤベはZ小の出身ではあったが、今はどちらも四中生であり、九日後にはZ市立第四中学校での最後の二学期を迎えようとしており、七ヶ月と九日後にはいくらか違う場所でいくらか違った生活を始めているはずだった。夏の太陽はいくらか傾きを増したが、団地は何度眺めても団地であり、四中は何度眺めても四中であり、どちらもどんよりとした色をして、ぼんやりと佇んでいた。
僕は視線を少し手前に戻し、ついでに眼鏡の角度も直し、土手から突き出す妙に堂々とした樋管を眺めながら、なんの気なくふっと呟いていた。
「カネコさん、どうして美術部にきたんだろうね」
「カネコのハルちゃんな。なんでだろうな」
ヤベは意外と僕の呟きを拾い、真剣な顔になってしばらく考え、言った。
「まあ、なんか面倒臭ぇことでもあったんじゃねぇの。女はわかんねぇだろ。仲いいんだか悪ぃんだかさ」
僕は頷いた。見る限りは爽やかそうなテニス部の女子たちも、かわいい顔の背後でなにを考え、見えないところでなにをしているのかは、僕たちにはわからない。時おり見え隠れする綻び――悪意や敵意の表出であり得るちょっとした言動、ちょっとした視線や表情や発音の変化、行事のときの集団の作り方や裏返しの外し方、記念写真の立ち位置なんかに薄い違和感をもつぐらいであり、それ以上のことは女子になってみなければわからないのだろう。
「まあ、確かに美術部って顔じゃねぇな、ハルちゃんは。かわいいもんな」
ぶほっと僕が咳き込んだのは、笑いを誤魔化すためだった。僕もヤベ以外のその他の男子も女子のことをどうこう言える立場ではないが、ヤベの言葉を裏返せばそれが美術部の真実だからだ。遠い目をしてカネコさんの小動物みたいな愛らしい顔を思い浮かべているであろうヤベに、僕はその他の女子たちの擁護を試みた。
「でも、いい人は多いんじゃない?」
「ああ。それは俺も思った。ウチダさんとかも顔はアレっちゃアレだけど、上品っちゃ上品だもんな。でっけぇ家に住んでんだろ? 坂の上の、林みてぇなとこのさ」
ヤベはすんなりと僕の擁護を受け入れてくれ、僕はなぜか一度だけ行ったことがあるウチダさんの家を思い出した。上品に微笑むお母様が、美味しいのであろう紅茶となんだかよくわからない上品そうなお菓子を出してくれる家だった。
美術部な、と苦笑いを秘めながら、どこか懐かしそうに呟くヤベに、僕は思い切って、訊いてみたかったことを訊ねた。
「ヤベは、どうして美術部にきたの?」
ヤベはカネコさんより少し早く、一年の途中で美術部に転部してきていた。
「俺か? 俺は、あれだよ、美術を愛してんだよ。心からさ」
その答えは聞き流すことにして、僕は次の言葉を待った。心から愛している割に、美術室でヤベの姿を見かけることが多かったとは言えないからだ。やがてヤベは口を開いた。
「まあ、美術部だったらのんびりできるだろ? あれこれうるさく言われねぇしさ。そういう方が向いてんだよ、俺にはさ」
それから吐き棄てるように付け加えた。
「球蹴りなんか、くだらねぇよ」
僕は黙っていた。ヤベがレッズのファンだということを知っていたからだ。ヤベは表情を緩め、あくびをするような声で言った。
「まあ、平和だよな、美術部は。平和が一番だぜ」
最後の方は本当のあくびになり、僕は同意した。監獄のような校舎の中で、美術室にだけは自由で、対等で、平和な空気があった。
ヤベは寝っ転がったまま片腕で伸びをし、俺は平和が大好きだぜ、と、もう一度あくびをしながら言い、それから眠そうな顔と声で言った。
「でも、あれは楽しかったぜ。切って貼るヤツ」
僕はヤベが言いたいことを考えた。
「コラージュ?」
「ああ。たぶんそれ。お前、パンク聴く?」
「パンク?」
「ああ。パンクはいいぜ、パンクはさ。パンク聴こうぜ、パンク。お前、MD持ってる?」
持っていない、と僕は答え、ヤベの話を促した。
「ほんで、まあ、コラージュ? あれはパンクだと思ったんだよな。切って貼るだけだったら俺にもできるしさ」
思い出した。確かにある時期、ヤベが頻繁に放課後の美術室に現れ、窓際の工作台に前のめりになって、真剣な顔で作業をしていたことがあった。夏制服の白いポロシャツの記憶があるのだから、おそらくは去年の夏休み前ぐらいの時期だろう。
「あれ、シブキさんが教えてくれたんだよな。やることねぇからとりあえず部活行って、暇潰しに『CanCam』読んでたら、シブキさんが後ろに立ってんのな。腕組みして、変に真面目な顔で、じっと俺のことを眺めてたみてぇでさ。やべぇ、さぼってんの怒られる、学校に雑誌持ってきてんのも怒られる、雑誌没収されたらねえちゃんにも怒られる、って思ったら、シブキさん、なんも言わずに棚みたいなとこ行って、何冊か本みたいなのを持って戻ってきて、俺の隣に並んで座って、いろいろ見せてくれて、ヤベ、こういうのあるけど、お前、やってみないか、ってさ」
シブキ先生。美術の担当教師であり、美術部の顧問でもあった。穏やかで深みのある彼の声は、すぐに脳内で再生できる。精神異常者の病理の発現として職員会議にかけられた僕の絵を、唯一理解し擁護してくれたのもシブキ先生だった。ヤベは両手を頭の後ろから外し、宙であれこれと動かしながら、続けた。
「で、ああ、そういやこういうのあったよな、ジャケットでこんな感じのヤツ見たことあるわ、こういうのも美術なんだ、って思ってさ。ほんで、なに使ってもいいし、なにやってもいいし、上手いとか下手とか気にしないで、お前のやりたいようにやってみろ、って言われて、ああ、そんな感じでいいの、そんなら俺にもできるかも、じゃあやってみっか、どうせ暇だし、って思って、とりあえずやってみたら、けっこう面白ぇんだよな、あれ。なんつうの、ああ、こういう感じだ、俺が言いたいこと、やりたいこと、俺に見えてるもの、俺が感じているのは、こういう感じだ、っていう、手応え? なんかそういう手応えみてぇなもんがあってさ」
僕は相槌を打ちながら、ヤベの話に耳を傾けていた。ヤベの状況は理解できた。僕も似たような流れでパステル画を描くようになったからだ。
「まあ、シブキさんはいいよな」
ヤベはしみじみとした声で言った。
「俺が作ったヤツを見せても、ぐちゃぐちゃ言わねぇで、のんびりした、それでも真面目な顔してじっくり眺めて、うんうん頷いてさ。たまになんか言うとしたら、『お前、本当に、これでいいのか』ってぐらいだよな。で、言われるときって、俺もやっぱり、なんか違ぇんじゃねぇか、でもまぁこんなもんでいっか、みたいにやったときなのよな。なんかそういうの、バレるんだよな、シブキさんには。なんでわかんだろうな。ほんで、言われてじっくり見直して、俺なりにあれこれ考えて、なんかしら掴むもんはあって、次んときはそういうのを気にしてまた作って、またシブキさんとこに持ってってさ。で、まぁシブキさん、やっぱりなんも言わねぇし、変に誉めたりもしねぇんだけど、ちょっと嬉しそうにしてんのがわかんよな。別にシブキさんを喜ばせるためにやるわけじゃねぇけどさ、でもまぁそういうのって、俺も嬉しいじゃん。よし、ってさ」
ヤベは校舎の方に顔を向け、少し寂しそうに微笑みながら、呟いた。
「変な人だよな、あの人」
それから空に顔を戻し、素直な声で言った。
「あの人は、好きかもしれねぇ」
◆
「団地」と「ニュータウン」はなにが違うのか、と僕に問われても困る。そもそもBルザック的な意味でのそれではなく住宅様式としての「団地」とはなんなのかと問われても困る。存在が存在するとはどういうことなのかと問われても困るし、人はなんのために生きるのかと問われても困る。僕が自信を持って言えることは、人は必ず死ぬということだけだ。僕も死ぬ。あなたも死ぬ。あまり考えたくはないがオオトモさんも死ぬ。それはひどい、と僕は思う。僕とあなたが死ぬのは構わないが、どうしてオオトモさんが死ななければならないのか。世界は不条理だ。
そんなわけでこの地球上では人が生まれたり生きたり死んだり殺されたり大量虐殺されたりしてきたわけだが、暇潰しにたまたま昭和三十四年度版すなわち一九五九年度版の『国民生活白書』を読んでいたら「団地」についてあれこれ語られていたので、暇潰しに丸写ししておく。
第三節 団地形成と都市計画
1 新しい団地の施設
団地族という新語が生れたように、政府施策による住宅建設は、アパート群を密集させた団地の建設で行つている。これは市街地における宅地が高価であり、細分化されている現状をかえりみて、土地の利用を合理化し高度利用をはかることを目的として多くのアパート群を密集させ、高層化、不燃化をはかつているのである。かくして一ケ所に多くの世帯が集り、入居条件もほぼ同じくしている中間階級が多いので、その社会意識や、経済状態が等しく、団地族といわれる新しいコミュニティを形成している。
日本住宅公団の団地をみると、三四年三月末現在で、全国に一般団地(アパート群)一八九、市街地団地五五 計二四四を有し、住宅戸数は賃貸のもの六万五千余戸、分譲のもの六千六百余戸となつていて、住宅難の著しい東京、および同周辺地区、大阪地区に多く建設されている。
最近建設される団地は、市街地の宅地不足と都市計画の構想に従つて遠隔の地に作られるようになり、ますますその規模が大きくなるので、郊外に突如として小都市が出現するという状況で、日常の消費生活や教育などに支障をきたすので、宅地建設のみならず、各種の公共施設も並置している。
入居者の懇談の場、講演会や映画会、またスポーツなどレクリエーションに使用される集会所が団地の規模によつて作られ、一五〇戸以下の一〇坪から、五〇〇戸の二〇坪、一、二〇〇戸以上の七〇坪と種類も板敷のものから、大きな団地では畳数(原文ママ)の部屋まで設けられて自主的に管理されており、また管理人事務所も小部屋ではあるが集会の場所として使用されている。
商店街に遠かつたり、また大きな団地では店舗やマーケツトを賃貸して住居者の便宜をはかるほか、団地の立地条件によつて、郵便局や巡査派出所、市役所出張所なども建設されている。
教育施設では小学校が三四年三月現在で全国十四の団地に建設されているが、これはその土地の公共団体が財政困難で急激に増加した団地の子弟の教育施設の拡充にたえられないときに、国庫補助をうけて三年分譲で建設されている。
また子供の遊び場は必ず設置されている。
いかがだろうか。僕は割と「ほー」だ。改めて他人にあれこれ言われてみると「なるほど」と思う。「なるほど」の内訳は省略するが、考えてみれば団地の集会所に足を踏み入れることなく生きて死ぬ人もいるわけだ。踏み入れてなにが楽しいわけでもないが、父親は碁を打ったり、僕と弟は硬筆や習字を習ったり、そんな感じで活用していた場所ではある。ということで僕にとっては「団地の集会所=下敷きの緑がかった透明感と柔らかさ&朱液の色と墨の匂い」であり、なんとも言えない薄暗さとひんやりとした静けさが団地の集会所らしい空気だと思い込んでいる。あなたにとってはどんな場所だろうか。
「子供の遊び場」の話も省略するが、「長い月日が流れ、「ぐるぐる」があったことを知る人も消え、理由のわからぬまま『ぐるぐる公園』と呼ばれ続けるのも、それはそれでKフカ的で面白いとは思う」ぐらいは残しておこうか。それとも、今から一緒に殴りにいこうか。
◆
僕は「すべての実力行使に反対する」という立場には立っていないし、「すべての実力行使を暴力と呼ぶ」という立場にも立っていないし、「実力行使を伴わない行為は暴力ではない」という立場にも立っていないし、仮になんらかの行為が「暴力」としか呼びようがないものだとしても、「すべての暴力に反対する」という立場にも立っていない。少なくとも、暴力団然り暴走族然り、「暴」という穏やかならざる言葉で「この人たちは悪です」という有無を言わせないイメージを作っているのは間違いない。「犯罪」も「不良」も「非行」もそうだ。「逆賊」「非国民」「反体制」「テロリスト」、他にも色々ある。「この人たちは悪だから無視しても不幸にしてもいいです」もイメージに含まれる。
「表面張力ゲーム」の喩えは省略する。プッシャーゲームの喩えも省略する。『ゴッド・スピード・ユー!』を観て思うところも省略する。真っ先に「なるほど、こういうタイプの給水塔か」とチェックしてしまう団地っ子の悲しい性(Sa・Ga)も省略する。彼らが仲間や秩序にこだわる理由も、時おり瞳に浮かぶ絶望の色の理由も省略する。ごく良質の青春ドキュメンタリーではある。
◆
「アパート」とはなにか、というのも面倒臭い話であり、これは「団地」や「ニュータウン」の面倒臭さとも根は同じで、N本人が事実よりもイメージを大事にし、イメージは名称で決まると思い込んでおり、言葉はなんとなく通じた感じになればいいと思ってにやにやへらへらしている頭のアレな民族だから生じる。マンションだのシャトーだのの大それたあれこれの名称は、それはそれで民族性や時代や国民の教育水準を示すひとつの文化的景観であって、面白さはあるから止めはしないが。
さらに根を掘れば、N本語がいつからか現実感や実体感や感覚的な実感に乏しいふわふわした言葉になってしまったから生じることではあるのだろうが、その話はどこまで遡ればいいのか見当がつかないからやめておく。明治で済むならまだいいが、下手をしたら漢字の輸入あたりからすでに始まっているのかもしれない。音と意味内容の乖離というとんでもないことが起こってしまっている。
にやにやへらへらしている頭のアレな民族であることも、それはそれで共通の合意さえあればよいのかとも思う。にやにやへらへらしていて頭がアレなくせに真面目で偉そうな振りをしたり、にやにやへらへらしながら頭に涌いた蛆を耳の穴から垂らすことがこなれていてオシャレなんだという顔をし始めたりすると面倒臭い、というだけだ。世界が終わるまで頭のアレな皆でにやにやへらへら蛆を垂らし続ければいい。僕は国外に逃亡する。
逃亡する前に国民としての最低限の義務を果たすべくいくらか歴史を紐解く振りをしておけば、一九二〇年代にはひとまず米国流儀で「アパートメント・ハウス」と生真面目な呼び方をしていたようではあり、一九二一年にS宿旭町にできた「アパートメント・ハウス」は米国のそれを遥かに簡素にしN本風にしたものというか完全な別物だったようで、木造の二階建て、外観が「洋風」で中身はN本風、便所と浴室と炊事場が共同、計十三戸という、我々がなんとなくにやにやへらへらと鼻糞を食べよだれを垂らし頭に蠅をたからせながらイメージする「アパート」のそれに近いものではあったようだ。このぐらいクラシカルだとそれはそれで味わいがあり、『文化的住宅の研究』(森口多里、林いと子著 アルス 一九二二年)をチラ読みしながら、「楽しそうだな、住んでみたいな」と僕は思った。Z団地の2DKに較べれば、どんな住居だって愉快で快適に見えるものだ。嘘だと思ったらZ団地に住んでみるといい。三日で僕が言っていることが真実だとわかるはずだ。
なんであれ文化文化と呼んで幸せそうなのは時代ではあり、言葉を覚えたばかりの幼児が嬉しそうに一所懸命喋っていると思えば可愛いものではある。問題は、我々はいつ小学校に上がれるのか、ということだ。
一九三〇年頃からは嬉しそうにアパートアパートと略し始めたようではあり、S口安吾氏やO田作之助氏の小説に出てくるのもやはり「アパート」ではありつ、一九二三年のある出来事が町づくりを変え、同年に『文藝S秋』と『K楽』が創刊されたことにも触れつ、一九二五年に普通選挙法と治安維持法が制定されて翌年にK造社の『現代N本文学全集』の刊行が始まって大正時代が終わったことにも触れつ、スライを聴いてお歌が上手とほざいたR国育ちT端住まいの一九二七年没のとある文人の世界には「カツフエ」や「バラツク」はあっても「アパート」はないことにも触れつ、同年にK伊國屋書店が創業しI波文庫が創刊されたことにも触れつ、この時期に「純文学」とかいう絶望的に恥ずかしいジャンル名称が改めて云々されていたことにも触れたくもないが触れつ――「純小説」ならまだわかるが(いや、わからない)、なぜ「文学=小説」なのか――英語の類似概念は「literary fiction」ではある――「文芸小説」という呼び方はそれはそれで落ち着きはよい――「ジャンル小説」に対する「フリースタイル小説」かもしれない――ストリート育ちのリアルなそれだ――云々の横には「プロレタリア文学」や「大衆文芸」があったことにも触れつ、「プロレタリア文学」の他方には「ブルヂヨア文学」があることにも触れつ、一方その頃、恐慌前の米国はバスター・Kートンとフラッパーとスピークイージーとジャズとロスト・ジェネレーションの時代であり、Vェルサイユ条約締結後の仏国ではシュルレアリスムのマニフェストが云々されており、プリモ・デ・Rベラ政権下の西国ではヘネラシオン・デル・27がなにやらぞろぞろしており、独国や伊国ではNSDAPやPNFがあれこれしていたことにも――そういえば某政党も「純」がお好きだった――軽く触れつ、ひとたびなんらかの用語らしきものがそれなりに成立すると議論や合意や定義もあやふやなまま、さもそれが自明で不動で天地の開け始まりけるときからあるかのごとく思い込みたがり押しつけたがり、時空間を無視して過去や他所の事実にも無反省に遡行的に適用したがるN本人の悪癖はさておき――M式部氏が「長編小説」を、S少納言氏が「エッセイ」を書いていたらとんだ三文SFだ――結局のところ「簡易洋風集合住宅」ぐらいのものではあるのだろう。あくまで「洋風」という名のN本風のそれであり、以下をぐっと省略するが、いくらなんでもN本人の誤読癖と誤訳癖と他者軽視癖はひどすぎる。思いつきと思い込みと決めつけと押しつけと妄想と衒いとひとときの高揚と短期的で非現実的な私利私欲だけで生きているようにしか思えない。すなわち気が狂っている。
大正期の「アパートメント・ハウス」の定義としてこんなものがあったので、僕はそれで満足することにする。あなたが満足するかどうかは僕の関心事ではない。満足できないなら自分で自分の肉豆を弄んでほしい。D潤会云々の話は詳しい方に任せる。文化アパートメント云々の説明もお願いする。ついでに言っておけば、旧字が読めなくなると過去の資料が読めなくなる。自国の先人たちが築いた知の遺産をみすみす放棄しようとするのは、焚書坑儒の類の愚行だ。
アパートメントとは大きな建物を區分して數戸乃至數十戸となし各戸が各獨立の住居を營むことの出來るやうにしたものゝ謂であつて左右上下に長屋が組み合つた樣なものである。共同の玄關及び階段に依て出入するが、家の中では各戸が別な入口を有して各獨立して居る。多くは三層以上で四層からのものには階段の外に共同の昇降機が有るを常とする、中流のアパートメントの小なるは三層六戸分より、大なるは(米國にもあるやうに)十二層五十戸分などもあるが然し八戸前後を以て普通とする。
アパートメントは、其の性質に依て之を數種に分つことが出來る、其の第一種は獨身者向きで恰も下宿屋か寄宿舎の體の善い樣なものである、卽ち一戸は居間兼寢室たるべき一室丈けで其の傍に極めて小さな炊事場を附屬しパンを燒くか玉子を茹でる位の用は便ずる樣にしてある、便所及び浴室は多くは之を共同とする。第二種は夫婦向きで卽ち居間兼食堂と寢室との二室か、寢室をも一つ加へての三室か、或は居間、食堂、寢室の三室位で之に㙜所と便所とを附屬する、便所に浴槽を設けたるもある。居間又は食堂は客間に使用せらるゝこと勿論である。此種の集合住宅は下流中流を通じて最も多い、是に住する階級のものは女中を使用しない。歐米都市住居の大多數は此の第二種であるといつて宜しからう。第三種は寧ろ上流向といふべく五六室から十室位迄を上下して居る卽ち居間、食堂、寢室の外に客間、女中室等が設けられ、寢室の數も増加する。上流になつても浴室と便所の兼用が多い。十室のアパートメントに居住するものといへば餘程の上流者でなければならぬ。(『住宅論』 佐野利器著 福永重勝出版 一九二五年)
こうして眺めてみると、住居様式とその名称とその意味するところと位置づけというのは、その都度の共時的な住宅状況全体の中で他との差異によって云々かんぬんという、割とSシュール的な話になってきそうではある。「アパートメント」も、この時代における「――であって、長屋でも下宿屋でも寄宿舎でもないもの」という「でないもの」によって位置づけられ、どこかには収まる。
現代すなわち一九九X年に話を戻せば、「マンション」には「――であって、アパートでないもの」という否定的な定義が含まれ、「アパートとかいうダサくて臭くて古くて不便で暗くて狭くて畳が腐っていて虱が湧いていて無学で下品で××で不細工で無能で不能でアル中で梅毒で××××で××で×××でコンマ一秒でも早く死んだ方がいい田舎者の歯がぼろぼろの万年乞食とポン中と売女と犯罪者専用のスラム街の零細狭小住宅群とは違うよ!」という主張を込めて「マンション」と名づけたのだろう。
大正期に戻れば、「アパートメント・ハウス」には「――であって、長屋でないもの」という否定的な定義が含まれ、「長屋とかいうダサくて臭くて古くて不――」という主張が込められていておかしくない。
同様に、「ニュータウン」には「団地とかいうダ――」という主張が込められている面がある、という見方でよいのだろう。この辺り、『Sニュータウン/Z団地』というのはまさに通り一本挟んで「ニュータウンであって団地でないもの/団地であってニュータウンでないもの」が並んでおり、見比べてみるとごく実感の湧きやすい話とは思いつつ、僕は決してクリーニング屋の車だかに轢かれて死んだFランス人を意識したわけではなく、この件は本当に完全に偶然だ。
さらに同様に、から大胆に省略した上で、「結局は『炊事場』が一番シンプルで生活の実感と匂いがあって美しいと僕は思う」という話にはなる。
◆
ついでだから『言海』を眺めておこう。一八八九-一八九一年、すなわち明治二十二-二十四年の刊行だ。
ぶん-がく(名)文學(一)書ヲ讀ミテ講究スル學藝、即チ、經史詩文等ノ學。(武術ナドニ對ス)(二)又、語學、修辭學、論理學、史學、等ノ一類ノ學ノ總稱。
ぶん-げい(名)文藝 文學ニ係ル藝。
げい(名)藝 身ニ學ビ得タル文武ノ藝。
せ(シヨ)うせつ(名)小說 〔小人之說也〕實說虚說ヲ雜ヘテ戯作セル讀本、多々通俗ノ文體ニス。
『言海』には「童貞」も「戀愛」も載っていないことはさておき、「武」に対して「文」が置かれていることもさておき、F沢諭吉氏のような「世上に實のなき文學」に「人間普通日用に近き實學」を対置するようなものの言い方があることもさておき、といってAリストテレースを持ち出すまでもなくY吉氏は時代の中での「和漢の學者」「和漢の古書のみを研究して西洋日新の學を顧みず、古を信じて疑わざりし者」等を想定して「文學」を批判しているのであり、「實」の含むところは《ただちに果実すなわち大量の一万円札に化けるような》ということだけではなく《現実の世界で、生きて動いてある、今のものごと》《事実に即した》《実情に即した》《実体のある》《実感のある》《実践あってこその》《実験的な》ということではないか、ファクトベイストでロジカルでリアルでアクチュアルでタンジブルでプラクティカルということではないか、そしてそれは《真実》であり《誠実に》為されるべきだ、トライされるべきだ、いずれにせよ「實學」という言葉を狭義に捉えるべきではない、それはY吉の誤読だ、金銭しか見えていない俗物どもによる唾棄すべき牽強付会だ、リテラシーとデリカシーのない餓鬼畜生修羅どもめ、貴様らの住むべき場所は現世ではなく地獄だ、逆にY吉が言う「文學」は狭義のそれだ、広義に捉えるべきではないし「實學」と対置すべきでもない、×××××××(音声不明瞭)などというのは完全に的外れだ、没落貴族気取りの無能で幼稚で傲慢な俗物どもの戯言だ、同じ穴の貉であることを自覚せよ、等しく地獄に落ちよ、無間地獄に落ちて阿鼻叫喚せよ、まったくY吉は勢い余って面倒臭いことを言ってくれたものだ、憎きKO義塾め、ストリートという名のKO幼稚舎め、ハーコー気取りの塾生諸君め、死ぬまでH吉で注目し合っているがよい――と、M蔵境駅から自転車で一〇分の六畳風呂なしトイレ付き木造アパート『第三S田荘』二〇二号室の薄い壁にもたれて西O窪の古本屋で百円で買ったI波文庫の『学問のすゝめ』を神妙な顔つきで読んでいた小生の愚妻こと愚かな妻が急に興奮し始めてちゃぶ台を蹴り飛ばし文庫本を小生の顔面に叩きつけ裸電球の下で両腕を振り回しながら白目を剥いて泡を吹いて叫び出したこともさておき、状況の全体がY吉氏とは無縁で小さく生きる小生に対する励ましなのかあてつけなのか判別がつきかねることもさておき、考えてみれば「文学」自体が、という話をしようと思ったが、これは枚数および愚かな妻の暴れ方とは関係なく、単に面白くないからやめておく。ダゲレオタイプがどうのといった古い話だ。このあとの愚かな妻はありとあらゆる性別を呪い始め、ありとあらゆる社会階層を呪い始め、ある種の革命思想のようなものをまくし立て、人間のそれとは思えない唸り声を上げながらドアを蹴り開けてどこかに走り去り、しばらくして××のような顔をして戻ってくることになるはずだ。そうしたらふたりして手拭いをぶら下げて通りの向こうの銭湯に行けばいい。それはそれで幸福な、愚かで幸福な『第三S田荘』の暮らしではある。
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某義塾の話になると必ず正気を失う愚かな妻に言うのは恐ろしいから言わないが、人によっては某幼稚舎がストリートであってもおかしくないとは思う。某幼稚舎には某幼稚舎のあれこれがあるのだろうし、某幼稚舎はストリートであると声高に主張しづらいことも含めて某幼稚舎という名のストリートだと言うならば、それは「なるほど」ではある。言わないならば、それも「なるほど」ではある。自然界から疎外された鬼子であることが人間の出発点だと言うならば、それも「なるほど」ではある。サル山の叡智ではある。
◆
I西錦司が広く読まれていることはなによりだが――『利己的な遺伝子』の流行をどう捉えていいかはわからない――動植物学が軽視されすぎとは思う。Aリストテレースはやっていた。Aリストテレースを狭義での「哲学者」「思想家」と見做したのは、ひとつの大きな誤読だろう。誤読が生じた理由は時代の中に置き直してみるといくらかはわかるのかもしれないし、さっぱりわからないのかもしれないが、いずれにせよ我々にとっては狭義のそれではないということは確認しておく。
◆
自らが寿陵余子であることに悩めるならまだ平和な部類で、知りもしない「『邯鄲』の歩き方」を田舎者に教える田舎者、それを信じて広める善良で無能な田舎者、それを信じて田舎の歩き方を禁じて「『邯鄲』の歩き方」で田舎の歩き方を統一する田舎者、誰ひとりマトモに歩けなくなる田舎、お前たちが歩けないのは教えた通りに「『邯鄲』の歩き方」をやっていないからだと田舎者を殴りつける田舎者、「『邯鄲』の歩き方」に疑問を抱く田舎者を袋叩きにして追放する田舎者、「『邯鄲』の歩き方」に疑問を抱く邯鄲の人を袋叩きにして追放する田舎者、田舎者は馬鹿だから「『邯鄲』の歩き方」では難しすぎてわからないのだろうと思い込んで「やさしい『かんたん』のあるきかた」を作って強制してよいことをしたつもりの邯鄲人気取りの田舎者、馬鹿馬鹿しいと思いながらも「やさしい『かんたん』のあるきかた」に従わざるを得ずにますます歩けなくなる田舎者、「『邯鄲』の歩き方」を田舎者に教えて稼ぐ方法を田舎者に教えて稼ぐ田舎者、「その歩き方は『邯鄲的』ではない」と歩けなくなるまで邯鄲の人を殴り続ける田舎者、田舎者にがーがー喚き散らされて戸惑い「『邯鄲』の歩き方」を真似して歩けなくなる邯鄲の人、寿陵余子の歩き方こそが『邯鄲的』だと信じて真似する田舎者、寿陵余子の歩き方こそが『邯鄲的』だと信じて真似する田舎者の歩き方こそが『邯鄲的』だと信じて真似する邯鄲の人、「『邯鄲』の歩き方」を否定して田舎者に「本当の『田舎者』の歩き方」を教える邯鄲人気取りの田舎者、それを信じて歩けなくなる田舎者、誰も邯鄲に来ないから喰うに困って田舎者が喜びそうな「『邯鄲』の歩き方」風の滑稽な歩き方を田舎者に見せて金を取っているうちに本当に歩けなくなる邯鄲の人、辿り着いた田舎を邯鄲と信じて誇らしげに田舎者を田舎に招く田舎者、それを邯鄲と信じた田舎者が集まってできた偽邯鄲、それなりに整ってくる「『邯鄲』の歩き方」という名の「『偽邯鄲』の歩き方」、「『邯鄲』の歩き方」という名の「『偽邯鄲』の歩き方」を田舎者に教えて稼ぐ方法を田舎者に教えて稼ぐ方法を田舎者に教えて稼ぐ田舎者、偽邯鄲が偽邯鄲であることを認めたくないがために邯鄲を滅ぼそうとする田舎者、「田舎者は田舎に帰れ」と偽邯鄲で門前払いされて餓死する邯鄲の人、あれこれややこしいのが実際のところだろう。誰もマトモに歩けず、誰も邯鄲には辿り着けない。仮に僕が邯鄲の人間ならば、邯鄲を離れて山中に籠る。
◆
「ニュータウン」という言葉自体は近隣だとすでに一九五七年には「公団・北T沢ニュータウン計画」という計画名として出現はしているようだが、結局は『新T沢団地』として一九五九年から入居を開始していったようだ。極秘資料としてとある筋から当時の写真も入手したが、「なるほど、団地だ」としか言いようがない。最初から完成度の高い団地であり、オープンな造りで連結性のよい町でもあり、タイミングよく建て替えも始めたようで、長生きする団地になるのだろう。まったく、羨ましい限りだ。
『新T沢団地』のある住民はJョンソン基地に勤務なさっていたとのことで、美しい話と思う。因果、生活、時間、空間が『新T沢団地』でぴったりと重なり、「そのときまさに、そこにいるべくしている」という落ち着きがある。情報の美しさというのはいわゆる「美談」であるかどうかとは関係がなく、動かし難い必然性、とまで言わずとも、相当の妥当な蓋然性によって生ずるものだ。
一九四六年の英国における「New Towns Act」というのが少なくとも二〇世紀後半的な「ニュータウン」の始まりとかなんとかになるのだろうが、当時のN本人がこれをどう理解し、どう誤解したのかはわからない。N本に入るとなんでも頓珍漢なことになると思って疑ってかかった方が正解に近いのが常であり、だから外国語の習得が必要だ、という話でもあるのだが、外国語教育も根本から枝葉に至るまですべてが間違っているのだから気が狂っている。『チンプンカン博物館』の方が遥かに理性的だろう。言葉の問題だけではなく、ものごとの仕組みや相手の立場や状況や意図を知ろうともせず、結果もそうなるべき理由も見ようとせず、直そうともしないどころか余計に凝り固まるから生じる頓珍漢さであり、いかに自閉的で妄想的で非理性的で偏執的で自己中心的で幼児的ナルシシズムに取り憑かれた国民性なのかと呆れてよい。
O阪やA知には疎いから放置するとして、南K東では一九六五年にY浜市から発表された「K北ニュータウン構想」辺りが思想や目的から「団地」とは違う「ニュータウン」の始まりなのかもしれないが、この辺りの町を「ニュータウン」と呼んでしまったから話がひとつこんがらがるのだと思う。「タウン」と呼ぶには大きすぎ、実質は「ニューシティ」だろう。といって、本家の英国がこうした計画都市をまさに「new town」と呼んでいるので、この件はさすがに文句は言えない。
逆に、実質は「ニュー団地」または「ごく普通に団地」または「ごく普通に町」な町をK北やらT摩やらにあやかって「ニュータウン」と名づけてしまったからこんがらがった、というのが順序としては正しそうで、「またやりやがったよ、N本人……」ではある。「言葉は、正確になにかを言うもの」という思想がない国なのだ。ということで、嬉しそうに団地団地と言っていたと思ったら、今度は嬉しそうにニュータウンニュータウンと言い始めることになる。この民族は何万年同じことを続けるのだろうかと呆れそうになるが、そんなに保つわけがないからそこは安心だ。
ともあれ、K北、T摩、C葉、S里、S北、そのあたりの実質は「シティ型ニュータウン」、我らが『Sニュータウン』の「団地型ニュータウン」とでもいうような、明らかに性質の違う町が同じ「ニュータウン」の名称の下にあると考えてよかろう。
「団地」も我らが『Z団地』のごとく数千戸の規模があって一応はひと通り町の機能があると言えばある「町型団地」と、ひとまとまりの住居群というような位置づけの「グループ型団地」とか「セット型団地」とかなんとか呼びたくなるようなもの、面積的には「町」ではないものの高層建築に充分な人口と商店街等も有していて「団地性」の高い「高層型団地」、いくらかの分け方があるということにはなろう。
そう言ってしまえば「団地型ニュータウン」は「町型団地型ニュータウン」ということにはなり、やはり素直に「団地」と呼んでおけばそれで済んだ話ではある。せいぜい「団地R」ぐらいだろう。「美少女団地ニューターウーンSuperS」はさすがにやりすぎだ。
「団地の老朽化」云々といって三棟ほどの「セット型団地」の老朽化ならごく普通に他の建造物でも生ずることだが、同時期に建造された「町型団地」の数千戸×いっぱいのまとめて老朽化は話が違う。こうした観点での話はごく素直に「一九七〇年代に建造された一千戸から四千戸規模の集合住宅街群」ぐらいで済ませれば充分だ。大事なのは名称ではなく実質であり、観点により問うべき事柄が違う、という当たり前の話ではある。ある観点から見た実質が名称であるときは、実質的に名称を問えばいい。言葉は素直に使うのが基本だ。語彙やレトリックで自慰行為をするのは中学生までにしておいた方がいい、と言おうと思ったが、小学校にも達していないのが標準なら中学生も立派な大人に見えてしまうのかもしれない。確かに毛は生えている。が、畢竟それだけだ。
団地なりニューターウーンなりに生まれ育った人間ならば、ある程度は「これは団地だな」「これはニュータウンだな」と嗅覚で判断できるところはあるのかもしれず、集まって「利き住宅」のようなものをやってみればそれなりの合意には達せるのかもしれないし、多かれ少なかれの愛と敬意、同じ世界に生きている人間としての妥当な共感と理解、生活や住民感情への最低限の配慮をもって、穏やかに真面目に話し合うことができるのだろう。
逆に、一度も住んだことがないような人間の判断や態度に、「は? それは絶対ないでしょ」と呆れることにもなるだろう。将来的に団地やニュータウンをあれこれ語り騙る人間が現れるかもしれないが、偽物はハッキリと偽物であり、騙されないように注意してほしい。世の中にはあなたが思うより遥かに多くの偽物が満ち溢れている。あなたが本物なら、偽物は容易く見分けられる。あなたが偽物なら、おめでとう、偽物の中で偽物として生きて死ぬだけだ。
僕としては一応は時代的な目安や思想も参考にしつつ、自分の嗅覚も参考にしつつ、結局は「なにをどう呼ぶかは、住民の意思を尊重すべきだ」という立場ではある。住民が「団地」だと思っているならば、それは「団地」だ。「ニュータウン」だと思っているならば、それは「ニュータウン」だ。「ンヮザッパィ・パハィトュリュマシュ・ピォピォリンャヴェキェウュヴ」だと思っているならば、それは「ンヮザッパィ・パハィトュリュマシュ・ピォピォリンャヴェキェウュヴ」だ。
確実に言えることは、「利き住宅」に鋭敏な嗅覚をもっていても、人生はまったく幸福にならないというだ。ㇰハヅァラュマシュ語を美しく発音できれば、ㇰハヅァラュマシュ語を母語とする人を喜ばせることはできるかもしれない。
すべての言語は美しい。それは間違いない。
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『Sニュータウン』について語りたいことは色々あるのだが、結局は不動産会社の広告に頭の足りない文系大学院卒のなんとか評論家めいたしょうもない駄弁を付け加えたぐらいのものにしかならないので、できるだけ手短かに済ませる。
Sニュータウンを一言で言えば、「よく考えられ、丁寧に造られた町」ということにはなろう。Z団地が「2DKか3DK!」ということでばーっと作ってばーっと入れてばーっと去られ、あとから『Zハイツ』を作ったり、荒業で『増築』をしたりと「ニュータウン要素」を取り入れるべく後手後手でごてごてバタバタやっていたのに対し、Sニュータウンは最初から十年の計で動いており、区画ごとに異なる住居タイプを用意して計画的に建設し、順次入居、という形を取った。
2LDK、3DK、3LDK、4LDK、5LDKと間取りの選択肢も多く、階数も「全部五階建て!」という発想ではなく、三階建てから先進的な二十階建ての高層棟まで、やはり選択肢がある。極秘資料としてとある筋から平面図も入手したが、僕から見ればただただ「いいなあ」としか言いようがない。
Y瀬川駅の新設とセットで進められた事業でもあり、駅前の中規模のショッピングセンター『Sット』、ショッピング・モール『Pモール』も併せてのごくごく時代の流れに合った町造りであり、「それはそうなる」という妥当な考えだ。この「思想が理解できる」「共感できる」というのがよい。Z団地にも一応は思想と呼べなくもないなにかはあるのだろうが、僕には理解ができない類のものであり、共感できない。共感できない町に住むのは、心地よいものではない。
そんなこんなでできあがった町は、自然環境も残しつつ、整然としながらバリエーションにも富み、曲線を活かしたほどよい視界のコントロール等も為されており、ということで、以上が不動産会社の宣伝文句だ。
Sニュータウンと比較した場合のZ団地の強みといえば、芝生はこちらの方が多いし広いかもしれない。野球やサッカー、スケートボードなどをするのに適した公園も、Z団地にはあるといえばある。いずれにせよじいさんばあさんたちから遊ぶなと言われれば潰える程度の弱々しい強みではあるし、言われるので強みもなくなった。子どもたちを追い出したくて仕方がない団地なのだろう。望み通りになってなによりだ。
SットやPモール、Pクレセントや諸々の医療施設はもちろんのこと、Sニュータウンの公園群も棟の合間にある円形のそれも含めてZ団地住民児童も当たり前のように利用していたが、その魅力を語り始めればまた不動産会社の宣伝になり、思い出を語り始めればご老体のそれになるだけだからやめておく。親とどんぐりを拾い歩いてどうの、プリン型の滑り台を有する通称『プリン公園』でどうの、といった類の話だ。
『おばあちゃんのみせ』通称『バーテン』なども我々も当たり前のように知っているし、イヴェント的なわくわく感とともに名称不明の銭湯を利用したりもしており、子どもの情報網や行動範囲の広がり方も謎なものではある。おばあちゃんがいなくなった後の『おばあちゃんのみせ』はどうなるのだろうか、という疑問もありつ、他地域の人間が店名から安易に想像するであろうほど温かみのある老婆でも店でもない、という認識は共通のものでよいのだろうか。今は亡き団地のJ書房のばあさんもそうだったが、『バーテン2』では万引きを疑われて冷たく厳しくしつこく責められたし、Sットでも清掃のばあさんにモップで殴られたし、考えてみればこの辺りで温厚な老人を見かけたことがない。どこかにはいるものなのだろうか。いずれにせよ、仮に未来にこの時代のことを懐古するとしても、さほど笑顔と人情に溢れた温かい云々という話にはなるまい。ごく普通にぎすぎすしている。
いくらか付け加えるならば、第二小、第二中、第四小と、小中小と仲良く並んだSニュータウンの学校群の風景はなかなか面白いものかもしれない。第二小と第二中はSニュータウンができる前に開設されていたようではあるが、入居が開始されてすぐに児童が溢れて第四小を新設した、ということではあるはずだ。第三小がどこにあるかは知らない。
こういう風にニュータウンや団地とセットで学校が新設されること自体がない地域にはないのだろうし、この手の「数字系」の学校名が普通だと思ってしまうのも、いくらかは地域の特徴なのかもしれない。僕が知る限りでは現行教育制度下でのN本国内の「数字系」の最大記録保持者はT京都K平市の『第十五小学校』ではある。
お隣C国などがどういうことになっているかは僕は無知ではあるが、都市が都市である限り、城市が城市である限り、似たようなことが起こっているのだろうとは思う。似ているがゆえに理解や共感とやらができ、似ていないがゆえにできないという話ではもちろんない。そんなことまで説明しないといけないのがいわゆるひとつのN本人ではあり、いかに自閉的で妄想的で以下省略する。
C国などにおける「団地」や「ニュータウン」的な町は「住宅小区」「小区」と呼ばれているようだ。ルビは敢えて振らないが、「じゅーたくしょーく」「しょーく」ではない然るべき読み方をしていただきたい。「高級住宅小区」も存在しており、これももちろん「こーきゅーじゅーたくしょーく」ではないが、文字を見ればなにを言っているかそれなりにわかるのがC国語系の言語ではある。わからないと決めつけなければわかるところはありつ、「『住宅小区』はN本でいうところの『団地』だ!」と決めつけるといつも通りに見失う。どうして「N本でいうところ」で言わないとわかったつもりになれないのかがわからないというかどうしてわかったつもりになりたいのかがわかったつもりになれないというかなんというかかんというかちゅうかないぱねまなことはさておき、そもそも「N本でいうところの『団地』」さえそうそう単純なものではなく、「私には団地がわからない」と嘆いて団地の五階から飛び降りてアウフヘーベンした観念論的団地学派の哲学者がいたかは知らないが、住民にだってそうそうわからないというのが実際のところではある。
ある程度「数字系」にするにせよ、M岡二中のように旧来からの地名を残す学校名称の方が色々とよろしいとは思うが、「数字系」で押し通すのもそれはそれでこだわりではありつ、どのみちこの先の時代に狂ったようにぽこぽこ小中学校が急造されまくることもないだろうから、今さら気にしても仕方なくはある。昭和は異常な時代だったのだ。異常を異常と思わない異常者どもから異常者扱いされるんだからたまったもんじゃない。
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そのうち「昭和」は「頭がおかしい」を意味する言葉になるかもしれない。「あいつ、授業中にいきなりガソリン2リットルを一気飲みして全裸になって教師で窓を叩き割ってから無理矢理一緒に飛び降りたんだってよ」「えー、マジ昭和じゃん」といった感じだ。
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一九九X年の数字を眺めればSニュータウンも少なくとも児童数は下降に入りつつあるようではあり、子育て世帯が他地域に流れてはいるのだろうが、適正人数に落ち着いてきているという見方もできるのだろう。キャパシティを超えて児童生徒を詰め込んでもロクなことはない。新しい町の児童数の読めなさというのはある程度どうしようもないのだろうし、Z団地もSニュータウンも初期に加熱しすぎではある。憧れだの流行だの非理性的なファクターが絡んでくるのがまた面倒臭い。結局は異常な速度と規模で膨張するT京と、変化の激しい情勢に対してどう対応するかという、無理なところで行われているひと通りの流れではあり、そうした状況下で慌てるでもなく、落ち着いてひとつの町を造り上げていったというのは、やはり大したものだと思う。
Sニュータウンが将来的にどういう町になっていくのかはわからないが、この時代、この条件において、この場所に、これ以外の町があり得ただろうか、という観点から、Sニュータウン住民の話を聞いてみたいとは思う。隣から眺めると「まさにこれだ」という気がしてならない。できることなら僕も通り一本向こう側に生まれてきたかったわけだが、それでもなお、隣にこの町があってくれて、本当によかったと思う。楽しかったし、満足している。
繰り返しになるが、団地もニュータウンもそもそもが異常な時代の異常な状況に対応してできていった町であり、異常が緩和されたあとに「衰退」し、「問題」になるならば、それはそうだろうとしか言いようがない。異常な状況の中で、やるべきことをやって役割を果たし、時としてこの先も当面は発展し続けるであろう町もあれば、やるべきことをやらなかった町もある。ついでに言えば「問題」も「大問題」な和製漢語というか明治語のひとつであり、トラブルもプロブレムもクエスチョンもマターもイシューもなにもかもを、という話は省略するというか訳語の「問題」ではないのだが、問題解決を学べるどころか不毛な問題群の生産装置でしかないというか問題そのものでしかないのがこの国で学校などと恥ずかしげもなく名乗っている汚らわしい箱ではある。
この辺りの和製漢語というか明治語への不満と代替案を語り始めれば止まらなくなるが、ともあれ、そもそもなにを目指し、常に動いている具体的で現実的な個々の状況において、いかに妥当な具体的で現実的な対応を、どのタイミングでやっていったか、というのが云々すべきことだろう。現在だけを見ても未来は見えない。学ぶべき「時制」の話は省略する。
――という観点からも、Z団地の対応の遅れはいかがなものかと思う、という残念な話にはなる。2DKと3DKだけではどうもまずいようだぞ、ということに気がついて「問題」が俎上に乗ったのがようやく一九八七年のことであり、二十年、短めに見積もっても十年ばかりは認識が遅れていたということになる。新住民たちがなにを求めてZ団地に入ってきて、なにを求めて去っていくのか、なぜわからなかったのか。児童がありありと減っていることに、なぜ気がつかなかったのか。すぐ隣にSニュータウンが計画され、着工され、出来上がっていき、栄えていくのを、なんだと思って眺めていたのか。隣市の先行型の『新T沢団地』では、すでに全面的な建て替えが始まろうとしている時期の話でもある。
ようやく手をつけた『増築』も住民の足並みが揃わず、でこぼこは見ての通りだが、増築差し止めを求める裁判沙汰にまで発展したんだそうだから、なんとも愉快なZ団地の仲間たちだ。この辺りの人間喜劇をこれ以上追いたいとも思わないが、大筋はひとりの男児の見た世界が正解に近いのではないかとも思う。
得られる教訓もさほどなく、「広い視野と、長期的な展望と、観察と、必要な情報の収集と、論理的な思考と、数字の扱いと、先行事例からの学習と、他者理解と、コミュニケーションが大事ですね」ぐらいの当たり前のことしか言えないし、そういったことは全部習得可能な技術なのだから、学校教育で当然に身につけさせるべきことにしか思えないのだが、ひとつも身についていないどころか負の方向にしか突っ走っていないのが教員という名の汚物なんだからどうしようもない。
万が一僕がこの汚穢の世界を生き延び、人の親になることがあるならば、「学校なんか行っていないで、ちゃんと勉強しなさい! ちゃんと勉強しないと馬鹿になってしまいますよ! 馬鹿になったら教員にしかなれませんよ!」と叱りつける教育熱心な父親にはなりそうだ。なにもかもが間違っているのは間違いない。
なにも! かもが! 違う!
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I川県K松市にK茶屋民俗資料館という施設があり、遊女たちが用いた品々などを展示し、茶屋街の歴史を扱っている。彼女たちの墓も大切にされており、町とはなにか、歴史とはなにか、人間の生活とはなにかがよくわかっている、愛と敬意、知性と品性のある町と思う。歌舞伎の伝統もある町だ。
G阜県などもまた歌舞伎の盛んな地域と思うが、S玉県だとO鹿野が歌舞伎の町だ。冬の祭りの際に一度観たことがあるが、まあ面白い。O鹿野を訪れて、僕は歌舞伎の魅力を知った。土地とともにある祭りの空気の中で地元の人たちによって演じられる歌舞伎というのは、なんともよいものだ。
C父地域で有名なのは十二月のC父夜祭だろうが、C父は年中あれこれと行われているN本有数の祭り大国であり、どれだけあるかは把握しようもない。こうした地域を「田舎」と決めつけて思い込んでしまうと、N本の姿を見失う。かつては現在とは違う産業や交通の構造、文物の流れや広がりがあったのだ。ともあれ、S玉県に生きていてC父の祭りを知らないのはもったいないと、ひとりのS玉県民として素朴に思う。僕が訪れたものだとY田の春祭り、U根の春祭りなど春にも美しいものがあり、観光客でごった返すでもないのんびりとした雰囲気と、春の冷たく澄んだ空気の中で祭りを楽しめる。C父の山々を背景にした艶やかで可憐な笠鉾の姿は、N本を代表する美しい風景のひとつであるのは間違いない。
S玉県は山車祭りが盛んな地域でもあり、C父やK越はもちろん、N本一暑い方のK谷、H庄、K喜、Y居、O生、H能などなど、各地に魅力的な祭りがある。七月の祇園祭や天王祭の時期もあるが、秋祭りもまた多い。祭りのときなどに行われる神楽や獅子舞にもよきものが色々とありつ、この辺りはN本全国あれこれとよろしきものがあるという話になって果てしないし、果てしない話は賢い類の文系大学院生にお任せするとしよう。
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どういう層のそれとは言わないが、こういう価値観のセットがある。
・T京のものはよいものだ / 非T京のものは悪いものだ
・都会的なのはよいことだ / 非都会的なのは悪いことだ
・新しいものはよいものだ / 新しくないものは悪いものだ
・便利なのはよいことだ / 便利でないのは悪いことだ
・流行なのはよいことだ / 流行でないのは悪いことだ
・先を行くのはよいことだ / 先を行かないのは悪いことだ
・オシャレなのはよいことだ / オシャレでないのは悪いことだ
・キレイなのはよいことだ / キレイでないのは悪いことだ
・全国区なのはよいことだ / 全国区でないのは悪いことだ
・高級なのはよいことだ / 高級ではないのは悪いことだ
・有名なのはよいことだ / 有名でないのは悪いことだ
・権威があるのはよいことだ / 権威がないのは悪いことだ
・ステイタスがあるのはよいことだ / ステイタスがないのは悪いことだ
・派手なものはよいものだ / 派手でないのは悪いものだ
・にぎやかなのはよいことだ / にぎやかでないのは悪いことだ
・人が集まるものはよいものだ / 人が集まらないものは悪いものだ
・売れているものはよいものだ / 売れていないものは悪いものだ
・大きいことはよいことだ / 大きくないのは悪いことだ
・イメージがよいのはよいことだ / イメージがよくないのは悪いことだ
どういう層のそれとは言わない。イニシャルはIかもしれない。Oかもしれない。BかもTかもMかもしれない。Dかもしれない。
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『Sニュータウン』の志向ということでは、「量より質の住居」「価値観や生活の多様性への対応」「自然環境の維持」「駅直結型」「住宅都市への特化」「妥当な価格帯」、その辺りではあるのだろう。明らかなのは歓楽街要素、繁華街要素の排除であり、どうしてそうしたのか、あるいはそうせざるを得なかったのかは僕にはわからないが、「隣にS駅があるから、そういうことはそっちで」と考えたならばそれはそれだろう。残念ながらひと頃は、せっかく整備した町の中心道路を自分たちのために整備してくれたと思ったのか暴走族が走り回っていたようではあるが、基本的にはごく静穏な町である。秩序だった静穏さというものは少なくともこの近辺ではそうそう味わえるわけではないので、貴重な町であるのは間違いない。ぐちゃぐちゃごみごみこまごま殺伐、それが標準なのだ。
この「隣にS駅があるから」に問題があり、確かに電車では一駅だが、T武T上線の南側、すなわち町の南東はすでに細かい住宅や畑などで埋まっており、S駅に向けて車がすっと通れる道路がない。加えて、町の北東はT武T上線の線路、北西はY瀬川、南西はZ団地で塞がっているし先述の通り通行止め、ということで、全体的に通りが悪い。結果的に静穏というならば静穏だし、川の向こうは長距離トラックが行き交う国道なので、通してしまうとそれはそれで生活環境は悪化するはずだし、さほど町に益があるようにも思えない。
この辺りはもう『Sニュータウン』のせいではない、というのが僕の見方だ。ひとつの町としてはよくできているが、周辺との連結は町ひとつでどうにかできることではない。『Z団地』との関係もそうで、傍から見れば延々とふたつぶん似たような集合住宅街が続いているという、奇妙で非効率的な光景だろう。Z団地はZ市、SニュータウンはS市であり、市境に固執すれば別ものだが、住民から見ればまとまったひとつのエリアとしか言いようがないにも関わらず、こういうことになった。
この辺りの問題には根深いものがあり、僕のごときニューカマー二世では――親は完全に無知だし地域への関心も皆無だ――到底追い切れない。たとえばW市とA市も含めて昔から何度も四市合併構想が持ち上がっては足並みが揃わずに何度も潰えてきた、という事実はあるが、その経緯はそれぞれの市史を眺めたぐらいで納得のいくものではない。事情がわかっている方がいたら教えてほしい。
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住居に関する自分の希望はといえば、部屋が持てるならかなり嬉しいだろうが、一戸建てなど想像もできないから――生まれた時からずっと「チンタイ/ブンジョー」「ニーディーケー/サンディーケー」の世界で生きてきたのだ――憧れもなにもない。あまりに広いと掃除が大変そうだなとは思う。高さのあるところには住んでみたい。五階、六階、そのぐらいだ。階数だけでなく、地形としてどん底以外のところがいい。空気が滞ってじめじめするし、見晴らしが悪くて気が腐るし、どこに行くにも上り坂というのはうんざりする。海が近ければ天国であり、猫も飼えるなら幸せすぎて六階から飛び降りてしまいそうだ。海と猫が象徴するものが、僕が人生に求めているものではあるのだろう。飛び降りてもさほど面白くないのが一階ではある。僕はなにをやっているんだろうな、と思いながら、またもそもそとよじ登るだけだ。
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