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21.ミリアの賭け

***


 翌日。

 いよいよ出立の時間となっても、リリの姿はどこにも見当たらなかった。

 別れならば昨日済ませたと、リュカは伯爵家の紋章入りの馬車に乗り込んだ。中には先に乗り込んでいたミリアとジーンが座っている。


「大丈夫かい?」


 具合の悪そうなミリアに、向かいの席に腰かけたリュカが尋ねる。


「ええ」


 答えるミリアは、やはり辛そうに眉を寄せていた。


 ミリアは、今朝もほとんど何も食べなかった。

 青白い顔のまま、口元にハンカチをあて目をつむっている。これからの長旅に耐えられるだろうかと心配になったが、当の本人が強く帰りたがっていた。


「なるべく振動の少ない道を」


 ジーンは御者にあれこれと指示を出していた。

 リュカは薬と飲み物を常備し、ミリアの体調を気遣う。


「参りますよ」


 御者が馬に鞭をうち、馬車はがたりと動き出した。


 最後にもう一度だけと、リュカは遠ざかる城を振り返る。


 見送りには、ミリアの兄と、世話になった領主夫妻、それからここ数日で知り合った人々、幾人かの使用人たちが出向いてくれていた。

 どんなに目を凝らしてみても、その中に、やはりリリの姿はない。

 リュカは振り切るようにして身体を正面に戻す。


 馬車は、止まることなく進み続けていた。





***


 恋に破れたリリは、とぼとぼと村に戻った。


 スージーは残念がってくれたし、顔見知りになった使用人仲間達も「もう少しいたらいいのに」と引き留めてくれた。けれど、片腕が満足に使えない状態では役に立てそうにないし、なによりも、リュカとの別れは堪えていた。


 言葉を発することすら億劫で、辛くて、これ以上普通を装うことなんかできなかった。


 リリはリュカ達の慌ただしい出立に紛れ、裏口からひっそりと城を出た。



 行きはヘンリーから奪った馬で来た道を、今はひとりで戻る。


 生まれ育った土地はどこもかしこも見覚えがある景色ばかりだった。こんなもの、どうやって忘れられるのだろう。


 急ぐ必要もないのだと、リリは村への山道をのんびりと歩いた。


 ハイルと遊んだ森を抜け

 ハイルと入った川を越え

 ハイルと歩いた小径を行った。



 そうして、ハイルと育った村へとたどり着いた。



「リリ!」


 村から一番に飛び出してきたのは、肉屋のマトソンだった。リリはなんとか微笑み返す。


「ただいま」


 マトソンは、リリの背後に誰もいないことを確認して、一瞬顔を曇らせたけれど、すぐににかりと笑った。


「お帰り」


 そうして、リリの背を軽く押す。


「寒かったろ?マスターの店に行こうぜ、美味い肉を焼いてやる。心配すんなって。今夜は俺の奢りだ」

「……ありがとう」


 一人きりで帰ってきたリリを見て、全ての事情を把握したのだろう。

 マトソンは、それからもなにも聞かなかった。

 その代わりにリリがいなかったここ数日の村のニュースを、聞いてもいないのに延々と話し出した。

 リリはただ笑って、その話に耳を傾けていた。




***



 思い出してやれなかった。

 思い出してやれなかった。


 がたがたと揺れる馬車の中で、リュカは横に流れては消える景色を眺めていた。

 鬱蒼とした冬の森は薄暗く、今にも涎を垂らした狼が飛び出てきそうだ。


——狼には気をつけなくちゃいけないのよ


 ふと、そんな幻聴が聞こえた。

 可愛らしい少女の、少し威張ったような声。

 リリだ。

 リュカは、昔の面影をたどるように、薄暗い森を凝視した。


 僕が滑った苔の岩。

 目印にと赤いリボンを結んだ大木。

 奇妙な形をした切り株。


「——リュカっ?」


 突然、窓の外に身を乗り出したリュカに、ジーンがぎょっと声をあげた。


「何をして……危のうございますよ!」

「僕……ここ知ってる」


 ミリアの肩がぴくりと震えた。

 そう認識しながらも、リュカは流れる景色から目を離すことが出来なかった。確認するように口が動く。


「あの杉も、小川も、ほら、あそこ、もうすぐ山小屋が見えるよ」


 リュカの言った通りに、道は開き、古びた山小屋が見えた。ちょうど中から、ひとりの年老いた男が出てきた。真っ白な髭を蓄え、黄土色の綿のつまった上着を着こんだ男は、馬車に乗ったリュカを見て驚いた。


「——ハイル!」

「マーカス爺さん!」


 二人の声は同時だった。

 しかし馬車は停まることなく、緩やかに駆けていく。



 リュカはやがて見えてきた村に釘付けになった。ジーンがなにか喚き続けていたが、彼の意識はもはや車中にはなかった。その景色の一片とも見落とさぬように、瞬きのひとつもせずじっと外を睨みつけている。

 

 知っている。


 あの背の高い鐘楼も、


 その下には教会があることも。


 周りには商店が並んでいて、広場があることも。


 そうして——その横の道をたどれば、一軒の小さな家があることも。


 知っている。


「リュカ、行ってきてくださいな」

「ミリア」


 言われて、はっとミリアを見返す。

 ミリアの顔色はさっきよりもずっとひどくなっていた。それなのに、口元には笑みを浮かべようとしている。


「……ここなら、思い出せるかもしれません」


 リュカはわずかに興奮を冷ました。

 どう考えても、この道は都への街道ではない。


「わざとこの道を?」


 ミリアはまっすぐに見返した。


「ええ」

「どうして」


 ミリアは口元にあてていたハンカチを膝の上に下ろした。


「ここが、あなたの故郷だと、聞いて」

「……ミリア」

「お嬢様!?」

「ごめんなさい、勝手なことをして。昨日までは、このまま去ろうと思いました。あなたを独り占めしたくて……でも、思い出したいでしょう?自分の過去がわからないなんて、不安ですもの」


 ミリアは、ハンカチを握りしめる。

 馬車はいつの間にか停まっていた。


「だから……見てきてくださいな」


 ミリアは笑う。

 かぼそく。稚く。


「さあ」


 追い立てるように言えば、リュカは眉をきつく寄せた。


「ミリア、ありがとう」


 リュカは、馬車を飛び出した。



***


 行ってしまった。


 残された馬車の中で、ミリアはぽつりとつぶやく。


「なぜ、このようなことを……」


 叫ぶジーンに、ミリアは困ったように微笑む。




 それは、ミリアの賭けだった。


 このまま馬車に留まってくれれば、望みはあった。

 けれど、彼は行ってしまった。それが答えだ。


 どうしてこんなことをしてしまったのかと聞かれれば、感化された、としか答えようがなかった。

 好きな小説に出てくるヒロインたちは、皆まっすぐで正直で誠実だった。彼女たちは自分の損得は関係なしに、誰に対しても公平に生きていた。その正しさが、羨ましかった。


「卑怯者にはなりたくなかったの」


 このセリフだって、小説の中の受け売りだ。


 このまま彼が記憶を思い出せば、ハッピーエンド。

 思い出さなければ……。


 ミリアは痛む胸をおさえて、そこについさっきまで座っていたリュカを想った。



 思い起こせば、彼と知り合ったのは、もう二年も前のことだった。


 怪我だらけで、不安そうにミリアを見上げてきたリュカ。

 頭を抱え、眠れぬ夜を過ごしていたリュカ。

 

 それなのに、ミリアやジーンに当たり散らすことはなく、ただ、その不安を彼は一人きりで抱えていた。なんて強い人なのだろうと思った。自分が同じ立場だったら、きっと普通じゃいられない。怖くて怖くてたまらない。  

 ミリアはそんな、強くて優しいリュカを支えたいと思ったのだった。


 二人で過ごした時は、とてもとても楽しかった。


 一緒に散歩をして

 お茶をして

 読書を楽しんだ。


 それはなんてことはない日常だった。

 大きな事件もなく、ただ穏やかに過ぎる毎日。


 そうして、気付く。


 リュカと過ごした日々の中に、


 厭な想い出なんて、ひとつもなかったということを。


 全てが、陽だまりのような暖かな想い出ばかりだった。


 ああ、私は彼が好きだった。



「……っ」 


 ハンカチを鼻先に押し当て、ミリアは嗚咽をこらえた。

 ジーンがそっと、背中をさすってくれる。


 きっとリリの持っている想い出も、暖かなものばかりなのだろう。

 だからリリは、優しい気持ちでリュカを手放せた。

 この物語がハッピーエンドであればよいと、そう、願わずにはいられなかった。

 


***


 肉屋も魚屋も、知っていた。


 誰もが驚いたような顔で自分を見てくる。


「ハイル」


「ハイル」


 懐かしい呼びかけに、リュカは失っていたものを取り戻していった。


 肉屋のマトソン、お喋りなケリー、代筆屋のフレデリック。



「帰ってきたのか!」



 強く手を掴まれ、早く家にと、背を叩かれる。


「ああ」


 リュカは頷いた。

 道順ならしっかりと覚えていた。

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