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19/23

19.リュカの幸福

 ミリアはその日以来、毎日リリを見舞った。


 どうしてかリュカの往診の時間ではない時にやってきて、数分話をして帰っていく。毎日毎日、済まなそうにしているミリアに、リリも申し訳なくなった。

 早く治して、安心させてあげないと。


 リリは、毎日朝と晩に様子を診に来てくれるリュカやヘンリー、スージーのためにもと、治療に専念をした。

 


 その甲斐があって、数日後には痛みはだいぶ薄れていた。

 触ればヒリヒリとした痛みはあるけれど、なにもしていなければ普通だったし、関節も動かせる。


「良かったね」


 リュカは、リリの回復を心から喜んでくれているようだった。

 リリも「ええ」と頷き返す。

 それでもまだ、記憶は戻っていないのだけれど、最初に再会した時よりは、リュカはうんと穏やかに話してくれるようになった。


 だけれど、今日は様子が違った。


「……ミリアの体調が良くないんだ」


 そう、物憂げに呟いた。食欲もないし、薬も嫌がって飲まないのだと言う。


 リリはか細いミリアの身体を思い出して眉をひそめた。そう言われれば昨日だって顔色が良くなかったように思う。


「大丈夫なの?」

「……環境の変化で、だと思うけど」


 リュカはリリの腕の包帯を巻き直しながら言った。

 

「大丈夫じゃない、と思う。だから……」


 リュカは丁寧に包帯を結び終えて、手を離した。


「明日、ここを発つことになった」

「え……明日?」


 突然のことに、リリの声はかすれた。


「でも、聖夜祭まではいるはずだったんじゃ」


 聖夜祭はあと四日で終わる。それまでは、こうしていられると思っていたのに。  


「そのつもりだったけど、ミリアの体調も良くないし。ミリアのお兄さんだけ残ることになったんだ。移動にも負担はかかるだろうけど、ミリアも自宅の方が落ち着けるだろうしね」


 リュカは薬や包帯の切れ端を薬箱にしまいながら、こちらを見ることもなく淡々としていた。決定事項を事務的に伝えると、すっと立ち上がる。用件は済んだとばかりに。いや、実際にリュカの用件は済んだのだろう。


「君の自宅を教えて。慰謝料を送るから」

「……あなたは知ってるはずよ」


 リリは半ば投げやりになって言った。

 なんだかとても虚しくなっていた。


 ここ数日、怪我をしてから、リュカとの交流が増えていた。

 治療と称してリュカを引き留め、リリは彼の生活を聞いた。貴族の生活、ミリアの兄に嫌われていること、薬師として勉強もさせてもらっていること——。


 反対に、リリの話もした。

 酒場で働いていること、両親がいないこと、落馬は二度目だと言うこと——。


 リュカはひとつひとつの話題を、頷きながら聞いてくれた。

 時に驚き、時にしかめっつらをし、時に神妙な顔つきになって。

 知っているはずの話を、聞いてくれた。


 でも、そのすべては無駄だった。


 リュカは明日、ミリアとここを発ち、二度とは戻ってこないかもしれない。

 リリがまた来年くる?と聞いたところで、リュカに決定権があるわけでもない。


「リリ……」


 ふてくされたリリに、リュカが困ったように声をかける。


「ねえ、リュカ」


 リリは虚しさと悔しさと悲しみでいっぱいになっていた。


「本当に、なんにも思い出せないの?ひとつも?どうして?」


 どうして記憶をなくしたりなんかしたの。


 責めるように言ってしまったことを後悔して、でもリリの想いはあふれて止まなかった。これが最後なんだろうと思うと、余計に、止まらなかった。


 リュカの憐れむような、他人行儀な視線が、苦しくて苦しくてたまらない。


「どうしたら、思い出してくれるの」


 リリ、と名前を呼んでくれた時、もしかしたらと期待した。

 このまま一緒にいれば、少しずつ思い出してくれるかもと。

 でも、この数日一緒にいて、想い出話までしたというのに、リュカはなにも思い出さなかった。


「ごめん」


 三度目だ。

 リュカのごめんは。


 一度目は、あの夜の庭園で、拒絶とともに。

 二度目は、数日前に、怪我をした時に。

 三度目は、今こうして、お別れのあいさつとして。


「リリといるのは、楽しかったよ。話も面白かったし……でも、なんにも思い出せなかった……」


 リュカは淋しそうに口を動かした。


「ごめんね。僕はハイルにはなれそうもない」


 言って、リリの髪を名残惜し気に撫でる。その表情も、撫で方も、ハイルそのものだと言うのに。



「ミリアを放っておけない。僕は行くよ」

「……ミリアさんが好きなの?」


 リュカは首を傾げる。


「大切にしたいし、守りたいと思ってる。それは、好きと一緒かな」

「じゃあ、あたしのことは?」  


 リュカは、少し悩むように口をつぐんだ。 


「……幸せになって欲しいと思う」

「それは、あたしが不幸に見えるから?」

「幸せそうには思えない……君はハイルに縛られてる」


 忘れて、幸せになれと。リュカはそう言いたいのだろう。


「じゃあリュカは、幸せ?」

「え?」


 問うと彼は、今までで一番困惑したような顔つきになった。

 眉を寄せ、瞬きを繰り返す。

 そうしてゆっくりと言った。


「僕は……幸せなんだと思うよ」


 命を取り留めて。

 大きな病気もなくて。

 安定した生活があって。

 それは幸せに違いない。

 たとえ、思い出せない記憶があっても。

 これから、新しい楽しい記憶で埋め尽くせたらいい。

 喪失感が埋まるくらいに。



 リリは、わかったと頷いた。


「あなたが幸せなら、それでいいわ」


 我慢の限界だった。

 これ以上すがって、リュカの幸福を壊すことに、なんの意味があるだろう。


 リリも新しい想い出を作るべきなのだ。でも——。



「ねえ。最後にひとつだけ、お願いを聞いてくれる?」

「……なに?」


 構えるように身体をこわばらせたリュカに、リリはふっとおかしそうに笑った。


「一度だけ、ぎゅっとしてほしいの」


 リュカの表情が険しくなる。と、リリは慌ててかぶりを振った。


「本当に一瞬でいいのよ。友人にするハグみたいな、意味のないものでい——」

「これでいい?」


 次の瞬間、リリは、リュカの広い胸の中にいた。洗剤の匂いも、着ている布地も、ハイルだった時とは全く違うというのに、どうしてか懐かしい。背中に両腕を回され、ぎゅうっと力強く抱きしめられる。リリは息を止めて自分の両手も彼の背に回してみた。隆起した肩甲骨の感触と、頭のてっぺんに乗せられたハイルの顎の感触を身体中で味わう。ああ、ハイルだ。まるで恋人にするようにリュカは優しく力強くリリを包み込む。想い出の中に放り込むように。


 ——すぐに帰ってくるから


 ハイルの優しい声が蘇って、リリはとうとう涙を零した。

 嘘つき。

 クッキーもチョコも、イチゴ味の飴も、持って帰ってきてくれなかった。

 こんなに待たされたのに。



 どれくらいの間、そうしていたのか。

 遠くにスージーの声が聞こえて、リリは現実にもどった。

 

「リュカ、そろそろ……」


 くぐもった声をあげるが、リュカの腕の力は緩まない。


「もういいの?」


 リリは目をつぶったまま、ええ、と頷く。

 リュカが腕を離し、元の距離に戻る。互いに見つめ合うとどちらともなく「元気で」と掠れた声をあげた。







「……諦めないんじゃなかったのか」


 リュカが出て行ってすぐに、ヘンリーがやってきた。

 そうして開口一番がこれだ。


「盗み聞き?」

「本当にいいのか?行ってしまうぞ」


 リリはベッドの上掛けをなおして、言った。


「ヘンリー、あたしね、ハイルの記憶を取り戻そうとずっと躍起になってたでしょ?思い出して欲しくてたまらなかった。でもね、よーく考えてみたの。それって“あたしの願い”なんだなって。本当にハイルの幸せを願うなら、ハイルが幸せかどうかが重要で、“あたしと”幸せになることじゃないって」

「ハイルが幸せそうなら、君も幸せだと言いたいのか?」


 偽善的な言葉は、一見理に適っているように聞こえる。

 でも。


「じゃあ、どうして泣いてるんだ」


 ヘンリーが低い声をあげる。

 彼自身も泣きそうになりながら。


「……だってあたしは、ハイルと生きたかった。でも、ハイルはそうじゃない。それを悲しいと思ったって、いいでしょ」


 それくらい、いいでしょう。

 ちゃんと我慢したんだから。

 リリはシーツの上掛けを力任せに握りしめ、涙を零した。

 記憶がなくても、リュカに、選んで欲しかった。


 でも、もう。


 彼は行ってしまう。 


 遠い土地で、彼は末永く幸せに暮らすのだ。

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