14.ミリアの恋
翌日、ヘンリーは旅の行商人として領主一家に取り入った。
巧みな話術で珍しい品々を紹介するヘンリーに領主とその客人たちはたちまち夢中になったのだ。
「やったよ」
城の裏庭で休憩していたリリを見つけ、ヘンリーは笑顔を浮かべた。
客人たちの相手を終えたばかりらしい。ヘンリーは胸元のきつそうなネクタイを外しながら歩み寄ってきた。
上客の相手をしていたからだろう。
いつもはぼさぼさの赤毛は整えられ、黒っぽい厚手のジャケットを身に着けていた。
「領主様がしばらく客人として置いてくれるってさ」
ヘンリーは言って、芝の上で座り込んでいてたリリの隣に腰を下ろす。リリはたくさんの洗濯物を干し終えたばかりでくたくただった。
「リュカには近づけそう?」
聞けば、にやりと親指を立てられた。
「ミリア様が結構興味を持ってくれてる。午後にさっそくお茶の約束を取り付けたよ」
「早いのね」
「商談は得意なんだ」
なんてことないように言って、話を続ける。
「でもハイルは相変わらずだった。俺を見ても『この前会った人ですよね』って、それだけ。……あいつ、興味のないことにはとことん無関心だったからな。そういうところは変わってないみたいだ」
彼らしい、とリリは懐かしむ。
「そうね。きっと本質は変わってないんだと思う。その、ミリア様は身体が弱いんでしょう?ハイルが放っておけないのもわかるわ。優しい人だもの」
ヘンリーがくすりと笑む。
「リリには特別ね。……いいこと教えてあげようか。俺と二人で旅してた時もあいつ、なにかある度に『リリは』とか『リリに』って君の話ばっかりだったんだよ」
ハイルが。
リリはその話を聞いても嬉しいと思うより、切なさが先に立った。その頃の彼を取り戻せるのだろうか。
「頑張らなくちゃね」
怖気づきそうになったリリが意気込む。その様子を見守った後ヘンリーは膝に手を突きながら、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ行くよ」
「ええ、お願い」
「本当は君の顔を見る方があいつの心臓は揺さぶられるんだろうけど」
「あたしは、昨日会った時に警戒されてるから」
「彼の行動範囲がわかったらすぐに伝えるよ」
夕食後にまたこの場所に集まることを約束して、リリとヘンリーは別れた。
*
またあの子だわ。
ミリアはこのところ良く見かける“使用人”に目を留めた。
数日前の夜、庭園でリュカと話していた若い娘だ。
歳の頃は自分と同じくらいか、それより上だろうか。彼女のきびきびとした働きぶりは見ていて気持ちよくなる程だった。
今も庭先で布の入った大きな籠を両手で抱え込むようにして移動する娘に、ミリアは転ばないかしらと心配になったのだが、彼女は速度を落とすことなく裏手の方へすたすたと消えていった。あんなに細腕なのにとミリアは感嘆する。
と、その肩に手が置かれた。
「なにかあるの?」
リュカだった。
暖かいサロンで、ミリア達は他の客人も交えてカードゲームに興じていた。勝ち上がったらしいリュカは、今しがたミリアが覗いていた窓の外を眺める。
その端正な横顔を見つめながら、ミリアは言った。
「あの方がいらっしゃったんです」
「あの方?」
ふと顔を向けられる。
「ほら、落馬されたって言う。とてもお元気そうでしたわ」
ミリアが無邪気に言うと、リュカが不意に顔を曇らせた。
「そう」
あら?
リュカらしくない反応に、ミリアは一瞬固まった。リュカなら、例え他人であっても回復を喜んでくれると思ったのに。
そこまで思って、考えた。
“リュカらしい”とはなんなのだろう。
リュカの人格を語れるほど、ミリアは彼に近づけているのだろうか。ほとんど四六時中そばについてくれるリュカに、ミリアはわずかな壁を感じていた。
リュカは自分に遠慮していないように見えて、一線引いている節がある。
ミリアの意見にはいつだって賛同してくれて、守ってくれる。けれどそれはミリアが彼の“恩人”だからだった。
でも、一緒に過ごしているうちにいつかは。
いつかはきっと、本当の気持ちを明かしてくれる。
ミリアはそう信じていた。
彼の本当の名前や家族や生活を、ミリアは知らない。
薬師だったという彼の腕は確かで、リュカの作る薬のおかげでミリアの体調はとても良くなった。疲れにくくなったし、夜もぐっすりと眠れるようになった。
だから、リュカにはひどく感謝していた。
そうしていつしか、特別な好意を寄せる自分にも、気付いていた。
優しくて穏やかなリュカといるとほっとした。
外に出て頭痛や貧血を起こしても、リュカは迷惑そうな顔ひとつしない。優しさに付け込んでいることはわかっている。でも、その手をミリアは離せなかった。
——リュカが記憶を思い出したら。
ミリアはじっと、リュカの澄んだ蒼い瞳を見つめた。
「どうかした?」
「いえ」
リュカが記憶を思い出したら、ミリアの短い恋は終わる。
そうして父親か兄が決めた相手と結婚をするのだろう。
でも、じゃあなんで私はリュカに会ったのかしら。
偶然、必然、運命。
小説には、そんな言葉がしょっちゅう出てくる。現実にはあり得ないと兄は失笑した。でも、ミリアにとっては運命だった。この身体を受け止めてくれる、王子様だ。
「次のゲームは、私も参加しますわ」
テーブルを囲んでいるほかの客人たちが、わっと喚いた。敗者が決まったらしい。
「ポーカーだよ?」
リュカが笑った。ミリアは心得ていると胸を張る。テーブルの方へ歩き出そうとして、つと立ち止まった。リュカは不思議そうに見下ろしてくる。
「ねえ、リュカ」
「何?」
「すべてを思い出したら、ちゃんと教えてくださいね」
「……ミリア?」
急に何をと思ったのだろう。リュカが目を丸くする。
「本当のお名前、知りたいもの」
彼が全てを思い出すのと別に、ミリアが恐れていること、それは。
“本当のリュカ”を知っている人物が現れることだった。




