12.過去と今と
リュカとミリアは、しだいに心を通わせていった。
ふたりで図書室を漁り、記憶を取り戻す手がかりはないかと探して回った。
リュカは妹のようなミリアを相手に、ついつい砕けた話し方をするようになり、ミリアはミリアで「友達が出来たみたいで嬉しい」と手を合わせて喜んだ。
貴族の家庭が全てそうなのかは知らないが、少なくともミリアは孤独に育った娘だった。
ミリアの両親は優しいが、社交に公務にとせわしなく、たったひとりの兄ともほとんど交流はない。ミリアが貰えた愛情と言えばたっぷりの玩具と菓子とドレスだけだった。
侍女のジーンはある日言った。
「リュカ様がいらっしゃって、お嬢様とても明るくなられたんですよ」と。
ミリアの役に立てている。
そう思えば記憶がないことくらい、どうってことないような気がしてきていた。むしろこの頃では、ミリアに会うために彼女の友人になるために自分は記憶を失ったのではないかとさえ感じるようになっていった。薬師であったことも含め、すべてが運命だったのではないかと。
けれど。
*
「リュカ?」
ミリアの声に、過去へと遡っていたリュカの意識が引き戻された。
目の前に広がる景色は煌びやかな夜会の風景だ。
ダンスフロアでは数組の男女が踊り終えたところで、互いにお辞儀をして広間を離れていく。
「どうかしましたか?具合でも悪いの?」
心配そうに見上げてくるミリアに、リュカは「いや」とかぶりを振った。彼女の体調管理をするのが自分の役目なのに、これでは本末転倒だ。
「大丈夫。ちょっと飲みすぎたみたいだ」
笑って空になったグラスを軽く持ち上げてみせるが、ミリアは心細げに眉を寄せた。
「部屋に戻りましょう、なんだか変ですわ」
「そう?気のせいだよ」
ミリアに心労をかけまいと、リュカはとぼけてみせる。
心が落ち着かないのは確かだ。過去の自分を知る人物が現れて動揺している。
その揺れを隠しながら、リュカは口元に笑みを作り続ける。と、その視界の端に見慣れたダークグレーのスーツを姿が入り込んできた。
「ミリア」
ミリアの兄、ウルゲンだった。
「お兄様」
向き直るミリアの側から、リュカは一歩引きさがる。
厳格なウルゲンは、いまだにリュカの存在を良く思っていなかった。薬師としての知識と技術は認めてくれたものの、胡散臭そうにリュカを見つめる眼差しは変わらなかった。リュカを伯爵家の財産目当てに転がり込んだ男だと思っている。
ウルゲンは妹だけを見つめて言った。
「領主様と奥様がお呼びだ。お前も来い」
言われてミリアは「ええ」と大人しく頷いたが、ちらりとリュカを振り返る。具合が悪いと思い込んでいるミリアは、リュカをひとりにするのが心配らしかった。しかし、兄の命令を無視するわけにもいかないと考え込む。
ウルゲンとミリア兄妹は、父クーシャン伯爵の代理で招かれており、領主一家と親交を深めるのがこの滞在の目的であった。役目を果たさないわけにはいかないのだろう。
揺れるミリアに、リュカはほほ笑みをかける。
「僕は部屋で休んでるから大丈夫だよ」
「……もう今夜は飲まない方がいいと思いますわ」
「そうするよ」
柔らかく言ったリュカにミリアは安堵したようだった。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
笑って、兄と共にホールを出て行くミリアを見送る。
小柄なミリアの身体は頼りなげで儚げで、まるで温室の植物のようだった。外の強い風に当たればたちまち手折れてしまいそうな危うさがある。守ってあげなければ。周囲の視線を感じて、リュカは静かにそう思った。
伯爵家のひとり娘となんとか懇意になろうとする若者達は、色んな話題を持ってミリアに話しかけてくる。十六になったミリアはもういつだって結婚が出来る歳だった。周囲の許可さえ降りればの話だけれど。
(十六か)
そう言えば、あの負けん気が強そうな娘は幾つなのだろう。
自分と結婚をしていたと言っていたことから最低でも十八歳なのだろうが、葉っぱをあちこちにつけた彼女はそれよりも幼く見えた。
大人しく帰ってくれると良いのだけれど、そう素直そうには見えなかった。
リュカは与えられた客室へ戻りながら、考え続ける。
(じゃあ僕は少なくとも二十歳以上なんだろうな)
自分の年齢を読み解き、少しだけ安堵する。
やっと地に足がついたような気がした。
もっとあの娘と話せば自分のことがわかる。けれどそれは、彼女とっては酷なことだろう。自分は“ハイル”ではない。
と、廊下の向こうからジーンが歩いてきた。
「リュカ様」
「やあ、ジーン」
慎ましやかな紺色の詰襟ドレスを着こなしたジーンは、リュカの前で立ち止まった。キリリと機械仕掛けの人形のように姿勢正しくリュカを見上げる。
「お嬢様は?」
「兄上と一緒だよ」
「そうですか」
ジーンはそのままリュカを見つめ続けた。
「どうかした?」
「あの娘と、お知り合いなのですか?」
はっきりと言われ、リュカは口ごもる。肯定だと捉えたジーンは腹の前で重ね合わせていた自分の手をきゅっと強く握った。
「やはり。あなたの過去を知っているのですね」
「関係ないよ。僕は僕だ」
「どうか」
ジーンは請うように声を絞りだした。
「お嬢様を悲しませないでくださいまし」
幼い頃からミリアに付いていたジーンにとって、ミリアはわが子と変わらない。
「もちろんだよ」
リュカはジーンの両肩に手を置いて、身をかがめた。
「ミリアを悲しませるようなことは、絶対にしない」
出来ない。
リュカはほほ笑んで、あの娘を意識から追い出す。過去なんて、どうだっていい。そう言い聞かせなければ、どうしても知りたくてたまらなくなっていた。




