11-5 勝てなくとも、負けないために
ヒグモは椅子に深く腰かけて、足をフラフラさせていた。
レッドにはそれが腹立たしくて仕方ない。
なんで、おまえはそこでフラフラしてるんだ。
地球が駄目になるかならないかの瀬戸際だってのに。
それを言うと、ヒグモはあの冷笑的な笑みでこう返すのだ。
「サークル活動に夢中の父親と、母親業が面倒になった母親、ついでに社会は爆弾になって死ねという。この世界のために、オレ様が何かする義理あんのか?」
世界は選択肢を間違えた。
踏みつけても何の問題もないと思っていた雑草が、世界を救う鍵を握ってしまったのだ。
好感度はゼロ。全てのフラグはへし折れて、セーブデータも存在しない。
今更涙ながらに許しを乞うても、踏みつけられてきた名もなき草はむしろ喝采を挙げるだけである。
「オレ様は正義の味方でもなければ、正義の味方になりたい人間でもない。オレ様が労力を払わなきゃ人類が滅びるなら、そのまま滅んでしまえ」
「人類が滅びたら、おまえが生きていく場所だってなくなるんだぞ」
「オレ様達が生きていける場所なんて、そもそもなかった」
ヒグモは首輪をレッドに見せつける。
「すぐ目の前に迫る死を恐れ、自傷に走るHCがいた。自分から食人植物の巣に飛び込むHCもいた。忘れた、知らないとは言わせない。そうやって他人に死を強いてきたおまえらが、自分がその立場になった途端、人類愛を説き慈悲を乞うのかよ?」
「!」
レッドは咄嗟に拳銃をヒグモの頭に突きつけたが、銃爪は引かなかった。
レヴォルバーの銃口が、腹に当てられていたからだ。
「やめろよ、2人とも」
辺村の声に、2人は睨み合ったまま銃を下ろす。
――そうだよ、やめてよ。
ヒグモの心の中で、スゥが彼の肩を引く。
けれどその力はあまりにも弱々しい。
ヒグモの言葉はスゥ自身の思いでもあるのだから。
どんなに綺麗事を言ったって、本当は世界なんて滅んでしまえばいいと思っている。
事実、今何もしないだけで世界が滅ぼせることにスゥは喜びを感じてしまった。
封印されてもなお衰えることのないヒグモの存在は、その事実を容赦なくスゥに突きつける。
これは復讐だ。因果応報だ。
自分を不要だと切り捨てた世界を切り捨てるのは当然の行為だ。
なのに何故、こんなにも――しっくりこないのだろう。
どうしてヒグモのように笑顔で観戦していられないのか。
偽善者だからだろう、とヒグモが言った。
「違う」
肩に暖かい感触。
メンカがスゥの背を押してくれている。
「わたし達は、世の中にとって不必要で、不快なもので。リソースの限られた世界にあっては害悪でさえあった。だから爆弾にされて有意義に殺されかけた」
「そう、だからあたし達は世の中を殺し返してやるんだ。ここで何もしないのは、正しい選択だ」
「それを正しいというなら、世界がわたし達を捨てたのも、正しいことになる」
スゥはメンカの顔を見返す。
姉はいつもの悲しそうな顔でもなければ、微笑んでもいなかった。
責めるように、逃げることは許さないというようにまっすぐ妹を見返していた。
「彼等の論理に従うことは、わたし達にとって本当の敗北だ。自分たちの存在を否定する論理に追従して生きることは、戦って死ぬよりひどい結末だと思う」
「…………」
「わたしは言ったよね。自分が人間だろうがなんだろうが関係ない、生きるんだって。それは自分に生きる値打ちがあるかないかでも同じことだ。値打ちがなくたって命を奪われたくはない。だから」
「自分にとって値打ちのないものが命を奪われるのを、許してもいけない……?」
「そう。でもこれは『あなた』ではない、『わたし』の理屈。スゥが嫌なら――」
「ううん」
スゥは首を振って、苦笑い。
「あたしが引っかかってたの、たぶんそこだと思う。姉ちゃんは、あたし以上にあたしを知ってるね」
「わたしのことだからね」
なんだよ、その理屈、とヒグモはやはり笑う。
「まあいいさ。歯の浮くような安っぽいヒューマニズムよりは、自分の意地で戦う方がいい」
ヒグモは立ち上がって、スゥと向き合った。
そのままつかつかと前に進めば、彼はスゥの背後になる。
スゥは驚いて振り返った。
ヒグモはもっと、自分の邪魔をするとばかり思っていたからだ。
「ヒグモ。あんた、あたしのこと嫌いじゃなかったの?」
「人格は違っても自分のことだ。程々に嫌いで、それなりに好きだよ」
……レッドは、ヒグモが突然涙を零しはじめたのにぎょっとした。
いや、それはもうヒグモの顔ではない。
「メンカの方か……?」
「スゥですよ、班長」
涙を拭い去って、スゥはニヤリと笑う。
「あたし、ずっとヒグモに嫌われてたと思ってた。嫌な役目を背負わせて、ずっと封じ込めてたから。だけど、あいつもあたしの一部なんだって、わかった。あたしの背中を押してくれたんだ」
「そ、そうか」
レッドにはスゥの言っている意味はわからない。
「とにかく、おまえが表に出てきたってことは」
「はい。あたし、ハビタットの落下を止めに行きます。……ベムラハジメがいいなら、だけど」
「あ、俺にも決定権あるのか」
問答無用で駆り出されるとばかり思っていた辺村は、それに少し安堵した。
ここに来て自己選択権のない道具扱いは悲しい。
「まあ、どのみち止めるつもりはないけどな。別に、今の地球や人類を救いたいわけじゃない。絶遠に言いたいことがあるって、ただそれだけなんだ」




