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アネモネ  作者: りーた
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第三章 もう一度

次の日の夜。俺はまた、涼花さんの家を訪ねていた。

玄関を開けた涼花さんは、昨日よりもずっと嬉しそうな笑顔で俺を迎えてくれた。


何をするんだろうと思っていると、涼花さんが持ってきたのは緑色のあのボードゲームだった。

「翔瑠くん、リバーシをやろう。」

「リバーシ……?これ、明らかにオセロだけど」

「そう、リバーシ。オセロとも言うかな。どっちも同じだよ!」


悪戯っぽく笑う涼花さんと、さっそく盤を挟んで勝負を始めたのだが......

この涼花さんという少女、信じられないくらい強かった。


「か、勝てない…」

「これで私の勝ちー!」


十試合はしたはずなのに、俺は一度も勝てなかった。

というか、惜しいところにすら行っていない。

誰が見ても完敗、ぼろ負けだった。

「翔瑠くん、今日はありがとう。楽しかったよ。」

「......俺も楽しかったです。」

「またやろうね!」

「はい。次は絶対勝ちます。」

「気を付けてねー。ばいばーい!」


手を振る涼花さんに見送られながら、夜道を歩く。誰とも関わりたくなかったはずなのに、涼花さんと過ごす時間は、驚くほど心地よくて、楽しかった。


それから数週間、俺たちは毎晩のように盤を挟んだ。

そして、ある夜のこと。


「翔瑠くんも結構リバーシ強くなったし、そろそろ本気の勝負、しない?」

「勝負ですか?」

「うん。私が勝ったら翔瑠くんの『お話』を聞かせて。翔くんが勝ったら、私に何か一つお願い事をしていいよ。もちろん『結婚して?』とかでも良いからね!」

「そんなお願いしませんよ。俺をなんだと思ってるんですか。」

「あはは、冗談だって。でも勝負はやりましょ?楽しそうだし」


涼花さんの不敵な笑みに乗せられるように始まった勝負。

俺もかなり粘ったけれど、結果はあと一歩のところで、惜しくも負けてしまった。


「やったー!私の勝ちーー!!」


涼花さんはベッドの上に移動して腰掛け、両手でピースをしながら無邪気に笑った。


「それで......俺はなんの話をしたらいいんですか?」

「それはね......」


涼花さんは少しだけ声を落として、真っ直ぐに俺を見た。


「翔瑠くんはどうして、引きこもりになっちゃったのかなって」

「それは…」


喉の奥がヒリリと詰まった。

思い出したくもない、暗い泥のような記憶。

けれど、不思議と目の前の涼花さんになら、すべてを話して良いと思えた。


期待の枠に放り込まれた中一の夏、一番下手くそで怒られ続けた日々、自信を失って崩れていったプレースタイル。

そして中三の春、レギュラーを奪われ、冷たい言葉と共にベンチへ落とされたこと。

息を詰まらせながら語る俺の言葉を、涼花さんは遮ることなく、静かに聞いてくれた。


「......それってさ、別に期待に応えなくても良くない?」

「でも、それだとみんなから……」

「『無理です。出来ません。』って、言っちゃえばいいじゃん。」

「それは、そうかもだけど…」


ベッドの上の涼花さんの言っていることは、あまりにも正論だった。

もしあの時、俺がその一言を言えていたら、今こんなに苦しむことはなかった。

つまり、俺の弱さが原因なんだ。

自嘲気味に俯く俺に、涼花さんは強いトーンで言葉を重ねた。


「でもね、期待されるってことはさ、頼られてるってことなんだよ。」

「別に頼られたからって、断ってもいいし、応えられなくてもいい。」

「だってそもそも、誰からも頼られない人だっているんだから。」

「勝手に期待して、勝手に失望する方が悪いよ。それなら最初から『期待するな』って話だし」


涼花さんはベッドから身を乗り出して、俺の目を覗き込む。


「だから翔瑠くんは、もっと自信を持っていい。ー【Stay You】だよ。」

「これ、私が大好きな言葉なんだ。君は君のままでいい。」


その言葉が胸の奥に届いた瞬間、視界が急に滲んだ。

気がつくと、俺の目からはボロボロと涙が溢れていた。

ずっと誰かに言ってほしかった言葉を、彼女は全部、真っ直ぐに俺の心へと突き刺してくれた。


「......ありがと、涼花さん。」

「どういたしまして。」


涼花さんは優しく微笑んでいた。その夜、自分の家に帰る足取りは、いつになく軽かった。


次の日の昼間。俺は近所の空き地で、ひたすら足元のボールを蹴っていた。

涼花さんにああ言われてから、どうしてももう一度、ボールに触れてみたくなったんだ。


パスを出す相手もいない、ただの壁当て。

だけど、身体を動かす中で、脳裏に一つの感情がわきあがってきた。

楽しい。

いつぶりかも分からない、純粋なサッカーの楽しさだった。

ーーもう一度サッカー部に入りたい。


それから一週間後。俺は数ヶ月ぶりに、高校への登校を果たした。

教室ではすでにいくつかのグループが出来上がっていて、俺は完全に孤立していたけれど、そんなことはどうでもよかった。

授業が終わると同時に、俺はグラウンドへ走り、サッカー部の様子を見に行った。

誰もが泥だらけになりながら、楽しそうにボールを追いかけている。

俺もあの中に混ざりたい。

ここで、もう一度やり直したい。


次の日、俺は顧問の先生に入部届けを提出した。

その日の放課後から、すぐにサッカー部の練習に参加させてもらった。

久しぶりにスパイクで踏みしめるグラウンドの感触。

ボールを蹴る衝撃。

あぁ、やっぱり俺はサッカーが死ぬほど好きだったんだ。


そして同時に気づいた。

俺をあの暗闇から引っ張り出してくれた、涼花さんのことも

ーー心の底から好きになっていた。


その日の夜。俺は弾む心を抑えきれないまま、涼花さんの家へと向かった。

部屋にいる彼女に「ちょっと散歩しない?」と声をかけ、二人で夜の街へ出て行った。

「あのさ。俺。学校に行って、サッカー部に入部したんだ。」

「いいじゃん!自分のことをやったもん勝ちだよ!」

「【Stay You】でしょ?」

「うん。【Stay You】だよ!」


夜道に、二人で弾んだ笑顔が咲く。

しばらく歩いて、静かな月明かりの下に差し掛かった時、俺は立ち止った。


「涼花さん」

「どうしたの?」


振り返る彼女の瞳を、真っ直ぐに見つめる。


「俺。涼花さんのことが好きなんだ。......俺と、付き合ってくれませんか?」


一瞬の静寂の後、涼花さんは大きな瞳から涙をボロボロとこぼしながら、俺の胸に飛び込んできた。


「......私を、翔瑠くんの彼女にしてください。」


抱きしめた彼女の身体は小さくて、とても温かかった。

込み上げてくる愛おしさに、胸がいっぱいになる。


「ありがとう……」


掠れた声でそれだけ伝えると、涼花は俺の胸に顔を埋めたまま、むくれたような声を上げた。


「せっかく付き合えたんだからさ、これからは呼び捨てで呼んでよ。」

「えっ!?じ、じゃあ......涼花」

「......っ。翔琉くん呼び捨てにするの、なんか照れる。」

顔を真っ赤にしながら、はにかむ涼花。

本当に可愛いな、と思いながら、俺たちは並んで涼花の家への帰路についた。


ーーその時だった。

背後から、不穏な爆音が近づいてきた。


猛烈な勢いで迫る、車のエンジン音とヘッドライトの光。

告白が成功した嬉しさで、俺の注意力が完全に散漫になっていた。

後ろを振り向いた瞬間、明らかに速度のおかしい車が、涼花のすぐ後ろまで迫っているのが見えた。


考えるよりも先に、身体が動いていた。

俺は全力を振り絞って、涼花の身体を車の進路から外れるように突き飛ばした。


大好きな人が生きてくれるなら、俺はどうなったっていい。


ガシャァァァン!!!という凄まじい衝撃音と共に、俺の視界は暗転した。

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