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ネガティブプレゼンス  作者: 鈴蘭かな


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7/11

7.薬

 診察室の空気が、少し落ち着いたあとだった。


 高橋涼が看護助手に連れられて別室へ移動し、

 私と乙葉、そして葛西先生だけが残った。


 私は椅子に深く腰掛けたまま、

 胸の奥に残る“何かが触れた感覚”をやり過ごしていた。


 一瞬、来た。


 確かに、重さはあった。


 でも、沈み込むほどじゃない。


 少し息を整えれば、立て直せる。


 いつも通りの感覚だった。


 葛西先生は、カルテを閉じずに、しばらく私を見ていた。


 観察、というより――確認。


 「……今、どう?」


 私は正直に答えた。


 「一瞬、落ちました。でも、もう大丈夫です」


 葛西先生は、ふっと短く笑った。


 「やっぱりね」


 乙葉が首を傾げる。


 「何がですか?」


 葛西先生は、ゆっくり言葉を選んだ。


 「雨宮小春さんは」


 「闇を“溜め込むタイプ”じゃない。吸うけど、留めない」


 私は、少しだけ眉を寄せた。


 「……排出してる、ってことですか」


 「そう」


 「それも、かなり自然に」


 私は、その言葉に引っかかった。


 「でも、それって……」


 一度、息を吸う。


 「結局、誰かに流してるってことですよね?」


 「私が処理しきれなかったものを、他の人が受け取ってる」


 「それって、迷惑じゃないですか」


 葛西先生は、否定しなかった。


 「うん」


 「迷惑、だね」


 はっきり言われて、少しだけ胸が痛んだ。


 「でも」


 葛西先生は続ける。


 「それは、君が“相手のことを考えすぎる”からだ」


 「感受性が高すぎる」


 「自分と他人の境界が、薄すぎる」


 「だから、相手の感情を

 “自分のもの”として処理しようとする」


 私は、思い当たることしかなかった。


 「それは、優しさですか?」

 乙葉が聞く。


 葛西先生は首を横に振った。


 「優しすぎる、という言葉があるだろう」


 「でもね」


 「それは、褒め言葉じゃない」


 「生き物として、長く生きるための性質じゃないから」


 乙葉が、珍しく真剣な顔をしていた。


 「君は、相手を思いやっているつもりで、実際には、相手の感情に飲み込まれている」


 「だから、闇が深い人ほど、君のそばで楽になる。その分、君は少しだけ削れる」


 私は、小さく笑った。


 「……じゃあ」


 「私って、やっぱり危ない存在ですよね」


 「人の闇を吸って、流して、誰かを救ってるようで、誰かを疲れさせてる」


 葛西先生は、私をまっすぐ見た。


 「だからこそ、だよ」


 「無自覚なまま使われたら、君は壊れる。でも、使い方を選べば“薬”になる」


 私は、その言葉を反芻した。


 薬。


 誰かの役に立つ、という意味と、

 使いすぎれば毒になる、という意味。


 葛西先生は、少しだけ姿勢を崩した。


 「実はね。僕は表向きは普通の精神科医だけど、裏では、芸能関係のカウンセリングもやってる」


 乙葉が、間髪入れずに言う。


 「裏医者的なやつですか?」


 葛西先生は苦笑した。


 「かっこいい言い方をすると、そうかもね」


 「芸能界はね、視線が多すぎる。しかも、自分自身が“商品”だ」


 「壊れても休めないし、壊れたことも見せられない」


 「だから、闇が深い」


 私は、さっきの高橋涼の顔を思い出した。


 「雨宮小春さん」


 葛西先生は、静かに言った。


 「君は、そういう人たちにとって、もしかしたら、

 生き延びるための“薬”になるかもしれない」


 少し間を置いて。


 「だから、提案だ」


 「一緒に、裏でやらないか」


 「無理にとは言わない」


 「でも、君自身が壊れない形で、

 人と関わる方法を」


 「僕と一緒に探してみない?」


 私は、すぐには答えられなかった。


 存在意義なんて、とっくに見失っていた。


 でも。


 “誰かを暗くする存在”だと思っていた自分が、

 “誰かを保たせる存在”かもしれない。


 その可能性だけは、

 胸の奥に、静かに残っていた。

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