5.数学ノート
家に帰ると、リビングの明かりがついていた。
「おかえり!」
「遅かったな」
テーブルには温め直された夕食が並んでいる。
小春と乙葉は並んで座った。
静かに箸を取る小春と違って、乙葉は最初から元気だった。
「ねえ!聞いて聞いて!」
乙葉が唐突に言う。
「私も診断してもらったんだけどね、
発光型存在感症候群って言われたんだ!」
母と父の動きが一瞬止まった。
「……乙葉も?」
母が怪訝そうな顔をする。
「そう!なんか場が明るくなる的なやつらしい!」
「しかもね、二人とも異常な数値なんだって!」
母は箸を置き、小春を見る。
「……それで、小春の診断結果はどうだったの?」
小春は視線を落としたまま、小さく答える。
「私は、現状維持というか何も変わってなかった」
空気が少し重くなる。
母はすぐに声を柔らかくした。
「小春はね、昔から繊細だから、気にしすぎなのよ。もっと楽に生きなさい」
守ろうとしているのは分かる。
でも、小春の存在そのものを“問題”として扱っているのも、はっきり伝わった。
父は黙ったまま味噌汁を飲んでいる。
子育てに深く関わってこなかった人特有の距離感。
「まあ……」
と、少ししてから言った。
「乙葉は昔から明るかったしな」
それだけだった。
評価は一言。
小春には、言葉すら向けられなかった。
翌朝。
「いってきまーす!」
玄関から、乙葉の元気な声が響く。
「気をつけてねー!」
母の声が続く。
数分後。
小春は静かに家を出た。
乙葉と双子だと知られたくない。
知られてもいい理由が、どこにもない。だから、乙葉より一本遅い電車。それが、小春なりの防衛だった。
教室に着く。
朝の空気は静かで、まだざわついていない。
今日提出の数学の課題を提出するためにカバンの中を探す。
――ない。
何度探しても、ない。
確かに入れたはずなのに。
……あ。
(乙葉のカバンに昨日、間違えて入れたかもしれない。どうしよう。取りに行くほどでもない。明日提出すればいいか)
提出物を忘れたことなんて、ほとんどない。
それが少し怖いけど。
そう思って席に座った、その時だった。
「こはるー!」
教室の扉から、明るい声が響いた。
乙葉だ。
その後ろには、キラキラした女子が数人。
乙葉は小春のノートを掲げて、手を振っている。
「これ宿題でしょー!
多分、入れ間違えてるよー!」
小春の席は、扉から一番離れた席。
この距離で叫べる乙葉の強さが、眩しい。
一緒にいた女子が、ひそひそ言う。
「このクラス、暗すぎない?」
「静かだよねー」
小春の胸が、ぎゅっと縮む。
近づきたくない。
目立ちたくない。
それでも、乙葉は呼ぶ。
「小春ー!」
そして近くの席の女子二人組に言った。
「ねえ、小春呼んできて!」
「え?」
「雨宮さんだっけ?」
「そうそう。行ってきてよ」
「えー……」
そのやり取りが、はっきり聞こえる。
――ああ、もう。
小春がそう思った瞬間。
「もう!」
と声を上げて、乙葉がズカズカと教室に入ってきた。
「はい、これ」
ノートを差し出す。
そして、小春の耳元で小さく囁いた。
「そうやって自分の殻に閉じこもるのやめたらさ、もうちょっと、いろんな人と関われると思うよ。もったいない」
一瞬だった。
「失礼しましたー!」
と明るく言って、乙葉は去っていく。
教室の空気が、ほんの一瞬だけ明るくなった。
誰かが小さく笑う。
その後ろで、男子の声が聞こえた。
「え、あの雨宮とこの雨宮、双子だったんだ」
小春は、ノートを抱えたまま静かにしている。
「今日提出の数学の課題出しにきてー!」
朝のHRで数学係が言った。
「今日出せなかった人は、放課後数学の間宮先生のところまで行くようにって言われてます。このクラス提出物忘れ多すぎるって怒ってたから今日忘れた人はどんまいです」
「えー」
「まじかよ」
クラスがザワザワしだした。
(乙葉が届けにきてくれてよかった)
いつものなんてことないノートなのに、今日の数学ノートはキラキラして見えた。
(これも乙葉効果かな…)




