第七幕 悪徳商人の国VSセザイア商人
宿に一泊して、次の日のこと。
「第二王子殿下に呼ばれた目的は事後説明ということでしょうか?」
「手紙にはそう書いてあるな」
ジルベルトは先ほど届いたばかりの手紙をアンジェリーナの前で揺らした。
現在、アンジェリーナはジルベルトとともにテオドーロの邸宅へと向かっている。当初招待されたのは二人だけだったけれど、さすがに今回ばかりはということで事前に連絡を入れたうえでアレスティオとジャミルもついてきた。
「想定外の出来事が起きる、嫌な予感しかしなくてなぁ」
「奇遇ですね、アレス。私もです」
「気にし過ぎだと否定できないところがつらい。実はさっきから寒気がするんだ」
アレスティオとジャミルの会話を聞きながら、ジルベルトは居心地が悪そうに鳥肌の立った腕をさすった。心配という顔で、アンジェリーナはジルベルトを見上げる。
「顔色がよくないです。冗談ではなく本当に風邪じゃないですか?」
「体調は悪くないのだが。虫の知らせというのか、望んでもいない喜劇に巻き込まれそうな予感がしてどうにも落ち着かない」
「ジルが喜劇ですか?」
突然何を言い出したかと思えば。
ジルベルトの口から普段は聞かない言葉がこぼれ落ちて、アンジェリーナは目を丸くする。
喜劇とは、滑稽な動きと奇想天外なシナリオにそって物語が進んでいくものだ。アンジェリーナは、あわてふためきドタバタするジルベルトの姿をこっそり思い浮かべる。
全然想像がつかない、でも見てみたいかも!
無意識にゆるんだアンジェリーナの口元を見て、察したようにジルベルトが軽くにらんだ。
「アンジュ、何か邪悪なことを考えていないか?」
「いいえ、何一つ」
なんですぐにバレるのか、いまだにわからない。
ごまかすように笑ってアンジェリーナは横を向いた。そして話をそらすために先ほど食堂で聞いた噂話を口にする。
「喜劇といえば、実話を題材にしたお話が評判らしいですよ? 敵役は貴族のご令嬢だとか」
「実話を題材にとは、おだやかではないな。内容によっては名誉に関わるだろう」
ジルベルトが眉をひそめると、ジャミルが思い出したような顔をする。
「ああ、その話でしたら私も知り合いの商会で聞きました。なんでも王家と公爵家との婚約破棄騒動が題材だそうですよ。しかも敵役の女性が償いにと上演を望んだそうで、彼女は貴族籍を抜けて、すでに平民になっているとも聞いています」
「……婚約破棄か」
一言つぶやいて、ジルベルトは黙り込む。浮かない表情にアンジェリーナは首をかしげた。
「どうしました、ジル?」
「アンジュは婚約破棄と聞いて気にならないものかと」
ジルベルトの心配そうな口ぶりに、アンジェリーナは目を丸くする。
「いいえ。どうかしました?」
「いやいい、その……あとで聞きたいことがある。時間を取れるか?」
「もちろんいいですよ!」
深く考えることもなく、アンジェリーナは元気一杯に答えた。
通りすがりに広場のほうで、わっと歓声が上がる。初めてみる賑やかな様子にアンジェリーナの視線が吸い寄せられた。
「ここはずいぶんと賑やかですね!」
「今日は近くにある劇場で公演があるようですね。大広場に客引きのための屋台が出て、大道芸の披露があるそうです」
ジャミルの指先が木製の掲示板を示した。
「ほら、ちょうどあそこに公演予定が書かれたポスターがありますよ。演目は午前と午後で変わる。午前の部では喜劇を、そして午後の部では恋にまつわる悲劇を公演するようですね。先日、アンジェリーナにお話しした人気の歌姫は午後の部に登場するらしいですよ」
掲示されているポスターには、仮面で目元を隠した優美な雰囲気の女性が男性に支えられながら歌う姿が大きく描かれている。演目とは別に、ユニウム・ラグイアーナオペラという文字が踊っていた。
「ラグイアーナ王国で上演される歌劇を、総称してユニウム・ラグイアーナオペラと呼びます。これを見るためだけに各国から客が押し寄せる。国の宝であり、この国の重要な収入源の一つでもあります」
アンジェリーナはポスターに見入った。
ユニウムは古語で比類なきという意味だ。この世に二つとない、そう聞くだけで興味がわいてくる。キラキラとした眼差しでポスターをながめていたアンジェリーナはジルベルトを振り向いた。
「せっかく来たのです。私達も観ることはできるのでしょうか?」
「観劇に身分は問わないと聞いている。だが数ヶ月先まで満席だそうだ」
すらすらとジルベルトが答えた。すると隣に並んでいたアレスティオがいい笑顔でさりげなくジルベルトの肩に腕を回す。そして内緒話をするように顔を寄せた。
「おやおやー、やけに詳しいじゃないか」
「どうってことはない。時間があって少し調べただけだ」
「そうだよな、婚約指輪を渡す場所は大事だ」
何のために調べたかなんて聞かなくてもわかる。
ニヨニヨと笑うアレスティオにジルベルトは呆れたような視線を向けた。
「ずいぶんと絡んでくるな!」
「邪魔はしないよ、ちょっと手伝ってやろうかと思って」
「アレスの場合、ときどき面倒ごとも一緒に運んでくるからな」
「その言い方、傷つくなぁ!」
「どうしたのです、アレス様。ジルとケンカでもしました?」
珍しく悲しそうな顔をしたアレスティオにアンジェリーナは首をかしげる。安心させるように笑って、ジルベルトは公館を指した。
「なんでもない、こっちの話だ。それより公館に着くが準備はできているか?」
「はい、今度は負けません!」
アンジェリーナは固く手を握る。
「はい、今度こそ負けません。もし物理攻撃がきたら護身術の訓練の成果をお見せします!」
「そうか、右手はどっちだ?」
「……、こっちです!」
「絶対に手を出すな。相手はどうでもいい、アンジュが怪我したら困る」
顔色を悪くしたジルベルトは、自信たっぷりの顔で差し出されたアンジェリーナの左手をしっかりとつかんだ。
――――
公館に到着すると昨日とは別の部屋に案内される。
少しせまくて密談のときに使われそうな雰囲気の部屋だ。家具はシンプルだけど統一感があって、宝飾の国の名にふさわしく豪奢なシャンデリアが屋内を明るく照らしている。
指定された席に座ると、ほぼ同時に部屋の扉が開いてテオドーロが姿を現した。ずいぶんと顔色が悪く、昨日の今日で急にやつれたように見える。
全員が席に着いたところで、ティーポットとカップが運ばれてきて、使用人が香りのよい紅茶をテーブルに置いた。
使用人が壁際に下がったのを見計らって、テオドーロは重い口を開いた。
「昨日は騒がせてすまない」
「どういうことか説明してもらえるな?」
不敬を問われることがないように、まずはアレスティオが応じる。アレスティオは少々大げさな仕草でアンジェリーナ達の座る方向を指した。
「こちらには聞きたいことが山ほどある。これから先は、礼儀とか不敬だとか面倒な駆け引きはなしにしてくれ。それでは彼らが話しにくいし、会話に集中できない」
「わかった」
言質をとったところでアレスティオがジルベルトに視線を向ける。ジルベルトは続けて口を開いた。
「単刀直入に聞きたい。アンジュが魔力を注いだのは改修前の充填部か?」
「それは」
「うっかりと王が認めている時点で、改修前のものだというのはほぼ確定しているんだ。前置きはいいから、どちらかだけまず教えてくれ」
ジルベルトの言葉で一気に空気が張り詰める。アンジェリーナはごくりと唾を飲み込んだ。
言うべきか、言わざるべきか。
迷った様子でテオドーロは黙り込み、沈黙が落ちる。逃がさないとばかりにジルベルトが視線を鋭くすると、ようやくテオドーロが口を開いた。
「改修前のものだ」
次の瞬間、四人は一斉に深々と息を吐いた。
アンジェリーナは単純に「自分が間違っていなくてよかったー」くらいの気持ちだったけれど残る三人はそういうわけにはいかなかったらしい。
ジルベルトはあからさまに呆れたという顔をする。
「これは信用の問題だ。契約書で禁じていなくても、やっていい事と悪い事はある」
「でも私は知らなかったんだ、そんなことになっているなんて! 今の私は、正直にそれどころではなくて」
そう叫んだテオドーの肩がわずかに震えている。
王子が知らない……ということは、王の指示ということだろうか。
アンジェリーナの横でジルベルトがため息をついた。
「言い訳しかしないのなら時間の無駄だ。帰ろう、アンジュ」
「わかりました」
「待ってくれ、こっちにも事情があるんだ!」
すがるような手つきで、テオドーロがアンジェリーナに手を伸ばした。
アンジェリーナが声を上げる間もない出来事だ。
そうだ、こういうときの護身術!
アンジェリーナがそう思ったときには、すでに抱き上げられている。ジルベルトは流れるような動きで身をかわすと、テオドーロと距離をとった。
「さわるな」
ジルベルトの声を聞いた瞬間、アンジェリーナの背筋が凍りついた。
「さわるな」が、なぜか「死にたいのか」に変換して聞こえる。
立ち上がったジャミルは護衛や使用人を視線だけで押さえると、アレスティオはアンジェリーナとジルベルトの姿を隠すように立ちふさがった。
「いくら王子でも、断りもなく女性に手を出すのはマナー違反じゃないか?」
「違う、そうじゃない。話を聞いてほしいだけだ!」
「おいおい、話を聞いてほしいとお願いできる立場にないだろう」
咎めるようにアレスティオが目を細めると、追い詰められ顔をしたテオドーロが叫んだ。
「セイレーンだ。伝説のはずの存在が魔物を呼び寄せているんだ!」
「セイレーンが?」
「そうだ、昨日からなぜか突然セイレーンがらみの問題ばかり起きている。今、私は対応に追われていて充填部のことは本当に知らなかったんだ!」
首をかしげるアレスティオにそう叫ぶと、勢いを失ったようにテオドーロが膝をついた。使用人と護衛の兵士があわてて駆け寄り、彼の両脇を支える。
「……セイレーンがらみの問題が?」
小さく魔物の名を呼んで、アンジェリーナは首をかしげた。
記憶を探って、ようやく検問所で出会った女性達の会話が浮んだ。
――――行方不明になった人もいるそうよ。
そうだ、行方不明者がいたことを完全に忘れていた!
アンジェリーナは抱き上げているジルベルトへと視線を合わせる。
「魔のつくものが関係している以上は、たぶん私のお仕事なのですが……これまでのことを考えるとどうしてもやる気にならないですね」
「そうだな。ここまでされて助けてやる義理もない」
ジルベルトと短く会話を交わして、アンジェリーナは天井を見上げる。そして「放置でいいですよね」という願いを全力で天に届けた。
――――でも願い事というものは、必ずしも叶うものではないようで。
却下、という冷徹な天の意志を感じ取ったアンジェリーナはうらめしそうに天井を見上げた。
いつもなら神……アンジェリーナの上司は魔除けの聖女の意思を尊重してくれる。けれど今回に限っては「働け」と言いたいらしい。
仕方なくジルベルトにだけ聞こえる距離で、アンジェリーナはささやいた。
「事情を聞くしかなさそうです。私の上司がお仕事をしてほしいようでして」
「上司ってなんだ。聖女ならではの判断基準ということか?」
「そういうことになります……個人的にはものすごく嫌ですけれど」
アンジェリーナはもう一度天井を見上げる。
けれど交渉は無理だと悟って深々と息を吐いた。
「どうやら魔物だけでなく、私にこの国をどうにかさせたいみたいですね」
「それは……さすがに聖女の専門外じゃないか?」
「この国は魔物がらみで他にもやらかしているようです。自分が直接手を下すと厄災になってしまうから、程よくやれと。そのために規格外の力を与えたのだから頼むと言いたいようです」
さまざまな経験を積んだつもりだったけれど、神様からお願いされたのはアンジェリーナもはじめてだった。
眉を寄せて、ジルベルトは深々と息を吐く。
「つまりアンジュの気持ちとは別に、聖女として果たす義務はあるということか」
「これを断るのは、冗談ではなく命がけです」
「大変だな、聖女というのも」
労わるような顔でジルベルトが髪をなでるとアンジェリーナは眉を下げた。
アンジェリーナは力を使うときに祈りも潔斎もいらない。思ったことが、そのまま神の元へと届く。
ただし、状況によってはその逆もあるということで。
「天は魔除けの領分と判じました。任されたお仕事だから、なんとかしないといけない。今はそういう状況です」
聖女への恩恵は、こういうときに不便だと思うのだ。
ジルベルトは無言のまま深々と息を吐いた。
アンジェリーナは床に下ろしてもらうと、ジルベルトの背中の背後で安全を確保する。そしてテオドーロへと視線を向けた。
「お話をうかがいます。それから判断させてください」
「よかった、助かるよ!」
「まだまだ詰めが甘いですね、アンジェリーナは」
すると今度はジャミルがため息をつきながら介入する。
ジャミルはアンジェリーナが与えられた力のすべてを知っているわけではない。
それでも彼なりに、アンジェリーナの表情や態度から事情がありそうだと察したらしい。
「話を聞く前に、まずは契約更新です。今回の賠償として魔力の充填については初回無償を有償に、セイレーンの件は別口で報酬を要求します」
「それは……!」
「拒否するなら、話はこれまでということで」
「あ……、いや、わかった」
「今後、信用を失墜させる行為があれば多額の違約金を支払うよう契約書に盛り込みましょう」
「そこまでするか⁉︎」
「うたがわれるようなことをしなければいいだけです」
テオドーロの悲痛な叫びを、ジャミルは容赦なくスパッと切り捨てた。そして今は誰も座っていないテーブルを指す。
「契約書は私が作成します。その間、皆さんは雑談でもいかがですか?」
雑談のついでに何が起きているか聞けばいいと、そういう趣旨らしい。
テーブルの上に専用の紙を取り出したジャミルが、すごい速さで契約書を作成する。空気を読んで残る三人は無言で席に戻った。
通りすがりにアンジェリーナは、ひょいとジャミルの手元をのぞき込む。違約金の欄におそろしい金額が見えて真っ青になった。
護衛や使用人に介抱されているテオドーロに聞こえないよう注意しながら、アンジェリーナは口元に手を添えてジャミルにささやいた。
「大丈夫なんですか、そんな金額見たことありませんよ!」
「相場の倍ですが足りませんか?」
アンジェリーナの背中越しに、ジルベルトが紙面をのぞき込んだ。
「ジャミル、一つ桁を足しておけ。すでにそのくらいのことはしている」
「おや奇遇ですね、私もそうしようと思っていました」
背後でジルベルトがそそのかすと、ためらいもなくジャミルが丸を一つ足した。
……嘘でしょう!
アンジェリーナは声にならない声で叫んだ。
「問題ありません、正義はこちらにあります」
低く艶のあるジャミルの声がおごそかに勝利を告げる。
淑女の皆様が骨抜きになるという笑顔が、今のアンジェリーナにはおそろしい悪徳商人の微笑みに見えた。顔色を悪くすると、同じような顔色をしたアレスティオと視線が合った。
「さすがジャミル様、魔王の代理。安定感が桁違いです!」
「魔王になれる素質は十分なんだよなぁ」
「ほめてませんよね、二人とも。思いっきり聞こえていますよ!」




