第六幕 魔除けの聖女と円卓会議
思いもよらない形で幕を閉じた女王の聖杯との再会。さすがに事前の根回しもなく他国の公館で無双するわけにもいかないので、アンジェリーナ達はおとなしく宿に戻った。
とはいえ、このままというわけにもいかない。
そこでスワラティ竜王国と同様に、夕食を食べながら作戦会議をしようということになった。食堂の一角を借り、四人に竜の子一匹を加えて丸テーブルを囲む。
ルベルを膝において、浮かれた顔のアレスティオは椅子に座った。
「裏で作戦会議かぁ……俺に内緒でこんな楽しいことしていたとは。なんで誘ってくれなかったんだよ!」
「当然だろう、あのときアレスはあちら側だ」
「別に俺は敵対していたわけじゃない、ちょっとくらい混ぜてくれてもよかったじゃないか。なぁ、アンジェリーナ!」
ジルベルトはアレスティオの無茶ぶりを呆れた顔で受け流す。
冗談を言ったつもりのアレスティオは、ジルベルトの横に座るアンジェリーナに笑いかけた。すると暗くどんよりとした顔をしているのに気がついて、あわててジルベルトに小声で話しかける。
「おい、かつてないくらいに静かなんだが大丈夫か?」
「ダメだろうな、さっきからずっとこんな感じだ」
心配という顔でジルベルトはアンジェリーナに視線を向ける。
アンジェリーナは暗い顔で視線を落とし、手を固く握っている。ふてぶてしいを自認するアンジェリーナが珍しく落ち込んでいるらしい。
食堂の給仕係が温かい紅茶を満たしたカップを置いた。洗い場へと戻っていく背を見送って、ジルベルトはそっとアンジェリーナの手を握る。
「もう大丈夫だ。ここには我々以外誰もいないし、話せるだろう?」
落ち着いたところを見計らって話しかける。
するとアンジェリーナの口から絞り出すような声が聞こえた。
「……ごめんなさい、我慢できなかったのです」
すぐに公館でのことと察したジルベルトは静かに耳をかたむける。
「たとえ公の場ではないとしても他国の王族の前で、あんなふうに感情をむき出しにしてはいけないとわかっているつもりでした。敵か、味方か。判断のつかない相手の場合、付け入る隙を作らないように自分を律するべきでした」
あの場での不敬を理由に、アンジェリーナを投獄する未来だってあり得た。けれどジルベルト達がアンジェリーナに加勢したのでラグイアーナ王国はうかつに手を出せなかった、それだけだ。
「充填部を開けて見せろだなんて。私の立場で、あんな騒ぎを起こすべきではありませんでした」
おかしいと思ったところで、アンジェリーナがすぐにジルベルトに相談するのが最善だった。彼にあの場を乗り切る策を授けてもらい、自分の身を守りつつ、冷静に反撃する手段を考えるべきだった。それなのに……。
「感情が先に動いてしまったのです。おばあさまと、技術を提供してくれたリゾルド=ロバルディア王国の皆さんの顔が浮かんでしまって。無理を通してでも、彼らの信頼に応えたかった」
充填部さえ確認できれば真実が証明できる。それしか頭に浮かばなかった。無能でも、役立たずでもないと信じてくれた彼らに失望されたくなかったのだ。
「ですが結局、手も足も出ませんでした。それが今、とても悔しいのです」
深くうなだれたアンジェリーナは、ぎゅっと手を握った。残る三人は小さく息を吐く。視線を交わして最初に口を開いたのは、アンジェリーナの向かいに座るジャミルだった。
「正直なところ、我々もあんな手を使うとは思いませんでしたからね。アンジェリーナだけを責めるというのは酷な話です」
「ですが!」
「気持ちはわかりますが落ち着いて。まずは温かいうちに紅茶をどうぞ」
ほんの少しだけ柔らかな笑みを浮かべて、ジャミルはカップのうち一つをアンジェリーナの手元に置いた。そして自分も別のカップを手元に引き寄せて、紅茶を一口飲んだ。
「お茶を飲みながらラグイアーナ王国の裏側をあなたにも少しだけお話ししておきましょう。今後の参考になるかもしれません。それとジルベルトとアレスはすでに承知していることでしょうから、復習ということで聞いていただけますか?」
ジルベルトとアレスティオは無言でうなずいた。アンジェリーナが顔を上げるとジャミルの緑青の瞳がほんの少し柔らかくなる。
「この国に来ることを楽しみにしているあなたに、わざわざ知らせなくてもと黙っていました。我々、セザイア商人はラグイアーナ王国のことを『悪徳商人の国』と呼ぶことがあります」
「……悪徳商人」
「もちろん真っ当に商売している商人もいますので、そう呼ばれるのはごく一部の人間です。ですが大げさではなく、こう考える者がこの国にはいます」
――――だますより、だまされるほうが悪い。
嫌悪感をにじませたジャミルの声。
救いのない言葉にアンジェリーナは背筋がゾッとした。
「この国の根本には、どうやらそういう考え方があるようです。もちろんセザイア商人だって競争相手を出し抜くためには、きれいな手ばかり使うわけではありません。ですが、あまりにも悪質なのはやり過ぎです。いくら商売だろうと許されていいわけがない」
「この国に、そんな裏の顔が」
「ラグイアーナ王国がなぜ仕掛けたのか。推察することしかできませんが、おそらく魔除けの力の有用性を知って自分達のものにしたかったのでしょう。できるだけ長く、アンジェリーナをこの国に留めておきたかった」
カップを持ち上げたジャミルはジルベルトに軽く視線を投げる。視線を受け止めたジルベルトは話をつないだ。
「古い魔道具の充填部は一人の聖女では補いきれないほどの量の魔力を必要とする。魔力の充填が終わらなければ、アンジュは国を出ることができない」
アンジェリーナはハッとして顔を上げた。
「そんな、それでは」
「セントレア王国のやり口と似ているな。いや、それよりももっと悪質かもしれない。試験もかねているから初回は無償、そういう契約になっている。初回の充填が終わらなければ報酬が支払われることはないだろう」
一生、魔力を奪われるところだった。それどころか魔道具の充填すらまともにできない役立たずと呼ばれたかもしれない。自分を待ち受けていた残酷な未来を想像してアンジェリーナの顔色が悪くなる。アンジェリーナを落ち着かせるように、ジャミルは表情を柔らかくした。
「ですが今回はアンジェリーナの悪評が助けになりました。無能と呼ばれたあなたに魔道具の知識があることは想定外だったようです。あの場で充填部を確認すればバレる、だから一旦手を引いた。そう考えると、むしろ騒ぎを起こしたのは悪くない一手だったと思いますよ」
アンジェリーナはほっと息を吐いた。
少なくとも、今すぐにどうこうされるという未来は回避できたらしい。
その代わりに別の不安が押し寄せる。ジルベルトの服の袖をつかんでアンジェリーナは顔を上げた。
「どうした」
「充填部の技術を提供したのはリゾルド=ロバルディア王国です。表沙汰にはなりませんでしたが、あざむいたと同じこと。もしかして二国間の争いに……戦争のきっかけにはなりませんよね?」
リゾルド=ロバルディア王国が三ヶ国に技術を提供したのはアンジェリーナのため、善意からだ。けれど国同士が裏でどのような契約を結んでいるのかまではアンジェリーナは知らなかった。証拠はなくてもラグイアーナ王国の手口が契約違反につながるようなものなら、両国の争いが起きるかもしれない。
「セントレア王国を滅ぼしたような立場の私が言うのもおかしいかもしれませんが、あのときの私には覚悟がありました。ですが今回のように突然降って湧いたような災難に巻き込まれて、それがきっかけで戦争が起きたとしたら……これ以上、人の命を背負う覚悟なんて私にはありません」
袖をつかんだままアンジェリーナは下を向いた。
人同士の戦争こそ、対魔特化のアンジェリーナが手を出せない領域にある。もしおばあさまのように、ジルベルトを失ったら……そう思うだけでアンジェリーナは不安でたまらない。
安心させるように微笑んで、ジルベルトはアンジェリーナと視線を合わせた。
「大丈夫だ、我が国はアンジュが望まないことはしない」
「ジル」
「これ以上ラグイアーナ王国に関わりたくないというのなら、契約を白紙に戻すことも検討する。アンジュはどうしたい?」
「その場合、女王の聖杯はどうなるのでしょうか?」
「個人との契約が白紙になったとしても、国同士で交わした契約は残る。女王の聖杯はラグイアーナ王国が所有することになるだろう。ただ魔力の充填はされないから魔道具としては使えないままになるが」
つまり、この円卓会議で女王の聖杯の未来が決まる。
袖をつかんだ手を外して、アンジェリーナは顔を上げた。
「愚かなことをと、笑われるかもしれません。それでも女王の聖杯は歴代の魔除けの聖女が命がけで守ってきたものです。魔力の充填ができないことで使えない、役立たずの魔道具と呼ばれる未来を私は望みません」
今回の件を不服としてラグイアーナ王国との契約を破棄する。こんな国なんて勝手に滅べばいい。それが人としてあたりまえの感覚だと理解できていた、それでもだ。
ほんの少しだけアンジェリーナは声を震わせる。
「私にとって三種の宝具は相棒でした。誰も味方のいないセントレア王国で歴代のおばあさまの魔力を糧に、ずっと一緒に戦ってきた仲間なのです」
たかが魔道具。
そんなふうに割り切れるほどアンジェリーナにとって三種の宝具の価値は軽くなかった。
「国が滅ぶときも宝具を置いていくのはつらかった。ですが宝具は魔除けの力を借り受ける器、私が大事に持っているだけでは意味がないのです。それなら誰かの役に立てるようにと、送り出したつもりでした」
「今のアンジュと同じように、ということだな」
「それを切り捨てるなんて。私が、私自身を切り捨てるみたいに思えてつらいのです」
ジルベルトはアンジェリーナの手に、自分の手を重ねる。
「なんとなく、そう言いそうな気がしていた。宝具はおばあさまとの思い出につながるものでもあるから、アンジュは切り捨てられないだろうと」
手を離すと、ジルベルトは軽く指先で円卓を叩いた。
「償いでもあるから初回は無償で。そう契約書に盛り込んだのはアンジェリーナが望んだからだ。アンジェリーナの優しさをラグイアーナ王国は悪用した。それを許すわけにはいかない。だからアンジェリーナの負担にならない手段で、穏便に問題を解消しようと思う」
「どんなふうにですか?」
「今はまだくわしくは言えないが、今のままではラグイアーナ王国に女王の聖杯を託すのはむずかしい。だから少々裏で手を回すことにした」
黒さをにじませてジルベルトは笑った。
「本当は私が仕掛けようとしたのだが。許可をもらうために連絡したら、どうしてもと本人が言うのでフェレスに任せることになった」
「……は?」
「得意分野だしな。しかも当人だけでなく王や王妃もやる気とのことで、よろこんで譲った」
ジルベルトが今回の件を報告したとき、運がいいのか悪いのか王の執務室に全員集合していたそうだ。内容を聞いた途端、全員の不気味な笑い声が魔道具越しに響き渡った。
そしてジルベルトが魔道具の通信を切ったあと、魔法を使ったわけでもないのに黒い何かが執務室からにじむように湧いて出たそうだ。まるで怒りを具現化したような何かに、護衛の兵士はそっと扉を閉めたらしい。
「あとで護衛の兵士が連絡してきた。『黒い何かが見えたらアンジュと逃げてください本気で』と」
「うわぁ」
「予定どおりなら、全部終わったあとでラグイアーナ王国はむしろ剣を取ったほうがマシだったと思うかもしれんな」
そう答えるジルベルトの笑顔がすがすがしい。いろいろな意味でアンジェリーナは震えた。
草木くらいは残るだろうか?
するとジャミルがうれしそうに声を弾ませた。
「おや、フェレス様が参加されるのですか。でしたら私もお手伝いしないわけにはいきませんね」
魔王の代理戦争、ふたたび。しかも今回は代理同士が結託するわけだ。
とんでもないことが起きそうな予感がしてアンジェリーナは顔色を悪くする。
「ジャミル様、希少な魔獣達の生息域なので草木くらいは残してくれませんか?」
「残りますよ、草木の生えた領地をお金の代わりに我が国へ納品することになるかもしれませんが」
「……草木までむしりとる気ですか、おそろしい」
「命があるだけマシでしょう。お金で解決する、私は平和を愛する特級商人です」
アンジェリーナが呆然とした顔でそう言うと、微笑んだジャミルが連絡用の魔道具を手にする。
途端にアレスティオがうらやましいという顔をした。
「いいなー、みんな楽しそうだ」
「アレス様、戦力過剰です。ここはどうか静観で!」
「そうか、草木かー。よく燃えそうだなぁ」
「まさか物理なら手を出しても許されるとか思ってませんよね⁉︎」
「しょうがない、俺は普通に父へ報告する。アンジェリーナが絡むと反応が読めないからこわいんだけどなー」
しぶしぶという顔でアレスティオも報告用の魔道具を手にした。
反応が良すぎる気もするけれど、ここまでくれば気がつく。救われたような気持ちでアンジェリーナは頭を下げた。
「ありがとうございます。充填部を実際に見たわけではないのに、私の言葉を信じてくれて」
亡国セントレアの人々は見たものしか信じなかった。そのせいで無能の役立たずと呼ばれたアンジェリーナにとって、この状況は奇跡のようだ。
ジルベルトは小さく笑って、アンジェリーナの頭にそっと手を置いた。
「ようやく笑ったな」
「心配をかけて、ごめんなさい」
「かまわない。それよりも他に言っておきたいことはないか。気づいていないかもしれないがアンジュは今、そんな顔をしている」
「本当、よく見ていますねー」
ここまで言うつもりはなったけれど。
アンジェリーナは、きゅっと手を握った。
「正直なところ、三種の宝具が、あんなふうに私をだます道具として使われるなんて思ってもみなかったのです」
悪いのは人間で、道具は悪くない。それはわかっているのに。
空の充填部が奪うように魔力を引き抜いたとき、アンジェリーナは信頼していた存在に裏切られたと思ってしまったのだ。
「女王の聖杯だけでなく、他の宝具にも。ためらいなく魔力を注げるかと聞かれたら、今はできると言い切るような自信がないのです」
「アンジュ」
「相棒を信用できないなんて魔除けの聖女として失格ですね」
三人と一匹の竜に視線を合わせて、アンジェリーナは力なく笑った。
ほんの少し沈黙が落ちて、ジルベルトが口を開く。
「思い出すのが嫌でなければ公館でのことを少し話してもいいか」
「もちろんです」
「アンジェリーナが女王の聖杯に『会えてうれしい』と告げたことを覚えている?」
「はい、なんとなく。思わず言ってしまったのですが」
「あのとき女王の聖杯を起点にして、小さな魔法が動いたような気がしたんだ。魔法を認知できる私でも、ようやくとらえることのできるくらい小さな魔法だ」
話しながらジルベルトは記憶をたどる。アンジェリーナは驚いて目を丸くした。
「ですがあのときはまだ魔力を充填する前だから魔法は使えないはずですよ?」
「そうだ。それなのにアンジュが触れた指先に魔法が生まれた」
そういえば聖杯に触れたとき、彼は何かを言いかけていたような。
アンジェリーナの驚く顔を見てジルベルトは小さく笑った。
「私には女王の聖杯がアンジュという存在そのものに反応したように見えたよ」
「女王の聖杯が、私に?」
「何も証拠はないし、これは私の願望かもしれない。けれど女王の聖杯もアンジュに『会えてうれしい』と言っているみたいだった」
それなりに長くジルベルトのそばにいたから、アンジェリーナにはわかる。真面目な彼は、こんな状況で冗談を言うような人ではない。
アンジェリーナと視線を合わせて、ジルベルトは柔らかく目を細める。
「本来なら女王の聖杯は別物に生まれ変わっていたはずだ。それが外装だけでなく、充填部も昔のままの姿でアンジュと再会したことになる。二度と会えないはずのもの同士が出会って、あり得ないことが起きた。そう考えると奇跡みたいだ」
「そんなこと……」
「今回の件、女王の聖杯はラグイアーナ王国の思惑を利用してもう一度アンジュに会いにきた。そんなふうに考えることもできるんじゃないかな」
ハッと驚いて、アンジェリーナは指先を見つめる。そして指先を見つめたまま、ふっと笑った。
「そうかー。最後に相棒として私に忠告をしにきてくれたのかもしれませんね」
充填部が昔と変わらないからこそ、おかしいと気がついた。
アンジェリーナが二度とだまされることのないようにと、女王の聖杯は最後の仕事として助けにきてくれたのかもしれない。
アンジェリーナの頭をなでて、ジルベルトは表情を消した。
「女王の聖杯は我が国が責任をもって改修を終わらせる。この期に及んでラグイアーナ王国には文句は言わせない」
「ありがとうございます!」
お礼を言ったそのとき、アンジェリーナのおなかがぐうと音を立てた。場に沈黙が落ちて、おなかを押さえたアンジェリーナは黙って横を向く。
アレスティオと視線を合わせたジルベルトはくくっと笑った。
「元気になった証拠だな。さて食事にしようか」
「……そうですね」
「ここは宿泊客以外にも食事を提供するレストランとしても営業しているのです。この小魚を酢漬けにしたものと、小麦粉を練って麵のように長く伸ばしたものを野菜や海産物を使用したソースで食べる料理が女性には人気だそうですよ」
メニュー表を指したジャミルがいくつか注文して、料理が次々に運ばれてくる。ルベルもアレスティオの膝の上で果物をわけてもらって夢中になって食べていた。
ふと横を向くとアンジェリーナの視線の先で、レストランのテーブルに座る女性達が料理を堪能していた。どこまでも品よく、しとやかな彼女達をアンジェリーナはうらやむ眼差しで見つめる。
……同じ人間なのに、淑女の皆さまはおなかが鳴らないのかしら。
だとしたら、なんてうらやましい!




