第四幕 女王の聖杯の心臓
王都について、まずは宿をとった。
ジャミルから部屋の鍵を渡されたアンジェリーナは部屋の並びを見て、小さく首をかしげる。
いつも入口や階段から近いところにジャミル、次がアレスティオ、真ん中に挟まれるようにしてアンジェリーナの部屋があり、一番端の部屋にジルベルトの順になっている。宿が混んでいるときは並びが変わることもあるけれど、そうでなければだいたい一緒だ。
「そういえば、ジャミル様。部屋の並びに何か理由があるのですか?」
「急に顧客から呼ばれることもあるので入口付近の部屋を使わせてもらうのですよ。明け方や夜中に出入りしても他の人が気にならないでしょう?」
「そういうものなのですね!」
ジャミルはジルベルトやアレスティオに鍵を渡しつつ答える。
それぞれ部屋に荷物を置き、手紙の指示どおりにアンジェリーナは公館へと足を運んだ。今日は滞在許可を申請し、明日に公館へ運び込まれてくる女王の聖杯に魔力を流して試験を行うという段取りになっている。
寝ているルベルは宿でお留守番、残る四人で公館に足を運んだ。担当者に四人分の申請書を渡し、別室で待機する。
「誰か来たな」
ふと顔を上げて、ジルベルトが扉越しに探るような視線を向けた。
ひかえめに扉を叩く音がして返事をすると、すぐに扉が開いた。制服を身につけた護衛と思われる男性に続いて華やかな服装の男性が顔を出す。
白い襟のシャツに、細かい刺繍の入ったベストを身につけて。
優美で繊細な貴公子という雰囲気の人だった。物腰は柔らかく、ちょっと気が弱そうにも見える。
「ジルベルト、久しぶりだね」
「テオドーロ・マオレ・ラグイアーナ第二王子殿下」
相手の名を呼んだジルベルトは立ち上がってすかさず礼の姿勢をとる。それに倣ってアンジェリーナとジャミルも、礼の姿勢で深く首を垂れた。
鷹揚に礼を受けると、テオドーロは微笑んだ。
「皆、楽にしていいよ。あいさつがてら顔を見に来ただけだから」
「テオ、久しぶりだな!」
「アレスも。まさか竜騎士の君が国を出て、ここでこんなふうに会えるとは思っていなかったよ」
アレスティオは国は違っても王族同士、気安い態度であいさつを交わす。アンジェリーナはジルベルトの背後から話が弾む二人の姿をこっそり観察していた。
テオドーロ・マオレ・ラグイアーナ第二王子殿下……長いので呼ぶときは第二王子殿下にしよう。
彼はゆるやかに波打つ赤褐色の髪に薄茶色の瞳をしている。ラグイアーナ王国独特の装いは、アンジェリーナの目にも一級品だとわかった。身のこなしも洗練されていて、さすが王子と思わせる品の良さがある。
けれど何というか、全体的に影が薄い。
そこにいるだけで存在感が半端ないジルベルト様やアレス様を見慣れているからか、比べてしまうと希薄で目立たないという印象が強かった。
ふと、アンジェリーナは視線を感じて顔を上げる。いつのまにか彼の視線がこちらに向いていた。
「はじめまして。あなたがアンジェリーナ嬢?」
「さようにございます。お目にかかれて光栄です、第二王子殿下」
顔を上げたアンジェリーナはテオドーロと視線が合った。彼の甘い顔立ちに、艶めいた笑みが浮かぶ。
「きれいな人だね、ジルベルトがうらやましいよ」
「ええ、自慢の女性です」
真面目な顔で、ジルベルトはさらっと言い切った。
それだけでアンジェリーナの首筋が朱に染まる。
テオドーロは目を丸くした。
「溺愛というのは冗談ではないようだね」
ゆるく細めたテオドーロの目の奥に、つまらなそうな色が浮かぶ。
彼はアンジェリーナと視線を合わせた。
「王からアンジェリーナ嬢に伝言を頼まれてきたんだ。明日はよろしく、と」
「ご期待に応えるよう努めます」
アンジェリーナは微笑んで、もう一度深く首を垂れた。
テオドーロは一つうなずくと、すぐに視線を外す。それだけでアンジェリーナは彼の親しみやすさが表面だけのものだと察する。
見せかけだけで、アンジェリーナに興味がないことが丸わかりだ。
ジルベルトがテオドーロと視線を合わせた。
「念のため、今回の目的を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんかまわない」
「アンジェリーナがこの国に呼ばれたのは、完成した魔道具に魔力を流して動作に問題がないか確認するため、という認識でよろしいですね?」
「うん、明日の試験の目的はそうだと聞いている。それがどうかした?」
「いいえ、もう一度確認したかっただけです。ありがとうございます」
そう答えて、ジルベルトは深く首を垂れた。
元の身分は王太子でも、国を出た今はジルベルトのほうがテオドーロよりも身分が下になる。だから口調や仕草も含めて丁寧な態度を崩さない。
だが面を伏せたジルベルトの眉間に一瞬深く皺が刻まれるのをアンジェリーナは見逃さなかった。アンジェリーナは脳内でこれまでのやりとりを振り返る。
これまでの出来事に何か不審な点があるということだろうか?
アンジェリーナが探るような視線をテオドーロに向けた。そのとき、急に部屋の扉が開く。使用人と思われる男性が、彼に近づいて何事かを耳打ちした。
するとテオドーロの顔色が一気に悪くなる。無意識につぶやいた彼の声がアンジェリーナに届いた。
「こんなすぐ近くまで、アレが」
「アレですか?」
「いや、こちらの話だ」
とりつくろうような笑みを浮かべて、テオドーロは首を振った。
「では明日、大聖堂の九の鐘が鳴るころに。またここで会おう」
念を押すように言い置いて、テオドーロは軽い足取りで部屋を出て行った。扉がパタリと小さな音を立てて閉まる。
十分に時間をおいたところで、アンジェリーナは止めていた息を吐いた。
「はー、緊張しました。なんででしょうね、あいさつをしただけなのに」
「……何かおかしい」
「どうしました、ジル?」
ジルベルトは閉じた扉をじっと見つめている。そしてアンジェリーナに視線を向けた。
「入国審査も、さっきの第二王子の訪問も。こちらの反応を探られているような気持ち悪さがある」
「そうなのですか?」
「まずは入国審査で。玉璽の押された手紙を持つ人物は王の客人だ。なのに入国を止めるほうがおかしい。それから先ほどの第二王子の態度も、あの程度の伝言なら使用人をよこせば済む話だ。王子がわざわざ足を運ぶほどのものじゃない」
いつになくジルベルトの厳しい表情にアンジェリーナは眉を下げた。
「魔除けの聖女が無能で役立たずという悪い噂は、当然ラグイアーナ王国にも流れているはず。もしかすると私のことを見極めようとしているのではありません?」
どの国も最初のうちは似たような反応だった。アンジェリーナは探られるときの気持ち悪さをすでに経験している。慣れとはおそろしいもので、今はもうそんなものかなと思うようになっている。
けれどジルベルトは小さく首を振った。
「いや、試すにしても質が違う。気を抜いていたら大きな落とし穴にはまりそうな、嫌な感じだ」
「俺はそこまで作為的なものは感じなかったが……気にしすぎじゃないか?」
のほほんとした顔でアレスティオは首をかしげる。
一方でジャミルの孔雀石のような瞳もジルベルトと同じように閉まった扉の先を静かに見つめていた。
「私もジルベルトに賛同します。商人としての勘で、何か裏を感じますね」
「アンジュ。明日の試験では、細かいことでも違和感に気がついたら遠慮せず言っていい」
「いいのですか?」
「もちろんかまわない、責任は私が負う」
落ち着かせるように、ジルベルトの手がアンジェリーナの頭を軽くなでた。張りつめていた緊張がゆるんで、ほどけていく。
やっぱりジルは頼りになるなー。
ほっと息を吐いて、アンジェリーナは微笑んだ。
「ありがとうございます。何か気づいたらすぐ言いますね!」
「ああ、そうしてくれ」
視線を合わせて、二人いつものように笑って。
けれど最後までジルベルトの表情は硬いままだった。
ーーーー
翌朝。
勝負服であるローブを着たアンジェリーナは、礼服に身を包んだジルベルトと公館へと向かう。アレスティオとジャミルも宝具を見たいということで、二人に同行を申し出た。
公館に到着して昨日と同じ客間で待っているとすぐに扉が開いた。
一人の兵士が献上台を両手に掲げて部屋に入ってくる。彼は献上台をアンジェリーナの前に置いた。一礼して、兵士はかぶせてあった埃除けの布を取り去る。
「……懐かしいですね」
アンジェリーナの口から、そんな言葉がこぼれ落ちた。
女王の聖杯は、亡国セントレアでアンジェリーナが手入れをしていたときと変わらない姿を保っている。充填部が改修されたことで外装も変わってしまうと思っていたけれど、まったく変わっていないのは予想外だった。
魔除けの聖女だったころの習慣で自然と魔道具に手が伸びる。
「触れてもよろしいですか」
「もちろん、さあどうぞ」
微笑む兵士の言葉に手を伸ばしてアンジェリーナは聖杯に触れる。滑らかな金の感触も、鈍い光を放つ色合いまでも記憶に残るものと同じだ。
「……あ」
「どうしました、ジル?」
「いや、何でもない。気のせいだ」
何かに気づいたけれど、結局ジルベルトは何も言わずに口をつぐむ。アンジェリーナはもう一度、聖杯に触れた。
内部が改修されているはずなのに、ここまで変わらないものなのかな?
疑問が浮かんで、アンジェリーナはなぞるようにして触れていく。金属の表面を這うツタのような植物の彫刻、安定するようにと重さのある台座。時間をさかのぼるように過去の記憶がよみがっていく。
――――いいかい、アンジュ。台座のこの部分に充填部が隠されている。その部位は女王の聖杯の心臓だ。特に取り扱いには注意が必要だからね、覚えておくんだよ!
アンジェリーナの記憶に残るおばあさまは、聖杯を前に整備用の器具を握りしめて笑っていた。
聖杯にも、記憶に残るおばあさまにも。再会したことがうれしくてアンジェリーナの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。
「また会えて、うれしい」
歴代の魔除けの聖女が魔力とともに引き継いできた宝具はアンジェリーナにとってお守りのようなもの。決して裏切らない相棒のようなものだった。
「なるほど、宝具がどういうものかは知っているようだな」
唐突に知らない男性の声が聞こえて、アンジェリーナの意識が一気に現実へと引き戻される。あわてて声がした方向に振り向いた。
アンジェリーナの視線の先には初老の男性が立っている。兵士や使用人を従えて、華やかに品よく仕立てられた服をみにつけている。
明らかに高貴な身分であることがわかるうえに、背後にテオドーロが控えているのに気がついて、アンジェリーナは目を丸くした。
第二王子殿下よりも前に立つ初老の男性ということは、まさか……。
側近だろうか、これまた仕立ての良い服を着た身分の高そうな男性が高らかに告げる。
「ラグイアーナ王国、国王陛下の御前である。控えよ」
来るなんて聞いてない。
という言葉はゴクンと呑み込んで、アンジェリーナはおばあさま仕込みの礼の姿勢をとった。
「礼は省略でいい、魔除けの聖女の仕事ぶりを見に来ただけだ」
ラグイアーナ王の髪は赤褐色、瞳の色は淡い茶色。顔の造作も第二王子殿下と似かよっていて並ぶとたしかに親子だ。それだけでなく顔は笑っていても目が笑っていないところも彼と同じ。
二人の顔を見てアンジェリーナは思い出した。
目の奥に浮かぶ冷めた色は謁見の間で見たセントレア王のものと同じだ。アンジェリーナを道具としてしか見ていない人間の目。
国王陛下はあきらかに外向きと思われるきれいな笑みを浮かべて、アンジェリーナと視線を合わせた。
「さあ、唯一無二の魔除けの力を見せてほしい」
「かしこまりました」
拒否する理由もないのでアンジェリーナは静かに聖杯へと手をかざした。
充填部には器を通じて魔力が流れ込む仕組みだから、アンジェリーナは魔道具が望むだけ魔力を与えればいい。
――――はずだった。




