第十幕 二人目の容疑者は、優しい声
翌日、アンジェリーナは調査のためにアルメタニアの森の入口にいた。
「森と聞いていましたが、見渡す限り果樹園ですね」
「森はもっと奥だ。入口付近は開拓して果樹に植え替えたようだな」
隣に並ぶジルベルトがアンジェリーナの手元にある地図をのぞき込んだ。
果樹園の精細な地図、でも聖なる果樹がどこにあるかは書かれていない。
「聖なる果樹を隠すために果樹園にした。そういう意図があったのかもしれないな」
「果樹のある場所は警備が厳重でしょうね。問題がなければ、森の少し奥のほうまで足を伸ばしてみません?」
「そうだな。魔のつくものの気配は?」
「あるのですが……ばらけているというか、少々遠い気がするのです」
「ずいぶんあいまいな言い方をしているな?」
アンジェリーナが眉を下げるとジルベルトが怪訝そうな顔をする。
「何か別の気配がするのです、強い力をもつ何か。それと気配が混ざってわかりにくくなっています」
少し考えこんでいたジルベルトが、思い出したように口を開いた。
「そういえば聖なる果樹には『蛇が棲んでいる』という言い伝えがあるらしい」
「ここでも蛇ですか!」
アンジェリーナは思わず声を上げた。
リゾルド=ロバルディア王国の魔の巣窟で、魔窟の主が呼び出した蛇はどこからきたのか。各国を巡りながら、それをアンジェリーナは探している。
「『蛇は聖なる果樹を守る、葉の陰に身を隠して人に姿を見せることはない』。昔、王城の書庫にある古い文献でそんな記述を読んだ。本当かどうかはわからないが」
「知恵袋にも書いてあるかもしれませんね、後で調べてみます」
「そうだな」
アンジェリーナの頭をさらっとなでて、ジルベルトは周囲を見回した。
「このあたりは防犯用なのか、魔法も使われているみたいだ。認識阻害、隠匿。想像以上に厳重だ」
「魔のつくものの気配が読みにくいのはそういう魔法のせいでしょうか。ですが私は人の使う魔法は感じないはずなんですけれどねー?」
対魔特化のアンジェリーナは人の使う魔法が感知できない。でも感覚が狂うというのか、この場所では魔獣や魔物の位置が特定しにくいところがある。
首をかしげてから、アンジェリーナは入口を指した。
「時間ですし、そろそろ入りましょうか?」
「そうだな、アレスティオを呼び戻すか」
ジルベルトの指す先で、アレスティオは店員と話しながら大声で笑っていた。
果樹園の入口には収穫した果物が売っている。店の前には瞳をキラキラさせているルベルと、籠に盛った山のような果物の代金を支払うアレスティオの姿があった。
「おー、待たせたな!」
軽やかな足取りでアレスティオが戻ってくる。抱っこされた状態のルベルは果物にかじりついていた。周囲に果物の甘い香りがただよう。果物の汁が付いたルベルの口元を布で拭いながら、アレスティオは幸せという顔をした。
「この果樹園は天国みたいな場所だ。ルベルの好きな果物ばかりを育てている!」
「ずいぶんとたくさん買ったみたいだが、それを全部園内に持っていくのか?」
「いいや、先に食べさせようと思って。おなかがすいて、ルベルがうっかり収穫前の果実を食べてしまったら申し訳ないだろう」
「たしかに。なら、あの長椅子に座るか」
ジルベルトは、屋外に休憩用としておかれた長椅子を指す。椅子に座ったアンジェリーナは、そういえばと周囲を探した。
「あれ、ジャミル様は?」
「まだだ、そういえば遅いがどうしたのだろう」
「いつもは時間どおりに戻ってくるのですけれどね」
出発の予定時刻はとうに過ぎている。
――――
その少し前、ジャミルは集合場所へと向かっていた。宿の手配を済ませ、依頼人に商品を届けていたため到着が集合時間ギリギリになってしまった。
……その代わり満足のいく商品が手に入った。
いつになく機嫌のよいジャミルの進行方向に突然、侍女と思しき女性が立ちふさがる。ぶつかりそうになって、仕方なくジャミルは立ち止った。
「何か御用でしょうか?」
「ジャミル・ラシムール公爵子息とお見受けしました」
「そうですが、あなたは?」
「とある高貴な方が、特級商人であるあなたに特別な依頼を出したいそうです」
「高貴な方とは誰です?」
侍女はあいまいに微笑んで明言をさける。
その態度で逆にジャミルは相手の予想がついた。
「なるほど、いいでしょう。では商品は?」
「ヴェルニローザ呪王国、呪術師の忘却薬」
「ずいぶんと物騒な物を所望されますね。どの国でも輸入が禁止されている禁忌薬。見つかれば私もただでは済まない。それをわかって言っているのですか?」
微笑みを浮かべながらジャミルは声をひそめる。
ヴェルニローザ呪王国、呪術師の忘却薬。かつて王が他国に嫁ぐ愛しい人を忘れるため呪術師に望んだという曰くつきの品だ。意図せず悪用されることを防ぐため、禁忌薬とされている。
にこやかに微笑んだ侍女とジャミルの姿は周囲から見れば世間話をしているようにしか見えないだろう。
「もちろん。それでも我が主人は所望しております。正義を成し、囚われの王子から魔女の記憶を消し去るために」
きっと彼女は自覚がない。主人のために自分は正しいことをしているという認識しかないのだ。そしてこういう人間ほど何をしでかすかわからないこわさがある、そのことをジャミルはよく知っていた。
世間話の続きをしているかのように装って、侍女はさらに言葉を重ねる。
「あなたにも益がある。記憶を失えば、囚われの王子の心は我が主のもの。そして魔女もまた、あなただけのものに」
すでにこちらを仲間と認識しているような気安い態度にジャミルは探るような視線を向ける。
「国同士の利害も一致しています。あの魔女に褒賞としてセザイア金貨を与えたと聞きました。帝国がそこまでするのは彼女がほしいからではありません?」
……敵の敵は、味方。なるほど、そういう手を使うか。
ほんの少しだけ考え込んだジャミルは口角を上げた。欲に駆られたようなジャミルの顔を見て、侍女は表情にほんの少しだけ悪意をのぞかせる。
「いいでしょう、まずは話を聞きましょうか」
「あなたならそう言っていただけると思っていましたわ。さあ、こちらへ」
一軒家の裏口が静かに開いた。ジャミルは周囲を確認して扉の奥へと消えていく。
―――――
「お待たせしました、遅くなって申し訳ありません」
「どうした、珍しいな。連絡もなく遅れてくるなんて」
「途中で急な商談が入っただけですよ」
いぶかしむジルベルトにジャミルはそっけなく答えて肩をすくめる。
「今ならまだ日没までには戻ってこられますね。さあ、行きましょう」
空を見上げて太陽の位置を確認するとジャミルは珍しく先頭に立って歩きだす。アンジェリーナには、ジャミルの後ろ姿はいつもと変わらないように見えた。
……まあ、たまにはそういうこともあるよね。
それ以上は不思議に思うこともなくアンジェリーナは彼の背を追った。
「おー、果樹園の敷地は広いですね! リンゴ、オレンジ、レモン、足元には野イチゴまで。果物の色が帯みたいにつながって織物みたいですね!」
果樹園は敷地に果樹を種類ごとにわけて植えている。園内には柵がなく、視線をさえぎるものがないせいか、アンジェリーナが想像していたよりもずいぶんと広く見えた。
果樹園ではたくさんの人が働いている。日差しをよけるつばの大きい帽子をかぶっているから顔や表情はわからないけれど、収穫の時期だからか忙しそうだ。
そのうち男性の一人が、顔を上げた。
「……え」
「何か?」
男性と視線が合ったアンジェリーナは首をかしげる。途端に男性は視線をそらして仲間の元へと走っていった。彼らはこちらを見ながらひそひそと会話を交わしている。
「何でしょうね?」
「……あまり雰囲気が良くないな。アンジュ、できるだけ離れないように」
ジルベルトが先頭を歩く。次いでアンジェリーナを真ん中にして、寝袋に収まったルベルを担いだアレスティオにジャミルが続いた。
畝というのだろうか、土を盛り上げたところに果樹の苗を植えてある。低くなったところが踏み固められて自然に道となった感じだ。道を歩いて果樹の隙間を潜り抜けていたアンジェリーナは、ふと顔を上げる。
「あれ?」
魔のつくものと人の気配の隙間に、別の気配がある。アンジェリーナははじめて触れる気配の出所を探った。すると果樹で隠されたような場所に細い道が続いているのが見える。ジルベルトを見上げて、アンジェリーナは細い道を指した。
「ジル、この先に何かあります」
「そうなのか、私には行き止まりにしか見えないが……」
探るようにジルベルトは目を細めた。そして軽く目を見開くと、大きくうなずいた。
「人の目をあざむく魔道具が設置されている。よく気がついたな!」
「気がついたのは何かの気配が、あの道の奥へとつづいているからです」
「何かの気配……っと、どうしたアンジュ?」
あわてたようなジルベルトの声が遠くに聞こえる。
アンジェリーナはまるで熱に浮かされたように細い道の先へと踏み込んだ。入り組んだ道を、迷うことなく前へ、前へと進んでいく。後ろをついていきながら、アレスティオは思わずジルベルトにささやいた。
「アンジェリーナはまるで道を知っているかのようだな!」
「たまにああいうときがある。今のアンジェリーナは導きを受ける聖女なんだろう」
「あれが……雰囲気が普段とは別人だ」
するとアンジェリーナの足が一瞬止まった。
「歌……、歌声が聞こえる」
霧の奥へとふたたび導かれるようにして、アンジェリーナは森の深い場所に踏みこんだ。その背を追いながらジルベルトは耳を澄ませる。
「たしかに歌声だ」
「異国の歌か? 音の響きが独特だ。それに不思議な声だな!」
「ええ、思わず引き込まれてしまう。アンジェリーナが後を追う気持ちがわかりますね」
ジルベルトの言葉を聞いたアレスティオが耳をすませて後に続き、その背後からさらにジャミルが続く。
きっとこの先にセイレーンがいる、誰もがそう思っていた。
一気に霧が晴れて、アンジェリーナは立ち止った。
「あった、ここだ」
澄んだ水の流れる川、大地を埋めつくすように可憐な花が咲いている。小動物が戯れる先には色鮮やかな翅の蝶が優雅に舞っていた。
そして美しいものを集めたような場所の中心には、赤い実を実らせた大樹が果樹園の主としてゆるぎなく君臨している。悠々と天へ枝を伸ばして、風に葉を揺らしていた。
豊かな生命の力を感じる。誰に教えられたわけではないが、アンジェリーナは目の前にあるものが何かを理解した。
「これが聖なる果樹……」
知恵袋によれば、聖なる果樹は契約者に守護と安寧をもたらすそうだ。この木になる果実は万病に効く薬と言われている。
誰の目から見ても、ここは奇跡のような場所に違いない。
呆然と言葉を失っていたアンジェリーナは背後から強い視線に射抜かれてハッと我に返った。
「……だれ?」
自分のものではない声がして、アンジェリーナは急いで振り返った。視線の先にはいつの間にか一人の女性がいる。
冷たく見えるほど整った顔立ち。すっときれいに伸びた姿勢と、身のこなしにはどことなく品がある。赤褐色の髪をした彼女は質素なワンピースに身を包み、下半身は川の水につかっていた。逃がさないようにと、アンジェリーナはゆっくりと近づいた。
「先ほど歌っていたのはあなたですか?」
「いいえ、私は知らないわ」
不思議そうな顔で、女性は首をかしげる。
彼女の表情だけでは嘘か本当かわからない。しかもエリティアと同様に彼女からも魔のつくものの気配はしなかった。
だが何よりもアンジェリーナが驚いたのは彼女の声だ。
……なんて優しい声。
ささやく声も愛にあふれ、心にしみる。触れられるなら手を伸ばして、声に触れたいと願うほどに美しい声だった。王女殿下とは違う意味で、神に選ばれた者だけが与えられる特別な声。
アンジェリーナが丁寧な言葉遣いを選んだのは無意識だった。
「アンジェリーナと申します。あなたのお名前をおうかがいしても?」
途端に、彼女の視線が警戒するように鋭くなった。
「アンジュ!」
斜めうしろにある草むらからジルベルトの声がする。ほんのわずかな時間、アンジェリーナの意識が女性からそれた。
「ジル、こっちですよ!」
「声が聞こえた、誰と話している?」
「こちらの方です」
追いついてきたジルベルトに女性がいるほうを指すと、ジルベルトは眉を寄せる。
「誰もいないが」
「ええっ!」
驚いたアンジェリーナが振り向くと、女性の姿は消え失せていた。
魔法を使ったみたいに、一瞬の出来事だった。
「まさか……泳いで逃げた?」
「もしくはこの草むらの影にある細い支流から先へと逃げたかだ」
ジルベルトの指す先には、ふたたび立ち込めた霧の先に草と木々に隠されて陸地へと続く細い流れがある。流れる水を目で追ったアンジェリーナは、彼女の下半身が水につかったままだったことを思い出した。
まさかあの隠された下半身には、セイレーンのような鱗のついた尾びれがついていているなんてことはないわよね?
想像して、アンジェリーナは黙り込む。川の流れる先を視線で追いながら、ジルベルトはささやいた。
「その女性がセイレーンか?」
「わかりません、ですが可能性は高いと思います。もしあの歌を、彼女が歌っていたとすれば」
思い出したようにアンジェリーナは鞄を探った。
おばあさまの知恵袋か、もしくは歴代のおばあさまが残した覚書か。とにかくどこかに書いてあったような気がする。
「ジル、あの歌ですがちょっと変わっていると思いませんでしたか?」
「そうだな、アレスとも話していたが音の響きが独特だ」
「そうそう、それに歌詞がわからない。あれ、もしかして古語か?」
ジルベルトの背後から追いついてきたアレスティオが話に加わる。
「私も一部を聴いただけなのでわかりません。ですがわかったこともあります。女性は歌う声に魔力を込めていました。あの独特な響きをもつ曲も歌詞も、魔力を込めて歌うために作られた特別製かもしれません」
アンジェリーナは少し前の出来事を思い出していた。
ジルベルトは王女殿下の声について、何と話していたか。
「私、王女殿下の声を聞いても魔力がこもっていることに気がつきませんでした。ですが今回はすぐに魔力の存在に気がついたのです。理由は一つしかありません」
鞄を探る手を止めてアンジェリーナはジルベルトと視線を合わせた。
「私が対魔特化だからです」
「アンジュ、それはどういう意味だ?」
「あれは人を呼ぶ歌ではありません。むしろ魔のつくものにこそ絶大な効果を発揮します。もちろん歌声や波長が好みと合って、人が引き込まれることはあるかもしれませんが……少なくとも人の心や体に直接被害を及ぼす類いのものではありません」
アンジェリーナは一度切って、ふたたび言葉をつないだ。
「類まれなる声と、あの歌。両方が作用して魔獣や魔物の思考を支配します」
そしてジルベルトにだけ聞こえる距離でささやいた。
「シーサーペントのときと状況は同じです。私のほかにも、魔を寄せることができる人間がいるかもしれない」
途端にジルベルトの顔色が悪くなる。アンジェリーナは小さくうなずいた。ジャミルもアレスアレスティオもアンジェリーナに魔寄せの力が備わっていることを知らない。だから彼らには言えないけれど、ジルベルトなら、ここまでの話の流れで気づいたはずだ。
あの歌は魔寄せの力に近い効果をもたらす。
だからアンジェリーナは歌に潜んだ魔力の存在に気がついた。アンジェリーナは該当する箇所を探して知恵袋の頁をめくる。
「セイレーンの歌について。たしか、どこかに記述が……あった!」
ようやく頁を開いてジルベルトに見せた。
「魔唱、か。はじめて聞く言葉だ」
「簡単に説明するなら、魔のつくものを使役する歌唱法です。船を沈めるため、セイレーンは歌にこめた魔力を対価に魔物の力を借りることがあるそうです。セイレーンのことを魔唱姫と呼ぶのはこれが彼女達の武器であるところからついたようですね」
アンジェリーナはセザイア帝国で海の魔物に試した実験の結果から、魔獣や魔物によって好む魔力に違いがあることを学んだ。
ジルベルトにだけ聞こえる距離で、アンジェリーナはそっとささやく。
「魔唱とは、歌い方や魔力によって対象を限定する魔寄せの力なのかもしれません」
「特定の魔物にだけ効く。呼び寄せることもできるわけか」
「はい。そしてこの部分を読んでいただけますか?」
アンジェリーナは知恵袋の一部分を指した。ジルベルトは目で追って、声に出す。
「セイレーンは複数の個体が集まり、群れをなす。仲間を増やすほどに、魔唱は力を増していくだろう」
アンジェリーナが何を言いたいのか。
その先につながる言葉を想像したジルベルトは一瞬言葉を失った。
「魔唱姫は一人ではなく、複数いる可能性がある。まさかそう言いたいのか?」
「もしセイレーンが複数いるのであれば、運河と森という別々の場所で見かけたということも理由がつくと思いませんか?」




