45__エスファニアの魔法使いと アルハザード伯爵
お久しぶりです、毎度ですが。
今回はエスファニア王国が舞台で、大部分は 好奇心旺盛な青年伯爵が過去を回想していると云う お話です。
タイトル詐欺な気もしますが、嘘はついてないと云う事で ご勘弁を。
では、どうぞ。
エスファニア王国 / 15時半
___視点:エスファニア王国 伯爵 - ロデュウ=グレン=アルハザード___
遅めの昼食会を終えた俺は、陽当たりのいい庭で その時を待っていた。
此処は、東の翼棟に近い。
翼棟から この庭に降りる螺旋階段が見える場所だ。
翼棟の中には 内階段もあるが、怕らく ファニーナなら外階段を使う。
そう惟って、此処に陣取っていた。
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___ あんなに冷静なガキがいて堪るか。___
半年前、或る出来事が遭った後 フェインとセーレンに言った言葉だ。
今も そう惟っている。
その頃『雪が降る頃に13になる』と言っていたが、どう見ても 子供には惟えなかった。
表情-然り、態度-然りだ。
勿論、見た目は 当人の自己申告-通り ガキの姿をしている。
だが、あれは子供のフリをしているにすぎない。
それも、何処にでもいそうな 無害で非力な子供のフリを、だ。
尤も、知り合う前から、魔法使いで 国王の恩人だと知っていた。
この城の者なら、下働きの者達でも知っている事だ。
だから、無害で非力と云うのは 語弊でもあるんだが。
《 アレは 面白い女だ。》
出会った時から 容姿も年齢も詐っていて、素性や名前すら明かさない。
驚く程 勍い魔法使いだが、その仂を揮う事は稀だ。
魔法を使う攸は 幾度か見てきたが、大概 小さな魔法だった。
水を湯に変えたり、何処からかモノを出したり仕舞ったり。
手を使わずに、離れた窓や扉を開けたり閉めたり。
その程度のものが多い。
まぁ、ファニーナの魔法は 俺にとって『瑣々やか』ではなかったが。
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俺が 初めてファニーナに出会ったのは、半年前だ。
丁度、強欲無比な王と名高かったサマリア王国の前王が この国に興味を向けていた。
この前年に 優秀な執政官を喪っていた事も、悪い方向へ影響した。
我が王は 20歳と若く、脇を固める俺達も 歳若い者ばかりだ。
個々の実力は別として、嘗めて掛られる条件が揃っていた。
元は小国と雖も、ブルネア王国とフォルモーサ王国を入手し増長した かの王に狙われる要素も揃っていた。
それでも、フォルモーサ王国の様に 即-戦争に発展しなかったのは、この国が 険峻な山脈に囲まれていたからだ。
容易には越えられない 嶮しい山々が、強欲王の枷となった。
軍を率いて越えられる峠じゃないと判断した強欲王は、穏便な手段をとる事にしたんだろう。
或る日、書簡が来た。
___ 隣国となった ご挨拶に ___
緻い部分は忘れたが、そんな出だしだった。
これからは 友好国として関係を持ちたい。
国交を結び、貿易を肇めとした 凡ゆる関係を
良好に保ちたい。
延いては、歓迎の意を表して 宴を催したい。
要約すると こんな内容だ。
書簡に睛を通した俺達は、鼻で嗤った。
周辺国を 一方的に攻め込む形で自国の領土とした王の誘いを受ける莫迦が何処にいるのか、と。
みすみす暗殺されに出向く阿呆だと惟っているのか、と。
同時に、全員が 仄暗い笑みを泛かべた。
『 嘗めて掛かるなら、構わない 』
『 戦争でも何でも 受けて立とう 』
真っ先に そう言ったのは、フェインだった。
元々、この国の貴族は 好戦的な奴が多い。
事実、誰も彼もが 闘う術を持ち、子女であっても 武芸に秀抜している。
王侯貴族は護られる存在だ、など この国では通用しない。
貴族こそ 先陣に立って民を護るべきである、と云うのが エスファニアの常識だ。
歴代の国王にも その気質はある。
フェインも、例に漏れず 好戦的な部分がある。
普段は 只管にこにこしていて穏やかな奴だが、血は争えない。
城下街に盗賊でもでれば、真っ先に剣を把る。
其処に迷いなどない。
寧ろ、嬉々として狩りに征くだろう。
…………まぁ、俺も 他人の事は言えん。
そんな訳で、フェインの反応は いつも通りの事だった。
想像の範疇であり、驚く事でもない。
或る意味、この国の貴族達の気持ちを代弁したと言っても過言ではなかった。
この国を敵に回す覚悟があるなら来い。
返り討ちにしてやる。
淡く笑んだ蒼い睛の奥で、恚りの炎が燃え上がっていた。
これについても、俺は人の事を言えん。
エスファニアに手を出した事を 地獄で後悔させてやる、くらいには惟っていたからな。
そんな俺達を諭したのは、セーレンだった。
戦争になれば、多くが失われる。
自国に攻め入られる事がなくとも、
犠牲が出ない戦はない。
先陣に立つ者達を 無暗に危険に晒してはいけない。
セーレンは、そう言って 勇む俺達を止めた。
俺と遜色ない格躰に、初めて見る者が怯むくらい厳つい顔をしていても、セーレンは 優しい奴だ。
この時も、真っ先に 戦争の回避を訟えた。
その上で、別の方法を提示した。
___ かの王達を エスファニアへ招こう。___
王侯貴族の猛獣狩りに招き、この国に手を出す者の末路を思い報せてやればいい。
俺達が 惟い通りになる様な者達ではないと、その睛で見るがいい。
それでも 侵略に践み切る様なら、俺達の恚りを その身で受けるがいい。
そう云う意図を含んだ提案だった。
こちらが強者であると証明し 侵略を惟い留まらせる手段として、実に平和的でいい。
セーレンの案に、俺達は 二ッ返事で賛成した。
早速 誘いの書簡を出すと、程なくして 来訪する旨を記した返事が来た。
俺達は 仄暗い笑みのまま、歓迎の準備に奔走していた。
俺を肇めとする 数名の貴族は、国内の些細な異変も見遁さない様 各所の見廻りを。
これは、国内に間諜や暗殺者などが入り込んでいないか 洗い出す為のモノだ。
フォルモーサ王国の 二の舞を演じる訳にはいかない。
小さな集落に至るまで 念入りに行う事になった。
その間、フェインやセーレンは、歓迎の舞台となる狩場のチェックを。
秘書官達は、狩りの間の食事や天幕の準備を。
其々が、抜かりなく整える為 各所で忙しく動いていた。
そんな時だった、フェインが大怪我をしたのは。
狩場の下見の為に〔岩磐の谿〕へ入った処で、猛獣に襲われたのだ。
この猛獣は この谿の固有種で、爪と牙に 猛毒を持っている。
掠っただけで傷が出来る鋭い爪牙に、患部から徐々に傷壊死してゆく 慄しい毒だ。
擦り傷だと油断して放っておけば、毒は全身に回り 死ぬ事になる。
この毒の慄しい攸は、解毒薬が存在しない事だ。
長年 多くの者が 樣々な角度から研究をして 解毒薬を作ろうとしたが、叶わなかったらしい。
後に、ファニーナから あれが魔獣であると教えられた。
曾て この地にいた魔女が創り出した魔法生命体だと云うのだ。
道理で 凶悪で凶暴な訳だ、と 妙に納得した。
そんな訳で、二の腕を引き裂かれたフェインが侑かるには、毒が回る前に 患部を切り落とす以外の方法はなかった。
惶てた従者達に 拠点となる〔森の門〕まで連れ戻されたフェインの傷を見て、セーレンも 苦渋の決断を逼られた事だろう。
処置をするにしても 一刻も早く、そう惟う中 2人の前に現れたのが ファニーナだった。
王の愛猫に導かれてやって来た少女は、農村の娘の様な格好をしていたと聴いた。
〔森の門〕は〔岩磐の谿〕の入口にある。
王侯貴族の狩場である以上に、獰猛な獣が棲まう谿へ一般人を近付けない為にある。
故に〔森の門〕の住人は、狩場の管理をしているベテランの猟師だけだ。
人数は 16名、特殊な土地だけに 大人しかいない。
当然、近隣に他の町村もない。
そんな場所に、いる筈のない農民の子供が現れたのだ。
フェインとセーレンの驚きは深かったそうだ。
だが、酷く おどおどした様子でテントに入って来た少女を前に『誰だ』とは言い出せなかったらしい。
傷の状態も忘れて 驚いていたフェインの前まで来たファニーナは、服の上から傷を見遣った後 その解毒をして去ったらしい。
ほんの少し談したそうだが、それも 殆どがシエルに談し掛けただけで。
唯一、直接 声を掛けられたのは『其処の瓶をください』だったとか。
後日、王城で その譚を聴いた時には意味が判らなかった。
魔法を睛にした2人が興奮していて、譚の核心に觝れると 途端に要領を得なくなる。
兎に角 凄いんだ、あの子に侑けられたんだ、と そればかりだ。
だから どうやって解毒したのだと訊けば『花が出て 光りになって 黒い靄が出たんだ』と返された。
簡潔すぎて意味が判らん。
欲しいと言われた瓶は どうしたと訊けば『靄を入れて持って往った』と言う。
駄目だ、要領を得ん。
フェインが侑かったのはいいが、何処の誰かも訊かずに帰すなど有り得ん。
而も、礼すら言えなかったとか。
益々 有り得ん。
普段は抜け目ないクセに、何故 きちんと確認しなかったのか。
全く理解出来ん。
『 兎に角 捜せ、早急に捜せ、そして 会わせろ 』
そう念押しして 国内の見廻りに戻る為に王城を迹にした翌日、その魔法使いは 王城へやって来た。
俺がファニーナに会ったのは、その更に数日後。
途中報告の為に 王城へ立ち寄った時だ。
初めて会った印象は、愨しそうな少女だった。
愛らしい顔立ちをしているものの 特に眼立った攸のない、何処にでもいそうな子供だった。
フェインが用意した豪奢なドレスに着られている感のある少女だった。
とても 魔法使いには惟えなかった。
子供だとは聴いていたから 喫驚を表には出さずに済んだが、予想外だった。
魔女と云えば、傲慢で威圧的で排他的な存在だ。
御伽噺でも、軒並み そう語られている。
フェイン達の譚で違うらしいとは感じていたが、謙虚な魔女など想像が付かなかった。
どちらかと云えば『本性を匿している』のではないかと疑っていた。
勿論 これは俺の勝手な思い込みで、事実 ファニーナは穏やかな気質の女だった。
まぁ、セーレンの人を見る眼は確かだから 疑った俺が愚かだったのだが。
兎に角、出会った頃の俺は ファニーナに関心があった。
平凡な姿や 無力そうな姿をしているのは『周囲を欺こうとしている為』だと惟ったからだ。
魔法使いであると云うのに 魔法を使わない。
自由に昊を翔ぶ事も出来ると云うのに、一般人と同じ様に歩いて移動する。
複雑な城の中であっても 狩りの拠点となる〔森の門〕への移動であっても、だ。
これが、俺の睛には欺瞞に映ったせいだ。
そんなファニーナが使う魔法を睛にしたのは、サマリアの一同を迎えた〔森の門〕でだった。
最初の魔法は、冷めかけのポッドの湯を 一瞬で沸かせるものだった。
次の魔法は、何処からか大量の本を出し それを何処かへ仕舞った。
3度目の魔法は、突如 倒れたサマリア王子達を救うべく 揮われたものだった。
4度目の魔法は、何処かから花を出し それを光りに変えて恢復を促す茶を淹れた。
どの魔法も 俺の興味を惹いた。
魔法を見る事-自体 初めてだった。
どれも凄いと感じたが、3度目の魔法は 特に凄かった。
桁違いだった。
場所は〔森の門〕で、サマリアの王侯貴族を招いての狩りの 2日目の夕刻だった。
俺が サマリアの2人の王子達を案内している時、突然 雨が降ってきた。
秋を迎えた この時期に、この地方に雨が降る事は珍しい。
而も、あっと云う間に小雨とは云えない降りになった。
突然の雨を避ける為に、近くにあった フェインの天幕へ立ち寄った。
その時には 敲き付ける様な土砂降りになったが、すぐに熄むだろう。
フェインも そう言って、図らずも 両国の王家を含む4人での歓談が始まった。
狩りの誘いにのって エスファニアへ来たサマリアの王族は、サマリア王と 2人の王子達だった。
後妻は フォルモーサ城に残り、この国へは来なかった。
身重である事を理由にしていたが、どうやら 事実らしい。
善くない噂が立つ王妃だけに、エスファニア一同 安堵したのを憶えている。
2人の王子達は、22歳と20歳。
彼等は サマリア王の前妻の子で、戦傷の残る顔とは裡肚に 穏やかな人間だった。
勿論、戦闘になれば違うのだろうが 血の気が多いだけの莫迦ではなかった。
特に、第一王子のグレアムは 思慮深い印象だ。
どうやら 強欲なのは、サマリア王と
王妃だけらしい。
直接 言葉を交わした事で そう考えを改めた頃、サマリアの第一王子と第二王子が、突然 倒れた。
その場には かの国の2人の王子と、フェインと俺、そして フェインの愛猫-シエルだけがいた。
雨が急な事だっただけに、茶の用意もなかった。
口にした物と云えば、それまでフェインが飲んでいた葡萄酒だけだ。
勿論、俺も口を付けているが 何ともない。
それだけに 苦痛を訟える2人の様子に動揺した。
吾に還り 床に倒れた2人へ伸ばした救護の手は、シエルに阻まれた。
これに フェインが遵った事も不思議だったが、尋ねる暇はなかった。
シエルが 天幕を飛び出した直後、フェインは 俺に2ッの指示を出した。
1ッは サマリアの王子達は王の天幕で親睦を深めているので邪魔をしない様 侍従達に徹底させる事。
もう1ッは、空いた葡萄酒の瓶を数本 持ってくる事。
ご丁寧に コルク栓も忘れるな、と云う注釈付きだ。
侍従官への伝言は理解出来る。
こんな状態を知られるのは 非常に 拙い。
賓人を毒殺しようとした、などと言い掛かりを付けられては敵わない。
これが戦争の引き金に利用される確率は高いのだ。
人の口に戸は立てられない、ならば 知られる危険性は徹底的に潰すしかない。
だが、空き瓶のほうは謎だ。
この緊急事態に対し、一体 何の役に立つと云うのか。
訳など判らなかったが、問う時間すら惜しまれる状況だ。
俺は、二ッ返事で天幕を出た。
急ぎ 指示を熟して戻ると、其処に ファニーナとセーレンがいた。
シエルが戻っていた為 あの猫が呼んで来たのか、と 若干 有り得ない事を考えた。
ファニーナは 2人の王子の横に膝を折り、觝れたかと訊いてきた。
フェインが否定すると ほっとした表情を見せる。
何か良くないモノが 王子達の不調に繋がったのだと察せた。
その何かは、觝れるだけで影響を与える慄しいモノだと云う事も。
直後、ファニーナは 俺が持って来た瓶を床に陳べ、それを見たフェインとセーレンが 俺を引いて天幕の際まで退がった。
何が起きるのかと訊くより早く、ファニーナの手の中に花が現れた。
小さな花の束だった それは、すぐに光りの塊に変わり 王子達の上に浮かんだ。
そして、ひらひらと光りを零し始める。
直径-40センチの光球から隕ちる 小さな光りは、まるで 舞い散る花葩の様だった。
小さな光りの粒が降り注ぐと、王子達の軀から 靄が滲み出る。
黒い、どろりとした靄だった。
気体のクセに 粘性のある見た目の、晣らかに良くない何かだ。
知識もないのに 危険なモノだと本能が訟えるモノだった。
《 あぁ、フェインとセーレンの説明は、存外 的を射ていたのだな。》
確かに『花が出て 光りになって 黒い靄が出た』状態だ。
フェインが魔獣の毒にやられた際も、こうして解毒したと云う事か。
ならば、今は解毒している最中となる。
サマリアの王子達は、狩りの間は どちらの王子にもお守りを附けていた。
第一王子-グレアムには セーレンが、第二王子-ノイマンには メロヴィング子爵の第一子-レオナールが、其々 附き添っていた。
彼等が傍にいて、怪我などさせる訳がない。
何撰り、あの毒は 狩りから戻って何10分も経ってから症状が出るモノではない。
だとすると、別の要因で この状況に至っている事になる。
サマリア王国は、内部の状態が良くない国だ。
となれば、何者かが王子達の衣服に毒を仕込んでいたのではないか。
それが、雨に濡れた事で 肌に染み込み始めたのではないか。
俺は 眼の前の光景に驚く反面、何処か冷静に そんな考えを繞らせていた。
その間も、ファニーナは 淡々と作業をしていた。
王子達から出た黒い靄は、ファニーナが示す瓶に素直に入ってゆく。
そうする内に、ファニーナが 眉をひそめた。
王子達の頭から始まった解毒の光りは徐々に移動し、丁度 脚に差し掛かった攸だった。
黒い靄の量が倍増し始めたのだ。
線の様に揺蕩っていた靄は 腰の辺りで倍になり、太腿に差し掛かると 更に倍増した。
其処からは、解毒する程に 靄の量が倍増し続けた。
そして、ブルブルと震えて起き上がった。
粘性の靄は 輪郭の朧げな人型になり、王子達の軀から滲み出ていた。
丁度 上体を起こした様な形だ。
頭部だと思しき部分には 鈍く光る眼まである。
流石に 驚いたのだろう。
ファニーナが、小さく疑問の声を零した。
途端に、靄の化け物が ファニーナを襲った。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
俺達は、解毒を始める前に『声を発するな』と指示をされていた。
勿論、ファニーナにだ。
そのファニーナが、信じられないと云った顔で 人型の靄を見詰め、声を発した。
たった一言『どうして』と。
直後、靄が反応した。
鈍く光っていた眼は 爛々と輝き、その下に 三日月型の大きな口が現れた。
にたりと嗤った それに、肌が粟立つ。
明確な殺意が宿ったモノだと、感覚的に理解させられた。
眼はファニーナを見付け、晣らかな殺意を向けている。
そして、胴体と思しき部分から 2ッの腕が伸び、ファニーナへ襲い掛かった。
ファニーナは、靄から ほんの2メートルの位置に座っていた。
元々 王子達の傍に膝を折っていただけに、靄との距離も近かった。
襲い掛かってきた靄の腕を、ファニーナの左手が無造作に振り払った。
あれに觝れたら どうなるか、そう惟って 俺達が息を飲む刹那、小さな音が響いた。
クリスタルのグラスを 指先で弾いた様な、美しい音色だった。
次いで、ぱっしゃん と水音が発つ。
靄の腕は ファニーナの手に觝れた瞬間、その形を保てなくなり 撥じけて床に隕ちたのだ。
腕の半ばから捥げる様に消え、床に隕ちた時には ほんの数10粒の水玉になっていた。
声が出なかった。
見ていた筈の光景を 事象として理解するのに、酷く苦労した。
何度 惟い返しても、腕が伸びて 弾けて 水玉になっただけだ。
そうして 黒い水玉になったモノ達は、床の上をスルスルと移動し 勝手に瓶へ入ってゆく。
水と云うよりも 水銀に近い感じだ。
まぁ、元が あの靄だ。
水玉に見えているが、そもそも 水分ではないのだろうが。
しかし、それが現実として呑み込めない。
尤も、俺が混乱している最中も 間断なく同じ光景が繰り返されていた。
腕は 何度も伸び、懲りもせず ファニーナを襲う。
ファニーナは 左手だけで これに対処し、喧い虫でも拂う様に無力化してゆく。
彼女が瞠目していたのは、ほんの僅かな時間だった。
連続して攻撃してくる靄の対処をし始めた頃には、すっかり冷静になっていた様だ。
幾らか訝しげに靄を見ているが、何の熱も含まない睛をしていた。
つまり、非常に 子供らしくない表情だった。
それが、俺を冷静にさせた。
《 何だ、あのガキは。》
あれは、闘い馴れた者の睛だ。
幾度となく生命の遣り取りをしてきた者が見せる、落ち着き払った顔だ。
魔法使いとは云え、12歳の子供が あんな表情をするものか?
魔法属と闘うから、か?
たった12歳で あんな表情をする程 闘ってきたと云うのか?
いつから闘ってきたら、ああなれる?
どれだけ闘ってきたら、ああなれる?
不自然だろう? 違和感しかないだろう?
そんな場違いな疑問に支配された俺の前で、ファニーナは 更に眉を寄せていた。
片手で悍しい靄の相手をしながら、ファニーナは 俺達に状況の説明をする。
一向に 靄の量が減らない事。
このままでは、瓶の容量を超えてしまう事。
ぞっとさせられた。
この2点だけでも 事の重大さが察せられた。
觝れる事すら禁じられる靄に対し、それを無力化出来る魔法使いがいたとしても、これは希ましくない事態だ。
床が 黒い水銀の様なモノに填め尽くされる樣など見たくもない。
俺と同じに考えたのか、フェインとセーレンも愕然としている。
そんな無力な傍観者に、ファニーナは 新たな願いを口にした。
正確には、国王のフェインに。
『 手を拍つ用意を 』
そう願ったのだ。
手を拍つと云うのは、この解毒の前に説明された対処の 1ッだ。
決して 声を出さない事・絶対に靄を吸い込まない事・そして もしもの時は『向うへ往け』と念じながら 手を拍つ事。
あの靄は 声に反応して攻撃をしてくる様だから、声を出すなは判る。
だが、声を出さなければ攻撃されないのに 何故 手を拍つ用意をさせるのか。
そう考えるより先に、ファニーナが続けた。
『 この〔森の門〕にある 綜ての空瓶を
わたしにください 』
唐突の願いに 意味が判らずにいた。 俺も、願われたフェインもだ。
この非常時に………そう惟った。
だが、この意味を正確に理解している男がいた。 セーレンだ。
誰よりも この魔法使いの近くにいたセーレンは、この願いが事態の好転に必要不可欠だと判っていた。
『 フェイン、綜てやると言え 』
臣下でありながら 一国の王に『やれ』だの『言え』だのと 余りな発言だが、俺も同罪なので 謫める気にはならなかった。
寧ろ、急げと言わんばかりに催促された事のほうに驚いていた。
そして、声を出した途端 靄の腕が増えた事にも。
靄の本体は サマリアの王子達の軀の上に鎮座する形で居座り、その眼光らしきモノは 未だにファニーナだけを見ている。
胴体から伸びる 2ッの腕も、ファニーナに縣り切りだ。
だが、これとは別に、新たに腕が生まれ 丁度 背後に位置していたセーレンに襲い掛かったのだ。
靄の塊とは惟えない 凄いスピードに、考えるより先に声が出ていた。
『 セーレン!』
惟わず叫んだ俺も、見付かったのだろう。
腕が増えた。
それも 胴体からではなく、セーレンへ伸ばされた腕の中間からだ。
胴体から伸びた腕は そのままセーレンを襲い、枝の様に分岐した新たな腕が 俺を襲った。
反射的に手を拍った事で、間近まで迫った腕は弾け飛ぶ。
しかし、ファニーナの時とは違い、靄のまま遠退いただけだった。
強風で飛ばされた様な程度なのだろうか。
半ばから腕が失われてはいるが、靄として宙を漾う状態だ。
そのまま ゆっくりと靄の本体に戻ってゆく。
やはり、遠退いただけの様だ。
それでも、次々と生まれては伸ばされる靄の腕に觝れられる事はない。
俺とセーレンは 間断なく手を拍つ事になっていたが。
『 フェイン!』
早くファニーナの願いに応えろ、とでも言いたそうな勢いで セーレンが叫んだ。
尤も、俺も同じ気分だった。
この迫り来る悍しいモノを何とか出来るなら、何でもいいから やってほしかった。
既に 両腕や頬・背中の鳥肌が酷い。
両手が塞がっているから 摩る事も出来ん。
俺達の焦燥を察したのか、フェインは願いに応えた。
当然、声を発したフェインの許へも この腕が襲い掛かった訳だが、危機を感じる事は出来なかった。
フェインが許可をした直後、天幕の床一面に 空瓶が現れたせいだ。
一斉にコルク栓が抜け、瓶の上-20センチの宙に浮いた。
数秒後、ファニーナは 靄の本体への 直接 攻撃を行い、一気に無力化させた。
靄が消えた後には 黒い水の塊が空中に渦巻く事になったが、それも一瞬だった。
猛スピードで瓶に吸い込まれ、一斉にコルク栓が閉まる。
こうして、あっと云う間に 危難が去り、悍しいモノは 綜て瓶に封入された。
時間にして 数分の、短い間の事だったろう。
あの時の驚きは、言葉に出来ん。
もう、何に例えたらいいのかすら判らん。
あの後も 何度も魔法を睛にしたが、俺としては あれ以上の衝撃はなかった。
サマリア王の後妻に収まり かの国を支配しようとしてた〔黒の魔女〕とファニーナの直接対決すら、あの驚きを超えられん。
魔法やら魔法使いと云った存在に疎かったとは云え、それが常軌を逸脱する仂である事は感じ取れた。
この半年で睛にしてきた奇蹟は、それ程までに多かった。
同時に、数多の魔法使い達が〔森の妖精〕を求めている事も 知る機会があった。
同じく、それ等-綜てを ファニーナが却けてきた事も。
敵と見做した者へは、一切の容赦を持たない 冷徹な樣も。
故に、多くの魔法使い達が彼女の敵とならない様に立ち回っている事も知った。
寧ろ『ファニーナなら当然だ』くらいに惟えた。
つまり、驚きはなかった訳だ。
《 初めての『小さくない魔法』だった事もあるのだろうが、自分の身に迫る危機を感じていただけに 印象深かった………と云う事か?》
あれから半年、西の隣国-ナルシェルへ赴いた時にも 準-戦闘ともとれる魔法を睛にした。
唯々諾々と 相手の指示に従っていたファニーナは、最終日、ナルシェル王を嚇しに掛かっていた。
『 これまでの働きに見合う代価を
一括で お支払い頂きたく 』
慇懃に切り出したファニーナの 酷薄な微笑を見ても、胸がスッとする-以外の感想はなかった。
やはり、俺にとって最大の驚愕事件は あの時だったのだろう。
もしくは、あれを見たせいで 順応してしまったのか。
そんな どうでもいい事を考えている内に、眼端に人影が映った。
視線を上げると、東の翼棟に小さな侍女官の姿が見える。
俺の思惑通り、小柄な少女が螺旋階段の上に現れたのだ。
俺は、侍女官の衣服を紱っている魔法使いを見上げ 口許に笑みを乘せた。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
螺旋階段を降り始めた攸で 俺に気付いたのか、小柄な少女が 手摺から身を乗り出した。
そして、中庭にいる俺へ睛を向ける。
緲かに驚愕を泛かべたが、ファニーナは 声を上げる事もなく 翼棟から降りて来た。
文字通り、手摺を乗り越えて 飛び降りたのだ。
勿論、俺に驚きや焦りはない。
あれが昊を翔ける魔法使いである事は 国中の者が知っている。
実際、ファニーナは、舞い降る花の様に 俺の前に降り竚った。
「久しぶりだな、ファニーナ」
応接室で顔を併せはしたが、挨拶は御座形だった。
俺は、改めて そう切り出した。
これに、ファニーナも淑女の礼で応えた。
「ご無沙汰を致しております、アルハザード伯爵様」
ファニーナは、俺を そう聘ぶ。
これは 出会った頃から変わらない。
そんなファニーナに 俺が顔を顰めるのも、出会った頃から変わらない事だ。
「俺は、堅苦しいのは好かん」
「畏まりました」
「変えるつもりはない、か?」
会う度に言っているが、この魔法使いは存外 頑固だ。
了承したととれる答えをしていても、次に会う時には 必ず同じ様に俺を聘び、俺もまた 同じ様に諭す。
最早、恒例となりつつあった。
仕方ない、根気よく言い聆かせてゆくまでだ。
今は、説得するより問い質したい事がある。
「判った、では 追々 直せ。 で、アレは何だ?」
アレと示した相手が誰かなど、この聡い娘は 忒えずに読み解く。
今更 他国の王に対して不敬だの何だのと、面倒な事も言わない。
そう判っていて、俺は敢えて そう訊いた。
これに、ファニーナは 酷く答え辣そうに口を敞く。
「 ––––––––––––ファイセル国王と フェイアル国王です」
「それは知っている」
「 …………以前、両国が頒たれる前に」
「故・老王に呼ばれて滞在していたのも知っている。半年前に、お前が談してくれた事だ」
そう、聴いていた。
ファニーナと北の国家との間に 何某かの親交があった事は。
だから、今回の 不躾な程 突然の訪問に際しても、俺達は無下に出来なかった。
態々 俺とセーレンが国境まで出迎えたのも、そう云った事情が背景にあった。
ファニーナも その事を感じていたらしく、苦々しげな表情を見せながらも 質問に答えてゆく。
「 ––––––––––––その時の 老王の用件が、彼等の更生でした」
「ほう」
アレは、あれよりも酷かったのか。
そう声に出すのを怺えて、俺は 唇の端に太い笑みをのせた。
「それは興味深いな、詳しく談せ」
この催促に、ファニーナが喑黙る。
「どうせ、フェインやセーレンにも説明する必要があるだろう?」
「 ……………… 」
「俺が手間を省いてやる、ほら」
「 –––––––––––––………… 」
どうしても詳しい事は談したくないらしい。
珍しく頑なな反応に、俺の笑みは濃くなった。
《 こうなれば 何が何でも聴き出してやる。》
そんな惟いが顔に出ていたのか。
俺を見上げるファニーナの表情が、困殆と諦めを綯い交ぜにしたモノに染まった。
書き始めた当初は 回想なんか入れる予定じゃなかったんですが、何故か こんな仕上がりに。
どうしてこうなったのか 自分でも謎です。
何度か書き直しましたが、その度に詳細になる始末。
どうにもならないと諦めて、投稿に至りました。
書きたかったのは、冒頭の一部分と 最後の部分だけだったなんて、誰にも言えない………。




