42__エスファニア王国の魔法使い 2
ご無沙汰をしておりました。
前話をお忘れでしょうが、エスファニア王国に急な来客があると連絡を受けたリーゼロッテが ラノイの元を離れた、その後のお話です。
ラッケンガルド王国の宰相-シズの視点で始まり、エスファニア王国の公爵夫人-ミネルヴァの視点になります。
では、どうぞ。
ラッケンガルド王国 / 12時
___視点:宰相 - シズ=ラトウィッジ___
アシュリー姫を追い掛けて王宮を飛び出した国王が、5日ぶりに仕事をしている。
5日間 私とクランツで手を尽くすものの溜まる一方だった書類は、この4時間で 見る間に数を減らした。
リオは、不機嫌ながらも 膨大な量の書類の殆どを片付けている。
相変わらず、リオは優秀だ。
勿論、やる気さえ出してくれれば、だが。
異母弟が優秀なのは、今に始まった事じゃない。
クランツは、余りの早さに 何か葛藤を擁えていた様だが、処理は 早いに越した事はない。
第一、こちらの仕事が減るなら 何でもいいんじゃないか。
これ以上 残業をしたら、流石に死ぬ。
だから、これでいいんだ。
《 今日は 早く帰って寝たい。》
この分なら、今夜は 確実に休めるだろう。
リオへ文句があるとすれば、大臣や官吏達に向けて 強烈な威圧を放つ事くらいか。
アシュリー姫が エスファニア王国へ帰ってしまわれたせいで、リオの機嫌は底辺にまで落ち込んでいる。
私は平気だが、大臣・官吏は 放たれる威圧に萎縮し佚ぎて 頭の中が真っ白になる始末だ。
おまけに、報告-そのものに不備がある為 リオの不機嫌さに拍車が縣る。
殺気に近いモノに昇華した威圧に、一言も聴き取れない程 動揺するんだ。
八ッ当たりは よせ、帰りが遅くなるだろうが。
何度となく口を衝きそうになった この言葉を何とか飲み込みながら、正午の鐘を迎えた。
昼食の時間だが、どう云う訳か、リオは 仕事の手を停めない。
普段なら 真っ先に執務室を迹にするんだが、手にしたペンを離す素掉りもない。
キリのいい攸まで進めるつもりか、と 暫く待ってみたが、どうやら そうではなかったらしい。
《 聆き分けの悪い子供だ。》
今のリオは、アシュリー姫がいない鬱憤を 周囲へ向けているだけだ。
而も、こちらが怒れない状況で。
それでも 流石に見兼ねて、遠回しに『食事をさせろ』と言ってみたが 拒否る始末だ。
アシュリー姫がいないと云うだけで、だ。
不貞腐れるにも程がある。
生強 しっかり仕事を熟しているだけに、質が悪い。
《 こうなると、梃子でも動かないからな。》
面倒臭い、実に。
そう惟いながら うんざりとした睛を向けるが、リオに効く筈もない。
更に うんざりとした気分になっただけだった。
仕方なく、アシュリー姫の話題を向けてみる。
「お帰りは 何日後ですか?」
一体いつまで こんな目に遭わなければならないのか、と云う惟いから 口を衝いた言葉だった。
3日後? 5日後?
まさか、10日や半月に及びはしないだろうな?
考えるだけで、憂鬱な気分になってくる。
本心で云えば 返答すら聴きたくはなかったが、何事にも覚悟は必要だ。
今の内に それを付けておくべきだ。
長く留守にされるのなら、今日は 仕事が残っていても定時には休ませてもらおう。
5日間の過労の上に 異母弟ストレスが縣ったら、余裕で死ぬ。
実際は この状態が午後も続くと惟うだけで、もう うんざりなんだが。
《 勘弁してほしい。》
そう惟っていたが、私の耳に入ったのは 予想外の言葉だった。
「ううん、夕方」
「「 は?」」
図らずも、クランツと声が被った。
『聴き違いか?』と問い返したい攸だが、クランツと同時に聴き違えるなど有り得ない。
認めたくはないが、そう云う事なんだろう。
寸時に 私がジト睛になった理由は、説明する迄もないかと惟う。
《 このやろう。たった数時間 離れる程度で八ッ当たりをブチかましやがって。お前は 5日間も一緒にいて、姫のお茶を堪能してきたんだろうが。何度も何度もだ。それも 一切の仕事をせずに、だ。》
顔は げんなり、視線は じとり、頭の中は 文句で一杯。
なのに、心は 妙に凪いでいる。
悟りの境地、と云ったら 少し大袈裟かもしれないが、表現的には正しい気がする。
あぁ、先んじて言っておくが『その割には脳内の文句が…… 』などの指摘は受け付けない。
もう、精神的にも肉体的にも ズタボロ状態なんだ。
このくらいは赦せ。 と云うか 赦される筈だ。
リオも 文句は言わないだろう。
主に、興味がないと云う意味で。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
私は、頭の半分では リオへの文句を垂れ流し、残り半分で そんな事を考えながら、リオの返答を待った。
「魔法具はあるけど 毒の事も心配だから、夕方には戻るって」
そう言って、リオは 自分の左手の親指を撫でた。
其処には、紺碧色の指環がある。
攣られる様に、私は 自分の胸許へ手を当てた。
服越しだが、首飾りの硬い感触に觝れると 反射的に安堵する。
近付けるだけで 毒も詛いも容赦無く浄化する、規格外の性能をもつ魔法具。
勿論、姫の お手製だ。
6割の漆黒のビーズと 3割の黒紫のビーズ、黒光りする銀のビーズが 1割。
それ等が バランス良く鏤められている。
常時 衣服の下に隠しているが、小さな宝珠を聯ねた この首飾りは とても美しい。
装身具に興味のない私でも そう惟うくらいだから、相当だろう。
魔法具でなくても、頓でもない値が付きそうだ。
《 姫の魔法具として市場に流せば、幾らになるんだろう。》
かなり罰当たりな事を考えている 私の耳を、クランツの怒気-淆じりの声が敲いた。
「はあっ⁉︎ じゃあ、何で そんな大袈裟にっ⁈ 後 数時間で帰って来るなら、八ッ当たりなんて罷めてくださいよっ。こっちは疲労困憊なんです! 愉しみにしていたのに お茶も飲ませてもらえなかったんですからね⁈ せめて、食事くらい摂らせてもらえませんかねぇ⁉︎ 」
クランツは、元気だな。
官吏やら大臣やらが報告に来ていた時は、リオの怒気で ヘロヘロになっていたのに。
いちいち倒れそうになるクセに、結構 頑丈に出来ているんだよな。
だから、便利に使われるんだろう。
《 可哀相に。》
頭の ほんの片隅で、そんな事を惟う。
残る大部分で面白がっている私が 1番 酷いんだろうが、それはもう 今更な事だ。
クランツも判っているだろうし、私も 娯しく観察するのを罷める気はない。
つまり、特に気にする事じゃない。
この時も、荒ぶるクランツと、それを全く意に介さない異母弟を眺めていた。
「これが、何日も続くんだぞ?」
「何日も会えない訳じゃないでしょうが! 真面目に仕事をしてくださるのは結構ですが、周囲を巻き込むのは罷めてくださいよ!」
「だけど、その間 リリィは危ないんだぞ」
この言葉に、クランツが固まった。
たぶん『危ない』の意味が判らなかったんだろう。
それは 私も同じで、眉を寄せ 不機嫌そうな顔をしているリオの真意を図りかねていた。
一体、何を言っている……?
危ない? 何がだ?
此処から エスファニア城まで、
姫なら 10分と縣らず往けると聴いた。
その短い時間の間に、何が………?
其処まで考えて、気が付いた。
エスファニア王国と この国だって、それ程 離れていない。
大河を挟んでいるとは云え、隣国だから 当然だ。
だが、空白地帯はある。
つまり、互いの領土の間にあって どちらの国家でもない土地。
ラッケンガルドの北にある、湿地と荒野で形成される土地。
俗に〔荒れ地〕と略して聘ばれる空白地帯。
其処には、魔法使いが いる。
「 –––––––––––––––!」
東西に長く横衡わる〔荒れ地〕を拠点にしている魔法使いは、1人や 2人じゃない。
彼等は 事ある毎に争っていて、年に何回かだが、ラッケンガルドの領土も その余波を受ける。
この間の 北の邨の災害は、その代表例の様なモノだった。
それもこれも、陣地を循ってのモノだ。
《 姫を付け狙って、撰りエスファニアに近い場所を 支配区域にする為の……。》
リオから聴いた譚を思い出した私は、驚愕に睛を見敞いていた。
半分は、こんな重要な事を 今の今まで失念していた自分に向けた驚きだ。
時折、姫が魔法使いであると失念する瞬間はあったが、こんなにも浅慮な人間に成り下がっていたとは。
疲労があったのだとしても 見過ごせるモノじゃない、自分でも嫌気が差す程の愚蒙さだ。
柱に頭を強打させたくなってくる。 痛そうだから、実際にはやらないが。
《 これは………落ち着いていられる訳がない。 なかったんだな。》
今になって、リオが不機嫌だった理由を きちんと理解出来た。
官吏達へ放っていた 理不尽に近い威圧と、私達への苛めにしか惟えない態度の理由も。
そうでもしていないと いられなかった心情も。
「何度も往復する内に それがバレたら、危ないんだ」
絞り出す様な声で、リオが呟いた。
「 ……………… 」
クランツも、事態を理解したんだろう。
怒気を表しているまま固まった顔から、どんどん血の気が失せてゆくのが見て取れる。
だが、私の着眼点は 別の攸にあった。
〔荒れ地〕にいる魔法使い達は、姫に較べれば 格下の連中かもしれない。
だが、彼等は『〔森の妖精〕を付け狙って』あの場所にいる。
それを この国の誰よりも良く理解しているのが、リオだ。
私の『残り半分の驚愕』は、姫へ向けたモノだった。
《 良く説得出来たものだ。》
リオは、頑固で自己中心的な性格だ。
善くも悪くも 王族らしい。
そして、現在進行形で姫に恋慕し 執着している。
ほんの数日前に〔荒れ地〕の魔法使いを殲滅しようとした姫を止めてもいる。
圧倒的な力量の差があろうとも、他の魔法使いが姫に抅るのを厭がっての事だ。
そんなリオを、帰郷が必要だったからとしても、あの姫が説得した。
而も、単独での帰郷を納得させたんだ。
驚くなと云うほうに無理がある。
《 一体 どうやったんだ?》
純粋な驚きと疑問が、私の頭の中を循っていた。
後になって、この時の自分も愚鈍だった事を 私は思い知る。
尤も、その『後になって』の時は 数秒と待たずにやってきたんだが。
「 ………大丈夫かなぁ」
ぽつり、と リオが独り言葉を零した。
心の中に押し留めていた焦燥が漏れ出た様な呟きだった。
これを耳にして、漸く 危険の意味を理解する。
《 私は莫迦だ!》
惟わず、そう叫びそうになった。
この身を襲った衝撃は、さっきの驚愕の比じゃなかった。
___ 魔法使いの戦闘は 必ず知れ渡る ___
『仂の勍い者なら、世界の片隅の戦闘であっても感知する』と、そう教えられたじゃないか。
問い掛けたのは 私で、答えたのは リオだ。
最初から気付くべきだった、最悪 さっき気付かなければいけなかった。
姫が雑魚と闘えば、それを嗅ぎ付けて 仂の勍い魔法使い共が襲撃に集まると云う可能性に。
クランツが、私より先に これに気付いていたのかは判らないが、尠くとも 私が莫迦だと云う事に変わりはない。
「ちゃんと、帰って来れるかなぁ」
リオの手は、すっかり停まっていた。
視線は、北西の壁に固定されている。
丁度 エスファニア王国のある方角だ。
「罷めてくださいよ、こっちまで心配になるじゃないですか」
クランツが 懦々しい声で制止をかける。
普段の、怒気を孕んだ声でも効果がない言葉だ。
当然、リオの心には届かなかった様だ。
「そもそも、ちゃんと戻れたのかなぁ」
また、リオが悲痛な声で呟いた。
最早、クランツの嘆願が届いているかも怪しいくらいだ。
まぁ、あの懦々しさじゃ 嘆願だと捉えてもらえなかっただろう。
だが、出来れば 僅かな配慮でも向けてくれると嬉しかった。
それが 私の感想だ。
「罷めてくださいって……… 」
真っ青になった顔で、クランツが言った。
気力を振り絞って 何とか出したと云った声で。
そして、そんなクランツも 視線は壁に向けられていた。
リオと同じ方角へ、リオと同じ人物を想って。
2人と同じ方角へ睛を向けた私の頭の片隅に、素直な感想が涌く。
《 …………取り敢えず、後で 柱に頭でも打付けておくか。》
すっかり失せた食欲と どうにも出来ない空気の中、密かに溜息を咐く以外 私に出来る事はなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
エスファニア王国 / 12時頃
___視点: 公爵夫人 - ミネルヴァ=レイセル=ランサマン___
艶が出るまで磨かれた白い石で造られた四阿は、美しい薔薇園の中に建っている。
降り注ぐ春の陽は 暖かく、風は 木々の葉を緲かに動かす程度のモノだ。
周囲には馥郁たる薔薇の馨りに包まれており、時さえも穏やかに流れる様な空間になっている。
とても、標高の高い土地の 春先の光景とは惟われない景色だった。
余りにもラッケンガルド王国とは異なる景色の中に、1人の貴婦人がいた。
「長く国を離れると聴いていたから、今日は凄く嬉しいわ」
四阿に据え付けられている華奢な椅子に腰掛けた貴婦人は、にこやかに微笑みながら 1人の少女を四阿に迎え入れた。
ふわふわな渋栗色の髪をした 12〜13歳くらいの少女は、軽く目礼だけをして 四阿へ至る 僅かばかりの階段を笑顔で陟った。
そして、手にしていた大きな盆を 繊細な造りのテーブルへ据える。
貴婦人の睛が、白銀色の盆に乗せられていたティーセットへ向いた。
その睛が、美しい陶磁器のティーカップではなく 盆の隅に用意された茶葉缶のラベルを見て、嬉しそうに笑み坍れた。
そして、改めて 自分の好みを熟知している少女に笑みを向けている。
そんな貴婦人-ミネルヴァ=レイセル=ランサマン公爵夫人の視線を感じつつ、侍女官の服を紱った少女-リーゼロッテは お茶の用意を始めた。
若き国王-フェイトゥーダ=エヴァン=ナヴァールへ 帰還の報告をした後、リーゼロッテは 小さな四阿へ来ていた。
途中 厨房へ顔を出した彼女は、昼食を自身が作る事をシェフ達に告げていた。
その際、2人分のティーセットを用意し、この場へ臨んでいる。
「もう暫くは、ご迷惑を お掛けしてしまうのですが」
ラッケンガルド王国と関わる限り、今までの様に お茶の時間を作る事は出来ない。
その事を申し訳なく惟ってはいるが、現状で ラノイ達を見捨てる選択肢は リーゼロッテの中に莫い。
しかし、何故 エスファニア王国を離れるのかと問われても 答える事も出来ないのだ。
基本的に、この国の人達は リーゼロッテのやろうとしている事を止めはしない。
だが、それは『心配していない』とは異なるのだ。
リーゼロッテとしても、常に自分の身を案じてくれる人達だと理解していて、態々 心労をかけるなどしたくはない。
故に、理由を説明する事さえ出来ないのが現状だ。
リーゼロッテは、自分を気遣ってくれる この国の人々が強く問い質したりしない事にすら、罪悪感を募らせていた。
そんな様子が伝わったのだろうか。
「いいのよ。時々でも このお茶が飲めれば、それで」
ミネルヴァは、穏やかな声で言い 微笑んだ。
ゆったりと、しかし 手際良くお茶の準備が整ってゆく樣を、ミネルヴァが愉しげに見詰めている。
数分後、ミネルヴァは ミルクに負けない しっかりとした味と 薔薇にも劣らない馨り、そして 少し癖のある渋みを存分に愉しんでいた。
「ああ、美味しい」
心からの賛辞に、リーゼロッテは 小さな微笑で応えた。
この国で 本来の姿を晒せないリーゼロッテは、フォルモーサ王国の第一王女-アチェートの子供時代の姿を借りている。
だが、周囲も愚かではない。
出会った当初から 幼い姿ではあったものの、言動などから『決して見かけ通りの年齢ではない』と察している。
半年と云う短い期間ではあるが、その判断に達していた。
それでも、相手が魔法使いである事から『年齢や姿を詭る事も 魔法使いの世界では常識なのだろう』と惟っている。
稀少な存在である〔森の妖精〕ならば 当然だ、とすら考えていた。
なので、ミネルヴァも 10代前半にしか見えないリーゼロッテを 成人女性として見ていた。
「攸で、北からの使者達がファニーナを指名していると聴いたのだけど?」
この質問が飛び出したのも、そんな経緯があった為だろう。
そして、リーゼロッテも 何の抵抗もなく 貴婦人の問いに答えた。
「あちらには 滞在していた事がございます。数年前の事になりますが」
「まあ」
「わたしを指名するなど、いやな予感しか致しません」
対面の席に座り 手にしていたティーカップの水面を見詰める灰色の睛は、虚ろになりかけていた。
僅かではあるが、素直な心境が覗いていた。
10日にも満たない時間だが、リオと共にいたせいで いろいろと弛んでいるのだ。
感情の機微に敏いミネルヴァが、これを見遁す筈がない。
こくり と紅茶を飲んだ貴婦人は、普段と変わらない微笑で 小柄な少女を観察する。
「その様子だと、誰が来るのか 見当が付いているのね?」
暢びりとした口調とは異なる 的確な問いにも、リーゼロッテが惶てる事はない。
必ずされる質問の 1っとして、予測が付いていたらしい。
変わらず ティーカップの中の紅茶を見詰めながら、幼い魔法使いが口を敞く。
「怕らく、両国の国王でしょう」
深く吐き出された溜息の様な声が、そう答えた。
「まあ」
先程と全く変わらない言葉を発しているが、驚きを表明している筈のミネルヴァの声には それ等がない。
だからと云って 全く喫驚していない訳ではない。
寧ろ、驚き佚ぎて そうなったと云って良い。
本当なら、睛を剥き 声を上げて『非常識な!』と叫ぶ程の衝撃があったのだ。
それを自身の中で殺そうとしたら、逆に やり佚ぎた。
結果、感情の乘らない声が出てしまったのである。
尤も、リーゼロッテは そんな反応も承知の上で、動揺を内面に圧し留めるのに忙しい貴婦人を見はしない。
暫く 2人の間に沈黙が降りたが、それを破ったのは 意外にもリーゼロッテだった。
「歓迎は、致しかねますが」
10人並みには愛らしい少女が発した仄暗い声に、ミネルヴァの意識が向く。
改めて 対面を見れば、リーゼロッテは 相も変わらず ティーカップの紅茶を眺めていた。
手にした小さな琥珀色の水面に 何か特別なモノが映っているのでは、と惟いたくなる光景だった。
《 まだ若いのでしょうに………。》
一体 どれ程の重責を負い、どれ程の厄介事に巻き込まれてきたのだろうか。
余りにも落ち着き払った態度を睛にした ミネルヴァの視線に、淡く憐憫が滲む。
だが、賢明な この夫人は、敢えて言葉にするなどしない。
ほんの一瞬の揺らぎを匿す様に、ミネルヴァも 自身のティーカップの中へ視線を落とす。
そして、気分を変える様に エスファニア王国の北に位置する 2っの大国についての知識を脳内で手繰り始めた。
前王の時代には 1ッの超大国だった。
元の王国の称を引き継ぎ、首都も同じ場所に
構えているファイセル王国と。
旧王国の西側の土地を得て、曾ての第二都市を
中心に、新たに興されたフェイアル王国。
第一王子が治める ファイセル王国と
第二王子が統べる フェイアル王国。
僅かな間だけでも、この程度の事は思い出せる。
「確か、どちらも まだ若い国王だったわね」
絵姿は 其々の国に頒かれた時分の物しか睛にしていないが、年数を數えても 30代に届くくらいの年齢だろう。
そう計算しての呟きに、リーゼロッテが小さく肯いた。
「はい」
どちらも、20代後半の年齢で王座に就いている。
王冠を戴き 王笏を掲げるには、余りに若い年齢だ。
尤も、年齢だけを見れば エスファニア王国もラッケンガルド王国も大差はない。
だが、決定的に異なるのは 王の気質だ。
「身勝手-気侭と 自由奔放を、絵に描いた様な方達です」
今にも重々しい溜息を咐きそうなリーゼロッテを『珍しい』と惟いながら、ミネルヴァは 無難な言葉を択ぶ。
「王侯貴族には ありがちだわ」
そう、王族やら貴族やらには 自己中心的で良識の欠ける者がいる。
それは、このエスファニア王国も 例外ではない。
ほんの一部だが、己れの自尊心の為だけに 他国の王をも蔑みそうな者がいるのだ。
《 あぁ、厭な人を思い出してしまったわ。》
最早 不遜を通り越した貴族、啻々 不快でしかない存在。
同時に、全く別の、一組の男女の姿も 脳裏を過った。
1人は、凛とした竚ち姿が美しい貴婦人。
もう1人は、立派な体躯と精悍な顔立ちの青年だ。
《 他の ご家族は、立派な方ばかりだと云うのに。》
3番目だけは 残念な頭の莫迦貴族………惟わず、そんな言葉が漏れ出そうになった。
気が弛んでいたのか、魔法使いの紅茶が綯ませてしまうのか。
普段なら考えられない失態を犯しそうになっていた。
その事に、ミネルヴァは 愕然とした。
《 わたくしとした事が……。》
頭の中で猛省しつつ、表面上では 優雅な仕草で紅茶を飲む。
緲かにも態度へ表さずに済んだのは、偏に ミネルヴァの『貴族として積み重ねた努力と経験』の爲せる業だろう。
ミネルヴァは、軀の隅々まで微動だにしなかった事に 深く安堵する。
《 至福の時に思い出す人物ではないわね。》
その価値もない、と 傲慢な貴族の にやついた顔を脳裏から追い出した。
気分を変える様に、ミネルヴァは小さく息を零した。
まるで『紅茶が美味しい余り 惟わず零れた嘆息』であるかの様な吐息だった。
実際、馨りも風味も格段に優れた紅茶は、内心の動揺も焦りも洗い流す程に 美味しかった。
それから、対面の椅子に座るリーゼロッテを見遣った。
灰色の瞳は 半分程が睫に隠れており、相変わらず 紅茶の水面を眺めていた。
稚い姿をした魔法使いは、数秒前と何等 変わらない様子だ。
どうやら、ミネルヴァの意の内には気付かなかったらしい。
この事に 内心は激しく安心していたが、やはり 表面上は取り澄ました態度を坍さずに、ミネルヴァは 対面の少女を見詰める。
改めて 相手を観察して、小さな違和感が湧いた。
普段は 柔和な微笑みを向け続けてくれる人物が、今日は やたらと手の中のカップばかりを見詰めている。
魔法使いにしか視えない何かがある、と云うより 酷く気懸りな事がある様子に見えた。
ミネルヴァは ほんの僅かな間、自分の手の中のカップに残る紅茶を覗き込んだ。
真似てみるも、脈拍に合わせて緲かに波立つ紅茶の水面に写るモノはない。
再び 対面のリーゼロッテへ視線を戻してから、ミネルヴァは カップをソーサーへ戻した。
「その様子だと、用件も判っているのね?」
こんな問い掛けをしてはいるが、確証があっての言葉ではない。
気に掛けているのは これからやって来る『北の使者達』の件だろうと、半ば カマをかけるつもりで訊いただけだ。
加えて、突然の訪問客が 北の2国の王達だと推測したなら、その要件も何となく察しているのではないか。
そう考えての質問だった。
これに〔幼き妖精〕の異名で聘ばれる魔法使いが 短く答えた。
「概ね」
暈して答えているが、充分に予測している事が伝わってきた。
だが、詳しい譚を訊く事は控えようと惟った。
これまでの経験から、確証のない譚を能弁に語る人物ではないと理解している為だ。
《 ファニーナの事ですもの。要件については 教えてくれないかもしれないわね。》
一切の先触れを出さず、唐突に他国への国境を越えてくる様な王達だ。
凡そ、真面な要件ではないだろう。
そう 諦めを付けた。
付けたものの、当然の事ではあるが、やはり 気にはなっていた。
「それで、どうするの?」
この事態に、この小さな魔法使いが どう対処しようとしているのか。
それを知る事で、非常識な王達の魂胆を知ろうとしたのだ。
まぁ、結果としては これも成功したとは云えなくなるのだが。
「魔法を使ってでも 送還します」
「まあ」
余りにも意外な返答だった。
「ファニーナにしては 過激ね」
素直に 驚きの声を零したミネルヴァに非はない。
実際、これまでの〔幼き妖精〕は争い事を憙まなかった。
〔黒の魔女〕が王妃の座に就いていた 曾てのサマリア王国が、エスファニアの国土を狙っていた時であっても、この魔法使いは戦争の回避を選択した。
その強大な魔力を揮えば、人間の国の1ッや2ッ簡単に討ち滅ぼせるとしても、だ。
そもそも 穏やかな性格の人物なのだ。
知り合って半年と 期間は短いが、それを この国の人間達は 良く知っていた。
故に、ミネルヴァは驚いていたのだ。
尤も、言われた側にとっても これは意外な評価だったらしい。
リーゼロッテは、灰色の瞳を瞬かせた。
「 …………そうでしょうか」
呟いた声は、戸惑いに充ちていた。
表情の変化は希薄だったが、自分に向けられた評価に驚いている事だけは判る。
「ええ」
ミネルヴァは、リーゼロッテの見せた困惑を 新鮮な気分で見詰めていた。
《 こうしていると、少しだけ あどけなく見えるのね。》
フォルモーサ王国の第一王女 - アチェートの幼少期の姿をしていても、普段の態度や仕草が大人び佚ぎている。
そう云う意味では、幼い姿をとっている事を いろいろと台無しにしてきたと云っても良い。
そんなリーゼロッテが 無防備に困惑するなど、珍しいのだ。
尠くとも、ミネルヴァは初めて睛にするモノだった。
「でも、そうね。ファニーナが そうしたほうがいいと惟うなら、それが正しいのでしょうね」
相手の判断を支持すると言外に告げながら、ミネルヴァは 再びカップを手に把った。
《 何処に往っているのか判らないけれど、いい人達に囲まれているのでしょうね。》
数日前の茶会の時よりも 距離が縮んだ様に感じていた。
それも、ミネルヴァから距離を詰めたのではなく、リーゼロッテの中で 何某かの変化が起きてのモノだ。
この事が、とても嬉しく感じられた。
《 少し淋しいけれど、ファニーナの為だもの。》
以前の様に 気軽に茶会を要求出来なくなったくらいの不便は 我慢しよう、と ミネルヴァは胸の中で小さな決断をするのだった。
エスファニア王国の人々については 殆ど触れてこなかったので、沢山の人物が登場すると混乱させてしまいそうです。
なるべく 少しずつ登場させようと思いますが、頑張って名前と地位を覚えてやってください。
でも、回数で云ったら 余り出番はないのかも……。
まぁ、そこそこ覚えていただけたら祥いかな、と………(^^;;
余談ですが、エスファニア王国の貴族は 武術に秀でていて勇敢である事が誇りの様な人達です。
優雅にお茶してるミネルヴァさんも、細身の剣を自在に扱い 賊を討ち取るようなスンバラシイお方です。
ちなみに、ミネルヴァさんには 10歳未満の息子が2人いる設定です。
どちらも出番があるかは判りませんが。
イツカ ソンナお話モ 書ケタラ嬉シイナ〜。




