41__エスファニア王国の魔法使い 1
随分ぶりです。
リーゼロッテの視点で始まり、クランツの視点で終わります。
お話的には、5日間遊び呆けていたラノイが王宮に戻って 溜まりに溜まったデスクワークを再開し、リーゼロッテは 単独エスファニアへ戻る場面からになります。
では、どうぞ。
ラッケンガルド王国 / 10時過ぎ
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
王宮の中央部-西寄りにある 5階建ての最上階にある執務室を辞したリーゼロッテは、周囲に気を配った。
同じ階層にあるのは、保管室と 仮眠室のみ。
保管室は 執務室の倍の広さがあり、過去の資料が納められている。
その中には、国内の不穏分子についてや 周辺国の内部情報などもある。
つまり、多くが出入り可能な資料室には置けない重要書類も含まれる。
これ等は、各-事案に対処しなければならない場合 利用される。
その機密性-故に、主に クランツが出入りする場所となっているのだ。
無論、他の者は 許可なく立入れない。
現在は、当然だが 無人である。
そして、仮眠室は 3ッある。
ラノイ・シズ・クランツの為の仮眠室だ。
当然、他の者が利用する事はない。
現在、ラノイとクランツが執務室におり シズは政務室にいる。
こちらも、現在は 無人である。
他の部屋はなく、廊下にも 5階に繋がる階段付近にも人影はない。
それでも、リーゼロッテは 念入りに周囲を遉う。
そして、ゆっくりと廊下を進みながら 小鳥に変身した。
白い羽根に 銀色の嘴をした、掌サイズの小鳥だ。
云う迄もなく、数日前 ラノイに捕まった時の姿である。
リーゼロッテは、ぱたた と羽摶いて窓に近付くと、魔法で窓を開ける。
小鳥が通れるだけの隙間を作って、其処から外へ翔び出した。
そして、風を利用して上空へ舞い上がると すぐに別の鳥に変身する。
色は同じに白だが、大きさが異なる。
両の手に収まる小鳥は、両翼の長さが 2メートル近くある大きな鳥に変わっていた。
猛禽類の如き大きさだが、その姿には 荒々しさや猛々しさなどない。
寧ろ、神々しさすらある。
白い羽根は 晃りが当たると銀色に輝き、力強く羽摶けば 一瞬で雲の上にまで達した。
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エスファニア王国 / 10時半
エスファニア城の一郭に建つ 小さな塔の最上階で、リーゼロッテは 深く息を吐き出した。
此処は、西の庭の北に位置する 3階建ての塔だ。
〔幼き妖精〕としてエスファニア国王-フェイトゥーダに仕える事になった日から リーゼロッテの居室にと宛てがわれた場所である。
鳥の姿で この部屋に戻ったリーゼロッテは、早速〔幼き妖精〕の姿になった。
広いクロゼットに入ると、手早く身形を整える。
12歳にしても小柄で細身な軀に、濃灰色のロングワンピースと 黒いショートブーツ。
これは、エスファニア城に仕える侍女官の服を 子供用にしたモノだ。
リーゼロッテは〔幼き妖精〕の姿の時は、この服装を憙んで使用していた。
尤も、侭ならない場合が多いのだが、今は 他に誰もいない。
これ祥いと、数あるドレスには睛もくれずに 侍女官の衣服に身を包んだリーゼロッテは 大きな姿見の前に竚つ。
《 何故か、この姿で此処にいるのが 久しぶりな気分。》
鏡に写るのは、幼さの残る 小柄な少女。
ふわふわとした渋栗色の髪に 灰色の瞳をした、12〜13歳くらいの少女。
フォルモーサ王国の第一王女-アチェートの幼い頃の姿である。
成長したアチェートを知る者は 同一人物の姿だと信じないだろうが。
兎も角、この半年間 馴染んでいた場所に 続けてきた擬態で竚つと、リーゼロッテは やおら神妙な顔をする。
《 まだ 10日も経っていないのに。》
彼女が エスファニアを空けたのは、ほんの数日だ。
エスファニア王の秘書官から 内密にと外遊の譚を聴かされた日から數えても、それ程の日時は経っていない。
つまり、自分-本来の姿に戻っていた時間も その程度のモノだった。
だと云うのに、この姿でいる事が 酷く久しぶりな気がしてならなかった。
実際の時間と 体感としての時間感覚の差に、惟わず苦笑いが泛いた。
《 へんな感じ。》
ラノイと過ごす日々は それだけ濃ゆいモノだったのだと、今更ながら理解した様だ。
声なく笑った後、リーゼロッテは 踵を皈した。
クロゼットから寝室へ移り 続き部屋になっているリビングを抜けて、重厚な扉を開ける。
子供の軀には大き佚ぎる扉を敞いた先は、広めの踊り場と 階段になっている。
下りの螺旋階段を進み 1階まで降りると、階段下のホールに 2人の女官がいた。
この2人は、登城した その日から『彼女の為に』と国王が附けた女官達だ。
リーゼロッテが不要と進言しても、登城する前から『国王の恩人』であっただけに 誰も聆いてはくれなかった。
結局、人数を減らす事で妥協して 現在に至る。
「おかえりなさいませ」
茶色の髪の少女-アニカが 屈託のない笑顔で出迎えた。
その隣で、金髪の少女-リアナが 恭しくお辞儀をする。
「おかえりなさいませ、ファニーナ様」
昼前には戻ると 国王の愛猫を通じて連絡していたが、まさか塔の下で待たれているとは惟わなかった様だ。
リーゼロッテは、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ございません、お待たせしてしまいました」
「いいえー、ちっとも」
「お戻りになる お姿を、偶然 睛にしたので」
アニカは にこやかに、リアナは感情を見せず淡々とだが、其々 気にする事はないと示している。
いつも通りの対応に、リーゼロッテの頬も 自然と綯んだ。
これまでと変わらない穏やかな微笑を見て、アニカの笑みが深まった。
「わたし、陛下に お報せしてきますね」
満面の笑みで そう言ったアニカは、くるりと身を飄すと、常に開け放たれている塔の入口の扉から 小走りで去って往った。
変わらず元気なアニカを 無言で見送ったリアナは、改めて リーゼロッテに向き直った。
「公爵夫人が 是非お茶に、と」
言葉-短に そう告げられて、リーゼロッテは 小さく息を咐いた。
公爵夫人とは、エスファニア王国の筆頭公爵-ランサマン家の女当主だ。
謂わずもがな、現在のエスファニア王国で王族に次ぐ権力をもつ地位にある人物である。
穏やかな性格をしており、和やかな雰囲気を醸す貴婦人だ。
しかし、この国の貴族らしく 武術に秀でた面も併せ持つ貴婦人でもある。
その公爵夫人の譚が出た事で、気付いたのだろう。
リーゼロッテの視線が、城の南西へ向いた。
この方向には 美しい薔薇園があり、その中心に 小さな四阿がある。
ランサマン公爵夫人の お気に入りの場所だ。
怕らく、今日 戻る事を知った侯爵夫人は 既に登城していたのだろう。
そして、あの四阿で リーゼロッテが来るのを首を長くして待っているのだろう。
「 ………判りました。陛下に ご挨拶 申し上げましたら参ります、と お伝えください」
「畏まりました」
丁寧な礼をして、リアナは 踵を皈す。
そして、塔から伸びる細い散策道を 南へ歩いて往った。
その後ろ姿を見送った後、リーゼロッテも塔を出た。
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リーゼロッテの居室のある小さな塔は、エスファニア城の北の庭にある。
其処から南へ進むと、城の一廓へ到達する。
王侯貴族が利用するものではない、この城にしては質素な扉があり、其処から王城の内部へ入る事が出来る。
鍵や錠・閂と云ったモノは、そもそも ない。
見張りもいなければ、衛兵などの姿もない。
常に フリーパスで、誰でも進入可能な状態になっている。
これは、悪心を懐く者が この城を狙う事など皆無だからだ。
他国では国宝級と評される美術品が 何気なく飾られていると知っていても、この城を狙う強者はいない。
何せ、この国では 王侯貴族が最も勍い戦士であり 優秀な狩人なのだ。
血迷って窃盗に入ったが最後、嬉々として狩りに来る若き王と 無表情で大剣を振り翳す侍従長を見る事になる。
誰でも 生命は惜しい。
歴代の王が 洩れ莫く同様の逸話を遺しているエスファニアでは、悪事が將しく身を滅ぼす事を 子供よりも悪党のほうが良く知っているのだ。
______ 閑話休題
巨大なエスファニア城は、明け透けな防犯事情の反面 複雑な内部構造をしている。
これは 王族の生命を狙う賊を警戒してではなく、歴代の王が 惟い付くままに増改築を繰り返した為だ。
それに因り 通路が複雑になったせいもあるが、1番は 秘密の通路やら秘密の部屋やらを面白半分で造らせたせいである。
新参の侍従官や侍女官達を 1人残らず迷わせ 半泣きにさせる、迷路の様な城となっている。
城の構造と通路に精通している者など、10年以上勤めている古参の侍従官・侍女官くらいだろう。
そんなエスファニア城を、侍女官の衣服に身を包んだ稚い少女が 足早に歩いていた。
幾つもの階段を陟ったり降りたり 右へ進んだり左へ曲がったりとしながら、リーゼロッテは 北の翼棟から南の翼棟へ邀う。
秘密の通路を除く 最短距離を進んだお陰もあって、誰とも会う事なく 王の執務室へ辿り着いた。
大扉の前に竚ったリーゼロッテは、2度 ノックをした後 声を掛けた。
「陛下」
これに応える声より先に、扉が 内側から開けられた。
取手を握って竚っていたのは、王の秘書官だった。
10日前と変わらず 和やかな笑みを泛かべている初老の男性へ黙礼して、部屋の中へ歩を進める。
数歩 入った処で趾を停め、正面の大机の向うにいる人物へ 深々と礼を執った。
「ファニーナ」
雍かい声で そう呼んだのは、鮮やかな金髪と蒼天を想わせる瞳をした若き国王だった。
長身痩躯ながら 脆弱さはなく、だからと云って 剣を振るには余りにも華奢な軀付きに見える。
社交界の華と聘ばれ、連日遊興に耽っているほうが似合いそうな容貌だ。
とてもではないが、盗賊狩りを娯楽とする様な人物には見えない。
「只今 戻りました」
上体を倒さずに腰を下げる 淑女の礼を執ったまま、リーゼロッテは言葉を繋いだ。
「この度は、わたしの我儘を お赦しいただきました事 深く感謝しております。同時に、長く お傍を離れる事になってしまい……… 」
「いいんだよ。ファニーナには何度も侑けられているんだし、いつまでもエスファニアが独占するのも悪いから」
優しくリーゼロッテの謝罪を遮ったエスファニア王-フェイトゥーダ=エヴァン=ナヴァールは、顔を上げる様 言い加えた。
これに従い、リーゼロッテは ゆっくりと竚ち直し、床へ隕としていた視線をフェイトゥーダへ向ける。
「それより、呼び戻して済まなかったね。向うは 大丈夫かい?」
「はい、出来得る備えはして参りました」
何の心配も要らないと示すと、フェイトゥーダは 霽れやかな笑みを泛かべた。
心優しい王の様子は いつもの事で、リーゼロッテも秘書官も小さく笑みを零す程度だ。
暫くは 国内の近況報告の様な会話が続いたが、ふと 秘書官が こう切り出した。
「ファニーナ。今回のファイセル王国と フェイアル王国の使者に、何か 心当たりはありませんか?」
秘書官の質問に、リーゼロッテは 深い溜息を零しそうになった。
心当たりも何も、指名してきた段階で 相手すら絞り込めている。
惟い付く言葉は『面倒』か『迷惑』だが、それを そのまま伝える訳にもいかない。
リーゼロッテは、2ッの言葉を頭の隅に追いやりながらも 小さく頷いた。
「 ………… 」
沈黙を返された事で、若き王と秘書官は 視線を交わした。
どうやら 面倒な事が起きるらしい、と察したのだ。
数瞬 思案する素掉りを見せた後、フェイトゥーダは 扉の前の魔法使いへ視線を戻した。
「こちらでは 用件すら判らなかったけど、今 ロデュウとセーレンが迎えに往っているよ」
ロデュウ=グレン=アルハザード伯爵は、28歳の青年でありながら 国土の東に位置する伯爵領を 10年も統治している名領主だ。
セーレンと聘ばれたのは、セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダー男爵。
ラノイとの譚で度々 登場していた24歳の青年だ。
2人は フェイトゥーダとは幼い頃からの知人で、共に悪さをしては 亡き執政官に叱られた仲でもある。
現在 若き国王が最も信頼している親友だ。
その2人に出迎えを頼んだのは、相手の意図が掴めなかったからだろう。
これまで国交のなかった国から 何の前触れもなく使者がやって来たのだ。
而も、国の重要人物でもある〔森の妖精〕を名指しで。
〔森の妖精〕を我が物にせんと
画策する輩ではないか。
真っ先に惟い付いたのが、これだった。
半年前の 西の隣国の王との事もあり、彼等が警戒心を懐いたのは 自然の流れだと云える。
可能性は高かった。
〔森の妖精〕とは、特殊な存在なのだ。
しかし、眼の前の小柄な少女の様子から 其処までの警戒は不要と感じられたらしい。
フェイトゥーダは、晳ら樣に ほっとした顔になる。
「昼頃には 到着すると惟うよ」
普段通りの にこやかさで言うと、幼い姿の魔法使いは 僅かに逡巡した。
「 ………厨房を お借りしても?」
昼食を作りたいと示した魔法使いに、王も秘書官も笑み坍れた。
「ああ、それは嬉しいな」
昼食の時間が やや遅くなる可能性を含んでいたが、魔法使いの手作りの前では些細な問題だったらしい。
フェイトゥーダは、一も二もなく許可を出した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ラッケンガルド王国 / 12時
___視点:国王の側近 - クランツ=バルトロメイ___
「全く使えぬ」
5日ぶりに 執務室に主人が帰って来て、5日ぶりに 冷徹な声が響いた。
手にしていた書類を不採用の箱に放り入れた陛下は、不機嫌を匿そうともせずに 大臣を睥睨している。
「この程度の献策では 譚にもならぬ」
「っ」
陛下の全身から零れ出るのは、普段の怒気や覇気ではない。
いつもより 幾らか穏やかで、いつもより面倒な何かだ。
それでも、直接 浴びているほうは堪ったモノではないのだが。
事実、陛下の執務机の前に竚っている大臣の顔色は蒼白だ。
「もっとマシな案を出せ。それすら出せぬなら 担当者を下ろせ、時間の無駄だ」
「は……… 」
碌に声も出せない状態らしい。
返答にもならない声を残して、ふらふらと執務室を迹にする。
その流れ作業が、もう 1時間も続いていた。
大臣が去ると、それまで書類に没頭していたシズ様が 顔を上げた。
その表情が 酷く微妙なモノになっている攸を見るに、ずっと陛下の様子が気になっていたらしい。
陛下が撒き散らしておられる不機嫌全開のオーラは、シズ様の癇にも障っていた様だ。
「陛下、少し休まれては」
「良い。仕事をしているほうが気が紛れる」
書類を書く手を停め 顔を上げたシズ様の提案を、陛下は にべもなく断った。
それでも、シズ様は 説得を重ねてゆく。
「昼食を摂らないと、料理人達が休めませんし……… 」
「不要だ。リリィが弁当を作ってくれた」
「では、それを召し上がって ご気分を変えてください」
「後で良い」
シズ様が 昼食にしようと云う提案を続けても、陛下は 顔を上げようともしない。
普段は厭がる書類精査を、今は精力的に熟しておられる。
あの膨大な量の書類が、たった数時間で数100枚になる程だ。
この調子では、午後の政務の時間を僅かに遅らせるだけで済みそうな勢いだ。
《 私の苦労は何だったのだろう……。》
連日の残業と 不眠不休での作業が、何だか 酷く報われないモノの様な気が………。
いや、この場合は これ以上あんな苦労をしなくて済んだ事を素直に喜ぶべきか?
だが………何だろう、この胸の奥に蟠る 釈然としない感情は。
私は、決して 手を抜いていた訳ではなかったのに。
惟わず遠い睛になってしまうくらい、陛下は優秀な方なのだ。
日頃 精査している書類も 膨大な量の資料も、間違いなく 綜てを記憶している。
一体 その頭の中身は どうなっているのだ、と惟う程 素晴らしい記憶力だ。
余りにも 素晴らしすぎて、時々 空慄しくなるくらいである。
その能力を活かし、大臣・官吏などの献策をチェックするのだ。
小さなミスも審らかになり、見遁される事はない。
尤も、大臣達が持ってくる策は 小さなミス程度ではないから 陛下でなくとも気付けるのだが。
この場へ持ち込む前に 何故 気付かなかったのか、と云うレベルだ。
あんな策を見せれば 陛下が どう反応するかぐらい、容易に想像が出来るだろうに。
寿命が縮むのが判っていて、何故 再検討しておかないのか。
本当に肚立たしく惟っている。
《 私の寿命まで縮むではないですか!》
私は苛々としながら、自分に割り当てられた書類を精査していた。
つい先程までは 胃が縮み上がるくらいの恐怖を感じていたが、今は 譫妄状態だ。
つまり『暴力的な精神的動揺状態』に陥っていた。
考えてみれば、当然だ。
連日の残業に徹夜、ストレスは極限にまで到達しようとしていた。
おまけに、折角 戻ってらしたアシュリー姫は エスファニアへ帰ってしまわれたし。
《 せめて お茶を、せめて 1杯だけでも………。》
アシュリー姫の お茶を一服する事が出来ていれば、私は いつもの私に戻れただろうに。
重ね重ね、口惜しい。
まぁ、割り振られた書類は 当初の10%以下になっている。
負荷は小さくなっており、間違いなく 今日は部屋に帰って ゆっくり休む事が出来る。
だが、問題としているのは 今なのだ。
今! 私は譫妄しているのだ!
現在の状態を何とかして欲しいのだ。
自分では どうにもならないのだ。
だからこそ、アシュリー姫の淹れてくださる お茶が必要なのだ!
あの お茶が! 飲みたかったのだっ!
《 あの時 驚いて固まるなどと云う愚行を犯さず、力一杯 主張してお引き留めすれば良かった!》
あぁ、本当に悔やまれる。
どうして うすら莫迦の様に茫然と見送ってしまったのか!
肝心な時に動けないなど 愚の骨頂でしかないではないか。
あぁ、本当に……本ッ当に悔やまれる。
私が そんな事に意識を飛ばしている間にも、陛下とシズ様の譚は続いていた。
「大臣や官吏が震え上がっている、と言っているんですよ。これ以上 威圧されては、却って効率が悪いので罷めてください。仕事が片付きません」
遠回しに昼食を促す事を諦めたのか、シズ様は 実に率直な進言をした。
要約すると『不機嫌オーラなど撒き散らさないでください、ウザいので』と云った攸か。
実に 自分本位でシズ様らしい ご意見だ。
しかし、これに対する陛下の反応も 陛下らしいモノだった。
「はっ! 何を今更、元々〔獅子王〕は恐れられている」
「アシュリー姫がいないからと云って、官吏に当たり散らすのは どうかと惟いますよ」
余り佚ぎると効率が悪くなるので罷めてください、などと付け加えるシズ様は 流石だ。
「ふん」
陛下は シズ様に掛けられた言葉を否定する様に鼻で嗤うと、次の書類へ手を伸ばした。
不機嫌を通り越して いじけている子供の それだ。
《 あぁ、まだ働かれるんですね。》
いつもだったら止めませんが、今日は違いますよ。
連日の あれこれで私もシズ様も疲れ切っているんです。
充分に寝てもいなければ、満足に食事も摂っていないんです。
残りが これだけなら、昼食後-1時間で綜て終わるでしょう。
なら、もう 休ませてください。
脳だって 栄養がなければ碌に動かないんですよ?
過酷な労働条件にあった部下を、偶には犒ってくれませんかねぇ?
そのくらいしても いいと惟いませんか?
惟いませんか………あぁ、そうですか。
《 何で こんな人に仕えたんでしょう、ねぇ。》
今 無性に、8年前の私を殴ってやりたい気分だ。
『騙されるな! 早まるな! 半年……いや、3ヶ月でいい。良く考えろ』そう言ってやりたい。
まぁ、時間が巻き戻らない限り どちらも実現不可能なのだが。
遣る瀬無い、遣る瀬無いったらない。
そんな事を 止め処なく考えている間も、脳の大部分では『アシュリー姫のお茶』への執着が断ち切れずにいた。
なんと女々しい事か、我が事ながら 厭になってくる。
もう 机に突っ伏したい気分だ。
書類? 先程から全く手に付かないが何か?
私が クサクサとした気分になっている間にも、陛下とシズ様の言葉の応酬は続けられていた。
「そんなに荒れるくらいなら、何故 帰したんです?」
シズ様は、そう質問なさった。
声には『こんな状態で仕事をするなんて面倒臭い』と云う本心が滲み出ていて、顔には『迷惑千万』と はっきり書いてある。
そんなシズ様の問いに、初めて 陛下の反論が熄んだ。
顔は まだ机の上の書きかけの書類に向いているが、手も停まっている。
だが、今までの不機嫌を絵に描いた様な表情は失せていた。
「 ––––––––––––どうしても 帰らないといけない、って言うから」
懦々しい声で、小さく言葉を紡ぐ。
その姿は、路傍に置き去りにされた子猫の様だ。
「附いてく、って言ったんだけど」
何ィ⁉︎
これ以上 仕事を放って遊び廻るつもりだったのか⁈
「 …………凄く怒られた」
『赦さんぞ!』と脳内で紡ぐより早く、陛下は そう呟かれた。
項垂れている様子から察するに、本当に叱られた様だ。
普通の女性なら、陛下の容姿と色気で迫られれば 否とは言えない。
譬え どんなに無理難題であっても、どんなに意に副わない要求であっても、だ。
そう云った理不尽を押し通せる美貌をお持ちなのだ。
陛下の威圧が通じないばかりか 色香にも惑わないなど、アシュリー姫-以外にはいないだろう。
《 流石です、アシュリー姫! ありがとうございます!! 》
アシュリー姫の説得がなければ、陛下は 今日も戻らないつもりだったのではないだろうか。
いや、ひょっとしなくても そうだろう。
あぁ、うん。 容易に眼に泛かぶな。
《 陛下ですからねぇ。》
惟わず、遠い眼になってしまう。
「それで、僕が ちゃんと仕事するなら、リリィも頑張って早く帰れる様にするから、って」
説教されて 説得されたんだろうな。
うん、これも容易に眼に泛かぶ。
「 …………最早 お母さんですね」
極々小さな声で、シズ様が呟かれたのが耳に入ってしまった。
そして、すんなりと同意してしまった自分がいる。
思い出して落ち込んでいる様子の陛下は、この言葉を聴き遁していたらしいが。
《『お母さん』………ぷぷ。》
いけない、ツボに入りそうだ。
駄目だ、今 笑い出すなどしたら殺される。
地雷を踏み抜く攸か、逆鱗を狙って爆撃する様なモノだ。
一部 自業自得とは云え、八ッ当たりで殺されるなど 死ぬに死に切れない。
生命が惜しければ、今は 心を無にするしかない。
判っている……が、生憎と出来そうにない。
この5日間極限状態にまで追い詰められていたせいなのか、非常に沸点が低くなっている。
勿論、笑いのツボのだ。
怕らく、恚りの沸点も低くなっているのだろうが、そちらは 生命に抅る事もないだろう。
今は、この笑いの衝動を どうにかしなければ。
過労死を回避したと云うのに、これで死にたくはない。
判っている……判っている、が。
《 そ、そろそろ、腹筋が限界 っ。》
駄目だ、歯を食い縛っていても 声が零れそうだ。
駄目だ、全身に力を入れていても 肩が震え出しそうだ。
駄目だ、そんな事になれば 幾ら下を向いているからと云っても、陛下の目端に映ってしまう。
判っているが………いや、判っていても 自分では止められそうにないのだ。
《 拙い、ヤバイ。死にたくない!》
そう念じて 笑いを殺そうとすれば する程、腹筋が震えてしまう。
そんな私を 一瞥したのだろう。
徐に、シズ様が 溜息を零された。
「兎に角、約束をしたなら 果たさないといけませんね」
重い溜息と共に そう言うと『だから、昼食にしてください』と、改めて 陛下を諌めた。
高圧的な言葉と同時に放たれたのは、鋭くも濃厚な威圧だった。
「 ⁉︎ 」
シズ様の威圧は、陛下に向けられている。
だが、近距離にいる私に影響がないかと云えば 当然『否』だ。
影響あり捲りなくらい、強い威圧を放っている。
流石は 陛下の異母兄である。
どれ程 強烈だったかは、私の笑いの衝動が一瞬で吹き飛んだくらいだ。
この事だけでも、その強さが ご理解頂けるかと惟う。
《 自殺行為に近い行為を止めてくださったのは有り難いですが、これは やりすぎです!》
恩を忘れて そう言いたくなる程だった。
長くなったので、半分に切りました。
2部構成で終わる予定です………一応。
次話では、エスファニア王国でリーゼロッテを取り巻く人々が もう何人か登場する予定。
いつもの事ですが、飽く迄も『予定』です。




