40__それぞれの仕事
毎度の事ですが、お待たせ致しました。
全編-クランツの視点になります。
では、どうぞ。
___視点:国王の側近 - クランツ=バルトロメイ___
私の名は クランツ=バルトロメイ。
ラッケンガルドと云う ちっぽけな国で、王の側近をしている。
主な役目は、名称の通り 国王の補佐だ。
執務を円滑に回す為に、執務に関する情報の収集から 陛下のスケジュール管理まで熟す。
謂わば 国王専属の事務官、秘書と云った役所だ。
役に立たない上 嘘や誤った報告をする大臣・高官供が多いせいで 情報収集なども仕事の内に入っているが、基本は 許可が通った案件や、再考となった事案などの処理を 各部署へ通達する為にいると云っても良い。
なのに、だ。
「あはは…………あははは……あはは、はははっ」
煮え繰り返っている感情とは裡肚に、乾いた笑いだけが室内に響いた。
何せ 誰もいない室内だ、響き放題だ。
誰もいなくて良かったとも云う。
他人が見たら、散々 不気味がった末に 引き摺ってでも医者の許へ連れて往かれるだろう。
自分でも異常な状態だと判っているが、何分 いろいろ止められる精神状態になかった。
何故、自分は こんな事をしているのだろう。
何故、自分は こんな目に遭わなければ
ならないのだろう。
数秒毎に、こんな考えが頭を過る。
判っている、綜ては陛下のせいだ。 そして、油断をした私のせいだった。
それを理解している私は、只管 ペンを走らせながら ぎりりと奥歯を鳴らした。
眼の前には、未処理の書類が 山と積まれている。
その殆どが 国王が眼を通す筈の書類だ。
それを 側近である私が眼を通し、有ろう事か サインをしているのだ。
通常なら有り得ない状況であるが、現状 そうせざるを得ない程 実務が滞っていた。
陛下が 王宮を飛び出して、もう5日になる。
綜ての仕事を シズ様と私で賄っているが、これまで 3人で分担していた仕事だ。
その頃であっても ギリギリだった書類精査は、どれ程 頑張っても終わりが見えない。
新たに搬び込まれ 積まれてゆく速度のほうが早いのだ。
正直、2日目で根をあげたくなった。
尤も、陛下の役割の殆どを熟されているシズ様が 愚痴の一ッも零さずにいるのだ。
この状況に大いなる不満があっても、私が先に文句を垂れるなど出来よう筈もない。
勿論、脳内では別の譚だが。
《 何故、あの時 席を外すなどと云う愚行を!》
私は、5日前の事を 度々 思い出しては、歯軋りを繰り返していた。
あの日、どうして 油断してしまったのだろう。
アシュリー姫の行動力なら 有り得る事だったのに。
事実 意表を突かれはしたが、同時に『アシュリー姫らしい』とも惟ったのだ。
あの お優しい姫が、夕方まで愨しくしているなど有り得なかった、と。
その間も窘しんでいる者がいると判っている状況で 何もせずにいるなど有り得ないのだ、と。
《 少しでも考えれば、容易に予測が出来た筈なのに!》
あの時『夕方に王都を出て』などと云う言葉を耳にして、油断してしまったのだ。
尠くとも 夕方まで出て往く事はない、と勝手に決め付けてしまった。
それこそが アシュリー姫の思考誘導だったのだろう。
怕らく、附いて往く気-満々だった陛下への牽制だったのだろうが。
《 それに 私が引っかかっては駄目だろうに!》
考えれば考える程、己れの不甲斐なさに恚りが溜まる。
春先とは云え 肌寒い季節の筈だが、今は やたらと暑く感じるくらいだ。
歯軋りなど しっぱなしになっている。
奥歯の凹凸が削れて なだらかになるのではないかと惟う程だった。
《 帰って来たら 問答無用で椅子に縛り付け 仕事をさせ続けてやる‼︎ 》
国王への不敬罪? はっ! 処罰したければ すれば良い。
そうなったら、側近の職を辞して とっとと田舎に帰るだけだ。
あの国王の顔を見ずに済むなら、いっそ 清々する!
私は 高速で書類を作成しながら、脳内では 吐き捨てる様に文句を聯ねていた。
此処-数日は、常に こんな状態だ。
そのせいか、資料や書類を搬んで来る官吏達は 誰も私に声を掛けない。
所謂『腫れ物-扱い』を受けながら、10時の鐘の音を 遠くに聴いていた時だ。
「ただいま、クランツ」
唐突に、陛下の声がした。
反射的に顔を上げたが、書類の山で視覚情報が阻まれている。
誰の姿も見えはしなかった。
《 幻聴?》
その可能性もある、いい加減 私も疲れている。
だが、次に聴こえた言葉で その可能性は地平線の彼方に吹っ飛んだ。
「凄い量だね、サボってたの?」
「失礼なっ! 何処かのサボリ魔と一緒にしないでいただきたいですね‼︎ 」
私は、思い切り 机に拳を振り降ろしながら 勢い良く竚ち上がった。
何も考えずにやってしまったが 左手で良かった、結構 痛い。
「あはは、冗談だよ」
竚ち上がった事で、漸く陛下の姿が見えた。
黒髪黒眼の美丈夫の隣には、銀髪蒼眼の美女もいる。
やはり 幻聴ではなかった………そう気が抜けたのは、一瞬だけだった。
《 ふ、ふ ふふふ。》
沸々と、私の中の恚りが再燃してゆく。
顔を見たら 般若の如き表情で怒鳴り散らしてやろうと惟っていたのに、私が執った行動は 真逆のモノだった。
「これはこれは、陛下。お帰りなさいませ、お久しぶりですね」
私は、左手の痛みも忘れて 満面の笑みを泛かべていた。
私の睛も 口許も、綺麗に三日月型を描いている筈だが、怕らく 形式的な笑みになっているのだろう。
苛立ちは最大限 匿したつもりだが、顔の其処彼処に疲労でも泛いていたのだろう。
陛下の隣に竚っておられるアシュリー姫から、労りを込めた視線を頂戴した。
しかし、この時の私は そんな優しい睛へ応える事が出来ない状態だ。
結果、アシュリー姫を無視をした形となってしまった。
大変 申し訳なく惟うのだが、今日だけは お赦し願いたい。
何せ、恚りの対象が 眼の前に現れたのだ。
この5日間、溜めに溜め込んだ いろいろをブチ撒けてやらなければ気が済まない。
そんな感情に衝き動かされて、私は 陛下へ冷ややかな笑顔を向けた。
「側近である私に一言もなく 王宮を飛び出されて、早-5日。まさか、これ程 長く離れる事になるとは惟いませんでした。陛下が即位なされて 初めての事です。お会いしたさの余り、私の心は 千々に砕けて飛びそうでしたよ」
えぇ、実際に 精神を病みそうな勢いでしたよ。
あの日から 自室へは戻れないくらいの忙しさでした。
私の部屋は 王宮の一郭にあると云うのに、です。
10分で往復出来ますが、その10分あったら 何枚の書類に眼を通せると惟うんです?
隣に仮眠室があるって? 寝たら起きませんよ、それじゃ困るでしょう?
睡眠時間? 憶えていませんよ。
休憩時間? ある訳ないでしょう?
私が こんな苦労を強いられている間、何処かで気侭に遊び廻っていると考えたら、腑も煮え繰り返りますよ。 当然でしょう?
何故、怒っているかなど お尋ねになるんです? この満面の笑みを見て判らないんですか?
顔が悚い? あははははっ、元から こんな顔ですが?
疲労-続きな上 徹夜-続きで、可妙しなテンションになっている自覚はある。
だが、自分ではコントロール出来なかった。
体調も 感情も 表情も、次から次へと飛び出る言葉も、だ。
「お会い出来なかった間、心を込めて せっせと認めてきましたが、まだこれだけの書類があるんです。 勿論、お仕事してくださいますよねぇぇ?」
のべつまくなしに摺み掛けて、書類の山を示した。
私の机に積み上げられている書類の山と、シズ様の机の上に残っている 同量の書類の山だ。
1っの山だけで 何100枚あるのか、最早 數えたくもない量の書類である。
「 –––––––––––––………… 」
流石の陛下も、これに文句は言わなかった。
数秒 喑黙った後、ゆっくりと溜息を零される。
「仕方ないかぁ、遊んだしね」
惟いもかけない言葉だった。
いや、一応『これを拒否なさったら 側近の職を辞してやる』と睛で訟えはしたが。
それでも、この程度の脅しで 陛下が引き下がるなど、前例がない。
だが、嘘や騙しにかかっている様子でもない。
一瞬 戸惑っていると、アシュリー姫が 陛下へ笑みを向けられた。
「はい」
促す様に頷いた事で、漸く 私にも理解が出来た。
《 お?》
勤勉である事や誠実である事を憙む この魔法使いが、陛下を諌めてくださったのだ。
そのお陰で、陛下が自主的に戻って来たのだろう。
「休息の後は、労働を」
私の机へ歩み寄ったアシュリー姫は、そう言いながら書類の山の1っを擁え上げた。
「うん、そうだね」
軽い苦笑いを泛かべてはいるが、陛下も 同じ様に書類の山を擁えた。
そして、国王の執務机へ それを搬んでいる。
《 っ おお!》
何と云う事だろう! 陛下が 躬ら仕事をしようとしておられる!
あの、仕事を始めるまでに 口を敞けば仕事をしたくないと ほざき、口を閇じていれば 職場放棄をして逃亡しようとする陛下が!
今、自分から椅子に座り 職務を全うしようと爲さっている!
こんな日が来るとは惟わなかった!
《 まさか、偽者では……。》
一瞬 疑念が過ったが、すぐに それでも構わないと惟った。
あの美貌が この世に もう1人いるとは考えられないが、もし いたなら、即座に捕獲して影武者に仕立て上げてやる。
全力で『しっかりと仕事を熟す陛下』に仕立て上げるのだ。
もう 働いてくれるなら、偽者だろうと本物だろうと構わないのだ。
寧ろ、偽者のほうが扱い易い気がしてならない。
本当に 何処かにいないだろうか。
《 こんな屈折した性格をしているのは 陛下とシズ様だけだろうから、遠慮なく調きょ っ…………教育をして差し上げるのに。》
そんなしょうもない事を考えている間に、私の机の上にあった書類は 国王の執務机に移されていた。
アシュリー姫は、書類の山を前に 少し遠い眼をしている陛下を見て 雍かい笑みを泛かべた。
「では、お働きくださいませ」
「約束だからね」
微苦笑は そのままだが、間違いなく 陛下は働こうとしておられる。
《 おおおっ!》
何と素晴らしい! アシュリー姫が来てくださった事で、あの陛下に こんな変化が‼︎
国王に即位されてから今日に至るまでの悩みのタネが、こんなに あっさり消えるなんて!
奇蹟だっ、アシュリー姫でなければ爲し得ない奇蹟だ!
《 このまま 正妃となってくだされば、ラッケンガルドは安泰………と云うか、私の苦労が 大幅に軽減される!》
国益よりも私益が先に立っているが、大目にみてほしい。
アシュリー姫がエスファニア王国の姫君だとか〔森の妖精〕だとかすら考えずに 諸手を挙げて正妃に歓迎したいくらい、今の私は追い詰められていたのだ。
忙殺されていた挙句、戻ったばかりの陛下を椅子に縛り付けずに済んだ事で、すっかり舞い上がっていた。
しかし、次の瞬間、浮かれていた私の耳に 信じられない一言が飛び込んで来た。
「では、わたしはエスファニアへ戻ります」
《 –––––––––––––––え?》
今のは、幻聴か?
戻る、と聴こえたが………而も、エスファニア王国へ。
いやいや、そんな訳がない。 今、王宮へ戻って来られたばかりなのだ。
怕らく『後宮へ戻る』と言ったのを聴き間違えたのだろう。
私も 大概 疲れているのだ、そうに違いない。
軽く頭を振ろうとした攸へ、陛下が言葉を返した。
「うん、気を付けてね」
《 え⁉︎ 》
『気を付けろ』とは、どう云う事だ?
後宮へ戻る道中に 危険などないだろうに、何故 陛下は『気を付けろ』などと言うのだ?
「はい」
「本当に、本当に気を付けるんだよ?」
陛下、そんなに真剣な顔で念押しをする必要が何処にあると云うのです?
後宮は、すぐ其処ですよ? 知っているでしょう?
私は、混乱していた。
そう、混乱していたのだ。
つまり、アシュリー姫が『戻る』と言った先が後宮ではない事を ちゃんと理解していたのだ。
故に 混乱し、誰かに否定してほしかったのだ。
勿論、そんな都合の良い解釈など数秒も保たずに坍れ去ったのだが。
「はい」
雍かい笑みで頷いたアシュリー姫は、声も出せずに竚ち竦んでいる私へも その笑顔を向けてくださった。
「では、クランツ様、御機嫌よう」
淑女の挨拶を残して、アシュリー姫は廊下へ繋がる扉へ歩き出していた。
《 な⁈ 》
本当に往ってしまうのか⁈ このままエスファニアに⁉︎
なのに、何故 陛下は止めないのだっ⁈
混乱し続ける私を余所に、美男と美女の会話は進んでいた。
「ラノイ様、サボっては駄目ですよ?」
「判っている」
早くも書類を手にした陛下は、先程までとは異なる硬質な声と表情で返答をしている。
そんな陛下へも 小さな微笑みを向けてから、アシュリー姫は 執務室を迹にされた。
《 なななな 》
廊下へ消えた背を 名残り惜しそうに見送っていた陛下だが、約束は果たす おつもりらしい。
「 …………ふぅ」
切なげな溜息は零していたが、手は 早くもペンと書類を把っている。
だが、今の私は そんな奇蹟も睛に映らなかった。
「何したんですかーーー!!? 」
私は、王の執務机に詰め寄りながら叫んでいた。
「わっ、吃驚した」
去ってしまった魔法使いに想いを馳せていたのか、珍しく 陛下が驚いていた。
尤も、それを珍しがる余裕など 私にはない。
ついさっき〔獅子王〕状態だった陛下が、いつものゆるゆるに戻った事に気付く余裕すらなかった。
「勝手に出てって 勝手に襲われて、襲撃者の後始末を こちらに押し付けて、あっさり北の邨の問題を解決したクセに、その後 お目付役の者達を撒いて行方を瞑ますとか 有り得ない事ばかりした挙句、遂には 妃にまで逃げられてりゃ世話ないでしょう⁉︎ 」
「うわ、酷いな」
「問答無用です!」
「いや、問答はしようよ」
惶てふためき 叫び散らしている私へ 濃くなった苦笑いを向けながら、陛下は 数10枚の書類を手許へ置いた。
「逃げられたとかじゃないんだ」
〔獅子王〕ではない陛下に 穏やかな声で言われ、私は 今しがたの2人を思い返す。
確かに、2人の どちらからも深刻な様子は見受けられなかった。
陛下が アシュリー姫を怒らせて、結果 エスファニア王国へ帰ってしまった……とかではない様だ。
和やかだった様子からして、私の眼の届かない場所で過剰接触をし捲って 嫌われたとかでもないのだろう。
まぁ、万が一 そうなったなら、この人は 見栄も外聞もなくアシュリー姫を引き止める筈だ。
怕らく、本当に姑息な泣き落としを仕掛けてでも。
それに気付いて、私は 少し冷静になれた。
《 だとすると………。》
私は、あれこれと思案しながら 最も高い可能性を口にする。
「なら、一時的な里帰りですか?」
希望的観測と云うか、私の期待が 大いに含まれたモノだ。
ほんの数時間、何かの用事でエスファニアへ戻られた……それだけの事なら、陛下の この落ち着き様にも納得出来る。
「う〜ん、それとも 少し違うんだけど」
微妙に言葉を濁しつつ、陛下は 積み上げられた山から 書類を数10枚 手に把る。
「つまりね、彼女には 向うでの仕事もあるんだよ」
文面に睛を趁らせながら、呟く様に説明をする。
「支配区域-内の ちょっとした事なら、こっちからでも 何とでも出来るらしいんだけど」
次々とサインをして、また 次の書類を束で手にする。
「でも、リリィの仕事は それだけじゃないんだ」
エスファニア国王に仕える魔法使いに
求められるのは、城にいる時間だけではない。
そして、アシュリー姫は、啻 王の傍に
侍るだけの存在でもない。
これは、私にも判る。
〔森の妖精〕でもある あの方は、樣々な方法で 樣々なモノを護っておられる。
それは、エスファニアと云う大国の国土に収まるモノではなく、近隣の諸国に及ぶとも聴く。
だからこそ、こうして ラッケンガルドへも滞在して頂けるのだ、と。
しかし、だからと云って 城にいなくても良い訳ではないらしい。
「今日は、特別な客が城に来るんだとかで、どうしても戻らないといけないんだって」
陛下の言葉に、私は 眉間に皺を寄せた。
「何故です? 幾ら 特別な客とは云え、アシュリー姫は 正式な王家の一員じゃないんでしょう?」
王侯貴族であれば、外せない交友と云うモノもあるだろう。
だが、アシュリー姫は エスファニア王家に聯なる事を匿して あの国におられる。
自身の出自は 勿論、称も 姿も詭っていると聴いている。
ならば、強制される事などない筈だ。
況してや、12〜13歳の少女の姿を借りているのだ。
かの国の国王も 客の接待を強要はしないのではないか、そんな考えが先に立ったのだ。
「だったら、そんなのはエスファニア城の者達で……… 」
何とかすれば良い、そんな不遜な言葉が漏れそうになった。
いや、此処まで発言したなら 言ったも同然の様な気がするが。
兎も角、私は アシュリー姫が帰還してしまった事に納得がいかないのだ。
決して、愉しみしていた 午前の お茶がおあずけになったせいではない。
蓄積し捲っている疲労と ささくれ立っている神経を鎭める為に、お茶を入れてほしかったとかではないのだ。
心の何処かで期待していた分、大いに落胆し 八ッ当たりをしたくなっているとかでもない。
「ん〜 」
そんな私の苛々など欠片も理解していないのか、どうでも良くて 気付かないフリを爲さっているのか。
陛下は、非常に力の抜ける 間延びした声で返答をくださった。
「それが、リリィに会いに来る客なんだよ〜 」
「は?」
アシュリー姫に? 王家の誰かではなく、アシュリー姫に?
一層 眉根を寄せた攸で、重要な事に気が付いた。
《 そうか。あの方が〔森の妖精〕だからだ。》
数10万人いると云われる魔法使い達の中で、光りの属性を持つ者だけが冠する『妖精』の称号。
これを幼い身で具え、陽の晃りのみならず 凡ゆる光りを統べる存在。
それは、陽であり 月であり 星であり、更には 人工的な光りすらも その支配下におく。
加えて、生きとし活ける綜てのモノを掌握する。
故に、彼女の称号は〔光りの妖精〕でも〔生命の妖精〕でもなく〔森の妖精〕なのだ。
陛下から聴かされたアシュリー姫の譚の一部を思い出した途端、硬直してしまった。
あの方は、魔法使いなのだ。
而も、特殊な立場にある魔法使いなのだ。
アシュリー姫-自身が、にこやかで穏やかな女性なせいか 忘れてしまいがちなのだが。
エスファニアに〔森の妖精〕がいると知れ渡っている状況で、アシュリー姫に客……。
《 悪い想像しか出来ない状況じゃないですか⁉︎ 》
叫びたかったが、直前に硬直してしまったせいか 声が出なかった。
虚しく、口をパクパクとさせるばかりだ。
しかし、判り易くもあったのだろう。
そんな私を見て、陛下は 苦笑を深めたまま首を振っている。
「エスファニアでは 良くある事らしいんだけど」
陛下は サインをした書類を ひらりと手から離し、ふぅ と溜息を咐く。
「1人は 公爵夫人で、後の2人は 北からの使者だって」
この落ち着き様なら 危険はないのだろう。
陛下なら、真っ先に その辺りの確認をしている筈だし。
何撰り、この方は アシュリー姫に関しては強すぎるくらいに執着しているから 信用しても大丈夫だろう。
執着の仕方については、全く信用出来ないが。
勿論、今は 口に出すつもりもない。
「公爵夫人は、エスファニアのですか?」
「うん」
陛下の肯定に、私は 口許をへの字にした。
何故、自国の貴族の……相手が 公爵と云う地位の女性であったとしても、態々 帰国しなければならない程の相手なのだろうか。
そんな惟いが、口から零れ出る。
「そんなの、後日でいいじゃないですか」
自分でも不遜な科白を吐いた自覚はあるが、どうにも納得出来ない。
私の大切な お茶の時間を簒ってまで、その貴族に会わなければならなかったのだろうか。
せめて お茶の 1杯でも淹れてくださってから、などと云う愚痴まで零れそうになる。
そんな我儘な気持ちが顔に出ていたのか、陛下が 小さく苦笑した。
「リリィの お茶のファンなんだって〜 」
あぁ、それは判る。
あの お茶は本当に素晴らしい。
あれの為ならば 戻って来てほしいと我儘を零す貴婦人の気持ちも理解出来る。
何せ、数日 飲まなかっただけで禁断症状が出るくらい美味しいのだ。
だから、もう 認めよう。
私の 不遜-極まりない態度も、分を弁えぬ物言いも、アシュリー姫の お茶の禁断症状のせいだ。
漸く 気持ちが靖まると惟った矢先、おあずけをくらったせいだ。
《 …………あぁ、切ない。》
心の中で盛大に歯嚼みをしながら、私は もう一方の来客について尋ねた。
話題を変えなければ、と惟ったのだ。
これ以上 尊大で不遜な言葉を吐いてしまう前に 冷静になるべき、と僅かに残った理性が訟えかけたのである。
「『北からの使者』と云うのは、エスファニアの北隣の?」
「ああ。ファイセル王国と フェイアル王国だ」
「エスファニア王国と国境を接している大国ですが、それが どうして……… 」
私は、独白の様に疑問を呟いていた。
エスファニア王国は、周囲を山脈に囲まれた高地にある。
特に、南のフォルモーサ王国との国境に聳える山脈は険峻で、標高-4000〜6000メートル級の山々が聯なっている。
超えるには、過酷な峠を抜けるしかない。
騎馬で漸く超える事は出来るだろうが、そもそも 峠の逵は広くないらしい。
精々、2列で進める程度だそうだ。
商人でさえ、大量の荷を搬ぶ事を諦める酷道だそうだ。
北方の国境にも 同等に山脈があり、一部 山並みが切れている部分には 常に噴火している活火山があると聴く。
常に噴煙を上げている山など 危険でしかない。
しかし、その活火山の西脇にしか 国境を越えられる場所はないらしい。
接する国々から 意図的に分断されたかの様な地形だ。
故に、エスファニアは 大国でありながら他との国交が薄いのだ。
私の疑問は、それを考慮してのモノだった。
幾ら エスファニアが豊かな国であっても、危険を冒してまで赴く必要があるのだろうか、と。
これに、陛下が補足情報をくださった。
「そもそも、あの国々とエスファニアとの間に 親密な国交はないそうだよ」
「は?」
ならば 何故? そう惟った攸で、答えが与えられた。
「だから、エスファニアとはなくても リリィとはあるって譚」
陛下は、着実に書類の山を切り崩しながら 淡々と談してくださった。
エスファニア王国を例えるなら 天然の要塞、もしくは 陸の孤島。
この2っの表現が 最も適切だろう。
普通ならば 工業も商業も衰退しそうなモノだが、あの国の守護者は〔森の妖精〕だ。
気候を温暖にし 土壌に働きかけ、有りと凡ゆる実りを安定させてしまえる。
而も、綜てが豊かな状態で安定化してしまえるのだ。
これで国庫が富まない訳がない。
飢える心配のない国民は、農業に苦労をしない分 他の産業に力を入れる事が可能になる。
因って、産業は発展する。
子供達を農作業などに駆り出す必要もなく、必然的に 学業への関心も高まる。
国民-総修学と云う 有り得ない状態になれるのも 国が豊かであるが故だ。
一方、盗賊など 悪事を働く者が出れば、王侯貴族が率先して討伐すると云う……まるで、陛下だらけの様な国だ。
犯罪などに手を染めるのはハイリスクな事であり、そんな勇者は 数年-単位でしか現れないそうだ。
安全で安心で 穏やかで豊か、それが エスファニア王国と 同国の民達への評価だ。
私は往った事はないが、アシュリー姫を見ていると 何となく判る気もする。
かの国を訪れた旅人が そのまま永住してしまうくらい良い国だと云う譚にも納得だ。
もしも 世界から隔絶されようとも、かの王国が困窮する事だけは 絶対にない。
寧ろ、世界が滅んでも あの国だけは何事もなく残る気すらする。
〔森の妖精〕に愛される国 –––––––それが エスファニア王国だ。
《 改めて考えると、随分 規格外な存在ですね。》
今更と云ってしまえば それまでなのだが、日頃のアシュリー姫が穏やかな人のせいか、どうも忘れがちだ。
だが、間違いなく あの方は〔森の妖精〕で。
『北からの使者』は、アシュリー姫が〔森の妖精〕だから会いに来るのだ。
ならば、活火山の脇にしかない危険な逵を通ってでも来訪する理由は判る。
アシュリー姫の加護の恩恵に肖りたい国は 多いだろう。
当然だ、誰だって 富の保証は欲しい。
〔森の妖精〕と知るからこそ擦り寄って来る者も多い事だろう。
《 だが、あの国々は 既に加護を受けているのでは……?》
〔森の妖精〕の支配区域に、北方の国々も入っていた筈だ。
エスファニアと 北隣のファイセル・フェイアルに 加護を、南隣のフォルモーサに守護を、其々 与えていた筈なのだ。
豊穣の契約を貰ったも同然の国が、アシュリー姫に危害を加える事はない。
同じ理由で、更なる富を欲する事もない筈だ。
何せ、史上-有り得ない程 豊かになっているのだから。
《 なら、これは 定期的な訪問なのかもしれない。》
尠くとも、取り入ろうとする愚者の訪問ではないだろう。
ほっとして 小さく息を零した私に、早くも 一山をクリアされた陛下が アシュリー姫からの情報を僅かに談してくださった。
「故ファイセル国王とは、随分 親しかったのかな。相談されて、数ヶ月 滞在して、それを解決させたとか」
何と云うか…………それは、容易に睛に泛かぶ情景だった。
この国での状況と酷似しているのだから 当然だ。
あぁ、アシュリー姫は 本当に心の優しい お方だ。
惟わず 心配になってしまう程に、お優しくていらっしゃる。
何処かで悪い誰かに騙されやしないだろうか。
どうせ騙されてしまうなら、その相手は 是非 陛下であってほしいものだ。
そうなれば、毎日 お茶を淹れて頂けるし、何撰り 私の仕事が っ、げふんがふん。
《 あぁぁぁ、どんどん陛下に染められてゆく………。》
いや、今の状態は 過度の疲労に因る一過性のモノだ。
怕らく、しっかりと休息を摂れば 何事もなかったかの様に元に戻るだろう。
…………是非、そうあってほしい。
アシュリー姫が エスファニア王家の方だと知って尚、こんな考えを持ってしまうなど 側近として間違っている。
私の役目は、あの方を 陛下の毒牙からお護りする事で、生贄に捧げる事ではない。
況してや、我慾の為に それを忒えてはいけない立場だ。
《 駄目だ、しっかりしろ! 私の気が綯めば 国が滅びる!》
大袈裟ではなく、間違いなく そうなる。
アシュリー姫に無体を働けば、エスファニア王国は勿論 周辺国も黙っていない。
啻でさえ 貧困に極みにある小国など、あっと云う間に更地になるだろう。
私は最悪の状況を惟い泛かべる事で、改めて 気を引き締めた。
尤も、その想像が最悪すぎた事で 顔色ばかりか気分や体調まで悪くなってしまったのだが。
「 …………大丈夫?」
「はぁ………まぁ、何とか」
珍しく私を気遣ってくださった陛下に 曖昧な返答をする。
これ以上 考え込むと、倒れてしまいそうだ。
此処は、譚を元に戻そう。 うん、そうしよう。
そう決めた私は、ファイセル王国と フェイアル王国について譚を振った。
「どちらも、老王の ご子息が王となっていましたね」
「うん」
老王の死後、あの国はファイセルとフェイアルとに頒れている。
だが、それでも、そのどちらもが フォルモーサ王国-以上の領土を持つ大国だ。
そんな王国からの使者とは どんな者たちだろうと惟ったのだ。
この問いに、陛下は ペンを止めた。
そして、暫く そのままでいたが、表情だけは 変化していた。
徐々にだが、不満そうになってきたのだ。
アシュリー様-絡みで 陛下が不機嫌になるなど、限られる。
《 まさか………いや、しかし 陛下の様子から考えると…………。》
信じられない事だが、使者達が アシュリー姫に?
加護を受けている立場で、危険を冒して 手を出すなどするだろうか。
私なら 棍棒で殴ってでも止めるが。
「まぁ、たぶん………また ブン投げるんだろうけど」
「は?」
惟いも寄らない一言に、私は 大層 間抜けな声を返していた。
それ程 意表を衝かれたのだ。
《 ぶん投げる? 誰を? 誰が?》
ぶん投げる……北からの使者を アシュリー姫が⁈
まさか! と叫びたくとも、声が出なかった。
驚き佚ぎると、いつもこれだ。 肝心な攸で言葉が出なくなる。
声にならなかった疑問を視線に乗せて 陛下へ向けるが、当の陛下は 私など 一切 見ようとしない。
「あーー、早く帰って来ないかな〜ぁ」
実に切なそうに呟いた陛下は、睛を剥き出して 絶句している側近など この部屋にいないかの如く扱われる。
気付いているだろうに、見ないフリだ。
こうなると 返答も回答も希めない。
《 説明してくださいよ!》
怒鳴りたくとも 声は出ず、視線すら併せてもらえない。
何と云う酷い扱いだろう。
この5日間の苦労を犒えとは言わないから、詳細な説明くらいしてほしい。
《 いや、っ 知るのも危険か⁈ 》
アシュリー姫の 穏やかな雰囲気が途切れたのは、あの妖精との交信の時だけだ。
それですら 極寒のオーラを放ったくらいで、あの女への対応としては軽かったくらいだ。
そんなアシュリー姫が、物理的に相手を……など、私には想像出来ない。
一体 何をすれば、あの姫を 其処まで怒らせる事が出来るのだろう。
知りたい様な、知るのが悚い様な。
《 だが、このまま事実を知らないままでいるのも………いや、しかし。》
私の事など意にも介さぬ陛下が 怒涛の勢いで書類を片付け、政務室で王の代行をしていたシズ様が 執務室へ戻られるまで、私の葛藤は続く事となった。
だいぶ長くなってしまいました。
やっぱり クランツ書くのは面白いです。
でも、間違いなく 脱線しまくり、間違いなく 長くなってしまう(x _ x)
そんな訳で、いつもより読み辛くなっていると思います。
申し訳ありません。m(_ _)m
推敲せずに投稿したので、おかしい点があれば また後で修正します。




