35__隠れ家で迎えた朝
ラノイが幼い頃に住んでいた 廃村同然の温泉地に建つ隠れ家で、最初の朝の お話です。
ラノイ・リーゼロッテ、それぞれの視点で書いてみました。
では、期待しないで どうぞ。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
火山に因る 地熱と 温泉の豊富な湯の恩恵に与かる この地方でも、朝晩は寒い。
温泉街の外れにある山の中腹であっても、家の隣に温泉を引いた露天風呂を持つ。
地熱と 温泉の湯を利用した床暖房が完備されているとは云え、春の様に暖かい訳ではない。
「ん…………?」
寝返りが出来ない事で、眠りが破られた。
《 また…………。》
しっかりと抱き締められた状態だと、反射的に理解した。
1度とは云え、経験した状態だった事が 理解の早さに直結していた。
だが、今の彼女は 半ば寝暈けている状態だ。
どうして動けないのか察しはしたが、我が事として 本当の理解には至らなかった様だ。
《 湯たんぽ、作る………て、言ったの に。》
そう惟いながら、彼女の意識は 再び夢の中へ湮んでいった。
数時間後、リーゼロッテは 喫驚し、盛大に後悔する眼寤めを迎える。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔獅子王〕- ラノイ=アシュリオン=ラッケンガルド___
「ごめん、リリィ。本当に ごめんね」
ダイニングキッチンに設置されたテーブル越しに、僕は リリィに謝り倒していた。
彼女は 今、調理台の前に竚って 僕へ背を向けてる。
一言も喋らずに、僕に背を向け続けてる……。
《 うわ〜ッ、どうしようっ。》
一昨日、僕達は 首都を発ち、北の邨の災害復旧をして その日の内に襲撃者達を返り討ちにした。
その夜、僕はリリィに魔法を掛け 勝手に抱き枕にして眠った。
翌日に當たる 昨日の朝、リリィは 怒ってなかった。
僕の腕の中で 真っ赤になって身を縮めてたけど、怒ってる様子はなかった。
だから、ちょっと調子に乘ったんだ。
つまり、僕は 昨日の夜も同じ様にした訳だ。
《 こんなに怒るなんて惟わなかった。》
僕の本心は、僕が觝れるのに慣れてもらう事だった。
その為に択んだ方法だった。
だって、最初は 詬しがって 睛を乖らしたりはされたけど、基本的には 互いの距離が縮まった感じだった。
妙な緊張はしなくなってたし、僕に抱き寄せられても硬直しなくなってたし。
それが 一緒に寝た御蔭なら 將に一石二鳥! と惟ってた。
強靭な理性と 膨大な自制心が要るけど、僕に迷いはなかった。
そんな訳で、昨日も一緒に寝た………ら、どうやら 怒らせた。
「ごめん、ってば〜 」
何回目だか忘れるくらい、只管 謝り続ける。
もっと大人らしく謝ろうかと惟ったんだけど、リリィは〔獅子王〕の僕よりも 仔猫な時のほうが対応が雍かいから、このほうがいいかもと判断した。
最早 莫迦の一つ覚えの如く、啻々『ごめん』を繰り返してるだけだけど。
その度に、リリィは 小さく肩を震わせて、ちょっとだけ振り皈って 睛の端で僕を見る。
そして、何とも云えない表情をしてから また顔を乖らす。
こんな状態が ずっと続いてた。
何か言いたい事があるんだと惟うけど、リリィは 何も言ってくれない。
そう、起きてから 一言も喋ってくれないんだ。
《 遣り佚ぎた⁉︎ って事⁈ 》
もっと リリィに近付きたくて、もっと 僕を受け入れてほしくて、だったのに。
これじゃ、逆効果だ。 って云うか、僕的にダメージ大だ。
このまま談してくれなくなったら………なんて考えると、背中や額に冷や汗が滲む。
《 叱り飛ばされたほうがマシだよ〜! 》
2時間くらい正座させられて お説教でも いい。
そうなってもいいから、お願いだから、何か談して。
もう 口も利きたくない、なんて惟われてたら どうしよう!
もう 傍にいる必要もない、なんて惟われてたら どうしよう!!
え⁈ 縛る? 縛ったほうが いい? 離れられない様に綰いどいたほうが無難?
《 いや、駄目だ。リリィは戒縛の仂が悚いんだ。》
落ち着け、落ち着くんだ、僕! 今こそ冷静にならなきゃ。
此処で焦って 仂なんか使ったら、決定的に嫌われちゃう!
この手段は、絶対に駄目だ。 最終手段にも入れちゃ駄目なヤツだ。
《 落ち着け、落ち着け。兎に角、誠心誠意 謝って……それでも駄目なら、その時に考える事にして………兎も角、落ち着いて………。》
ちゃんと説明して謝れば、きっと赦してくれる! と惟おう‼︎
僕は、深呼吸をして リリィを見た。
詬しさからか、リリィの白い頬は紅潮してて、蒼い瞳が うっすらと潤んでる。
そんな状態で、上眼遣いに ちらりと見られたりする。
うわ、どうしよ、すっっごく可愛い!
こんな状況じゃなかったら じっくり堪能したいくらいだ。
いつか、こんな顔で おねだりとかしてくれないかな。
何でも云う事 聆いてあげちゃうのにな。
…………うん、してくれないだろうな。
《 いかん、凹んできた。》
現実逃避してる場合じゃないと惟い直して、改めてリリィに向き直る。
そうして謝ろうとした僕の口が紡いだ言葉は実に短く、そして 考えてた科白とは程遠いモノだった。
「だって、あったかいんだもん」
勝手に零れた言葉に、自分で驚いた。
《 何だ⁈ 今のは! 子供の言い訳か⁉︎ 開き直りなのか⁉︎ 》
一応 弁解しておくと、開き直った訳じゃないし あんな事を言うつもりもない。 なかった。
怒ってる相手に 不貞腐れた態度をとって、いい事なんかない。 判ってる。
判ってるのに、何で あんな言葉が出たんだ⁈
《 どうしよう、自分でも引くくらいの発言をしてしまった。》
思考の中じゃ焦ってたし 凄く動揺してたけど、僕は 表面的には澂まし顔だ。
つまり、怒ってるリリィを前に 開き直りを展開した形になってる。
旁から見たら、そうとしか惟えない態度じゃないだろうか。
寧ろ、完璧な仕上がりと云っていいくらいかもしれない。
《 うっわ〜、莫いわ〜ぁ。》
客観的に察ても、発言・態度-共に 最低の対応だ。
政務室で 官吏や大臣の誰かが こんな態度で この科白を口にしたら、僕なら 馘にする。
うん、絶対 そうする。 迷う必要もない。 即時 馘にする。
まさか、そんな失態を自分でやる日が来るなんて………何だか、泣けてくるね。
動揺してたにしても、酷すぎる。
《 どうしよう、本当に嫌われたかも………。》
惟わず、深い溜息が零れた。
今、きっと 情けない表情してるだろうな。
そう惟うと 顔を上げてられなくて、いつの間にか 俯いてた。
僕の視界は、眼の前のテーブルの木目を 意味もなく映すだけだった。
《 …………泣き陥としって、有効なのかな。》
女の手段な気がするけど、こうなったら試してみようか。
いや、幾らリリィが優しくても この状況で通用する訳ないか。
九分九厘、軽蔑されて終わる。
僕は 心の中で乾いた笑いを零しながら、そんな事を考えてた。
「だ から、と 云って………… 」
「っ!」
凄く短く、だけど ちゃんと、リリィが返事をしてくれた。
その途端、僕は撥じける様に顔を上げてた。
リリィは 背を向けたままで、彼女の顔も 調理台のほうに向いてる。
だけど、今日-起きてから 初めて喋ってくれた!
その事が 吃驚するくらい嬉しかった。
同時に、非常に冷静になれた僕は 方法を変える事にした。
「湯たんぽなんか、じきに洌くなっちゃうでしょ? でも、リリィなら ずっと……… 」
あったかいから、と 小さな声で付け加える。
自分でやってて云うのも何だけど、笑っちゃうくらい卑怯だな、これ。
だって、リリィは これに 凄く懦いんだ。
今までだって、こう云う態度をとると 大概の我儘は押し通せた。
実は昨日、幼い魔法使いの兄の他に 弟もいるって教えてくれた。
だから、甜えられると懦いのかな、なんて惟った程度だったけど。
まさか、こんな場面でも有効だとは惟わなかった。
でも、これは貴重な突破口だ。
「リオ……… 」
リリィが、僕を見た。
ほんの少しだけ振り皈って、ちらりとだけ 僕を見た。
《 ………可愛い。》
じゃなかった! いや、可愛いんだけど! それ攸じゃなかった!
摺み掛けるなら 今しかない。
この機を遁しちゃ駄目だ。
でも、絶対に それと気付かれちゃいけない。
なるべく いつも通りに、いつもの『仔猫なラノイ』の時みたいに、甜え掛かりながら しっかり反論の隙は潰してかないと。
僕は、気を引き締めつつ 表情を緩ませた。
「それに、リリィと一緒なら、安心して ちゃんと眠れるし」
「っ」
リリィが 息を飲んだのが聴こえた。
次いで、彼女は 勢い良く僕のほうに向き直った。
未だ真っ赤な顔が 少し驚いた様な表情をしてたけど、怒った様子はない。
やっぱり この策は有効なんだな。
「だけど、ごめんね。僕は良くても、リリィは 厭だったよね」
しょぼくれた子供みたいな謝り方をすると、彼女の頬は 尚更 赧くなった。
困った諷で 口を ぱくぱくさせたけど、じきに 苦笑いを泛かべる。
《 吾ながら、狡いな。》
リリィは、いつも 僕を心配してくれる。
僕の周りの人達の事も、この国の事も、だ。
優しい魔法使い、僕の唯一、大切なリリィ。
そんな彼女だから、あんな一言で 簡単に僕を赦してくれたりする。
凄く嬉しいし 有り難いって惟う反面、匿し通さなきゃいけない慾が 盛大に疼き始める。
《 あぁ、付け込みたいぃぃ。》
僕は 本来、相手を追い詰めて 凡ゆる逃げ場を簒った上で 自分の意思を押し通すタイプの人間だ。
欲しいと惟ったら、卑怯な手段を使っても 手に入れたくなる。
そんな僕を前に、そうとは知らないからとは云え、こんなに簡単に隙を作っちゃうんだから リリィって 無防備だなぁ。
《 僕-以外の、僕みたいな人種に引っ掛からない様に しっかり見張っとかなきゃ。》
赦された途端 こんな事を考える僕は、身勝手で強欲な人間なんだと惟う。
でも、もう リリィじゃなきゃ駄目なんだ。
王妃に迎えられないってなったら、王座を放棄してもいい。
シズに押し付けて、僕は リリィを追うよ?
リリィが ラッケンガルドを離れたら、迷わず そうするって決めてるんだ。
絶対 教えてあげないけど、こうやって僕を赦す度に リリィの逃げ道はなくなるんだよ?
《 一応、ごめんね、リリィ。 でも、絶対に逃がさないから。》
そんな事を考えながら、僕は とても霽れやかな笑顔を泛かべてた。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
その後、改めて謝った僕は リリィが作ってくれた朝ご飯を喰べながら 上機嫌で今後の予定を談してた。
「今日は、街の温泉にも入ってみる?」
この発言に、リリィは 皿から顔を上げた。
「お帰りにならなくて……… 」
宜しいのですか、って続けられる前に にっこりと笑顔を向ける。
「いいの、新婚旅行だから」
「違います」
間髪入れずに否定されたけど、僕は ご機嫌なままだ。
だって、こうして会話してくれる事が 今は凄く嬉しい。
良かった、嫌われてなくて。
声が聴けるって嬉しい、会話が成り立つって素晴らしい事なんだね。
「えっ、違うの?」
「ち、っ 違います」
訥りながらも、リリィは 否定を繰り返した。
折角 引いてた頬の赧みが戻っちゃってる事には、気付いてるのかな。
《 可愛いなぁ。》
もう少し堪能したくて、ちょっと意地悪してみた。
「えーーー 」
不貞腐れた声を出せば、リリィは 子供みたいな態度の僕から睛を乖らした。
「雇われて いるだけ、です」
繊細い声が、そう呟いた。
俯き加減だけど、対面に座ってるから 顔が見えない訳じゃない。
朝食の皿へ向けているつもりらしいけど、蒼い瞳は 震える様に游いでる。
因みに、皿に盛られた ふわふわのオムレツは、彼女のナイフで小さく切り刻まれてる。
ふわっふわで 口に入れた途端に溶けるオムレツが、今 無惨な姿になりつつある。
《 動揺しすぎ。》
なに これ、可愛い!
ぎゅうって抱き締めて 好きなだけキスしていい⁈
今朝の事とか思い出しちゃったんだなって、すぐ判るよ? だけど、匿そうとしてるんだよね?
でも 匿し切れてないのが自分でも判ってて、それで 余計に動揺しちゃってるんでしょ?
《 いっぱいいっぱいです、って感じが すんごく可愛い! 》
精一杯 普通に振舞おうとして出来てない、そんなリリィを見て 僕のほうが悶えそうなんだけど!
もう、将来設計と云う称の悪巧みとか、これから先の家族計画だとかを 躬ら暴露しそうなくらいなんだけど!
うわああぁ、どうしよう。 ちょっとした悪戯のつもりが、拷問になって撥ね返ってきた。
こんなリリィを前に おあずけなんて、辣すぎる。
思考の半分で そう惟うのに、僕の思考の もう半分は、真逆の対応を選択した。
徐に、心底 哀しそうな表情を作って、心からショックを受けたって感じの声で呟いてた。
「リリィは、僕の奥さんなのに……… 」
甜えられる事や、無防備な笑顔に懦いリリィだ。
しょぼくれた子供みたいな態度には、からきしだった。
撥じけた様に皿から顔を上げたリリィは、真っ直ぐ 僕を見た。
その睛が詭りの表情に戸惑ったのを見た直後、僕は ぺろりと舌を出した。
悪戯っ子の顔をした僕を見て、リリィは 睛を丸くした。
2秒後、喫驚してた脳が 揶われた事を理解したらしい。
「 〜〜〜〜リっ、リオ!」
詬しさと いろいろと居心地の悪さとが綯い交ぜになって、それ等 全部を誤魔化したい気持ちが盈れてるって態度だった。
こんなの 可愛くない筈がないよねっ。
僕が悪いけど、絶対 そうだけど、こんなリリィが見れたんだから いいか!
僕は、満面笑顔で 怒ろうとするリリィに言った。
「攣れないなぁ、僕の奥さんは」
蕩ける様な笑顔になっちゃったけど、リリィが可愛いんだから仕方ないよね。
リリィは、真っ赤な顔で むくれてたけど、そんな顔も 凄く可愛い。
《 いつか こんなリリィを見てる事が日常になる様に………。》
これからも弛まぬ努力をしよう。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
朝、抱き締められて眠っていた と改めて知った直後、わたしは ラノイ様の腕を振り觧いていました。
理由は簡単、詬しかったからです。
だって、耐えられますか⁈
寝起きで ぼんやりしていても寤めるくらいの笑顔で 至近距離から『おはよう』なんて!
1度 体験済みとは云え、あんな心臓に悪いの 耐えられません!
あのまま ラノイ様の気が済むまで抱き締められていろと云うなら、屋根の上で眠ります! 絶対に そうします!
心も頭も そう言い張っていたのだけど、どう云う訳か 言葉が出ませんでした。
腕を振り觧いてベッドから逃げ出した直後の ラノイ様の顔が、眼の前を ちらついて………。
気分的には 噭びたいくらいなのに、緲かな声も出なくて。
数秒 硬直していた わたしは、湯上りに着た柔らかい素材の寝間着の上に 防寒着を套ねて、逃げる様に 離れを出ました。
だって、どうしたら良いのか判らなくて。
暫く ラノイ様から離れて、少し落ち着きたかったのです。
なのに、3分もしない内に ラノイ様が追ってきました。
身形を整え、手に ご自身の防寒着を持って、惶てた様子でダイニングキッチンへ駆け込んでいらっしゃいました。
心臓が止まる程 驚いたのは、云う迄もありませんよね?
3分で着替えてきた早業に驚く暇などありません。
わたしは、3分では冷静になれないのです。
《 半日くらい放置してください! お願いです、切実な願いです。喋れないので伝わらないでしょうが。》
この人は、何度 わたしを驚かせたら気が済むのでしょう。
ちっとも治まらない どきどきが、今は 痛いくらいになっていると訟えれば良いのでしょうか。
放っておいてもらえるか試してみたい攸ですが、声が出ない場合は どうしたら伝わるのでしょう。
言葉を尽くしても伝わり切らない感覚的な譚を 理解してもらえる様に談すなど、わたしには難易度が高いのですが。
頭の中で 目紛しく考えている間に、ラノイ様は わたしの背後におられました。
「リリィ……… 」
控えめに掛けられた声で 近付かれていた事を知った わたしは、跳び上がらん程に 驚きました。
実際に 跳び撥ねていたのかもしれません。
そんな わたしを見て、ラノイ様は またあの顔をしました。
ショックを受けた様な……そう、深く傷付いた人が泛かべる 疑問と哀しみが滲んだ顔を。
そして、一瞬だけ 泣きそうになる寸前の様な表情をして、すぐ 頬に微笑を貼り付かせました。
とても綺麗な、でも 誰が見ても作り笑いだと判るモノでした。
どうしましょう、わたしのせいです。 こんな顔をさせたい訳ではないのに。
でも、ラノイ様のせいでもあります。 元を正せば、ラノイ様のせいなのです。
あの様な事を爲さらなければ、わたしだって これ程 狼狽えずに済んだのですから。
でも、自分の状況を きちんと談せない わたしが悪いのかもしれません。
けれど、でもでも………。
その様な事を考えていた数秒の間に、ラノイ様は 必死に謝り始めました。
どうやら、起きた直後に 一言も喋らず逃げ出した事と、今 ラノイ様から跳び退いた事で 勘違いを爲さった ご様子です。
わたしが 怒っている、と。
其処まで考えて、ふと 気付きました。
《 ひょっとして………わたし、怒っても良いのではないかしら。》
そして、はたと気付いてしまいました。 わたしの中に その感情がない事に。
確かに 恚りはありません。
嫌悪感……も、ありませんね。
只管 詬しいだけです。
心臓は 痛いくらいに早くなっています。
もう少しで、ドラムロール並みの速度になりそうです。
つまり、こうして傍にいられるだけで 死にそうなのです。
出来る事なら 今すぐにでも逃げ出したいくらいです。
しかし、このダイニングキッチンの出入口は ラノイ様の背面にある扉のみ。
戦闘速度で動けば 横を擦り抜けられるでしょうが、心身-共に今の状態では不可能でしょう。
換気用の小窓はありますが、この軀のサイズでは閊えてしまいます。
小鳥にでも変身すれば別ですが、離れているとは云え、ラノイ様が そんな隙を見遁すとも惟えません。
困った事に ラノイ様には〔不可視障壁〕も通用しませんし、現状 打つ策ナシです。
このまま耐えろと、耐え続けていろと、そう云う事なのでしょうか。
《 何でしょう、この苦行。》
耐えなければいけませんか? 詬しくて 窘しくて、呼吸困難になりそうなのですが。
そう訟えたくて ラノイ様を振り皈りますが、どうしても言葉が出ません。
次第に、追い詰められている気分になってきた わたしの思考回路は、冷静とは程遠い攸にありました。
どのくらいかと云いますと、キッチンの壁か天井を魔法で吹っ飛ばして逃げようかと 真剣に思案した程です。
過去となれば笑い譚でしょうが、この時は 本気です。
つまり、わたしは 非常に危険な精神状態にありました。
そんな わたしの耳には、ラノイ様の謝罪も届いていません。
この様な状態であったのに、何故か 一言だけ聴こえました。
「だって、あったかいんだもん」
そう云えば、昨日の朝も 同じ事を仰有っておられましたね。
ひょっとして、寒さには お弱いのでしょうか。
一瞬でしたが、逃走-以外の事に思考が働きました。
少し気が逸れた とも云います。
その御蔭か、わたしの口から 小さな言葉が零れ出ました。
やっと声が出た事に安堵して、では これから当初の目的の通り 独りにして頂こうと惟ったのですが、上手くいきませんでした。
わたしが喋った事で ラノイ様が勢い付いたのです。
一緒だと暖かい・安心する・ちゃんと眠れる、と摺み掛ける様に仰有います。
確かに、通常の湯たんぽでは 朝には冷えているでしょう。
ですが、わたしが魔法を掛ければ その心配は要りません。
安心……は 魔法では無理ですが、だからと云って わたしを、なんて………。
《 心臓が保ちません! 》
そう お伝えするよりも、ラノイ様が 先に言葉を紡ぎました。
「だけど、ごめんね。僕は良くても、リリィは 厭だったよね」
長身の背は丸まり 柳眉は下がり、意気消沈と云った ご様子です。
叱られた子供の様に項垂れたラノイ様を見て、息が停まりました。
何でしょう、これ。 凄く痛い……凄く 辣いです。
その様な樣は 見ていられません。
お罷めください、良く判りませんが わたしが泣きたくなってしまいます。
だけど、この気持ちを どう伝えたら良いのでしょう。
お顔をあげてください? どうか お気に爲さらず? わたしは 厭ではありません?
『 わたしは 厭ではありません 』?
ぇ? えっ?
何を考えましたか、わたし。
いいえ、確かに 嫌悪感はありませんでしたが、でも 今のは? 同じ事……ですか?
この考えが過った途端、急に 頬が熱くなりました。
先程は なりませんでしたよ? なりませんでしたよっ?
《 どうして、この様な事に⁈ 何故 今は動揺してしまうの⁈ 何故 これ程 頬が熱くなるの⁈ 》
先程まで 辿々しくも出ていた声は、全く出ません。
辛うじて 口が動く程度です。
何を言葉にすれば良いのでしょう、どう伝えれば良いのでしょう。
頭が回りません、自分の事なのに 判りません。
魔法使いとしての経験は それなりに積んできましたが、こう云う事となると 全く判りません。
《 判るのは『わたしが ラノイ様に弱い』と云う事だけね。》
わたしは、この方には 敵わないのでしょう。
魔法や 戒縛の仂を抜きにしても、敵わない相手なのでしょう。
数10万人いる魔法使い達の猛攻を掻い潜り、これまで逃げ延びてきた わたしが。
綜ての光りを統べる 規格外の妖精であり、魔法使いとして 300番代の序列にある わたしが。
戒縛の仂を使いもしない、魔法使い-以下の ラノイ様に敵わない。
そう惟うと、何だか笑えてしまいました。
綺麗に微笑む事は出来ず、きっと 苦笑いになってしまったでしょうが。
ですが、そんな わたしを見て、ラノイ様は安堵なさった様です。
テーブルの向うで、ほっと息を咐いて 霽れやかな微笑を泛かべられました。
恐慌状態になっているのか 自分の気持ちも状況も判りませんが、この方が笑ってくださった事は 素直に嬉しいです。
だから、今は それで善しとしましょう。
そんな事を考えながら 見詰めていたら、急に背筋が ぞわっとしました。
《 っ⁉︎ ––––––––––––ん? 》
何でしょう、霽れやかな笑みが 何だか悚くなった様な?
項の辺りが 急速に冷えた気が…………。
どう云う事でしょう? 朝から驚き通しで 疲れたのでしょうか。
《 と、取り敢えず、朝食にしましょう。》
何だか深く考える事も躇われ、わたしは 気分を変えるべく朝食の準備に取り掛かる事に致しました。
本業の繁忙期が 漸く収束し、やっと書き始めたのですが……やっぱり疲れていたのか 妙なテンションで書き進め、こうなってしまいました。
ラノイとリーゼロッテのイメージが崩れた! とかならないと良いのですが……。
まぁ、書いている当人の頭の中では 常にこんな状態の2人なので、自分的には違和感がないのです。
たぶん、次に投稿する時には いつもの書き方に戻るのではないかと思われます。




