28__北の国境への道行き
気が遠くなってきました。
まだ 5日目なんです……そして、昼過ぎなんです。
頑張って 付いてきてください。
___視点:〔獅子王〕- ラノイ=アシュリオン=ラッケンガルド___
国王としての衣裳から 簡素な衣服に着替えたラノイは、その足で 馬房を訪れていた。
何頭もいる馬の間を抜け、1頭の許へ趾を進める。
ラノイの匂いを嗅ぎ付けたのか、青鹿毛の馬が 栗色の睛で ラノイを見た。
眼許から鼻に掛けて 1本の筋状に茶色の毛があり、鬣にも紅茶色の毛が淆ざっている。
漆黒ではない毛並みは 艶やかで、体躯は 美々しい。
ラノイは、馬房に綰がれていた その馬の鼻先を優しく撫でる。
「お前の脚が必要なんだ、力を貸してくれるか?」
ゆったりと眼舜きが返され、ラノイは ほんのりと口許を綻ばせた。
そして、馬に 鞍と手綱を着ける。
ラノイは 細身の長剣を腰に、ひらり と青鹿毛の馬に跨った。
青鹿毛の馬は、馬房の中で 背に乗ったラノイを、視線だけで 見遣る。
命令を俟つ様子に、ラノイは 浅く肯いた。
「頼むぞ、河伯」
穏やかな睛をした その馬は、ラノイの指示を受け 逞しい脚で駆け出した。
青鹿毛の馬-河伯は、馬房を出ると そのまま南の庭を走り抜け、門へ邀う。
ラノイが邀う先にあるのは、王宮の南にある 正門だ。
馬房から北へ邀えば 西門へも往けたのだが、ラノイが択んだのは 南門だった。
正門の内門にいる門番達の前で 馬足を緩めはしたが、停まる事なく 馬で抜ける。
濠を渉った先の外門でも、停められる事はなかった。
正門の南には、大きな逵が伸びている。
少し 南へ下がった処で、同じ広さがある 東西の逵と交わる。
この双方が、城郭都市である首都と 外地を繋ぐ門へと続く大通りである。
ラノイは、その角を 西へ曲がった。
人通りと 馬車や 荷馬車の往来があるメインストリートを、迷惑にならない速度で 馬を走らせる。
荷馬車や 幌馬車の速度に合わせるのは 焦れたが、緊急時ではない。
《 大丈夫、まだ 首都を抜けてはいない筈だ。》
怕らく、魔法使いは 西門を抜けただろう事、その際 魔法を使っただろう事を察していた。
同時に、来訪した時の様に 鳥に姿を変えて移動はしないだろう、とも考えていた。
午前の内に 王宮を出るの出ないのと 騒いでおいたのだ。
人の姿で、きちんと門を通って、王宮を出ている筈なのだ。
王妃は 密かに王宮を離れた。
そう云う目撃情報を、判る者にだけ 判る様に残しておく必要がある。
門の外に 待機する者達がいなくとも、目撃情報を辿れる様にしておく為だ。
王妃は『眼立たずに移動する旅人』を妝おうとしている、と云う素掉りを見せなければならない。
ならば、大通りではなく 西へ続く住宅街の通りを進むだろう。
其処を 不自然ではない速度で移動するならば、城門の前で追い付けるだろう。
心の中で 自分に云い聆かせ、逸る気持ちを扼える。
そうして、王都を西へ進み 城壁が近くに見えてくると、旅人の姿が多くなってきていた。
西からの旅人は、大河を渉った先にあるサマリア王国や フォルモーサ王国の者達が多い。
この辺りになると、黒髪ではない旅人に紛れて 魔法使いの色彩は眼立たなくなる。
尤も、その類い稀な容姿は 何処にいても人眼を惹くのだが。
ラノイは、視線を巡らせるまでもなく 1人の旅人の背に睛を定めていた。
周囲の視線が、その人物に集まっていたのだ。
旅人達も、旅人を当て込んだ商売をする者達も、啻の一般人達も、啻-独りを見ている。
彼等の視線の先には、白い異国の外套を羽織り 髪を隠す様にスカーフを巻いた旅装の女がいた。
「アシュリー!」
青鹿毛の馬を 走らせながら、ラノイは 彼女の背へ声を掛ける。
それを振り皈って、魔法使いは 趾を停めた。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
青鹿毛の馬の背から 元気良く手を振る人物を、この国の王だと判る者など 皆無だろう。
唯一 理解している魔法使いだけが、若干 惘れを含んだ睛で、馬上の青年を見ていた。
「 –––––––––––––………… 」
最早、言葉も出ないのだろうか。
暫くして、魔法使いは 長い溜息を零していた。
其処へ、駆けて来た馬が寄る。
「良かった、追い付けた」
ひらり と馬から降りたラノイは、侍従の衣服に 身を包んでいた。
下町を歩くには違和感がない服装だが、首都を囲む城郭の外へ出るには 睛を引く格好だろう。
平民達の衣服よりも 幾らか上等な仕立ての服に、腰には 細身の長剣を扠している。
どう見ても、王宮から使いに出た 官吏の1人である。
それを気にした様子もなく、ラノイは 馬の手綱を手に 魔法使いの前に竚った。
「僕が附いてくの察して、勝手に出て来たの?」
満面の笑顔で ラノイが問い掛けると、蒼い瞳が 困った様に細められた。
「お判りなら………… 」
そのまま 仕事を続けていてほしかった、と云う言葉を飲み込んで 魔法使いはラノイを見上げている。
理解しているだろうに、ラノイは 仮初めの妃の視線を まるっと無視をする。
「まさか、こんなに早く行動に出るなんてね〜 」
許可なく王宮を出る事は察していたが、まさか 昼食後-すぐに出るとは惟っていなかったのだろう。
ラノイは、意表を突かれたと零しながら笑っている。
「お仕事は どう爲さったのです?」
ラノイは、午後のティータイムの後に出掛けるのだろう と詠んでいた。
その為、午前と午後の時間を 数日分の書類精査に宛て、王宮を出る準備をしていた。
まさか、昼食後から 午後のお茶の時間までの『妃の空き時間』を利用されるとは惟わなかった。
書類の精査は、まだ残っていた。
殆どの山は処理したが、綜てに睛を通した訳ではない。
それでも、ラノイは 簡単に言い放った。
「優秀な側近と 有能な宰相と その補佐官がいるんだから、大丈夫だよ」
後は 彼等に任せておけば良い、本気で そう惟っていた。
だから、迷わず 魔法使いを追って来たのだ。
「ラ………… 」
名を聘びかけて、魔法使いは 言葉を切った。
密められた声が届く範囲に人はいないが、軽率な発言は避けたほうが良いだろう。
何せ、この2人は 頓でもなく眼立つのだ。
この通りの衆目を集め捲っている、と表現しても 過言ではない。
その為、彼女は 口を拑んだ。
「リオ、で いいよ。外だから 聘び捨てにしてね?」
「 ––––––––––––リオ……… 」
「そう」
ラノイは 嬉しそうに笑んで、魔法使いへ腕を伸べ 馬上へ擁え揚げた。
そして、その後ろへ ひらりと乗る。
河伯は、手綱に因る指示を俟たずして その趾を城郭に開く門へ進め始めた。
出会った時と変わらない強引さに、諌める事を諦めたのか。
幼い魔法使いは、愨しく 河伯の背に揺られている。
だが、綜てを納得させた訳ではないのだろう。
何か言いたげに、彼女の睛がラノイを見る。
「 –––––––––––––………… 」
蒼い瞳は 軽く瞠られ、数瞬後に 顔毎 乖らされた。
「なに?」
向けられた瞠目ではなく、乖向けられた顔で 相手の機微に気付いたのか。
ラノイは、河伯に横乗りをしている銀髪の娘へ 睛を向けた。
問われた魔法使いは、少し考えた後 ご機嫌な若き王を振り仰いだ。
「お忍びは、良く爲さるのですね?」
「うん」
悪びれもせずに答えたラノイは、魔法使いの上体を抱き支える様な姿勢で ゆっくりと馬を進める。
「僕ね、王宮の外で育ったから 王宮の空気に馴染めなくて」
魔法使いの切長の瞳が、真っ直ぐに ラノイを見上げる。
其処に、晳ら樣な驚きが滲み出ていた。
「昔は、良く 城下へ降りてたんだ」
娯しい話題であるかの様に、ラノイが そう言った。
国王となった者が、曾ては 市井で暮らしていた。
それは、決して 娯しい過去ではない。 これは 訊かずとも判る事だ。
しかし、今のラノイに 負の感情は察えない。
それは〈魔法使いの眼〉で 垣間見たラノイの心にも 映されている。
しかし、魔法使いが驚いたのは 其処ではなかった。
「 ………… 」
彼女は 沈黙した後、ゆっくりと 睛を伏せる。
無表情に近くなった瞳に、ラノイは 笑みを向けた。
「アシュリーは、何処で育ったの?」
この質問は、自分の過去に何等かの憂いを感じたらしい 彼女の気分を変えさせようとしてでもあり、前から 興味があった事でもあった。
彼女の母は、エスファニア王国の第二王女。
そんな人物が、自分の存在を死んだものと偽装して 子供の存在をも匿していた……そう詠み取れる言葉を、出会った日に聴いている。
王女は、身分違いの恋をし
その者の子を宿したのではないか。
咎められ 胎の子を弑められる前に
躬ら 城を出たのではないか。
ラノイは、そんな想像をしていた。
この理由ならば、王女であったアナスターシァが 身分を捨てた理由にも納得が出来るからだ。
何せ、この優しい魔法使いを育て上げた母親だ。
有り得る譚だろう、と 見当を付けていた。
「エスファニアの北に拡がる〔鎮守の森〕と聘ばれる森の 一郭です。両親は、其処に隠れ住んでおりましたので」
両親と云う単語に、ラノイは『やっぱり』と惟った。
身分を、華やかな生活を、苦労のない未来を
綜て捨て、彼女の両親は 愛を選択したのだろう。
だからこそ、魔法使いは、自分が王の血族だと伝えずに エスファニア国王に仕えているのだろう。
そう 惟った。
「王宮に馴染めない、と云うのは 少し判ります」
小さく泛かべた その笑みに、仄かな自嘲を見た気がした。
「 …………そっか」
微笑んで返しながら『道理で』とも惟う。
《 何か 似た感じがしたんだよね、何となく だったけど。》
華やかな事を憙まない部分や、煌びやかな装飾品に興味を示さない部分は、その容姿に そぐわなかった。
彼女なら、着飾る事も 華やかな茶会を披く事も、その容姿と立場を利用して 名家の娘達を従える事さえも、似合う姿だ。
漠然と、そんな事を 惟った事があった。
勿論、賢明なラノイは、一生 言葉にする気はないが。
《 本当に、アシュリーは いいなぁ。》
知れば識る程『憙ましい』と感じる。
自分と近しい境遇だからと云うだけではないが、似ている事を知って 撰り惹かれたのは事実だった。
ラノイは、すぐ傍にいる魔法使いの横顔へ微笑を向けた。
その睛が、愛しいと語っている。
尤も、対象者は 周囲へ睛を向けていて、ラノイの視線に篭められた想いには 気付かなかった様だ。
「それにしても、もう少し変装したら 如何です? 襲撃に来る者達が〔獅子王〕の顔を知っていたら、台無しですよ?」
密めた声で、魔法使いが 忠告した。
理由は、周りの衆目にあった。
《 注目されてるのは、殆ど アシュリーのせいだと惟うけど。》
ラノイが現れる前から、周囲の視線は 魔法使いへに集まっていた。
今も、周囲の視線の先には、白い異国の外套を羽織り 髪を隠す様にスカーフを巻いた旅装の女へ向けられている。
同じ馬上にある ラノイは、平民にしては少し高級な服装に 丸眼鏡を掛けただけの変装だ。
いろいろな意味で、眼立っていた。
いや、これで 人眼を引かないほうが 可妙しい。
尤も、彼とて この服装が旅をするに相応しいとは惟っていない。
お忍びで城下を歩き廻るには 適していても、城郭の外へ出る者の装備ではない。
予定では 魔法使いと 王宮を抜け出した後、適当な店で旅装を手に入れて 着替えるつもりでいたのだ。
「時間がなかったからね、誰かさんのせいで」
最後の部分に 若干の厭味を込めて、ラノイが返した。
同時に、とても素晴らしい笑顔を 魔法使いへ向けている。
これに対して、彼女は 同様の笑みを泛かべた。
「未来を変えようとしたのに、それを 更に捻じ紆げたり爲さるからです」
この表情に、周囲の第三者達が 一斉に赤面した。
傾国の美女が泛かべる笑みに魅せられたのか、息を飲む事も忘れて硬直している。
尤も ラノイには『愨しく王宮で仕事をしていれば良かったのですよ』と云う声が聴こえてきそうな笑顔だった。
勿論、ラノイは、そんな幻聴など聴こえなかったフリをする。
当然、周囲の人々の反応も 見えないフリだ。
「あ、やっぱり 視て判ってたんだ」
___ 未来を変える ___
つまりは、ラノイについての未来を視ていた と云う事だ。
これが どう云う事か理解していて、ラノイは 何も言うまいと決めた。
今は、それを談す時ではない。そう判断しての事だった。
「ラノイ様には内密に、と お願いをしましたのに……… 」
独り言の様に呟かれた愚痴に、ラノイが 満面の笑みを向ける。
「帰ったら、あの女官は 褒めておかないとね」
笑み声で呟きながら『今頃は』と惟う。
あの時 執務室にいなかったクランツは、面白いくらいに取り乱しているかもしれない。
そう惟うと、愉快だった。
見られないのが残念だとも惟うが、その場にいれば 彼は、首の根を掴んででも ラノイの外出を礙げた筈だ。
《 驚いただろうなぁ。》
クランツも、ラノイと同様 魔法使いが行動を開始するのは夕刻だろうと詠んでいたのだろう。
故に、昼食-直後であった あの時は、気が綯んでいたと推察される。
そうでもなければ、彼がラノイから睛を離す筈がないのだ。
油断していた為、精査した書類を 躬ら搬ぶなどと云う 迂闊な行動を執ったのだ。
ラノイには、僥倖だったとしか云えない。
《 お陰で、クランツを出し抜く必要もなく、こうして 外へ出られたんだし。》
偶然とは云え、クランツが執務室を出たタイミングで報せにやって来た あの女官には 何か褒美を出しても良い、などと考えながら馬を進める。
その顔を見上げていた魔法使いが、軽く瞠目する。
「 …………娯しいのですか?」
訊かなくとも判る疑問を、彼女は 呟いた。
睛を併せるまでもなく、ラノイの うきうきとした気分が伝わってくるのだ。
それを 態々 言葉にしたのは、驚きが強かったからだ。
「うん」
匿す事もせず、ラノイは 上機嫌に答えた。
確かに、面倒な仕事を離れる口実としては 最適だったかもしれない。
だが、それにしては 喜びすぎに惟える。
譬え、仕事を押し付けてきた と云う後ろめたさが欠片もなかったとしても、である。
そして、事実 ラノイには、シズやクランツに対する負い目の様なモノは 一片も莫い。
「 –––––––––––––………… 」
これに、魔法使いは黙し、暫くして 小さく苦笑った。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
城郭の西門で、ラノイは 門兵達に何かを見せた。
それは、掌に収まる大きさの 扁たい金属だった。
円盤形の それを、馬上から門兵達に見せると、彼等は 一斉に息を飲んだ。
数拍をおいて 敬礼した後、何も言わずに 2人を通してくれた。
ラノイは、門兵達へ見せたモノを 隣人に見えない様に 手の中に隠していた。
ちらり と前の人物を見るが、魔法使いは 興味を向けていない様だ。
怕らく、知らなくとも良い何かだ……そう惟っているのだろう。
《 こう云う攸が、アシュリーらしいな。》
見なかったフリではなく、そもそも 見ようとしない。
他の女達では、こうは いかない。
手許を覗き込もうとし、根掘り葉掘り 尋ねてくる。
見せたくない素掉りを見究めて、それを睛にしない様 配慮するなど、魔法使いらしい心配りだ。
慄しい威力を発揮する円盤型の金属を 懐にしまい、ラノイは 河伯の脚を 城郭の外へと進める。
15メートル以上ある壁を刳り抜いた、広い通路を通る。
其処を抜けると、宏大な原野が見えてきた。
ラッケンガルド王国は、国-全体の地盤が大きく うねっている上、大部分が乾燥地になっている。
サバンナを想わせる 乾いた大地は、見渡す限り 波を打っている。
幾つもの小山があるのではなく、ゆったりと波打つ大海原の一瞬を切り取った様な国土なのだ。
宛ら、微風に はためくシーツに出来た襞を想わせる。
遥か上空から瞰す事が出来るなら、撰り顕著に そう感じる事だろう。
そんな土地だけに、平らな場所は 多くない。
平野はなく、幾つもの盆地があるだけだ。
この首都も、盆地に築かれた城郭都市であった。
からからに乾いた逵が 西へと伸び、中天から降り注ぐ晃りに照らされている。
商人達のキャラバン隊や 旅人の姿はない。
彼等が 此処を通るのは、昼食前 (出立する者達) か 夕刻 (到着する者達) なのだ。
この時間に 門を抜けるのは、城郭の外へ 野草や薬草を採りに赴く者達だ。
精々 2〜3時間で戻る外出であり、城郭から 遠くへは離れない。
故に、暫く進めば 人影はなくなる。
西へ続く街道にあるのは、2人を乗せた河伯だけとなった。
「アシュリーは、北西から入ったの?」
人がいなくなったのを見て、ラノイが 問い掛けた。
これは、何となく疑問に惟っただけで、特に気になっていた事ではない。
謂わば、数時間の道中の場繋ぎに惟い付いただけの問い掛けだった。
これに、魔法使いは 小さく首を振る。
「いいえ、こちらへは西から参りました」
「サマリア王国との国境から?」
意外な返答に、ラノイは 小首を傾げた。
ラッケンガルド王国から見た エスファニア王国の位置は、北西に当たる。
互いの首都を繋いでも、ほぼ 同じ位置関係になる。
間に幾つかの山脈と 大河を挟む事になるが、鳥に変幻する事が可能な〔森の妖精〕には 関係がないだろう。
昊を渉る事が可能な 彼女なら、逵も 山脈も 関係ない。
国境すらも無視して、一直線に来ても 可妙しくはない。
《 エスファニア王国からなら、北西のほうが近いのに。》
ラッケンガルドへ来る前に、西の何処かへ寄っていたのかもしれない。
そう惟っていると、魔法使いが 答えを口にした。
「あの辺りも、魔法属の戦地にされますから」
極-短い、そして 要点が抜けている言葉だったが、ラノイには 理由が伝わったらしい。
1度 睛を丸くし、後に 苦笑を泛かべた。
《 本当に、優しい魔法使いだな。》
ラッケンガルド王国の西には、岩で出来た山脈がある。
その向うに、北から西へ流れを うねらせた大河がある。
この辺りは、年に 数度、魔法属の戦地となる。
魔法使いは、この事を示唆しているのだ。
「アシュリーが気にする事じゃないでしょ?」
ラノイの苦笑は、この優しい魔法使いが、この国の天災を 本気で憂いていると判った為だ。
気にするな、など この娘には届かない。
これは、執務室の遣り取りで 厭と云う程 理解した。
「わたしの身内も、あの場所を戦地にした事が ありますし……… 」
かなり気拙そうに、彼女は 呟いた。
この時 ラノイが気に留めたのは、申し訳なさそうで 肩身の狭そうな魔法使いの様子ではなかった。
「アシュリーの身内って?」
呟きながら、ぼんやりと惟う。
《 對とか? 》
魔法使いは、家族の譚をしない。
彼女の身内と云って 惟い付くのは、エスファニア王-フェイトゥーダ=エヴァン=ナヴァールくらいだ。
出会った日に 家族を喪った事も耳にしている。
詳しくは談さなかったが 身内は従兄のみなのだろう、と ラノイは そう解釈していた。
故に、反射的に 他の妖精達を惟い泛かべたのだ。
しかし、彼女の口から紡がれた言葉は、それを両断するモノだった。
「兄です」
この言葉に、ラノイは 晳ら樣に瞠目した。
《 兄⁈ 実の⁈ 》
喫驚してから、思い出した。
初めて会った あの日、魔法使いは 言っていた。
自分が 家族を不幸にしたと震え、涙しながら 呟いていた。
だからこそ、ラノイは『両親や兄弟はいない』のだと 解釈した。
しかし、確かに 彼女は『兄が死んだ』とは言っていなかった。
あの時の様子から、先趁って解釈していたのだと、この時 初めて理解した。
そんなラノイの 内心の動揺に気付かなかったのか。
魔法使いは、西の昊を見上げながら ぽつりと言う。
「兄は〔戦慄の魔人〕と聘ばれる魔人で、同時に幼い魔法使いとして 御伽噺にも語られているそうです」
早とちりに因る思考の混乱を切り捨てる様にして、ラノイは 思考を切り替えた。
ラッケンガルドの西の国境線で闘った、
幼い魔法使い。
此処-数年で語られ始めた御伽噺の、
幼い魔法使い。
双方を組み併せると、1っの答えに辿り付く。
「ひょっとして『幼い魔法使いと 魔獣を連れた魔女』の噺?」
この御伽噺は、ラッケンガルドへも届いていた。
身近な場所が舞台であった事も手伝って、国中に流布していると云っても過言ではない。
「はい」
あっさりと頷かれ、ラノイは 乾いた笑いを零した……心の中で。
魔法使いが『兄』だと云った〔戦慄の魔人〕とは、魔人の1人だ。
各地を放浪しているらしく、時折 異国での戦闘が 御伽噺となって流れてくる。
東から来た魔女と その配下の魔獣が、
大河の滸で 幼い魔法使いと遭遇した。
双頭の猟犬を模した魔獣の数は 28頭、
対する幼い魔法使いは、その左手に
1本の剣を携えるのみ。
情勢は 圧倒的に不利だが、幼い魔法使いは
顔色一っ変えず、それ等と相対した。
御伽噺の冒頭を思い出して、ラノイは 乾いた笑いを零した……今度は、実際に。
「あれ、アシュリーの お兄さんだったんだぁ」
魔女の命で、魔獣達は 一斉に襲い掛かる。
幼い魔法使いは 赳しい攻撃を躱し、
次々と 魔獣を斬り仆す。
幼い魔法使いが、魔法を使う事はない。
そして、眉さえ 動かす事はない。
最初から 最後まで、剣だけで闘い
綜ての魔獣を仆した。
襲い来る 30頭-弱の魔獣を、幼い魔法使いは
剣のみで仆し殱くした。
その後、魔女も 幼い魔法使いも、
直接は 互いを攻撃しなかった。
魔女は 逃げ、幼い魔法使いは これを追わなかった。
御伽噺を要約すると、凡そ こんな攸だった。
「勍いんだな」
呟きながら、ラノイは 違うと理解していた。
初めから勍かった訳ではない。 そんな訳がない。
〔戦慄の魔人〕は〔森の妖精〕の兄だ。
『魔法使いの蜂蜜』である彼女を 手に入れようとする魔法使い達にとって、その兄は狙い目だろう。
本人は 幼い魔法使いでもあるのだから、逮えるのは容易い。
そう惟われ、方々で 狙われ続ける。
往く先々で 魔人や魔女に襲い掛かられ、彼は 勍くなったのだろう。 生き延びる為に。
闘う手段として魔法を使わないのも、幼い魔法使いであるが故と惟えば、納得出来た。
だが、魔女を逃したと云う点には、理解が半ばだった。
「お兄さんは、どうして 魔女を仆さなかったの?」
〔戦慄の魔人〕という称を持っていても、彼は 幼い魔法使いだ。
まだ 大した魔法は使えないだろう。
魔力の総量と云う点でも、魔法を使うと消費する体力の点でも、だ。
だから、魔法で闘う事は出来なかったのかもしれない。
しかし、彼の武器は 剣だ。
魔獣を仆し得る膊を以てすれば、魔女の1人くらい 仆せそうなモノだ。
「兄は…………わたしとは、違うので」
そう言った魔法使いの口許に、自嘲的な笑みが泛いた。
「兄は、名を ネメアと云い、8齢の 幼い魔法使いです。彼は、わたしのせいで 魔法使いになってしまいました………そのせいか、まだ」
魔人や魔女を殺した事がないのだ と、魔法使いが零した。
自分に刃を向ける魔法使い達に対してさえ、剣を揮おうとしない。
自分とは違い、手を瀆した事のない 魔法使いなのだ、と 呟いた。
銀髪の美女の横顔には、哀愁が漾っていた。
それは、敵を戮す事に慣れ切った自分に対する憂いではなく、戮す事が出来ない兄への不安なのだろう。
力の差があり 自分が格上であるのならば、それも叶うだろう。
しかし、拮抗している場合は 覚悟を決めなければならない。 決めてもらわなければならない。
だが、かの魔人は、それすらも しないのだろう。
故に、魔法使いは 案じているのだろう。
蒼い瞳が、不安を滲ませていた。
《 アシュリー……。》
ほんの30センチ先にある 姚しい横顔を見詰め、ラノイは 掛ける言葉を探していた。
そうする間に、彼女は 元の笑顔を泛かべる。
瞬き-1っで、憂いが嘘だったかの如く 美しい微笑に変わったのだ。
「危ない事ばかり、するのです」
誰もが見惚れる微笑みだが、ラノイには まだ憂いがある様に惟えた。
「加えて、兄は 結界を張る事が出来ないので、どうしても 戦闘の爪痕を残してしまいます」
西から入ったのは、その跡地が どうなっているのかを確かめる意味もあったらしい。
もし、善からぬ状態が見受けられれば 修繕も視野に入れていたのだろう。
ラノイは、魔法使いの 優しい気遣いに、睛を細めた。
自然と、明るい声が出た。
「ああ云うのは、天災の1っだと惟ってるよ。僕だけじゃなくて、この国の人-全員がね」
ラッケンガルド王国の国土は、ラノイの戒縛の仂の影響力が届く。
その為、戒縛の仂の存在を知る魔法使い達は、この国へ入らない。
魔法使いの様に その仂を感じて尚、国内へ踏み込むなどしないのだ。
故に、この10数年の被害は 国土の外から及ぼされたモノばかりだ。
「 –––––––––––––………… 」
それでも、魔法の余波は 軽くはない。
「だから、今回の事も アシュリーが気にする事じゃないんだ」
どんなに『気にするな』と言われても、何等かの責任の様なモノを感じるらしい。
「リオ…… 」
魔法使いは、何かを言いたげに ラノイを見上げた。
「今回の災害だって〔荒れ地〕にいる魔人や魔女が やった事なんだし」
殊更 明るく、そう言って宥める。
この遣り取りは 執務室でも繰り返したが、彼女は 納得をしてくれなかった。
最後は 何とか諾いていたが、やはり 信条に沿うモノではなかった様だ。
「わたしへは 直接の害に成り得なかったので放置して参りましたが、この辺りで 綜て刈り奪っても……… 」
「必要ない」
内心 惶てて、ラノイは 提案を取り下げた。
《 罷めて、アシュリー! 君が危ない事をするの 本当に厭なんだってば! 》
実の兄が闘う事へ あれ程の憂いと心配を向けていると云うのに、自分が危険の中に飛び込む事については 何とも惟っていない。
今の科白で、この事が遉い知れた。
その分、この行動を止める事への困難が俔われる。
「態々 危険な事をしないでくれ」
魔法使いが 兄である〔戦慄の魔人〕を案じているのと同様に、ラノイも 彼女を案じているのだ。
どんなに勍いと判っていても、彼女が敗ける様な相手ではないと理解していても、憂慮せずにはいられなかった。
故に、ラノイは 国王として受け入れるべき提案に諾く事が出来ないのだ
勿論、魔法使いにも 引けない理由があるのだろう。
彼女は、同じ馬上の青年を見上げる。
「ですが………… 」
尚も 魔法使い討伐を進言しようとした魔法使いを、ラノイは 視線で黙らせた。
睨んだ訳ではなく、凄んだ訳でもない。
啻、言葉だけではないモノで 想いが伝わればいい、と願っていた。
「私を心配させないでくれ」
ラノイは、自分を見上げる 蒼い瞳を見詰め、祈る様な気持ちで そう囁いた。
敬愛も 憂慮も 恋情も、ラノイの中で 一緒くたになっていた。
彼にとって、魔法使いは かけがえのない存在なのだ。
戒縛の仂を使えば 事は簡単だと判っているのに、それが出来ない。
それ程 特別な存在になっているのだ。
「危険な事は しないでくれ」
一言では伝え切れない想いの 僅かでも、届いたのか。
ラノイを見上げていた魔法使いは、緲かに瞠目した。
そうして、暫く視線を重ねた後、ゆっくりと睛を伏せる。
蒼い瞳が 長い睫に隠れた。
それを 斜め上から見詰めて、ラノイは 返答を俟っていた。
「 ––––––––––––はぃ……… 」
納得したのか 不承不承なのか、魔法使いは、軽く俯いて 小さく頷いた。
《 納得、してくれた………の かな。》
頷いてくれた事に 安堵はしたものの、安心は出来ない。
彼女が 心から納得してくれなければ、この問題は 解決した事にはならない。
先送りになっただけの状態。
ラノイは、泛かべた笑顔の陰で そう気を引き締めた。
やっと お忍びの話になった!
ここから、ラノイが ちょっとずつ前進する予定です。
恐らく ラノイは『鋼鉄の理性』とか云うスキルを持っているに違いない! ってな展開になるハズです。
勿論、まだ 先の事ですが(笑)




