23__仮初めの妃と 宰相の補佐官 5
5日目の続きです。そして、まだ 午前中です。
___視点:宰相の補佐官 - エディン=オスカリウス___
この部屋に入って 20分も経っていない筈だが、何度 喫驚した事か。
驚きすぎて、良く憶えていない。
綜て、異国から来た王妃に起因するのだが。
《 まさか………。》
その『異国』が エスファニア王国で、王妃の正体が かの国の魔法使いであるとは、惟わなかった。
おれは、この部屋に入ってから、何度 この人を見ただろうか。
備に視線を向けるなど 不躾な行為だと判っているが、控える事も 乖向ける事も出来ないのだ。
寛容な方で侑かった、と云うのが おれの感想だ。
《 何と云うか、不思議な方だ。》
エスファニアの妖精について、おれが知っている事は、怕らく 多くはない。
エスファニア王国と、更に北の フェイアル王国・ファイセル王国の、3っの大国に加護を与えている事。
更に、西の サマリア王国・フォルモーサ王国を守護している事。
力のある魔法使いと比較しても 有り得ない程、宏大な地域を たった独りで護っている事。
サマリアとフォルモーサの 2国にとっては、掛け替えのない恩人であると云う事。
長寿である魔法使いの中で『幼い魔法使い』に属すると云う事。
………この程度だ。
吟遊詩人が謳う事のない魔法使い、御伽噺で語られていない魔法使い。
魔人や魔女と一線を画し、彼等から『妖精』と聘ばれる 特殊な魔法使いの1人。
それが エスファニアの妖精だ。
《 まさか、こんなに穏やかな方だったとは………。》
大層な仂の持ち主らしいから、もっと こう……不遜で 尊大な態度を執る様な 傲慢な魔法使いかと惟っていたが。
何と云うか、いろいろと 真逆な人だった。
そんな事を考えていた おれへ、陛下が声を掛けてきた。
「それで、どうする?」
「は?」
一瞬-前まで 別の事を考えていたせいか、不躾で 間抜けな返答をしてしまった。
数瞬 遅れて、何を問われたのか理解した。
《 詛いの事だ。》
即座に反応出来なかった自分を 舌打ちと共に罵倒したくなる気持ちと、陛下に対し 間抜けな声を返した事への焦りで、一気に 妙な汗が出た。
体温が上がって、思考は 高速で回る。
尤も、頭を巡っているのは 己れへの罵詈雑言だ。
如何に 高速で回転していても、数秒前の失態を取り戻せる状態ではない。
勿論、おれとしても、今 こんな事をしている場合ではないのは 判っている。
脳内で 凡ゆる雑言が重唱されているのを、何とか 振り払おうとした。
《 反省は後だ、今は っ。》
陛下からの問いに お答えしなくては、と惟った途端、再び 指摘を受けた。
「その 詛いだ」
「あ、はあ」
っ––––––––––––またしても 抜けた態度を執ってしまった‼︎
祥い、陛下も シズ様も、お気に爲さっておられないが 自分的には情けなくて仕様がない。
しかし、悔いるのは 後だ。
今は、結論を出さなくては。
選択の余地を与えてくださったのだ、しっかり択ばなくては。
お待たせせずに、尚且つ 正しい選択を。
《 …………と云っても。》
3っの選択肢から 正しい答えを択ぶのは、難しい。
詛いを縣けた者が誰か を察しているだけに、悩み攸だ。
推奨された 3っ目の方法は、択べない。
だからと云って、最も穏便な 1っ目の方法であっても択べない。
何か いい策はないものか………。
そんな事を考えていると、声が掛けられた。
「苛烈な手段は 択べませんか?」
エスファニアの魔法使いには〈心眼〉でもあるのだろうか。
それとも、偶然なのか。
おれの心を詠んだかの如き 問いだった。
そのせいで、おれは 喫驚を向けてしまった。
「 ………… 」
声が出なかった。
またも、答えられなかった。
普段の自分からは考えられない行為だ。
《 聡い方なんだな、この人は。》
先程の質問の裡には、もう1っの言葉があった。
詛いを縣けた倆者が、おれの近しい者の依頼で動いた おれの知る者だ、と。
このせいで どの選択肢も択べずにいるのだと、おれの心境を察した上で 声を掛けてくださった。
それが、向けられた労わる様な 穏やかな視線の中にあった。
判ったからこそ、咄嗟に 声が出なかったのだが。
《 アシュリー様。》
これ程 賢く 優秀であられる方が、王宮内の噂を知らない筈がない。
自分が何と言われているのか、知らない筈がない。
綜てを知った上で、ずっと『知らないフリ』をしておられる。
悪意や憎悪が 自分に向き易い様に、素性を匿しておられる。
陛下も シズ宰相も クランツ様も、承知の上で 動いてきたのだ。
狙われたとて、この賢い魔法使いならば 意にも介さないだろう、と。
《 っ 違う、今は。》
問われた事に、早急に お答えしなければ。
この詛いを どうするべきか、おれが決めなければならないのだ。
脱線していた思考を戻し、眼を向けるべき問題について 再考する。
いや、決めようとした。
だが、おれの意思を尊重してくださると云う 破格の待遇を受けているのに、おれは迷っていた。
《 決めかねる、などとは 言えそうにないのに。》
答えられずにいる おれを見て、今度は 陛下が独白した。
「 ––––––––––––成程」
呟きと共に向けられた 小さな笑みは、緲かな皮肉を含んでいた様に惟う。
どうやら、何もかも ご理解なさった ご様子だ。
流石は、陛下。
《 おれが気付いた事に、もう 察しが付いたのですか。》
悚い お人だ。
言葉にしたら もっと悚い事になりそうだから、言う気はないが。
全く、この方は 一体 何処まで知っておられるのか。
おれと4歳しか違わないのに、この賢俊さは 畏れ入る。
若い王である と云うだけで謾っている臣下もいるが、頓でもない。
数年前の内乱では、躬ら剣を把り 先陣を切って戦場を駆け、英雄であった方。
先王の末子であり、そもそも 正統な第一王位継承者でもあった方。
そして、それ以上に 慄しい方。
決して 謾ってはならない王。
以前、父が そう言っていたのを思い出した。
まだ お若いと云うのに文武両道なだけではなく、洞察力が慄しい。
頭が良いばかりか、情報の解析力にも優れているのだ。
敵に回してはならない人である事を、実感として認識してしまった。
そんな陛下の隣にいるのが、エスファニアの妖精だ。
何と慄しい組み合わ………いやいや、敵を物ともしなさそうな 2人だ。
王妃となってから、アシュリー様に 王宮内の悪意が向けられているが、それとて この人の計算の内だろう。
じきに、纏めて掃除なさる計画かもしれない。
《 …………罷めよう。》
今 考えるのは、何だか 精神に悪そうだ。
アシュリー様が、にこやかな笑顔の裡で どんな企みをなさっているのか、とか考えると 空慄しい。
これからも此処で働くのだから 厭でも睛にするだろうが、その時は その時だ。
今は、睛を乖向けていたい。
一時の現実逃避でしかなくとも、だ。
おれが、そんな 非建設的な思考に囚われている間に、今度は クランツ様が小首を傾げた。
「陛下?」
国王の側近-クランツ様は、陛下の域まで達していないらしい。
執務に於いては 大変 優秀な方ではあるが、陛下の様な炯眼は お持ちではない様だ。
何だろうか、少し安心する。
《 普通の反応だ。》
人の沈黙を詠み取って 事情も心境も察知してしまうなど、決して 普通ではない。
国王に対して『政に関して 優秀な王だとは惟っていたが、こんなに悚い人だったとは』などと感じていた後だけに、この反応には 安堵してしまった。
少しだが、有り難い感じがするのは 気のせいではないだろう。
おれが 失礼な感想を懐いている間、シズ様の視線が 俺と陛下とを往復していた。
…………気付かなかった事にしよう、と惟う。
そのほうが いい気がする。
一方、クランツ様は、含み笑いを泛かべている理由が判らないと云った様子で、陛下を見ている。
これに、陛下は答えを返さなかった。
「仲は 相変わらず、か?」
これは、おれへの問いだ。
時折、陛下は こう云う態度をとられる。
主に、クランツ様に対して 完全無視と云う行為をなさる事が 多い気がする。
そして、クランツ様も それに慣れ切っておられる様に惟う。
この時も、表情を変える事すらしなかった。
それにしても、陛下は まだ24歳と お若いのに、一体 どれ程の情報を お持ちなのか。
尠くとも、おれと あの人との確執は ご存知らしい。
「お詬しい限りです」
おれは、取り敢えず そうとだけ返した。
一連の会話を聴いて 陛下の言わんとしている事を理解したのか、今度は シズ様が苦笑を泛かべた。
「ああ……… 」
小さく呟く様に息を吐いて、改めて おれに視線を向けた。
その睛に 憐愍にも似た色があったのは、気のせいではないだろう。
まるで『可哀相な者を見る睛』を向けられている と感じるのも、気のせいではないのだろうな。
何もかも判っていると云う顔をしているクセに、何も言わない。
ラッケンガルドの宰相は、そう云う質をしておられるのだ。
シズ様は『趣味:傍観』と 公然と宣わりそうな、困った性質の お方だ。
お傍に仕える様になって まだ日は浅いが、よぉ〜く判っている。
最早、非難や 文句の視線を向ける気にもならない。
短期間で、それだけ 苦心させられたからだ。
本当に有能な方なのに、何処か 残念感のあ………いやいや、癖のある お人だ。
無表情で そんな事を考えている おれと、陛下や シズ様などの反応を見ていたのだろう。
「お知り合いでしたか」
アシュリー様が、そう尋ねてきた。
いや、語尾からするに 疑問ではなく確認だったのかもしれない。
この人も 聡いのだ、そのくらい見抜くだろう。
誰にともなく向けられていた言葉に答えたのは、シズ様だった。
「怕らくは、エディンの家の倆者でしょう」
ああ、我が家の事情は、シズ様も ご存知だった。
いや、知っていたからこその あの苦笑いだったと判ってはいたが、こうして 改めて耳にすると……何と云うか。
《 詬しい事だ。》
上司に、家の いざこざを知られているのは、何とも居心地が悪い。
その上司が、この国の王と 宰相なのだ。
おれの気拙さは、筆舌に尽くし難かった。
《 それも これも、あの莫迦のせいだ。》
おれが、発散しようもない恚りと もどかしさを必死に押し殺している間にも、周囲の会話は進んでいた。
「つまり、オスカリウス家-お抱えの………?」
「エディンには 兄が2人いるのだが、その1人が 倆者を嚇して やらせているのだろう」
アシュリー様の問いに答える陛下の声は、惘れを含んでいた。
《 詬しい譚だ。》
そう、おれに詛いを縣けたのは 我が家で雇っている倆者だ。
そして、倆者に命じたのは 兄だろう。
確認はしていないが、状況的に それしか考えられない。
当初は、愚鈍なクセに やたらと対抗してくる同僚の誰か かと惟ったが、どうやら違う。
だから、3っの手段すら択べなくなってしまったのだが。
おれが いろいろな意味で困っていると、追随する様に、シズ様の 苦笑いめいた吐息が聴こえた。
「出来が悪いクセに、弟を やっかむなど、始末に負えません。何なら その詛いを、そっくり-そのまま 兄へ移す、と云うのは?」
過激な発言が聴こえた気がする。
前半は 事実だから返しようもないが、後半の提案は 賛同しかねる。
まあ、出来はしないだろうが。
「わたしは 構いません、が……… 」
事も無げに、アシュリー様が呟いた。
《 出来るのですか⁈ 今、可能だと言いましたよね⁉︎ 》
縣けられている呪詛を 解くのではなく、呪詛の対象者を変える。
そんな事が 簡単に出来る訳がない。
尠くとも、今までの おれの知識では これを可能にする倆者は いなかった。
「どう爲さいますか?」
…………この様子だと、この人には 可能なのだな。
而も、然して難しい事ではない様だ。
しかし、それをされると やはり困る。
此処は、きちんと説明をするべきだろうな。
「 ––––––––––––あの者は、オスカリウス家を 呪詛から護る為に雇われております。倆を封じられては 路頭に迷うでしょう。同様に、兄が詛われても 職を失います」
この状況でも 擁護するくらい、恩のある倆者だ。
おれに詛いを縣けた経緯だって、兄に嚇されたからに違いない。
本人達に確認をとらなくても、手に取る様に判る。
だからこそ、全面的に祐うべき と判断したのだ。
悪いのは 兄であって、倆者ではない。
勿論、無罪放免とはいかないだろうが、提案された方法を用いるのは 流石に躇われる。
おれは、そう説明した。
「面白くありませんが、仕方ないですね」
判ってくださったのか、シズ様は 溜息と共に そう呟いた。
本当に『面白くなさそう』だったのが、印象深い。
もし おれが賛同していたら、睛を輝かせたり……するのだろうな。
《 ––––––––––––うん、睛に泛かぶ。》
軽く眩暈を覚えている おれに、アシュリー様が こう言い出した。
「ですが、嚇されて やったのなら、自分の縣けた咒いで体調を垉してゆくエディン様を見ているのは お辣いでしょう。かと云って、わたしが解いてしまっては 焦らせる事にもなります」
何と お優しいのだ、この人は。
シズ様の後だからか、気遣いが 心に沁み入る様だ。
これに、陛下が同意してくださった。
「そうだな。己れの悪事が露見したに相違ない状況だ。追い詰めかねない」
「では、このままですか?」
クランツ様の不服そうな声に、アシュリー様が おれを見た。
「エディン様」
「はい」
「『説得』を お願いしても?」
感動しそうになってしまった。
この人は、本当に お優しいのだな。
見た事もない倆者の為に 心を碎いてくださるなど、シズ様では有り得な………いやいや。
まあ その、その通りではあるのだが、これは『口が裂けても言えない事実』と云うヤツだ。
そんな方の傍で働いているせいか、労りのある言葉に、惟わず ほろりと泣きそうになった。
勿論、表情には出さないが。
「 …………判りました、必ず」
淡白に答えているが、心の中では 感謝を繰り返していた。
おれに 時間をくれた この人の為にも、必ず『説得』しなければ。
早速、今夜 談そう。
打開策を提示して、今日中に この状況を打破するのだ。
その為に、おれは 全力を注ごう。
彼女を失望させる訳にはいかない。
《 この口約は、忒えない。》
おれは、そう 強く誓った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:国王の側近 - クランツ=バルトロメイ___
資料などを手に、4人の官吏の者達が 執務室へ入って来た。
どうやら、休憩時間が終わる刻限だったらしい。
《 休憩中に いろいろあって、時間を確認する事を怠ってしまいましたか。》
柱時計を見ると、後-2分で 休憩時間が終了する時刻だった。
これならば、今 淹れてもらっている茶を飲む暇くらいある。
そう惟いながら、クランツは 口を敞いた。
「陛下、シズ様……… 」
クランツが 仕事の再開を促そうとした途端、シズの睛が険しい光りを宿した。
「まさか、早く飲め なんて、言いませんよねぇ?」
口許は笑んでいるが、睛は 決して綯んでいない。
《 嚇しに入る気ですね。》
晣らかなる威嚇に対して、クランツは 敢然と立ち邀う。
「駄目です、休憩時間は……… 」
じきに終わるのだ、と言い切る事は出来なかった。
シズが、彼の言葉を押し除けたのである。
「この美味しい一杯くらい 暢びり味わいたいだけですよ。黙って待ちなさい」
提案している様で命令している その科白をクランツへ発しながら、シズは 離れた処にいる魔法使いに 手を上げてみせる。
これは、おかわりを頼む時の 彼の癖だ。
クランツが これを見遁す筈がない。
「そう言いながら おかわりを頼むのは罷めてもらえませんか?」
一体 どのくらい休憩時間を伸ばすつもりだ、と惟いながら諌める。
そんなクランツの心を知ってか知らずか、同じく おかわりを淹れてもらったラノイが呟いた。
「そう 目くじらを立てるな。もう 20〜30分、休んだ攸で……… 」
「何を 20〜30分も休憩時間を増やす算段しているんですか! 赦す訳ないでしょう⁉︎ 」
惟わず 竚ち上がって反論するが、ラノイとシズの様子に変化はない。
そもそも、この2人が この程度の事で顔色を変えたりする筈がないのだ。
これまでは ラノイが文句を言い、それを シズとクランツが諌めていた。
それが、魔法使いの茶を堪能出来るようになると、シズが 率先して休憩時間の延長を訴え出した。
彼こそが〔森の妖精〕の茶の俘になっているのだ。
ラノイは 味方を得たり、と 益々 増長している。
「なら、クランツは 働くが良い」
「何で 私だけ働かせるんですか。って云うか、陛下が 最も働かなければならないんですよ⁉︎ 」
この国の内政は、国王が中心になって回っている。
小さな出来事も 綜て国王に報告され、彼の耳に入らない事象はない と云って良い状態を作り上げている。
勿論、完全に機能していない部分もあるが、それでも 多くが書面でラノイに報告される。
その中から 撰り抜いて、追加調査を命じたり 対策を講じる案件を選別する。
当然、シズやクランツも これに手を貸しているが、何撰りも 国内の事は ラノイが知る必要があるのだ。
その機能の性質上、やはり ラノイの負荷は大きい。
つまりは、ラノイが 最も働かなければならないのだ。
クランツの言っている事は、間違っていないのである。
しかし、正論が通じる相手ではない事も 確かだ。
「クランツ、怒りすぎると 軀に悪いぞ?」
「誰のせいだと惟っているんです⁈ 」
呀鳴る様に言い放つが、王族の2人は 涼しい顔で答えた。
「シズだろう?」
「陛下だろう?」
同時に 相手に罪を擦り付ける異母兄弟を前に、クランツは がっくりと肩の力を落とした。
「 ––––––––––––全く……… 」
呟いて、クランツは ソファに腰を降ろした。
深く腰掛け 背凭れに体重を預ける。
《 何で こんな人達に附いて来てしまったんでしょう。やり直せませんかね、8年前の あの頃から。》
仕えるべき相手を間違えた、などと 今更ながらに懺いてみる。
勿論、最早 手遅れである事は明白だ。
この段階で これだけ優秀な人物を、手放す筈がないのだ。
疲弊した様子のクランツの傍に、魔法使いが竚っていた。
「クランツ様、おかわりを どうぞ?」
「あ、はい………いただきます」
こうなったら、断る理由もない。
《 私だけが働くなど 有り得ませんしねぇ。》
そんな事を容認すれば、王も宰相も 止め処なく休憩を延長するだろう。
下手をすれば、午前中は 休み倒すかもしれない。
その間、クランツが 3人分の執務を熟さなければならなくなる。
当然ながら、願い下げの未来だ。
苦労するなら、自分-1人ではないほうが良い。
そんな事を考えながら、クランツが 空の湯呑を差し出すと、茶が注がれた。
立ち昇る湯気と共に、芳しい馨りが拡がった。
途端に、ふうっと 気分が和らいだ。
2人の我儘に振り回される理不尽さに ささくれ立っていた神経も、休憩時間の延長で拮くなる仕事を惟い 憂鬱になりかけていた気持ちも、だ。
花の馨りだと云う事は判ったが、嗅いだ事のない 涼やかな芳香だった。
クランツは、手の中のカップを瞰した。
「これは………?」
注がれているのは、琥珀色の お茶だった。
「祖国で、わたしが 日頃 飲んでいる お茶です」
この言葉に、2人の王族の睛に ぎらりとした光りが宿った。
「アシュリー、僕にも」
「姫、私の序でに 異母弟にも」
国王である ラノイを『序で』と発言するが、ラノイも 傍聴するクランツとエディンも 咎めはしない。
シズの傍にいれば、日常的な事になってしまう為だ。
これは 執務室に出入りする官吏達も同じで、書類や資料を積み上げている彼等に 動揺などない。
啻、複雑な睛は向けてくる。
尤も、これは『宰相の 王に対する不敬』に ではない。
事実、官吏達の視線は 魔法使いに集まっていた。
それは『王ばかりか 宰相と側近までも篭絡した悪女』として王妃を見る、侮蔑を含んだ睛だ。
《 アシュリー姫は、動じないでしょうが。》
当然、魔法使いは 背にしている者達の視線に気付いている。
室内の者達の動向など、彼女には 手に把る様に判っているのだ。
しかし、振り向く攸か 顔色-1っ変えはしない。
優しい魔法使いは、自身に悪意が集まる様に振舞っている。
そうする事で、王宮内の『澱み』を取り払う切っ掛けになろうとしている。
彼女と出会った当初から、ラノイは その為に魔法使いを択んだのだ。
決められた役割だと判っているのに、気の毒になってしまう。
この国の 我儘な王に捕まったばかりに、王宮に留められた挙句仮初めの妃に仕立て上げられて以降、迷惑しか蒙っていない。
行動抑制を受け 過剰接触を受け、有らぬ噂を流され 有らぬ嫌疑を掛けられ、要らぬ敵意を向けられ 要らぬ気苦労をさせている。
《 そうと判っていても、手放せなくなっている自分が情けない。》
クランツは、細く長く 溜息を零した。
解毒の魔法に加え、凡ゆる恢復を司る〔森の妖精〕の淹れる茶は、特別だった。
クランツにとっては、こちらの占める割合が 格段に高いと云える。
飲み慣れた茶葉の茶であっても、初めて飲む『紅茶』なる お茶であっても、格別に美味い。
彼が仕事中に受けた 精神的苦痛をも洗い流してくれる茶なのだ。
中毒的に 欲しくなってしまう。
おかげで、どうしても 魔法使いを手放せないのだ。
《 帰りたい、と 仰有っていたのに。》
それを叶える術は、今の攸 皆無だ。
仮初めとは云え、国王の妃に据えてしまったのだ。
式を挙げた訳ではないが、それ相応の理由がなければ、王妃の座を退かせる事も出来ない。
国内的にも国外的にも 全く露出のない現状であっても、難題なのだ。
この先、彼女の『正体』が知れ渡れば、撰り不可能に近くなる。
そう判っているが、クランツには どうにも出来なかった。
《 おまけに、護られてばかりですし………。》
溜息と共に、クランツは、己れの手首へ ちらりと視線を向けた。
其処には、小さな宝珠を聯ねた腕環がある。
涼やかな若緑色と 常緑色・鈍い銀色の 3種類のビーズを組み合わせた、繊麗な作りをしている。
作者は 魔法使いであり、昨夜 直接 手渡されたモノである。
当然ながら 普通の装身具ではない。
《 近付けるだけで、凡ゆる毒を 問答無用で浄化する装身具なんて、あるんですねぇ。》
魔法使いは、紺碧色の指環と 漆黒の首飾りと、 翠色の腕環を創っていた。
形や色が異なるだけで、効果や作用は 全く同じに創られた装身具だった。
三種三様なのは、其々が 身に付け易いモノを択べる様に、と云う配慮である。
ラノイが 指環を択び、シズが 首飾りを手にし、クランツは 腕環を身に付けた。
消去法で腕環になった訳だが、袖に隠してしまうのが勿体莫いと惟う程 気に入ってもいた。
何撰り、その効果が素晴らしい。
《 これを身に付けている限り、毒も 瘴気も、詛いまでもが無効になるなんて。》
美しいだけでなく、とびきりの性能を誇る 護身用の装身具なのだ。
これで、策謀に因る毒の混入にも 偶発的な瘴気との接触にも 何者かに因る呪詛にも、脅える必要はない。
魔法使いが傍にいない状況での飲食も、安心して出来るのだ。
《 アシュリー姫には 苦労ばかり掛けていると云うのに………。》
これを形成している触媒が あの時の我儘女から受け取った代価である と、昨日の夜遅くに ラノイから教えられている。
かの妖精と取引をしたのは、この国へ来て 2日目の事だったと云う事実も、先程の会話から察していた。
つまり、以前から加護を与える予定でいてくれたと云う事になる。
腕環を見る度に、勿体莫い譚だ と惟ってしまう。
捕縛し 強要している側を、魔法使いは 真剣に護ろうとしている。
だからこそ、毒や詛いを打ち消す装身具を 3人に渡したのだ。
《 本当に、頭が下がりますねぇ。》
感謝などと云う言葉では、足りなかった。
趾を向けて寝られないと惟うくらい、恩を感じていた。
それでも、魔法使いの『セクハラ王から逃げたい』と云う願いを叶える事は出来ないのである。
《 –––––––––––––––不甲斐ない。》
心の中で 乾いた笑声をあげつつ、クランツは 密かに溜息を零していた。
エディンの性格は これで良かったのだろうか、と考えるも 最早 修正出来ません。
そんな訳で、影の薄い補佐官になりそうな彼に 幸あらん事を。
(こんな筈じゃなかった、が 多すぎる気がする)




