22__仮初めの妃と 宰相の補佐官 4
ま〜だ 5日目です。
___視点:宰相の補佐官 - エディン=オスカリウス___
エディンは、狐につままれている様な感覚で ぼんやりと竚ち尽くしていた。
そんな補佐官の様子を 巡らせた視界の中に捉え、シズは 小さく笑んでいる。
彼が泛かべているのは、戸惑っている部下を 穏やかに見守る上司の笑み、ではない。
何処となく 意地の悪さが滲み出た、彼の性格が表れた微笑だった。
「攸で、何が気になっていたんです?」
思い出した様に問い掛けているが、エディンを見た直後の魔法使いの様子を見てから 訊きたくて仕方がなかった事である。
シズは、魔法使いが気を取られたのは エディンに何かを視たせいだと察して、先程と同じ問いを重ねたのだ。
「エディンの事が、気になっていたでしょう?」
この問いに、魔法使いは 喑黙った。
彼女が口を拑んだ事で、何も知らないエディンの前では答えかねる内容だと悟ったのだろう。
シズは、無言で 国王を見た。
異母兄弟が眼線で会話する中、魔法使いは 下座のクランツの許へ往き、彼の湯呑に おかわりの茶を淹れている。
そして、無言のまま 壁際の給仕用テーブルまで下がろうと 歩き出した。
その背に、ラノイが声を掛ける。
「構わぬ、忌憚なく申せ」
ラノイの許可が下りた事で、彼女は 小さく息を咐いた。
魔法使いは、手にしていた盆を 傍らの 小さなテーブルへ据える。
それから 首だけで振り皈り、ラノイとシズ・クランツへ睛を向けた。
順に向けた視線の中で 彼等の真意を汲み取った魔法使いは、再び 小さく溜息を零した。
「では、お言葉に甜えて」
短く応じた彼女は ゆっくりと踵を皈し、シズの後方に控えているエディンを見た。
蒼い瞳が、ひた とエディンを見詰める。
エディンは、その視線に 小さな違和感を覚えた。
真っ直ぐ 自分へ視線が向けられて 3秒後、漸く 先程の違和感が何かに気が付いた。
魔法使いと 眼線が合わないのだ。
間違いなく 自分を見ているのに 視線が噛み合わない、僅かに擦れているのである。
気付いた事で、彼女が見ている部分が気になった。
《 肩? 首? 》
怕らく、その どちらかで間違いはないだろう、と惟う。
蒼い瞳は、その辺りを彷徨っている。
これに、エディンは 疑問を深めた。
《 何だ? 》
何か付いている と云う単純な譚ではない様に惟う。
エディンは、常日頃から 身嗜みを整えている。
執務室や政務室への出入り-云々ではなく、補佐官となる以前から 当然の如く身に付いていた習慣だ。
補佐官となってから 同僚に厭がらせを受ける事はあったが、それでも 身嗜みを損なう落ち度はないと確信していた。
しかし『では、何か』と考えても、惟い付く事柄はない。
気難しい顔の裡で あれこれと考えているエディンの横へ、魔法使いが進み出た。
ゆっくりと近付く間も、魔法使いの視線は エディンの首の辺りに注がれたままだ。
「 …………首の周りに」
そう呟いて、魔法使いは 左手を上げた。
ほっそりとした左手が エディンの首許へ伸び、15センチ程 手前になった時、異変が現れた。
彼の首へ 白い指先が近付いただけで、ふわり と黒い靄が出現したのだ。
「っ⁈」
惟わず 後摩去ったエディンの首の周りには、この黒い靄が綢わり付いている。
魔法使いの手から離れた事で 再び見えなくなったが、後摩去った時も 黒い靄は付き綢ってきた。
ぞわわ、と 鳥肌が立った。
感覚が先に立ち 思考は追い付いていないが、これに関しては それで良かったのかもしれない。
黒い靄は、それが『何か』など 全く判らなくとも、本能で危機を感じ 全身が嫌悪を示すモノだった。
これは エディンだけでなく、傍観していたラノイ達にも伝わる感覚だったらしい。
ラノイは 眉を顰め、クランツは 顔色を失くしている。
10秒前まで にやにやしていたシズでさえ、今は 表情を変えていた。
「それは、毒か?」
〔魔法使いの眼〕には、匿されていた
あの靄が視えていた。
同様に、彼女には 仕掛けられた毒と同様に
体内にある毒も視えていた。
この2っの事実を鑑みて、ラノイは 靄の正体を『毒』と仮定した様だ。
仮初めの夫からの問いに、魔法使いは 小さく首を振った。
「いいえ、一種の咒いです」
平然と返された言葉を聴いて、エディンの頭の中は混乱していた。
第一印象からして、良くない咒いである事は 間違いないだろう。
今も 頬と腕の鳥肌は治らず、背中には 厭な汗が浮いていた。
何にしても、エディン-本人の承諾があって縣けられた咒いでない事だけは 確かである。
《 詛い………? 》
身に覚えのない、とは 惟わなかった。
寧ろ、縣ける者に 心当たりがあった。
数人の顔が、脳裏を駆け抜ける。
その全員が、エディンを啁る様な 嫌味な笑みを泛かべていた。
吾知らず、片眉が ぴくぴくと痙攣した。
その誰もが、仕事は出来ず 文句ばかりを喚き 他者の足を引っ張る、最低な官吏達だ。
彼等ならば 自身を高める努力をするよりも、楽に 他人を蹴落とす手段を択ぶだろう。
そう惟い至った途端、爆発的な恚りが湧いた。
《 詛っている暇があったら 仕事をしろ! 》
激怒とは、時と場合に因って 偉大である。
一気に膨れあがった恚憤は、悍しい黒い靄への恐怖心を 最大に薄れさせていた。
《 咒いが縣けられていたと云う事は、縣けた相手は 相当な倆者か。》
エディンの生家-オスカリウス家は ラッケンガルドの有力者で、代々 大臣の地位にある。
敵となる存在を蹴散らして 現在の地位を得た家柄で、歴代 敵は多かった。
毒を盛り 暗殺者を送り 詛いを縣ける、そんな敵が 多かった。
その為、代々、オスカリウス家には 倆者がいる。
オスカリウス家の為に薬を作り 詛いを防ぐのが、お抱え倆者の役目である。
エディンに縣けられていたのは、その彼が見遁していた程の呪詛だ。
縣けた者は 彼-以上の仂がある、と エディンは判断したのだ。
思案にくれるエディンを余所に、クランツが質問をする。
「『咒い』ですか?」
「悪意の篭った咒いです」
「つまり、詛いですか?」
クランツの質問に、潜考していたエディンの意識が 会話へ戻る。
エディンが 憤懣遣るかたなく晏れている間に、魔法使いは 説明を付け足す。
「ですが、呪詛と聘ぶには 余りに稚拙な咒いです」
どうやら 呪詛を得意とする倆者ではないらしい、とも補足している。
《 …………? 》
この発言に 根本的な引っ掛かりを覚えつつも、エディンは まだ混乱していたのだろう。
違和感が何かには意識が回り切らず、考える前に 質問が向けられた。
「近頃、良く お眠りになれなかったのでは ありませんか?」
「そ、れ は………まあ」
官吏の中で躍進し シズの補佐官-候補となった辺りから、寝付きは悪くなっていた。
当初は、新たな緊張と 初めての仕事への重責などのせいかと惟っていたが、半年を経ても 改善はない。
それ攸か、悪化し続けてきた。
日中の仕事で どんなに疲れていても、寝付けない。
寝付けても、寝苦しくなって 眼が寤めてしまう。
次第に、魘される様になっていった。
どうやら 悪夢を視ているらしいが、眼が寤めると すぐに忘れてしまう。
眼寤めの瞬間は憶えているので、慄しい夢だったと云う印象だけは残っている。
全身に びっしょりと冷汗を掻いている事もあった。
補佐官になった頃からは 魘される頻度が益し、今では 毎夜となっている。
身も心も 休まる筈がない。
それでも、気力を振り絞って 職務に邁進していた。
何撰り、エディンにとって、切れ者のシズの補佐官として働く事は至福であり 誇りである。
役職を辞する事は 惷か、休みを貰う事すら 有り得ない。
この決断の下、己れを叱咤し、今日まで 気力を振り絞り続けてきたのだ。
《 それにしても………。》
エディンは、今は視えなくなった黒い靄や 自分の状況-以上の不思議に 眼を向ける。
自然と、視線は 銀髪の美女へ流れていた。
先程 1歩-後摩去った為 少し離れたが、彼女は 未だに腕を伸ばせば届く範囲に竚っている。
視力の良いエディンでなくとも、審らかに観察可能な距離だ。
不躾だとは惟いつつも、睛は 魔法使いを食い入る様に向けられていた。
誰にも談していない近況を 事も無げに言い当てられ、エディンは 内心 驚いていた。
その上、咒いだの 詛いだの 倆者は弱いだのと談しているのだ。
言われた言葉は理解出来たが、判ったからこそ 脳が混乱していた。
《 稚拙な倆? だとしたら、何故………? 》
オスカリウス家-お抱えの倆者は、何故 その詛いを感知出来なかったのか。
これに、1っの可能性が惟い泛かぶ。
勿論、可能性でしかなかったが、仮説を立てた時点で 不思議と納得してしまった。
腑に落ちた、と云った攸だった。
しかし、疑問が深まった事もある。
《 何なんだ? この人は。》
先程から 自然と続いている会話の内容に、理解が付いていかない状態だった。
しかし、耳に入らなかった訳ではない。
脳の処理能力が間に合っていない……と云うか、魔法使い-本人への謎に 思考の殆どが持っていかれているのだ。
問題の提示や 疑問の解決に回せる部分が、極端に尠くなっている。
その為、記憶はしても 理解は出来なかった。
《 何者なんだ? 》
驚くべきは、王妃が言い出した事に対して 面啗っているのは 自分だけである、と云う部分だ。
〔獅子王〕の妃が 何者かを知らぬが故の喫驚だが、誰からも 疑問の声はあがらない。
王は云うに及ばず、宰相も側近も『王妃が何者か』を知っている為だろう。
《 ならば、この発言に見合う人材である可能性が………。》
漸く、エディンは その仮定に辿り着いた。
途端に、混乱が解け 脳が活性化した様に動き出す。
他国の優秀な倆者を、王家で雇った。
倆者である事を匿す為の方便として
『王妃に迎えた』のではないか。
そう惟えば、正式に 婚姻の儀を執り行わない理由にも納得がゆく。
エディンは、高速で思考を働かせながら 魔法使いを見た。
改めて その容姿を観察して、女官ではなく 王妃にした理由に納得してしまった。
《 女官に迎えたほうが、悪眼立ちするな。》
銀色の髪も 蒼い瞳も 白い肌も、ラッケンガルドにはない色彩だ。
加えて、絶世と評しても足りない程の容姿だ。
將に『傾国の美女』と云った美貌なのだ。
国王-付きの女官にしたほうが、妙な ちょっかいが増えて身動きが取れなくなっていた可能性が高い。
そんな事を考えて 妙に納得しているエディンを余所に、ラノイ達の譚は進んでいた。
「解けるか? アシュリー」
ラノイの問いに、嫋やかな美女は 穏やかな笑みを泛かべて 小さく頷いた。
当然だが、この返答にも驚いているのは エディンだけである。
「では、お択びください」
1っ 咒いを解き、これを縣けた者を査べる。
2っ 咒いを解き、二度と縣けられない様にする。
3っ 呪詛を返し、更に 縣けた者を無力化させる。
魔法使いは、3っの方法を提示した。
「どの方法が お憙みでしょう?」
可能な手段を提示した上で『択べ』と云う事らしい。
これに反応したのは、シズと クランツだった。
「詛いを縣けた者を査べたり、無力化させたり、倆を阻害したり なんて、出来るんですか?」
ラッケンガルド王国の東側の国家の中には、魔法使いを 王家の『お抱え』にしている国も尠くない。
魔法使い-未満の倆者ではなく、正真正銘の『魔法使い』を、だ。
彼等は、主に、毒殺の予防や 呪殺の阻害の為にいると、風の噂-程度に耳にしている。
しかし、ラッケンガルドに 倆者-以上の魔力を具える者はおらず、故に『詛いを解く』ばかりか それ以上の事をしようと云う魔法使いに驚いたのだ。
「はい」
事も無げに返された言葉から、彼女にとっては 大して難しい事ではないと察する。
「 ………… 」
更に 喫驚したクランツは喑黙り、シズは 興味深げに魔法使いを観察している。
当の エディンは、言葉も失くしていた。
魔法使いの正体を知らない彼は、言われてる事の半分も 理解出来ずにいた。
自身が詛われていた事は判ったが、それを どう解くと云うのか、察しも付かない。
そんな状態のエディンに、ラノイが 声を掛けた。
「エディン、お前が決めるが良い」
「え?」
「貴方を詛おうとしている者への処置を、決定してください」
困惑の声を 若き国王へ返したエディンへ、穏やかな声が 採択を促した。
「お勧めは、3番目です」
雍かい笑みを泛かべているが、彼女が推薦しているのは 最も物騒な手段だ。
嫋やかな容姿や 雍かな雰囲気をもつ魔法使いを見ていると、彼女が 歴戦を剋ち抜いてきた事などは 忘れてしまうらしい。
取り分け、シズとクランツは この症状が強く出る。
ラノイの様に、彼女の仂を 直接 体感出来ない分、忘れている時間が長い様だ。
これに気付いたシズは、小さく息を咐きつつ 苦笑いを零す。
「姫は 徹底するんですね」
「敵は 確実に減らす、を主義として参りましたので」
容姿からは想像も付かない返答に、クランツは 軽く瞠目した。
これに対し、ラノイとシズは 変化すらない。
「耳が痛いな」
「そうですね」
ラノイも シズも、軽口を敲く調子で 談笑している。
「皆様は 自国の民と闘っておられるのですから、それで宜しいのですよ」
またも 交わされる会話に付いていけないのは、エディンだけだ。
王も 宰相も 側近も、何の疑問も泛かべずに 妃の言葉を受けとめている。
それが、何とも違和感を受ける光景だった。
魔法使い-未満の『倆者』ではない、と 知らぬが故の 不理解である。
「 …………あの」
恐る怖る掛けた声に、ラノイは愉しそうな笑みを返してきた。
「エディン。この私が、見眼ばかりで 妃を択ぶと惟うか?」
「い、いえ……… 」
気圧されて そうは答えたが、本音は 違っていた。
彼は、多くの大臣や高官達と同じく、王妃は『その姚しさで〔獅子王〕を篭絡し、この国を食いモノにする 魔性の女なのだ』と 頭の何処かで決め付けていた。
有り得ない程の美貌が この根拠のない噂を、然も確定事項であるかの如く 惟わせていた。
それ故に、邪魔な存在だとしか惟っていなかった。
粗を見付けたら シズに報告して、早々に 後宮から排除しようとすら惟っていた。
初めて 間近に彼女を見て、その気品に驚いていた。
初めて 直接 言葉を聴いて、その高潔さに驚かされていた。
倆者である可能性に至り 仮初めの妃であると仮定するに至ったが、それは ほんの数10秒前の事だ。
〔獅子王〕に対し、正直に『はい』とは 口が裂けても言えないが、胸を張って『いいえ』と言える度胸は 持ち合わせていなかった。
後ろ暗い惟いをしながら、口篭るのが 精一杯だった。
そんなエディンに、彼の上司が 愉快そうな睛を向けてきた。
「姫は、エスファニアの魔法使いですよ」
シズの暴露に、エディンは 息を飲んだ。
「っ! では〔森の妖精〕⁈ 」
エスファニア王国の魔法使い –––––––この称で通っているのは〔森の妖精〕だけである。
数ヶ月前 サマリア王国の王家を救い、延いては フォルモーサ王国を解放させた魔法使いとして、周辺国では有名になっている。
実際は、サマリア王国で何が起きていたのか 不明だった。
つまり、実際の攸〔森の妖精〕が何を行ったのかは、全く知れ渡っていない。
だが、高位の魔法使いであり 他の魔法使いを圧倒する実力者であると謳われている。
それが、眼の前にいる魔法使いと同一人物だとは惟えなかったのだろう。
エディンは、食い入る様に〔獅子王〕の妃を見詰めた。
「そうです」
惟いがけぬ肯定の言葉に 瞠目したが、復活は早かった。
混乱するより 疑問のほうが強かった、と云う表現のほうが 正しいかもしれない。
「何故 此処に⁈ 〔森の妖精〕は、エスファニアの国王に仕えている、と……… 」
疑問を口にしている間に、慄しい懸念が湧き上がった。
エスファニアの魔法使いは、かの国だけでなく サマリア王国とフォルモーサ王国にとっても 恩人だ。
《 もし、もしも、此処での待遇を知られたら………。》
知らなかった、では済まされない。
その先に俟っている この国の結末を想像して、エディンは 背筋を凍らせた。
顔面蒼白になった補佐官の表情から 彼の懸念を察知したのか。
大国との摩擦に発展する事を案じているエディンへ、魔法使いは 優しく笑み掛ける。
「陛下………フェイトゥーダ様には、 お赦しを頂いております」
尤も、何処にいて何をしているのかと云う最重要項目を匿しての了承だ。
本当に『大丈夫』とは言い難い状況だが、それについては 觝れずに押し通すつもりらしい。
事実、魔法使いの口から 詳しい譚が出る事はない。
「それなら、此処にいる事は……… 」
一応 認可されているのだろう、と 胸を拊で下ろす。
とは云え、かの王の気持ちが変われば、やはり 両-国間の大問題になる事は 変わらない。
その時、この幼い魔法使いの境遇を知っていれば、軍を率いて 迎えに来ないとも限らない。
「今回、往き先は 誰にも告げずに参りましたので………わたしが こちらにいると見当を付けられる方は、多くありません。今の攸は、陛下の秘書官を勤めておられる方だけでしょうか」
唐突に気が変わったからと云って、エスファニア王が 魔法使いを迎えに来る事はない。
しかし、同時に 絶対とは云えない状態でもあるらしい。
そう考えて、エディンは表情を硬くした。
「 –––––––––––––………… 」
言葉を失くしているエディンを見て、徐に 魔法使いが微笑んだ。
「大丈夫ですよ。フェイトゥーダ様は、そう云った猙事を爲さいません」
非公式とは云え 自分の従兄弟を褒める気恥ずかしさがあるのか、魔法使いは 含羞んで そう答えた。
公的にも 私的にも、エスファニア王の従兄弟である事を知っているのは 少数だ。
彼女の性格からして、ラノイ達-3人しか知り得ない事だと推測される。
「ですから、どうぞ ご心配など爲さらずに」
エスファニア王-フェイトゥーダすら 従妹であると認識していないのだから、自分の為に この国へ やって来る事はない。
仮に 知ったとしても、決して 軽率な事はしない。
況して、兵を動かすなど 有り得ない。
魔法使いの主張は、そんな攸らしい。
《 いや、それで済む譚ではない。》
エディンは、魔法使いの言葉を 頭の中で否定した。
エスファニアの国王が どれ程 温厚な性格をしていようとも、対象となるのは〔森の妖精〕だ。
老獪で狡猾なる魔人や魔女とは 一線を画す、特別な魔法使い……彼等は、総じて『妖精』と聘ばれている。
種族的な名称ではなく、魔法使いの中での 特殊性に因る敬称の様なモノである。
他の魔法使い達は 闇と虚無に属する存在であるのに対し、妖精の称を冠する者達は 光りを司る。
光りの種類は、星であったり 月であったり、陽であったりする。
彼等は、闇しか視えず 心を虚無に食われてゆく魔法属にとって、非常に 奇異な存在である。
それと同時に、彼等-妖精は 周囲の綜てにとっても 貴重な存在だ。
其処にいるだけで 環境の安定を促し、心の平穏を保たせる。
魔法使い達の中で そう云った仂を具える存在だけが、妖精と聘ばれる。
中でも、陽を司る〔森の妖精〕の仂は桁違いだと、エディンでも知っていた。
故に、嶮しい山脈に囲まれ 高地にあるにも拘らず、エスファニア王国は、周辺の どの国よりも豊かなのだと。
《 そんな国が、この人を手放す筈がない。》
譬え、国王が赦しても 国政に携わる者達や 国民が黙ってはいないだろう。
今は『気紛れに出掛けているだけ』と惟っていても、不在が長引けば 不安に駆られる。
そうなれば、何が何でも居場所を捜そうとするだろう。
手掛かりの様なモノを 王の秘書官が知っているのならば、彼は 必死に思い出そうとする筈だ。
そうなれば、此処を辿られるのも 時間の問題だ。
〔森の妖精〕が ラッケンガルド王の傍にいると知られれば、間違いなく『奪られた』と惟うだろう。
何100年も旱魃に喘ぐラッケンガルドだからこそ、その仮説に説得力が生まれてしまう。
周囲は、国王に『〔森の妖精〕の帰還』を進言するだろう。
それが 政に関わる数人の意見であったとしても、彼等が 故意に民衆を煽れば 主張を抑える事は困難だ。
独裁を強いている王でなければ、多数の民意を尊重しない訳にはいかない。
どんな状態であろうとも、エスファニア王は〔森の妖精〕を呼び戻さざるを得ない。
《 悪い事に、エスファニア王は、20歳と お若い方だ。》
古参の臣下や 力のある貴族の主張を抑え込める程の存在感は ないだろう。
民意を楯に圧し切られれば、王の意思は 通らない。
焦燥に駆られる者達が穏便に動くとは惟えない。
抑える者のいない状態だ。
欲求のまま 何処までも強引な手段に出る、とも限らないのだ。
而も、この王宮内の者達は 唐突に現れた仮初めの妃を 快く惟っていない。
官吏達の中にも 王妃を否定する者は尠くなく、高官・大臣と 身分が高くなる程 増える傾向にある。
蔑み 蔑ろにし、聴こえる様に嫌味を囁き合う。
晳ら樣な悪意を向ける者が多い、と云うだけではない。
《 先程、陛下は、お妃様は生命を狙われているとも発言していた。》
それは、エディンが感知していなかっただけで『既に 襲われた』もしくは『狙われていると判る何か』が遭った、と云う事だ。
この部屋にいる 4人だけで共有していた情報と 危機感だったのか、これまでは 王宮の話題にも上がっていない。
しかし、王妃を疎んじる者達の手段は、日を追う毎に 過激になるだろう雰囲気を孕んでいた。
決定的な事件が起きてしまうのも、時間の問題に惟えた。
そうなれば、最悪の場合、エスファニア王国との軍事的な衝突にまで発展しかねない。
そう惟った途端、エディンの背中に 厭な汗が浮いた。
《 そうなれば、この国は 終わる。》
直接 攻め込まれる事がなかったとしても、大国に睨まれたと云う事実は消えない。
況してや、彼女は 西側の隣接国-サマリア王国や フォルモーサ王国の恩人でもある。
西側の 2っの隣国が、自発的に エスファニア王国と足並みを揃えるのは 眼に視えている。
つまりは、西側の 3っの大国を敵に回す事になるのだ。
殆ど国交がないとは云え、これに因る影響は大きい。
大国に睨まれた 小国の末路など、知れている。
東側の国々は、ラッケンガルドを見放すだろう。
現在、ラッケンガルドと友好的に国交を結び 交易が盛んな国であっても、直接 エスファニア王国と関わりがない国であっても、だ。
エスファニア王国からの 直接的な圧力を掛けられなくとも、彼等は 手の平を返すだろう。
それ程までに、エスファニアと云う国の存在は大きい。
エスファニア王国に睨まれる危険を冒して、ラッケンガルドを擁護する国はないだろう。
そうまでして得られるモノが尠い為だ。
ラッケンガルド王国は、何100年と続く旱魃に加え、国土の40パーセント以上が 不毛の荒野である。
食糧問題は、深刻な問題だ。
祥い 埋蔵資源だけは豊富にあり、それを 東側の2国に融通する事で 食糧を得ていた。
こうして 食糧自給率の低さをカバーしてきたと云うのに、これが 綜て絶たれるのだ。
万が一の事態を想定して 食糧の確保はしているが、全国民を 1ヶ月-剰り生かす事が出来るか どうか。
その 1ヶ月の間に エスファニア王国の誤解を解いて、東側の国々との国交を正常化させるなど 不可能だろう。
戦争になる事はなくとも、小国は 終わる。
《 ––––––––––––終焉。》
その2文字が、エディンの脳裏に泛かぶ。
全身の血が引き、一気に 体温が下がった。
いつの間にか 頬が引き攣っており、その結果 妙な笑みを泛かべた状態で硬直していた。
そんなエディンへ、魔法使いは 雍かい微笑を向ける。
「大丈夫です、させませんから」
ほんの一言、穏やかに言い切った。
たった これだけの事で、エディンの全身を占めていた緊張が解かれた。
彼女の言葉と微笑みが、雁字搦めに縛っていた 見えない糸を断ち切った様な感覚だった。
ふっ、と 力が抜ける。
《 …………そう、か。この人は、出来るのだ。誰が何を言おうと、己れの意見を通す事が。》
雍かい雰囲気や 穏やかな様子に勘違いする者も多いが、彼女は 何者にも『縛られていない』魔法使いだ。
エスファニア王の傍に身を置いていても、それは 期限付きのモノでしかない。
或る意味、ラノイの隣にいる この状況と同じなのだ。
離れようと惟えば、いつでも離れられる。
これを理解しているエスファニア王国の人々は、躬ら 彼女の恚りをかうマネなど 決してしない。
その事が、エディンにも伝わった。
《 悚い人だ。》
そう惟うも、暢気な笑顔を向けてくる魔法使いに 本音など言えない。
エディンは、曖昧な表情を泛かべるしかなかった。
執務室での休憩時間が 長すぎやしないか? って気がしますが、此処で書かないと 後々 辻褄合わなくなるので……。
まだ続くんですが、お付き合いください。
長い長〜い 5日目は、まだまだまだ続くんです(泣)
頑張って書くので、飽きてるでしょうが 堪えてください。




